3
薄ぼんやりとした、世界。
こういうときは、一つ一つ確認しなければならない。
何をしていたか? 仕事。ωの調査。
どうなったのか? 敵との遭遇。ロボット、中ボス、緑の男。勝利、勝利、敗北、拘束、そして……
ここはどこか? わからない。暗くて、冷たくて、硬い。手を伸ばすと、すぐに 壁、天井。前方には鉄格子の感触。
気を失い、気づいたら牢屋の中。クーカのときのことを思い出す。
無線機の反応はない。レディットのイデアも感じられない。 完全に敵の手中のようだった。
ここはおそらく、地下のどこかにある本山の施設だ。そんなところから帰ってきた人間の話は聞かないから、捕まること自体が珍しいのか、脱出が非常に困難なのかのどちらかであろう。
どこも痛むところはない。あのまま殺すこともできただろうが、敵はそれをしなかった。教祖に会わすとか言っていたが、多分それはレディットの方を、だろう。
本山は全ての宗教を統一したものだから、全ての宗教的なものを取り込もうとする傾向があるらしい。レディットのようなあからさまに巨大な潜在能力は、手に入れたくて仕方がないのだろう。
問題は僕だ。僕ぐらいの力の持ち主は、本山にはごろごろといるに違いない。不要となればいつ殺されてもおかしくない。この状況では、放っておかれただけでいつかは餓死してしまう。またレディットが助けに来てくれればいいが、以前とは敵の戦力が違いすぎる。彼女とて簡単に逃れることはできないだろう。
このままでは、全てをぶちまけてしまうしかなくなる。今まで僕が積み上げてきたものは、悲惨な音を立てて崩れ落ちてしまう。それだけは避けたい。
突破口はどこにあるのか。あまりにも敵のことを知らないことに、情けなくなる。なんのためにMCSRに入ったのか、そのことを再確認し、気合を入れ直す。
《よう、元気にしているかい》
不意に、聞き覚えのある声が頭の中に響いた。どこにいるかまではわからないが、そう遠くないところから通信してきていることはわかる。
《おかげさまで自信を失いそうですよ》
僕の精一杯の声は、とても小さかった。
《それはよかった。自信たっぷりの地上の人間なんて、他の連中が見たらすぐに殺してしまうだろうからね、へっへっへ》
緑の男は、からからと乾いた声で笑った。癪に障る。
《そっちこそ、MCSRの人間に手を出して、ただで済むと思ってるのか》
《ほう、ならMCSRにはレディティウス以上の使い手がいるわけだね》
《……》
《君は嘘をつくのが苦手なようだ。ずいぶんと雄弁な沈黙だね》
もう、何も言う気が起こらなかった。今は全てが無為に帰してしまう。不利なときは下手に暴れても、呪縛が強くなるだけだ。待つしかない。じっと、時が来るのを待つしかない。
《まあ、いい。確かに君らの扱いには慎重にならざるを得ない部分もある。それは認めるよ。君らみたいのがいなければ、馬鹿みたいな唯物論体制なんてさっさとつぶせたわけだからね》
それ以降、通信はなかった。武器だけでなく、時計すら奪われていることにようやく気づく。昼か夜かもわからない。どうしていいのか、わからない。
わからないときは、何もしないに限る。そして、眠くなったら寝ればいいのだ。やけくそだが、僕はその場に横になった。そのうち背中が熱くなってくるかもしれないが、その時はその時だ。
本当にぐっすりと寝ていたようだ。どうも、思っていたよりも自分はずぶとい神経の持ち主らしい。
いつどこから差し入れられたのか、寝ている間に食事が支給されていた。芋を煮たものと、スープ。粗末だが、いったいどうやって地下生活で食料を入手しているのかも気になる。土の下に畑を作っている図は想像しにくい。
安全かどうかは知らないが、空腹こそが人生最大の難事だ。食べられるときに食べるしかない。芋はまずいしスープは冷めていたが、そんなことはどうでもよかった。相手が生かしておくつもりならば、そのことを後悔させてやるしかない。
いや、後悔させはしない、皆殺しだ。
試しに、腕立て伏せをしてみた。全く違和感なく、体は動いてくれる。万全というわけではないが、いざという時に人を殺すには十分だ。
周囲は何かしらの力でイデアの流出が抑えられている。断霊剤といった、小ざかしい道具という感じではない。辺り一帯……施設そのものが、何らかの力によって押さえ込まれているようだ。もちろんその力の源は、あれに違いない。だが今のところあれそのものに力があるのかは懐疑的だ。あくまで周囲に持ち上げられた偶像に過ぎないという見方もある。なにせ、当時はアフリカの一シャーマンの少年に過ぎなかったのだ。あまりにも素朴に生きていたために、見過ごされてしまったのだと言われている。
しかし、実際に本山の有する脅威を考えれば、それが教祖ではないにしろ、偉大な霊力を持った人間がいるはずなのだ。緑のあの男が最も強い力を持つとも考えにくい。こんな辺鄙なところにもあれほどの奴がいるのだ、本拠地にはもっとすごい連中がいると考えたほうがいい。
そこまで考えて、そもそも本拠地がどこにあるのかすら知らないことに気づく。「地下」という漠然とした表現だけが、本山のありかを示唆しているものの、どこの地下かなんてことは一度たりとも聞いたことがない。独裁とも言える唯物論体制において、ここまで情報が出てこないというのは、やはり何かがおかしい。 独裁ゆえに情報を隠匿できる、と考えるほうが適当なのではないか。
あごの辺りがむずむずする。わかりかけているものを、言葉にできないもどかしさだ。言葉にしてはいけない、何か。うずく背中と連動して、真実が解放されるのを待ち望んでいる。
「清き子よ」
「!」
突然の声に、痛めるほど首を振ってしまった。通信ではなく、はっきりとした生の声だ。光る二つの目。最初は、虎かと思ったが、理性が猫ぐらいだと訂正する。はっきりとしたイデア。猫の存在は全て覆い隠されている。瞬きの感覚が人間と同じだ。のどが動かない。猫を借りた誰か。
「何故このような所に」
「それはこっちのせりふです。使い魔なんて初めて見ました」
猫は舌を出してみせた。
「器が変わるだけのこと。君ならば容易に理解できよう」
確かに、理解はできる。ただそれは、理屈としてそう解釈するしかないから、とも言える。かつて魔法使いや魔術師と呼ばれた人たちは、実際に使い間などに魂を分与することができたのだろう、とは思う。けれどもここまではっきりと、動物の中に入り込んでしまうなんて、やはり信じられない。
「それで、わざわざ何の用なんです」
「用があったのはそちらであろう。こちらからは迎えただけ」
見た目は猫なのに、心が震えてしまう。黒猫だと勝手に思い込んでいたが、目が慣れてくるにつれて、真っ白いのだとわかってきた。あまりにも見事すぎる白が、闇の色をそのまま反射しているのだ。
「キーン……あなたは何者なんだ」
「お前たちはよく知っているのだと思ったが。まあいい、目覚めれば全てがわかるだろう、清き子よ」
その言葉を最後に、猫の姿は消えてしまった。闇に溶けるようにして、それはいなくなった。
それからしばらくの間は、ぼんやりとしていて、たいしたことが考えられなかった。考えないことは得意だが、考えることを探すのは苦手だった。朝も夜もわからない時間を、ずいぶんと無益に過ごしてしまった。時折、眠気に襲われている自覚で、われに返った。そして、いつの間にか眠りに落ちる。
慣れてきたのか、断霊の影響力が弱まってきていた。牢屋の周囲ぐらいまでは、イデアの観察が可能になった。見張りが何人かいるようだが、僕以外に囚われている人間はいないようだ。構造は複雑で、階段により半階ずつ上り下りすることができ、多くの階層が複雑に入り組んでいる。どこが出口なのかはよくわからない。
不思議と、逃げ出そうという気は起こらなかった。まだ僕らの間には、殺意が介在していない。本山は僕らの利用価値を探っているに違いない。だからこそキーンみずから接触を図ってきたのだろう。チャンスは必ず来る。それまで堂々としているのが得策だと、自分に言い聞かせる。
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