10

 そして、皆が一瞬、消えうせた。俺が俺なのか、誰が誰なのかもわからない。ただ、歴史が感じられる。

 この世界以前、虚無を前に漂う小さな光。

 光は闇を照らし続け、世界を創った。

 世界を見守り続ける光、神。世界はしばらく小さな渦のようなものだった。その中から、自ら光を発する粒子が現れた。星だ。星は増え、大きな渦を作っていった。

 神は見守り続けた。長い永い時が過ぎ、青い星に生命が生まれた。神の視線はそこに釘付けになった。イデアが自己生成する様に、目を細めた。

 そして、人間が生まれた。そのあまりにも洗練されたイデアの使い方に、神は息を呑んだ。さらには、神の領域を感じられる人間が生まれた。彼らは神の姿を想像し、神に祈りを捧げた。神は彼らの創造する神に、憧れた。

 神は、神になろうとしたのだ。

 本当に悲しい姿だった。神は霊力のある人間の体を取り上げ、「天上」という世界を創り上げた。人間たちの祈りをコントロールするため、そして次なる肉体を確保するため、天使たちを生み出した。ときには戦争をやめさせ、時にはわざと火種を作り、大きくなり過ぎないように、しかし消え去らないように人間の世界を操作してきた。科学技術が発達しすぎた世界に危機感を感じ、唯物論体制を築かせ、宗教家たちを地下で一致団結させた。その中で見事にキーンは生き残った、かに見えた。

 けれども最初から無理な話だったのだ。創造主は、物語に参加してはいけなかった。人間たちどころか、天使たちすら意のままにはできなかった。神を憎む者もいれば、自由を望む者もいた。

 地上に降りてきた神は、今、試される。



 光が飽和して、辺り一面が無色になった気がした。世界が、出口を欲していた。

 選ばれるために、根源的なイデアを必死に引き寄せた。その中で、溜息のようなものが聴こえてきた。



《終わりなのか……》



 腕の中で、温かい吐息が繰り返されていた。

 いったい、誰が選ばれるのか、それが問題だと思っていた。けれども、僕らはそれを望んでいたわけではない。

 そして、神自身が何を望んでいたのか。もう、彼自身それを望んでいないのではないか、と感じた。

 少しだけ聴こえた、呟き。最後の最後に、安らかになれたのではないか。虚無と対抗し続けることは、気が狂いそうになることだったのかもしれない。

 


 諦めるような、ほっとするような意志がこだました。

 足元に、小さな小さな老婆がうずくまっている。全く動かない。そこには、威厳も何も感じられない。きっとこの老婆は、その力を受け入れることを望みもしなかったのだろう。数秒、その姿に手を合わせた。

 そしてその横には、白い翼を手に入れた、しかし、息をしていないルイティーン。ついに永遠の自由を手に入れたのだ。自由は、虚しい。僕はその羽根にそっと触れて、しばらくたってから視線を逸らした。そして、やはり数秒、手を合わせた。

 神であった者は、土に還っていくだろう。しかし、神そのものの気配が感じられなかった。

「消えた……?」

 俺の目論見、そしてルイティーンの予想では、レディットが神となるはずだった。けれども、神の魂はどこにも感じられなくなってしまった。

 考えたこともなかったが、創始者がいなくなった世界は、どうなってしまうのだろうか。とりあえず、以前と変わらず世界は動いているようだが。

「ジェット……」

 レディットは、生きていた。けれども、その顔面はやはり蒼白だった。

「ついに来てしまった……」

 その指先には、べっとりと血が付いていた。体の表面は無傷に見える。それは、内側から零れ出たものなのか。彼女はついに、大人になってしまったのか。

「抱きしめてくれ」

 言われるがままに、俺はレディットの体を強く抱きしめた。紫色の夕日が、沈んでいくのが見えた。

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