5
誰もが天を見上げていた。踊りも音楽も、全て過去に置き去りにされた。 金色の光が帯状になって地上までつながり、白い衣の天使たちが翼をはためかせている。宗教画に描かれてきたような幻想的な光景、人びとはそう思うだろう。だが、僕にとっては悲劇でしかない。
「降臨……」
あのお方がやってくるのだ。僕が生み出されるずっと以前から、天の玉座に居られ続けたあのお方が、天使たちを従えてこの地上までやってくるのだ。キーンやフェリトは、この時を待っていたのか。なんと大それたことか。あのお方を前にすれば、彼らの願望など本当にちっぽけで、簡単に踏み潰されてしまうに違いない。それでもあのお方を引っ張り出すだけのものがあるというのだ。世界は今まさに、大転換期を迎えようとしているのだろう。
器楽隊の面々が、神を迎える演奏を始めた。本山のものなどとは比べ物にならない、明るく、厳かで、完成された音楽だ。それに合わせ、声楽隊が歌い始める。人間たちのように、無闇に神を称えるのではない。その歌は宇宙の意味を歌い、神の業を歌い、そしてこの星の成り立ちを歌う。神殿前でしか聴いたことがなかったが、どこで聞いてもこの歌はすばらしい。だが、それだけにどこか危うさがある。
僕は、ようやく立ち上がり、レディット達のほうへと戻り始めた。誰もが天を見上げ、様子を見守っている。いや、ただ一人、ルイティーンを除いて。それは今まで見せたことのない険しい顔で、地面に視線を落としていた。
「ルイティーン。これが望みだったのか」
「まだだ。まだなんだよ」
天使たちは、帯となった光の道をゆっくりとこちらに降りてくる。その先には、僕らがいる。彼らは人間たちのことなどまるで気にもせず、ひたすらに自分の役割に没頭している。 そうできる者だけが、生き延びることを許されるのだ。
「どうするつもりなんですか。世界は、めちゃくちゃになるかもしれない」
「世界は、世界のあるがままにあるよ? 神とは、関係なく」
あまりにも恐ろしい言葉に、僕は言葉を失ってしまった。僕らにとって神は絶対的存在だ。神無しの世界など考えるだけでも自己否定になってしまう。
誰か一人が、踊りを再開した。神の予感に、狂喜は歓喜に変わっていた。つられて、他の人々も踊り出す。最高の音楽の下で、皆が一体感を手に入れていた。このあと訪れるであろう、絶望など知らずに。
そして、ついに。
まず現れたのは、カーテン隊だ。神の前には常に純白のカーテンが広げられ、われわれに神が訪れることを知らせる。そして次に絨毯隊だ。神は自らの翼を使うことを嫌う。だから、自ら歩む道には純白の絨毯を敷かせる。たとえそれが、空であっても。理屈など知らない。すべては神が創りしままに。
「ジェッティーン、あの時僕は、怖かったんだよ」
ルイティーンが、首を振っている。
「え」
「勝ってしまうことが怖かった。神の思い通りに、僕らが死んでいかなければいけないことが怖かった。僕が勝ってしまうことが、怖かった。だからあの時僕は、君に勝たないことを選んだ。この時を、君と過ごせるように」
「ルイティーン……」
「そのために、いろいろとしたよ。キーンを見張る役目もこなしたし、彼の目論見にのってやる振りもした。君に気付いてもらうために、下手な芝居もした」
「それで、子供たちの願いをかなえたのか」
「そう。もちろん、ただ、そうしたかったってこともあるよ?」
「ルイティーン……まだわからない。結局、何をしたいんだ」
「ジェッティーン……来たよ?」
ひときわまぶしい光が、地上を暑く照らしつけた。そして、左右に大天使を従え、あのお方が光の道を歩いてくる。絶大な歓声が湧き上がった。カーテン隊が左右に分かれた。そして、地上からもはっきりとその姿が確認できるまでになった。息を呑む音、そして悲鳴が聞こえた。
ゆったりとした純白の衣に身を包み、金色の髪は腰まで伸びている。女性の体つきであることがまず、人々を驚かせたことだろう。顔には仮面が。そこには、髑髏が描かれている。
涙する者、失神する者、我を失うもの。およそ想像していたのとは異なる神の姿に、信仰深い者ほどうろたえていた。
「そう、そうなんだよ」
「ルイティーン?」
彼は、本当に今までに見たことのない顔をしていた。彼とは、共に生み出され、共に暮らし、共に戦ってきた。その中で、僕はこの天使のことをすべて見てきたつもりだった。けれど、何も知らなかったのかもしれない。彼は、仮面の下の神よりも、鋭い目をしていた。
「世界は、調停されすぎている」
その視線の先には、少女がいた。僕が見守ってきた、力ある者。
「調停されていていいじゃないですか」
「君はまだ、知らないからだよ」
音楽が、だんだん低く、重たくなっていく。神の姿が、影になって地上に映し出される。どんな天才画家も描かなかった、降臨の真の形。
「あれは、イレギュラーだよ?」
稲光が走り、雷鳴が轟いた。照らし出された隊列は、僕らをさらいに来た軍列のようだった。
「イレギュラー? 唯一絶対の存在が、イレギュラーというのは変だろう」
「知ることになるよ。何が唯一で、何が絶対なのか」
唐突に、舞台は整ってしまった。どの預言書にも書かれていなかった、今日、この場所で。
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