2 天使

1

 地上の空気は、やっぱり濃い。

 待っていては被害も大きくなる一方ということで、こちらから罠を仕掛けることになった。それに伴い、僕らの謹慎も解かれた。誰一人、無駄にはできないのだ。

 僕とレディットは、トウキョウ内の公式・非公式全ての保育園、小学校に専用の通信機を設置する作業を行った。子供のデータ、その日の出欠状況に加え、各施設の入口付近を通る人々の映像も記録できるようにした。ω、本山双方との接触の可能性があるため、これらのデータは政府にも非公式で秘密のまま採取できるようにした。

 執拗な調査の結果、新たに二件の事件が発覚した。自宅で亡くなった事例で、ばれれば家族の命も危険だと思われたため隠匿されていたものだ。もちろん、隠匿がばれたせいで死は確実となった。

 ωはトウキョウから出ようとせず、子供ばかりを狙っている。まるで何かと決着を付けたがっているかのように、僕には思えた。それがMCSRなのか、本山なのかはわからない。ただ彼は、明らかに何かに執着している。

 ゆっくりと考えられるのは幸せだ。宗教の消えた世界は、表向きには一切の対立構図を払拭した。初めて世界が一つの体制としてまとまり、そして世界の外側を見なくなった。月も星も宇宙の果ても、もはや何の示唆も与えてはくれない。何もかもが、人間とってはただの素材なのだ。今こうして見下ろしているトウキョウは、素材の宝庫だった。滅んだもの、残ったもの、発展したもの、ごちゃごちゃの世界を人々は生きている。

「ジェッティーン、様子はどうだ」

「特に異常は検知されてません。まあ、今日登校していない子供を全部異常だとみなすなら千件以上です」

「まったく、学校ぐらい行けばいいのに」

 レディットは、遠くの空を見つめている。僕もレディットも、学校には満足に行っていない。MCSRの人間は大体そうだ。唯物論には認められない存在。世間から切り離され、死か従属かを迫られる存在。

 僕らのことなど、人々は知らないままだ。この街に潜む、様々な霊的なもなど、黙っていれば関係ないことだと思っているだろう。宗教も占いも、なければないで生きていける、そんな風にしつけられてきた。

「緊急事態のわりに暇だな。早く何かやればいいのに」

「あのまま蒸発したりしないんですかね。能力の使いすぎで」

「それはどうかな。あいつ自身、願いを叶えることが願いだろうから、自己暗示的な力で生き延びていく気がする」

 イデアの願いを叶える能力。考えれば考えるほど恐ろしい力だ。能力者にとって、力の根源はイデアを操作することにある。僕の場合はイデアの座標認識に働きかけることから、空間を交換することができる。だが、これはイデアの方向性を捻じ曲げるため、大きなエネルギーが必要になる。ωに比べて、無駄が多い。

 だが、完璧な能力などない。イデア本来が願っていないことは、させることができない。実際にωを傷つけようとしているものからは、逃れることはできないはずなのである。だが、本来的にωに敵対するイデアがあるのかはよくわからない。

《レディット、ジェッティーン、聞こえるか》

 シュディルからの通信が入った。口調は少し早めだ。

《はい。こちらは異常ありませんが》

《こっちは大有りだ。政府側の回路がハッキングされている》

《ハッキング? 命知らずな奴がいるな》

《それが、同時多発、計画的なものらしい。実被害は交通システムの停止だ。あと、学校の管理システムが止まっている》

《え……学校?》

《俺らと同じ目的を持った奴がいそうだ》

 交通システムを麻痺させ、学校の動向を把握する。これは、ターゲットの片方が動き出したということだろう。

《幸いにもうちらのシステムは生きている。一気に行くぞ》

《はい》

《もちろんだ》

 事態は緊迫し始めた。今僕らは独占情報を所有しているのだ。その価値のほどはわからないが、そこに価値を見出している人間がいることは確かだった。

「こちらの情報網が気づかれるのも時間の問題だろう。バックアップを怠るな」

「任せてください」

 下のほうから、戸惑いや怒りに満ちた騒音が響いてくる。自家用車を失った街では、公共交通機関の麻痺は致命的だ。どれぐらいの状態かはまだわからないが、多くの人々に負の影響をもたらしていることは間違いない。

「ジェッティーン、一つ気になるんだが」

「どうしました」

「このビルのエレベーターも中央棟の管理下になかったか」

「ええ、確か都市交通と連動して……あ」

「また階段らしいな」

「……そのようですね」

 トウキョウで一番高い建物で、僕らは、しばしため息をつき続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る