8

 僕らは神に生み出され、神に従い、神に倣った。天上の世界はまさに神の意思そのままに成り立っている。

 僕ら天使は神の言うままに世界を調停し、神に近づこうとする人間を見張るために地上に下りていった。

 ある者は歴史上の英雄になった。ある者は歴史の中で突然姿を消した。ある者は歴史に名を刻む前に抹消された。

 ルイティーンはキーンを見張ることになった。いずれ世界に混乱をもたらすかもしれない、真に宗教的な存在。

 僕は神のお情けで、レディットを見張ることになった。取るに足らない、ちょっとしたイレギュラー。

 どちらにしろ、人間の存在など大海のひと泡のようにどうでもいいものなのだ。たとえちょっとした力が波風を立てても、一時波紋が広がる程度に過ぎない。ほとんどのことは神の調停の下だ。

 そうだと信じていた。

 けれども今、神は人間に手を焼き、天使に惑わされている。絶対的な存在とは、程遠く思える。

 天上と地下の者どもがこの地上で相対し、これから何かが変わろうとしている。この、荒廃した都市で。

「自由に、なりましょう」



「自由に?」

「ええ。今、わかりました。キーンでは、なかったんです」

「何がだ」

「器が。あの体にしなければ彼は耐えられなかった。けれどもあなたは、今こうして生身で立っている」

「私が?」

「そう、あなたが」

 いつの間にか、レディットの体を白くて柔らかいものが覆っていた。それが俺のものだと気付くまで、しばらく時間がかかった。

「ジェット、これは……」

「聞かないで。自分でも、驚いている」

 僕には生まれながらに堕天使となるべく、黒き翼が植えつけられていた。殺意を力の源泉とし、殺戮のためにあった翼。それが、今、神を守るための純天使たちに与えられる、白い翼を手に入れた。

 自分では何も変わっていないと思う。これは、優しきイデアが僕に触れたために起こった変化ではないか。

「そうか。私に黙っていたことが多いようだな。帰ったら始末書だ」

「ただ、まずは行かないと。帰るのは、そのあとで」

 僕はレディットの手を解き、そして後ろから抱きしめた。見えないレディットの顔が、少し微笑んだのが分かった。

 ぐううううう、と、何かの渇望する咆哮がこだました。神とキーンの均衡を破るべく、クーカがものすごい勢いで辺りの空気を飲み込み始めたのだ。空間がその勢いについていけず、世界に適合する場所と不適合となった場所の間で電撃が疾っている。

「ジェット。お前がもしも今見たとおりの存在なら、優しいものだと信じていいのだろうな」

 女の鼓動が高鳴っていた。俺は、知りうる限りの優しい誤魔化しの言葉を探した。けれども口をついて出たのは、本音だった。俺は優しくはないのだ。

「俺は、残酷な存在だ。人間のことなど、どうなってもいいと思っている。それでも今は、信じて欲しい」

 クーカに向かって、純白の天使たちが襲い掛かっていた。いよいよ危機感を抱いたのか。神の遊ぶままにはしておけなくなったようだ。

「ルイティーン。一つ聞かせてくれ。俺の望みは、なんだったんだ」

「今、見えているだろう? それが何を意味するのかは、自分で探したら?」

「そうか。いいんだ、わかっていた」

 完全なものなどないのかもしれない。神、天使、人間。どれもただ在り方が少し違うだけで、不完全な部分を抱えながら存在するのだろう。恐れ、怖れ、畏れ。俺の中にあった気持ちの悪い感情が、氷解していくのがわかる。ルイティーンが望んだ自由、レディットが望んだ成熟。そして俺が望んだもの。ルイティーンが何かをかなえる度に、不幸な結果が待っていた。それは、不完全な者の望みは、不完全だからだろう。

「嫌いだったよ、最初から。俺はあいつが、嫌いだった」


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