7
遠くから何かが……。
銃声が聞こえる。
白くぼやけた視界から、鮮明な世界が浮かび上がってくる。
僕はどこにいるのだろう。見覚えのない場所だ。
「よお、目が覚めたか」
聞き覚えのある、少し太い声。がっちりとした体格。
「クーカ……」
見ると、あの、いじいじした惨めな負け犬が、りりしい顔で戦っている。バリケードにしているのは、偶像の顔の一つだ。理解しがたかったが、彼の手にしている得物を見て納得した。メレル特製の、よくはわからないがとても危険な武器だ。あのでかぶつを破壊してしまったとしても、不思議ではない。
とはいえ、当然そんなに簡単なことでもない。力の大きなものを扱うには、それ以上の能力がなければならない。
「まったく、いつもお前はそうだ。俺に苦労かけやがって」
「そりゃ……ごめんなさい」
次第に周囲の状況が鮮明になってくる。知らない場所だと思ったが、どうやらここはまだ闘技場らしく、上の方に観客席が見える。周囲にはコンクリート片や、電気コードの切れ端が散らばっている。状況から察するに、闘技場の床が抜けてしまったのだろう。実に得体の知れない破壊力だ。
「早いとこ片付けて、姫を救い出さなきゃな」
「姫?」
「おいおい、レディットだよ。いつもそう呼んでんだろ?」
もう、何がなんだかわからない。ひょっとしてこれは夢なのだろうか。夢だとすれば好き勝手暴れていい夢にしたいものだ。
「さあて、まずはあいつをどうするかだ」
そういえば、まだ敵を確認していなかった。撃ち込まれているのは実弾のようだが。
「なっ」
それは、まるでばかげたものだった。遠くからこちらを射撃しているのは、多くの手……たこのようなふにゃふにゃした手だ。それは馬鹿でかい図体から生えている。灰色の肌、大きな耳、長い鼻……。そう、象からたこの足が生えているのである。どんな悪趣味な宗教も、あんなふざけたものを絵画にすらしてこなかったと思う。しかし奴らは、作ってしまったのだ。
「あれは実体じゃない。ああいう風に見えるだけだ」
「でも、弾は本物でしょう」
「物体という意味なら、ね。まだ当たってないから、中身は正確にはわからん」
確かによく見ると、たこぞうは姿がふらふらと揺れている。ホログラムの類ではなく、イデアが光を選択して反射しているのだろう。物質的ではない、とはいえ、自律的ではある。実際に銃を握っているように見えるのは、イデアそのものが銃に働きかけているようだ。すごい操作力だが、実戦的かは疑わしい。これだけのことができるならば、もっと威力のある攻撃ができるだろうに。
とにかく、本山の異常性は僕らに希望を持たせてくれる。彼らは可能性をもてあましている。宗教的という衣を脱ぎ捨てれば、最高の軍事力を発揮できるかもしれない。ただし、宗教的であることが軍を構成させる最初の動機なのかもしれないが。
「ジェット、縦に並べられないものかね」
クーカの落ち着いた声色の言葉。彼の視線は、たこぞうの腕に向けられている。そう、そこにはないが、あるのと変わらないものを。しばらくして彼の意図が分かり、僕はうなずく。
「一瞬なら」
「十分だ」
簡単なことではないが、やってみる価値は十分にあると思った。空間そのものではなく、空間に作用するイデアに集中を傾ける。連鎖運動を可能にしている以上、たこぞうは主体的な存在であると言える。攻撃するだけならば、宙に武器が浮いているだけで事足りるのだ。実体なき主体は、空間に依存しているはずだ。イデアの干渉経路が特定できれば、主体の維持を認識させたまま主体の形成を崩すことが可能だ。ただし、ただ空間を移動させただけでは主体の方が即座に適応してしまうだろう。もともと、適応力だけで構成されたような存在なのだから。
「瞬きしないで下さいよ」
「大丈夫、俺の瞬きは一瞬未満だ」
その言葉は力強く、僕を安心させた。不思議と、昔からこうやっていた気がしてきた。ただ、この時間は、いつか終わってしまうのだと、決まっている。クーカは、この世に生きる者ではないのだ。
空間に強力な意志を送り込み、たこぞうが存在するはずのスペースを強制的に縦一列に並べる。まさに、瞬きより短い時間、たこぞうが戻ろうとするイデアを実行に移す直前、クーカの放った弾丸がたこぞうを次々と貫いていく。空間とはじけ飛ぶたこぞうの実像に対するイデアが、複雑に交錯して絡まりあう。回復すべき像の形を見失い、イデアがさまよい混乱する。空間自体があるべき場所へ戻ろうと足掻き、一帯の意志がカオスを形成する。
戻ろうとする意志が、よりたこぞうの実態に危害を加える。物体を得られないイデアはエネルギーをもてあまし、周囲に対して過剰な好奇心を寄せる。そして、妥協の産物として破壊されたたこぞうが形成された。
「とどめです、クーカ!」
「おう!」
クーカの意志がたっぷり詰まった弾丸が、ふらふらとしたたこぞうに撃ち込まれる。実体へと回帰しようとするイデアは、物体全てを自らに取り込もうとし、摩擦が生じ、弾けた。
「くたばれ!」
次々と撃ち込まれ、たこぞうはもはや原形を完全に失ってしまった。脅威は去ったのだ。
辺りは急に静かになった。勝った。
敵の気配はしない。いないはずはないのだが、しばらく攻撃はしてこないと思う。
「やったな!」
「ええ」
クーカが掲げた手を、吸い寄せられるように叩いた。生まれて初めてのハイタッチかもしれない。
「さあ、次は姫だ」
クーカの偽りのイデアが、炎のように揺らめいて見えた。本人にとっては、今こそが本当なのかもしれない。
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