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 一人で仕事をするのは、これで三回目。

 レディットは月に一回、体調管理のために病院に行かなければならない。急ぎの仕事がないときは僕も休むのだが、そうでないときは単独で任務に当たらなければならなくなる。

 今回の事件はすでに"Case-F"と呼ばれ、MCSR内のほとんどの人間が何らかの形で関わっている。普段行っている隠れ宗教家探しなどの仕事は二の次にされ、事件の解決に向けて全力が注がれているのである。

 新人の僕にできることはたかが知れている。というか、あまり派手なことはさせてもらえない。今の僕に対する信用は、レディットの足元にも及ばないのである。

 外回りも疲れる。たいした成果がないとわかっているところばかりなので、なお更だ。MCSRの名前を出すとまずいところでは警察のふりをするのだが、それも疲れる。正直なところ、この国の警察は質が悪い。かつてここが日本と呼ばれていた頃には、かなり優秀だったと聞くだけに残念である。

「おっと、動くなよ、警察だ」

 考えていたことがばれたてしまったかのように、路地裏で運悪く警察に捕まってしまった。制服ではなく、上下紺のスーツに身を包んだ中年親父だ。こういうときは適当に対処するのがいい。

「何か用でしょうか」

「だったら付き合ってくれるんだろぅなぁ。え? マクサールの坊ちゃんよ」

 右手がポケットに入っている。服の上からでもわかる太い腕。顔の皺は深く固まり、彫り物のようになっている。警察の中でも、特に質が悪い、素質のいい奴だ。

「現在僕も職務中です。警察といえども故なく拘束されるいわれはありません」

「そうとも言えんよ。何故ならあんたと俺は、同じヤマを扱ってんだからな」

 ポケットのふくらみが少し減った。より強く、武器を握ったようだ。単純な撃ち合いでは、到底かないそうにない。

「正式な情報提供のオファーを出したらどうですか。僕の身元を調べただけでも十分罰則対象ですよ」

「なあに、それならあんた達のしていることは国家反逆罪さ。まあ、俺の目的はあんた達を糾弾することじゃない。あんた達が独占している《天使の証拠》を拝見したいんだよ」

「それで、一番弱そうな僕が一人になるのを待ってたんですか。卑怯な人ですね」

「……何とでも言いな。手段は選ばん。あんた達と同じようにな!」

 ポケットから飛び出た右手、その手の中の拳銃、そしてそこから弾き出された弾丸。僕の左足に、まっすぐ飛んでくる。下手によければ、次の弾で完全にしとめられてしまう。不本意ではあるが、仕方なく空間の方をずらした。正確には僕の手前の空間と、後ろの空間を交換した。弾は廃ビルのガラスを突き破り、おそらく中の壁にめり込んだ。

 普通ならば目の前の不可解な現象に対して、人は一連の行動を停止する。しかし目の前の警官は目的遂行のための行動の連鎖を続けていた。あろうことか左手にまで拳銃が握られている。二つの発射口から、僕めがけて弾が飛び出した。空間を操作するためには、弾の存在する空間を正確に指定する必要がある。二つの弾道を同時に処理するのは不可能だ。今度は、自分の存在する空間と左側の空間を交換した。空間の容量が大きいため、正確さに欠ける処理となる。下手をすれば自分の体を切断してしまいかねないが、そうも言ってられない。

 計算する暇がなかったので、安全のために少し空中と交換。さすがに警官は面食らった様子だったが、すぐにこちらに照準を合わせてきた。このままではいつか弾を当てられてしまう。僕は着地すると同時に、今朝メレルから預かってきた武器を内ポケットから取り出した。実戦で使うのは初めてだが、今はこれに賭けるしかない。

 見た目は万華鏡のような筒だが、一本の紐が取り付けられているのでクラッカーのようでもある。実際これは、この紐を引っ張ることにより、中のものがぶちまけられるのだ。

 勢いよく前方に放射された緑色の何か。霧状で、重力に関係なく直線状に進む。これはおそらくMCSRしか所有していないイデア干渉剤「クラウアーテイリア」である。固体物質の付加意志に働きかけ、当初の目的を忘却させる働きを持つ。弾丸ほど強制的にイデアを挿入されたものならば、まずクラウアーテイリアの力から逃れることはできない。

 意味不明なものを噴射されて、敵も今度こそたじろいだ。状況判断ができず、しばらくの間、立ち尽くしていた。その隙にはっきりとした空間指定をし、効果的な一撃を狙う。申し訳ないが、ここまで僕の力を見られてしまった以上、死んでもらうしかない。標的の体の一部を指定し、空間の交換を行う。成功すれば敵の体は引き裂かれるはずだ。

 問題は、僕にはこのような単独での実戦経験が少ないことだった。そして、相手は経験豊富だったのだ。呆然としながらも、警官は攻撃の準備を怠っていたわけではなかった。そして、緑の霧が僕の視界をぼやかしてしまった。裏目に出た!

 空間操作は、僕自身に相応の負担をかける。重すぎるものは少ししか動かせないし、硬すぎるものを分離するのは不可能だ。僕の能力内で人体に効果的な影響を与えるためは、相当ピンポイントで操作をする必要がある。だがこの視界のぼやけた状況では、そんな細かいことはできそうに無い。このままでは霧が晴れた瞬間に狙い撃ちにされてしまう。

 ただ、銃を抜く時間はあった。そして、わずかに頬をたたく風が、咄嗟のアイデアを提供してくれた。大雑把に空間を把握し、瞬時に交換。僕自身はまっすぐ相手に走って行く。

「なんだっ」

 突然霧が自分の前に現れたため、さすがに敵も声を上げて驚いた。しかし霧自体が薄まってきている。ぼんやりと浮かび上がってくる人影。それは相手からもこちらが見え始めていることを表す。

 交差する発砲音。ただし、弾丸が交差することは無かった。弾丸の通る空間を敵の背後と交換、男は予測しようの無い方向から撃ち抜かれた。ただ、やっつけ作業だったので、正確さは欠いた。弾は、背中ではなく左肩に直撃した。

 そして、警官の腕は一流だった。僕の右足、太ももを激痛が襲う。こちらが命を狙っている中で、あくまで足止めを目的としている。

 警官は歯を食いしばりながらも、銃を傾けることは無かった。二発目が右太ももにヒット。三発目はなんとか避けたものの、地面に這い蹲るような態勢しかとることが出来ない。こちらも何とか構えてみるものの、それはもはやポーズにしかなっていない。

 だが、相手は沈黙していた。おそらくこちらの能力を測りかね、手を出せないのだろう。何せ僕は、弾丸を操作し、瞬間移動し、得体の知れない武器を使用したのだ。安全な距離もわからなければ、拘束が有効かも疑問だろう。実際は激痛のため集中できず、今は空間に対して何も働きかけることができない。ただ、予測不能だということだけが僕を保護している。

 五分ほどけん制は続いた。そして、全てを見極めたかのように、相手から動いてきた。右手一本で銃を構えながら、ゆっくりと近付いてくる。撃てない。撃とうとすれば、先に撃たれるだろう。空間は全く掌握できない。それどころか、自分のことさえコントロールできなくなっている。

「まだ名乗っていなかったな、ぼうず。俺の名はクーカ。今からは、俺の個人的な感情でやる」

 警官――クーカは、僕の顔を蹴り上げた。うずくまる僕の胸倉をつかみ、無理矢理に立ち上がらせた。両足に力が入らなかったが、クーカは右腕一本で僕の体を吊り上げていた。そして膝を腹部に食い込ませてきた。重たく、冷たかった。意識が飛びそうになるが、残念なことにいつまでも痛みは続いた。手加減の仕方を知っている、プロのやり方だった。

「やっぱりマクサールってのはバケモンどもだったんだな! 正義面して、あんたらの方がよっぽど世界に敵対しているじゃねえか!」

 背中がむずむずするのを必死でおさえた。この程度のことでくじけてはいけない。僕は、何事をも耐える覚悟でMCSRに入ったのだ。それでもクーカの形相に、僕の心は収縮してしまう。この人はMCSRに対しての恨みを僕にぶつけている。歪んでいる。そんなものには、屈したくない。

「そうですよ、僕らは宗教家のように選択したわけでもなく、生まれながら体制にとって敵だったんです」

 クーカの動きが止まった。視線が真正面からぶつかる。

「だから、政府の犬になることを選んだのか。そして、ただ宗教を捨てなかったというだけの人々を殺してきたのか!」

「そうです。その通りです」

 クーカの体が小刻みに震え、そして左の拳が僕の頬を襲撃した。完璧なストレートに僕の体は吹っ飛んだ。手加減できなかったのだろう、そこで僕の意識は途切れることができた。

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