第26話 有能過ぎる護衛
「うわっ……、と。到着、したのよね?」
どうにも床や地面を踏みしめる感覚が掴めないまま、おっかなびっくりで数歩進んだ藍里は、急に視界が開けたのと同時に、足裏にしっかりとした感触を覚えて、その場に呆然と立ちすくみながら呟いた。それを見たルーカスが疲れた様に溜め息を吐き、腕を伸ばして藍里の腕を引っ張る。
「さっさとこっちに来い。後がつかえる」
「あ、ああ、そうね」
慌てて扉の前から離れた藍里が注意深く周囲を見回すと、先程の部屋と同様に室内には二つの机があり、その一方の机の前に連れて行かれる。
「ほら、ここで名前」
「え? ええと……、藍里・来住・ヒルシュです」
ルーカスに促されて、反射的に藍里は名乗った。するとアルデイン側と同じ反応が周囲から返ってくる。
「はい、申請通りなのを確認致しました。お通り下さい」
「はぁ……」
(揃いも揃って、視線が微妙……。興味津々と敵対視が半々かな?)
向こうよりは冷静だった担当者に手振りで促されて、藍里は少し離れた場所まで下がった。そして最後のジークがやって来て、ルーカスに声をかける。
「それでは移動しましょうか」
「そうだな。こっちだ」
そして先頭にルーカス、次に並んで藍里とセレナ、最後にウィルとジークの順で、一行が歩き出すと、藍里は周囲を見回しながら確認を入れる。
「話に聞いていた内容だと、ここはリスベラント央都の公宮よね?」
「ああ、そうだ。政務が執り行われている正宮と、ディアルド公爵家が居住する前宮と、この扉を管理運営する奥宮で構成されている。大体の配置も、今述べた順になるな」
淡々と説明してきルーカスに、藍里は思わず疑問を口にした。
「そうなると、正宮や前宮よりも、奥宮の方が奥に位置しているわけ?」
「ああ、呼び名通りな」
「そうなると、公爵家のプライベートより、扉の方が優先だと聞こえるけど?」
「当然だろうが」
「言い切る所が凄いわ……、え? 何?」
きっぱりと断言したルーカスに、藍里が半ば感心した声を漏らすと、頭上で常には聞かれない異音が生じた。反射的に藍里が顔を上げると、その吹き抜けの通路の天井に吊り下げてある、かなりの大きさのシャンデリアが、接続用の金具ごと落下してくるところだった。
「ジャス、レー、ビト」
しかしジークは慌てず騒がす、淡々と呪文を唱える。すると藍里達の頭上約50cmの所で、それが粉砕されて破片が四方に飛び散った。
「きゃあっ!」
予想外の出来事に藍里は思わず頭を抱えてしゃがみ込んだが、かなり大きなクリスタルガラス製の破片が壁にめり込んで、床に無数の破片となって落ちていても、藍里達には小さな破片一つ降りかかってはいなかった。
「うわ、見事に粉々。後片付けが大変そう……」
危険性が無いと分かってから、恐る恐る立ち上がりつつ藍里が口にすると、ジークが事も無げに告げた。
「仮にも公宮内で、こんな仕掛けを見逃すか、黙認する輩です。面倒な後始末位させて、当然です」
「……そういう物ですか」
「そういう物です」
すこぶる真顔でそんな事を言われて、藍里はそれ以上言うのを止めた。
それから口数少なく進んだ藍里達だったが、階段をそろそろ上り切ろうとしたところで、一切の前触れ無く、その階段が崩落し始めた。
「うわっ! きゃあっ!!」
「ミル、レンファ、ジン」
しかしすかさずジークが藍里を、ウィルがセレナを抱え上げ、空中に浮かび上がった。最前列にいたルーカスだけは、崩壊しかけた階段を勢い良く飛び上がりながら、無事上層階に到達する。
ルーカスも無傷なのを見て取ったジークは、安堵した口調で、自分と同じく浮いているウィルに話しかけた。
「浮遊魔術が使える人間には支障は無いが、そんな使用人ばかりでも無いのに、考え無しな事をする」
「自分の生活に支障が出れば、嫌でも分かるだろうさ」
「同感だな。さあ、さっさと行くぞ」
そして藍里達を抱えたまま二人は静かに空中を移動し、唖然としている藍里を促して、再び廊下を歩き始めた。
「おっと……」
今度は何やら無数に飛んできた透明の物体を、素早くルーカスが自分達の周囲に結界を張って防ぐと、それに弾かれた影響からか球体の形が崩れて落下した。その液状の物が落下した直後に生じた異臭で、藍里は顔色を変える。
「ちょっと! 何、この匂い!? それに周りの絨毯が変色しているし、まさか濃硫酸とか?」
「この手の類は良く知らないが、そうだろうな」
「そうだろうな、って! ちょっと! 軽くスルーしちゃうの!?」
顔色を変えた彼女に、ルーカスは軽く首を傾げただけで再び歩き出した。
「きゃあっ!! ちょっと! なんでいきなりこんな火が!?」
「良い燃えぶりですが、ガソリンを仕込んだ普通の火ですね。ウル、二アー、エスタ」
突如として発生した炎の壁に、セレナは冷ややかな視線を向けつつ呪文を唱えた。するとものの数秒で、その猛火が消失する。
「あ、あの……、セレナさん? 一体何を? 水はかけて無いわよね?」
「はい。燃えている箇所の周囲限定で、真空状態を作り出しただけです」
「……ああ、なるほど。酸素が無かったら燃えないわね」
そうして皆と一緒に再び歩き出した藍里だったが、襲撃を受ける度に、周囲から聞こえてくる悲鳴や怒号について、一応周囲に確認を入れてみた。
「さっきから、周囲の被害が甚大な気がするけど?」
「気のせいです」
「……そうですか」
きっぱりとジークに断言されて黙り込んだ藍里をよそに、他の者達が好き勝手に話し出す。
「しかし、本当にやる気があるのか?」
「本気で殺す気は無いんじゃないか?」
「そうですね。ちょっと脅かして、怖がらせて向こう側に帰る様に仕向けるとか」
「この程度でどうこうできると本気で考えているなら、能力不足の上、判断力不足だな」
(やっぱり『ディル』なだけあるわ、この人達)
冷静に意見を述べ合う四人について、藍里は改めてその能力の高さを実感した。
そして周囲から殺意と驚愕と迷惑そうな視線を受けつつ、なんとか正宮の正面玄関まで辿り着き、藍里とセレナは用意されていた馬車に、男性陣は馬に騎乗した。そして央都内にあるグレン辺境伯邸に向けて走り出そうとした瞬間、異音がして馬車が前方に大きく傾く。
「何!? これ?」
「少々お待ち下さい」
すかさずセレナが険しい表情で馬車を降りると、ルーカス達と何事かを話し合って、すぐに再び馬車に乗り込んできた。
「お待たせしました、アイリ様。どうやら馬車の前方の車軸に細工がされていて、見事に折れてしまいました。交換するのも手間がかかるので、完全に外して出発します」
「え? 外してって……、車軸を外したら車輪が使えないし、走れないでしょう?」
その藍里の当然の問いは、セレナにいとも簡単に打ち消された。
「前方を浮かせたまま走れば、全く問題ありません。レッカー車の代わりに、魔術で浮かせば良いだけです」
「『良いだけです』って……」
そんなやり取りをしている間に、馬車の前方が徐々に音もなく持ち上がり、当初の様に車内が水平になった。そして何事も無かったかの様に、問題無く馬車が走り出す。
「セレナさん…」
「はい、何でしょうか?」
「……皆、優秀ね」
「ありがとうございます」
唖然としながら若干の皮肉が籠もった藍里からの賞賛の言葉を聞いて、セレナは嬉しそうに微笑み返した。
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