4

 夕暮れ。以前は光を遮断していたビルも、今は横倒しになっている。人々が想像した世界の終わりのイメージは、まさにこんな状況だろうか。小さな国の寂れた都市の一角のことに過ぎないが、今後の世界のあり方を左右する出来事が実際に起こっている。

 もともとは公園だった地区に、異常なほどの人数が密集していた。皆が虹色の縞模様の服を着て、踊り狂っている。ある者はサンバを踊り、ある者はタンゴを踊り、ある者は阿波踊りを踊る。音楽も様々なものがごちゃごちゃに鳴らされて、ただの騒音になってしまっている。

「全宗教の最期の晩餐といったところか」

 その光景を目の当たりにした、レディットの感想だった。僕には、人間たちの持つ根本的な狂気の見世物市に思えた。

 地下では見なかった、各宗教の指導者たちの姿も見える。動物の骨を身にまとった者、頭を丸めている者、仮面を被った者。それぞれがそれぞれの方法でそれぞれの神に祈りを捧げていた。

 女たちもいた。料理を運ぶ者、踊りに加わる者、脱ぎ始める者。

 動物もいた。走り回る犬、崇められる亀、問い詰められる羊、解体される牛。

 ロボットもいた。

 わけの分からない創造物もいた。

 むちゃくちゃだった。

 そして、その中心にキーンがいた。ただ一人、落ち着いて周囲を見渡している。

 誰もが、僕らの存在を気にも留めない。この儀式こそが鼓動や呼吸であるかのように、ひたすらに踊り、食らい、叫び、祈っていた。

 僕とレディットは、人々をなんとか避けながら、キーンの方へと進んでいった。もはや敵意ある者は誰もいない。自らの役割に没頭する者たちは、ひたすらに何かを待っているようにも見える。

「待っていたよ?」

 急に後ろから肩をつかまれた。あわてて振り返ると、花柄の服が見えた。少し宙に浮いた、ω……ルイティーンだった。

「これはなんなんですか」

「見てのとおり、彼らが望むものだよ? 地上に出て、神に祈りたかったのさ」

「刹那的なことだろう、これは。こんなことができるならば、最初からこいつらは地下に潜らなかったはずだ」

「だから僕が手伝ってあげたんだよ? お嬢さんはわかってくれるはずさ」

 突然、周囲の空気が一変した。それまでごちゃごちゃだった音楽が、そろって一つの旋律を奏で始めたのだ。

「何が起こるんですか。これは、何のための……」

「ジェッティーン。言ったはずだよ? 僕は、みんなの望みをかなえてあげたい」

「これが、望みだと言うんですか」

「そう、そして僕の望み……」

 太陽が落ち、あたりに闇が浸透し始めた。それでも狂宴はやまない。たいまつが掲げられ、新たにファイヤーダンスが始まった。

「私には分からない。こんなばかげたことをさせて、お前の望みはなんなんだ」

「僕の望み? それは、今からわかるよ……」

 熱気が渦巻いて、天にまで昇ろうかとしていた。実際、天に届いていたのかもしれない。薄ぐもりの空が、小さく脈打っていた。僕は頭を抱えた。ルイティーンは笑っていた。レディットはただ、全てのことを俯瞰していた。

 体中から汗が吹き出そうだった。これは恐怖なのか、怒りなのか。

 ある者は背中から翼を生やし、飛翔に挑戦し、墜落した。ある者はとてつもない美貌を手に入れ、女たちを追い回した。ある者は食べきれないほどの食事を前に、舌鼓を打ちすぎて舌が使えなくなった。

 混沌。

 全てルイティーンが導いたのだ。最強の天使の力は、これぐらいのことはたやすくなしてしまうのだ。

「ω……そして、ジェッティーン。お前たちは何を知っているんだ」

「……レディット、僕は……」

「感じないのかい、LeditTious。選択の鬨だよ?」

 低く重たい音が響き渡った。淡い光が稲妻のように走った。

ついに、天が割れた。雲も空も宇宙も二つに割って、隠された天上界への通路が現れたのだ。

「なんということを……このための儀式だったのですか……」

「ジェッティーン。今こそ僕の望みを言うよ?それは……」

 しかし、言葉は途中でさえぎられた。僕らの前に、二人の男が現れた。緑を強調した虹色の服を着た男、フェリト。そして、黒を加えた八色の虹を身につけたクーカ。

「ふっふっふ。準備は整ったようだな。しかしルイティーン、本当にそれは現れるのだろうな」

「信じていないのかい? 君は本当に悲しい存在だね」

 フェリトの目が見開かれた。 こぶしが強く握られている。

「おい、調子に乗るなよ。散々苦労かけやがって。お前さえいなければ、キーン様は俺こそを……」

「その望みも、かなうかもしれないね」

 僕は、そんな二人の確執には興味がなかった。僕が気にしているのは、まっすぐにこちらを見つめている、亡霊。

「クーカ、またそちらに戻ってしまったのですか」

「なんのことだ。俺は、貴様たちを絶対に許さない」

 クーカの中で、僕との共闘の記憶は消えてしまっているようだった。おそらく、MCSRに反抗するという彼のもともとの望みをかなえるためのお膳立てが、ルイティーンによって準備されたということだろう。

「わかりました、決着をつけましょう」

 今度は、僕がレディットに対して加勢を拒否した。他の者たちから離れ、僕らは倒れたビルの側面で対峙した。

「一つ聞いていいですか」

「なんだ」

「妹の誕生日はいつですか」

「……俺には妹などいない」

「そうですか」

 もう、お互いに手の内はわかっている、はずだ。背中の疼きを開放すれば、あっという間に勝負は終わるだろう。しかし、僕は今の僕の力で戦いたかったし、まだレディットにあの姿を見られたくはなかった。

 僕は、鎌を大きく掲げた。あの時とは違い、こちらの武器はそろっている。クーカも銃口をまっすぐこちらに向けてきた。時間をかけるつもりはない。僕は走った。

 前回と違うのは、殺意がこめられていることだった。僕の急所を狙って、次々と弾丸が襲ってくる。空間を入れ替え、次々と弾丸を遠くに飛ばす。クーカも予想済みだったはずで、途切れなく撃ち込んでくる。

「早く、終わりましょう」

 避け続けることはできない。僕は、その場で鎌を振るった。そして、同時に上空の空間と自分の存在する空間を交換する。あの時と、同じだ。クーカはすでにこちらを向いており、発砲してきた。一度に多くのことをしすぎため、もはや力はほとんど残っていなかった。

「さあ、弾けろ」

 何発かが僕の体をとらえ、鮮血が舞った。体が落下していく。クーカの顔に、笑みが浮かんだ。 しかしその笑みは、すぐに恐怖に変わった。

 目には見えないし、音も聞こえない。しかし地を這うようにして、様々な感情が渦巻いていた。嘆き、悲しみ、戸惑い、失望。それらを統括していたやけっぱちが、本物の宇宙の中で解放されたのだ。レディットから僕に手渡されていた、封印された太陽。その飢え、渇きは、クーカにこそぴったりだとすぐに分かった。だから、渡した。

 亡霊は生贄となった。望みだけでこの世にしがみついている存在を、やけっぱちは見逃さない。まるで新たな宇宙をそこで作るかのようにクーカにとり付き、内部を侵食し、全てを食らい尽くした。しかし、所詮まがい物の宇宙は、この世界では持続できる強さを持たなかった。

「あ……ああ……」

「さよなら、クーカ。フリューゲル」

 断末魔の叫びは、 どこか幸福そうだと思った。これで、本物の妹と再会できることだろう。

 ビルの側面に、激しく体が打ち付けられた。心地よい痛みだった。そして、見上げる天から、多くの人影がこちらに向かってくるのが見えた。ついにあの方が地上に来られる。背中の疼きが、最高潮に達していた。

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