8

 旧都庁の前。人気ひとけどころか、あまり電灯もない、深い闇の中。

 かろうじてぼんやりと照らされた夜闇に、翼の影は見えない。だが、辺りがざわついている。イデアが荒らされている雰囲気がする。

「どうしますか。本部に連絡しますか」

「いや、待て。読まれている気がする」

「えっ」

 僕らが外に居たのは偶然だった。そして、この迅速さでこの場に来れるのは僕らしかいない。もしこれが何らかのわなだとすれば、相手にとって話がうまく行き過ぎている。

「私達を、ということではないかもしれない。ただ、飛んだ奴以外に、それを見守っていた奴がいたんじゃないか」

 感覚を研ぎ澄ませ、周囲を探る。野良猫や鼠、虫の気配。他には……

「あっちだ」

 レディットの指差した方には、地下鉄の駅への階段が。今は使われておらず、ロープが張られている。

「行きますか」

「当然だ。私に見付かって逃げられると思わせたくない」

 レディットは右手をポケットに入れながら、ゆっくりと歩き出した。さすがに銃剣というわけにはいかないが、こんなときも武器を携帯しているのはさすがだ。僕は手ぶらである。

「実戦に突入した場合は基本的に私が引き受ける。お前は周囲に気を配っておけ」

 そう言われても、僕にはレディットほど気配を読み取ることはできない。夜目が効くわけでもない。どうも今回はできることが少なそうだ。

 地下鉄の入口にはロープだけだが、階段を少し下ったところの扉は閉まっている。だが、僕らの目の前には、隔たりがなかった。

「破壊する手間が省けたな」

「開けっ放しで行くものですかね……。罠じゃないですか?」

「罠を正面突破するのも爽快だろう」

 レディットの横顔。薄暗い光の中、薄気味悪く笑っている。こんな風に笑う少女の顔を持つのは、世界中で彼女だけだろう。

 ペンライトを手渡された。とことん準備がいい。躊躇なく階段を下りていく上司に、仕方なく付いていく。止まったままのエスカレーター。広告を剥がした跡。地下鉄としての歴史は止まったままだが、この先にはきっと何かがうごめいている。

 十分ほど歩き続けただろうか。比較的後期にできた地下鉄なのだろう、相当深いところまで来た。でたらめに交差したような路線図は、一度見ただけで頭が痛くなった覚えがある。トウキョウは、無秩序を表現するのに必死な街だったのだろうと思った。

「まるで地下帝国への入口だ。もしくは、地獄への」

 そう、二人は同じことを考えている。警察の資料、地下、そして空を飛ぶ人影。地下帝国の先にあるものは、一つしか想定できない。

 MCSRにとってそれは、避けがたいと共に、最も避けたい敵なのだ。本来なら総力を以って潰しにいってもいいはずなのに、政府はほぼそれを黙認している。そしてそれの方も、政府に対してはただならぬ憎悪を抱いているはずなのに、表向きの活動はあまりしていない。存在そのものが敵対行為だとでも言うかのように。

 ようやく階段が終わり、改札口に出る。金属のものは持ち去られていて、ひどく殺風景だ。

「まだ下だ」

 何もない改札口を抜け、さらに階段を下る。待っても何も来ないはずのプラットホームへ。

「来るぞ」

 何年も使われていないはずなのに、何かが近付いてくる音がする。初めて聞くので、地下鉄の音かどうかはわからない。だが、わかることがあった。これは、やばいものだ。

 姿を現した車体。銀色のボディに、ライトグリーンのペイントが施されている。最近までメンテナンスされていたはずの、きれいな車体だ。全く止まる気配がないのに、いっせいにドアが開いた。ポケットから右手を引き出すレディット。どうしようもないので少女の影に隠れる僕。

 飛び出してきた、全身緑の人間達。目、鼻、口しか穴が開いていないウェットスーツのようなものを身にまとっている。手には銃。見たことのない、特殊戦闘員の集団だった。

 だが、戦闘は起こらなかった。一瞬のうちにしてレディットが勝利、一方的な暴力だけが生じていた。七人の戦闘員達は手足を全て撃ち抜かれ、戦闘能力を失った。そして痛みや驚きではなく、唖然だけが彼らに降りかかっている。

 解説すると、以下のようになる。まず敵を確認したレディットは、銃弾と座標のイデアに接触、操作した。これにより敵と銃口との距離が限りなく近くなる。そしてイデアの変異に関しても接触。敵だけがイデアの実現を遅らされた。つまり「一瞬」というのは彼らだけに適用される相対的表現で、レディットや僕にしてみれば彼らが極端に遅く動いていたことになる。

 ほとんど動かない敵に対して、悠々と発砲。弾は空間を飛び越え、体の直前に現れる。ゆっくり装填、そして発砲。

 病に蝕まれながら、イデアに祝福された存在。レディットはどこまでも唯一無二だ。

「明らかにあやしい集団だ。この場で補足しよう」

 だが、相手も只者ではなかった。こちらが気を抜いた瞬間に、次々と爆発音が。自爆装置を持っていたらしい。こちらには害がないものの、これでは何も聞けない。

「させるか!」

 一人にターゲットを絞り、レディットは駆け寄る。爆煙が固まった。腹部が裂け、血と肉も空中で固まっている。痛みと共に、驚きに満ちた目。レディットは彼の周囲のイデアの展開を止めてしまったのだ。物質はイデアの支持なしでは何をしていいのかわからず、ただそのままを維持する。それが長引くようだと、存在は存続できなくなる。停止させられるだけの能力も稀だが、それを維持させる能力はレディットしか持ち得ないものではないか。

「残念ながら人間の意識までは操作できない。そういうわけでこのままだと痛みだけが続くことになる。それがお望みかい?」

「……い……イヤだ……」

「じゃあ、聞くことに答えろ。お前らの主は誰だ」

「……」

「いつまででも待つぞ」

「う……天……天司様……」

「本山のか」

「そ……そうだ……」

「ターゲットは誰だった。私達ではないだろう」

「……」

「何なら治療してやろうか。何度でも傷ついていいように」

「……」

「同じなんじゃないのか、追っていた者は」

「知って……どうするんだ……」

「さあ? それはあとで考える」

「……」

「いいだろう、教えてやる。私達はMCSRだ。翼を持つ子供について調べていたら、空を飛ぶ人影を見た。そして、追ってきてみたら貴様らが出てきたというわけだ」

「マ……マクサールか……。よりによって……」

 顔色が次第に悪くなっていく。停止させられている部分が大きいので、血の巡りが悪くなっているのかもしれない。だが、レディットはお構い無しに質問を続ける。

「当然関わるさ。むしろ本山が関わっているほうが業界的には驚きじゃないか。いったい、何を求めている」

「……回収だ。俺達は……アレを回収しなきゃならない……」

「アレ? 子供のことか」

「……そんな副産物ではない……それを生み出した……」

 首から上が、がくりと傾いた。息絶えてしまった。

 見ると、レディットも苦しそうな顔をしている。額には脂汗が。

「術後には少し重たい作業だった」

「大丈夫ですか。帰りましょう」

「そうはいかないんじゃない?」

 突然、甲高い声が響く。全く気配を感じなかった。レディットまでもが眉をしかめている。

「僕の仕事だったのに。残念だよ?」

 妙な恰好の男が立っていた。白いハンチング。緑と白のストライプのシャツ。赤い巻きスカート。そして、様々な花模様の描かれた顔。

「ジェッティーン、あいつは犯人だ」

「え……」

「あいつからは、感じる。狂った能力だ」

 笑っているような、がっかりしているような顔つき。体格は痩せているが、弱そうだとは思わない。なにしろ、本山が罠を張って捕らえようとしていた相手だ。一筋縄ではいかないだろう。

「狂ってはいないよ。素直すぎるんだ」

「お前は子供の腕を翼にした。そうだな」

「翼が欲しいといっている子供に、翼をプレゼントしたんだ。素敵なことじゃない?」

 笑顔ではなく、誇らしげな顔だった。

「子供は死んだ。それでもか」

「夢を叶えて死んだんだ。無気力な人たちよりは素敵じゃない?」

 レディットが動かない。僕も動けない。目の前の男は、決定的に何かが違う。飄々としているが、緊張感も漂う。

「容疑者確定だ。確保する」

「無理だよ」

 レディットが一歩近寄る。しかし男の方は笑みを浮かべたままだった。レディットの能力を弾き返している。

「くそ……術後でなければ……」

 額から滲む汗。見たことのない、弱気な上司の顔。そしてまだ手の内を見せない敵。

「なんなら君の願いも叶えてあげようか。子供の夢はいつでも素敵だからね」

「子供ではない!」

 銃口が標的にまっすぐに向けられる。しかし男は全く恐れていない。何が起こるかわからない。僕には全く介入できそうにない攻防。

 引き金が引かれた。しかし、弾は出てこなかった。

「銃弾は飛び出すことを望んでいなかったみたいだね?」

「ふざけるな!」

 何回試しても結果は同じだった。かち、かちと殺意のない音だけが響く。

「君達は歯向かいすぎるんだ。ありのままを応援してあげようよ?」

 見るからにレディットは疲れている。術後の苦痛と能力の使用、そして得体の知れない男からのプレッシャー。こんな状況は想定していなかった。

「私の望みは、貴様を屈服させることだ!」

「そうかな? 君からは、もっと単純なものを感じるよ? 自分の限界を突破したいが、そこには破滅があるのを知っている、どうにかしたい……」

「やめろ」

「君は、超越と共に回帰も望んでいる。少女っぽくないものだね?」

「やめろと言っているだろう!」

 レディットは男に向かって走り出した。だが、銃が使えない以上、勝算は感じられない。慌てて僕も援護策を考えた。敵には殺意が感じられないし、武器も持っていない。

「しゃがんで!」

 レディットの動きが一瞬止まり、そして身を沈めた。男と僕が正面から向き合う。背中がむずむずして仕方がない。必死にそれを押さえ込みながら、男をにらみつける。

「君の望みはそれなんだね? おもしろいね」

 どこまで見透かされているのか心配になる。だが、そんなことは関係ない。

 体に負荷がかかるのがわかる。実戦では初めて使う、危険な技術。

「僕の望みなんて、わかりはしないですよ」

 全く音もせず、爆発が直線状に連なる。僕の能力から開発チームが考案した技術――圧縮爆発。わざと空間の不等価交換をすることにより、エネルギーの瞬間的解放を促すのだ。だが、瞬間的に空間が足りない、という事態は異常事態なのだ。世界内の空間を一時的にではあれ消去することはできないので、どこかで引き受けなければならない。そこでイデアに対し、ごまかしをかけるのだ。イデアの認識で実際より大きめの空間が想定され、世界そのものにとっては空間の量が変化していないように捉えられる。一瞬の間に爆発は起こり、空間は再び世界に定着する。

 敵も予想していなかったらしく、たじろいでいた。何しろ僕の基本的な能力を超えた現象が発現したのだ。相手の力量を読むものは、しばしばその予想に対しての過信に陥る。

「逃げますよ!」

 レディットに駆け寄り、抱えあげた。普段ならば子ども扱いされることを嫌がる彼女だったが、今は何も言わなかった。僕は階段を駆け上がった。追撃は、なかった。

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