6

《聞け。子らよ》


 世界が振動した。神の意志が直接周囲に響き渡ったのだ。神は特定のイデアに頼らない。全ての空間を司り、音によらず言葉を伝える。


《祈り亡き時代の子らよ。今我が直に祈りを蘇らせに来た。これよりは祈り深き時代になるであろう》


 その姿を拝みながら、泣き出す者たち。 おびえを無理やり、信仰の力でとどめる者たち。

 僕にとっては、恐怖こそが大きいのに。


《我が意志を収めし函よ。目覚めよ》


 一筋の赤い光が、神の仮面から放たれた。まっすぐに伸びたその光は、キーンの眉間へと突き刺さった。

「思い通りにはさせない」

 キーンは、小さく呟いた。本山の信者の多くが、耳を疑ったようだ。それはそうだろう、神を信じることで団結してきた彼らの教祖が、神に楯突いたのだ。フェリトや、一部の幹部らしき者たちだけが頷いている。

「あなたが、眠れ」

 地震が起きたときのような、寒気のする音がとどろいた。地面の中から、多くの何かが溢れかえってくる。何人かの信者が、体を飲み込まれた。薄くそして凶暴なイデア……それは亡霊……。

「クーカ……」

 決して一人だけのものではない。それでも、核となっているのは明らかに彼の魂だった。肉体を失った果てに、彼が望んだ形がこれなのか。荒れ狂う亡霊たちをまとめ、神をにらみ、世界を恨んでいる。

「彼は、表現したかったんだよ? その力の、形を得たかった」

「だからといって、こんなことをさせるのですか」

「僕は、意志を助けてあげただけ」

 それは、顔を持たなかった。まさに感情が、思うとおりにイデアの渦を形作っていた。怒りも喜びも含んで、自らに満足しているように震えていた。

「ルイティーン……君の能力は、なんて悲しいんだ」

 思わず漏らした僕の言葉に、ルイティーンの顔がさらに歪んだ。それもまた、初めて見る表情だった。

「結局は、過ちを突きつけるだけでしょう。それを見て何も感じないなら、あのお方と本質は何も変わらない」

「けれどもね、ジェッティーン……。だとしても、僕は僕をやめない。……僕は、自由になりたいんだ」

 今までにない浮遊感を覚えた。心の表面がむずがゆくなるような言葉だった。二人の間に、決定的な壁ができたように感じた。

 ルイティーンの不可解な行動は、全てそこに帰結していたのかと思うと、眩暈がしそうだった。自由。最も残酷な人間の捏造。虚妄。空虚な装置。

「ばかやろう。何を夢見たんだ」

「ジェット……知ってしまったら、仕方ないんだ。僕も、キーンも。この連鎖は、断ち切れる」

 いつのまにか、クーカの魂が増大して巨大なドームのようになった。取り込まれた人々が次々に倒れこむ。亡霊のあまりにも異質な感情に、直接触れられなくても気分が悪くなってくる。

「ジェット、あれはどっちなんだ、敵なのか、味方なのか」

 レディットが僕の方に駆け寄ってきた。顔面がさらに蒼白になっている。疲労もピークに達しているのだろう、足元もおぼつかない。

「レディットの味方は僕だけと思ってください」

「ジェット……」

「ここから先は、何が起こるかわかりません。神と人間が出会えばどうなるのか……生き抜けるかどうかも……わからない」

「……偉そうだなあ、ずいぶんと。お前は私の部下だぞ。私の言うとおりにすれば、任務はまっとうできる」

 レディットが右手を高く掲げた。僕は、左手を下に突き出した。二人の手のひらが、吸い付くように合わさる。

「MCSRの任務ですか? だとしたら、全てを壊さなきゃならない」

「できるかは知らん。だが、ぶっ潰す」

 レディットの周囲に、薄紫の光が集い始めた。世界を生み出す赤と、世界を調停する青、その二つが混じった紫。世界の怯えと憂いが、よりどころを求めているのだ。その現象の噂は聞いたことがあったが、目の当たりにすることがあるとは思わなかった。

 本山の信者たちが、うろたえながらもそんなレディットの姿をしっかりと見つめていた。神に挑む教祖、髑髏の神。どちらを信じればいいかわからない中現れた、光に包まれる少女。

「私に苦難を植え付けた奴も、それに成り代わろうとする奴も、ぶっ潰す」

 高く掲げられた銃剣。世界の恐怖が、彼女に体力と気力を復活させていた。


《遊びたいのか、人間ども。いいだろう、我が函となる者よ、せいぜい抗いの力を見せるがいい》


 髑髏の奥で、白い吐息が漏れるのが分かった。神は、気が短いのだ。


《そしてその力の源が、どこにあったのかを思い起こすがいい》


 クーカへと伸びる光の線が太くなっていった。それを遮断するかのように、クーカの膨張した霊体が間に割り込んでいく。

「あれは本当に神なのか。私にはそうは見えない」

 レディットはすでに何か気付いているのだろうか。背中が痛い。どこに向かえばいいのか分からない力が、爆発してしまいそうだった。

 クーカは、大きく口を開けて光を飲み込んだ。光の「指し示す」イデアが分解され、「誇示する」イデアへと変換されていった。しかし神のイデアは尽きることがない。亡霊とはいえ実際の形態を保持しなければいけないクーカには、いつか限界が訪れてしまう。勝負は見えている。

「神よ。遊びはここまでだ」

 キーンの口から、異様に金属的な声が漏れた。皮膚がひび割れて、ほほの肉が削げ落ちていった。衣服が急速に腐り、メタルボディが露になる。

 少年は、ぴかぴかのロボットになった。

 教祖の突然の脱皮に、信者たちはもう破滅的な狂乱に陥っていた。逃げ出す者たちもたくさんいた。まだ踊っているものたちは、誰のために続けているのか。

「この体は、絶対にやらん」


《そこまでなじませた努力、認めてやろう。だが、永遠には程遠い》


 クーカが霧散しようとする寸前、機械となったキーンが前に出た。そして自ら強い緑の光を発したのだ。それは、広大な大地の息吹をいっぱいに吸い込んだ、自然の光だった。アフリカのシャーマンの一少年でしかなかったキーン。彼が何を見て、何を知り、何を思ったのか、僕は分からない。けれどもその光には、優しさが詰まっていた。

「わけが分からない。何が、何なんだ」

「混沌と束縛。神々が願った世界の縮図だよ?」

 少女は、天使をにらみつけた。天使は、少女に微笑んだ。

「本当にお前は何なんだ。これを呼び込んだのは、お前なのか」

「これは、神の願いだよ? 確かに、僕はそのためにここにいるけれど……そのために生きてきたわけじゃない」

「理由なんてあるのか。そう思っているなら、お前は相当弱い奴だ。理由は、自分で作っちまえばいいだろう」

「……強い子だ」

「子どもではない」

 爆音が響き渡った。白い光と緑の光、ぶつかり合った二つのイデアが物理的な衝突を撒き散らしたのだ。トウキョウの空間は小さすぎて、この膨大なイデアを支えきれない。あふれ出た意志は意味のない破壊となって吐き出されるしかない。

 大地が引き裂かれ、アスファルトが飛散した。何が通っていたのか分からない、トウキョウ遺跡の錆びた管が千切れて乱れ飛んだ。大都市の痕跡が、全て消し飛ぼうとしているかのようだった。

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