3

 ビルが折り重なり、地面が波打つ。もはや大都市の遺物は完全に機能を失ってしまったようだ。無造作に死体やロボットの残骸が転がっている。そしてところどころに地下で見た異様な宗教的な像やら絵画やらが転がり、カオスを忠実に映像化したかのようになっている。

 生類の感覚が感じられないにもかかわらず、熱気が満ちている。僕らが向かう先から漂ってくる、どす黒い感覚。今まで押さえ込まれていた反唯物論的なものが、一気に開放されてしまったかのような、霊的な力を感じる。

「お前はこの原因を知っているのか」

 二人は、並んで歩いている。レディットは相当体力的にきついはずだか、僕の歩幅に合わせている。

「だいたいは。キーンの願いに、ωが応えたんでしょう」

 目前に、赤い壁が現れた。何十、ひょっとしたら百を越えるかもしれない本山の戦闘員が、僕らのことを待ち構えていた。

「緑はいないようだ」

「赤は雑魚です。おそらくは、戦闘員にされたばかりの連中です」

「どちらでもいい。皆殺しだ」

 レディットが、跳んだ。それに呼応して、赤い壁も動き出す。しかしその壁には、すぐに大きな穴が開いた。撃たれ、斬られ、突き刺され、そして蹴り上げられた。僕も追いかけ、鎌を振るった。やはり、この武器こそ僕の手に合う。

 鮮血と死体が赤く積み重なっていく。まるで、儀式のように淡々とした一方的な殺戮。敵の数が取れぐらい残っているかなど、まったく気にならなかった。

 どれくらい時間がたったかも分からない。気がつけば、立っているのは僕ら二人だけだった。

「平気ですか」

「これぐらいで、駄目になるわけがない」

 心なしか、レディットの顔に生気が戻ってきているように見えた。戦いの中で、本来の意味を取り戻したということだろうか。

「次が来たぞ」

 ある程度予想していたが、奇天烈なものがまたまたやってきた。小さな一戸建てほどはあろうかという木馬……といっても鉄製だが……が、車輪によってごろごろと前進してくる。

「奴らの資金源を教えろ。優秀な総務を紹介したい」

 確かに、悪趣味かつ無駄遣いだ。ただ、まったく得体が知れないだけに、侮るわけには行かない。

「僕は技術者を知りたいですね。地下に置いておくのはもったいない」

「センスは地下より深くに埋めたいよ」

 木馬には見たところ火器は装備されていない。だがかつて木馬の危機を見抜けずに戦に負けた人々もいるので、見た目で判断してはいけない。

「どう思う」

「歴史が好きなら、中に人が潜んでいるんでしょうね。ただ、それが分かっては木馬の意味がないですが」

「とりあえず、ばかばかしいの一言だ」

 木馬は悪い足場をもろともせず、ゆっくりと、まっすぐにこちらに向かってくる。歩いてくる。

「あれは……生きています」

「なに」

「自動的ではなく、自律的なんです」

 木馬がこけずに進めるのは、自らの姿勢を自覚しているからだ。イデアは調停の下に、乱れなく整列して稼動している。それは、生きているからに他ならない。

「しかし、そんなことが可能なのか」

「目の前にあることは、可能ってことでしょう」

 理屈を考えていては生き残れない。車輪があろうが鉄でできていようが、生きているものは生きているのだ。

「で、どうする」

「生きているものは、殺せばいいんです」

 木馬の目が、こちらを向いていた。鉄の塊の装飾に過ぎない瞳。しかし、視線は熱いほどに感じるのだ。

「そうか……生きていながら、生きようとする意志がない。それが、武器か」

 木馬は10メートルほどの距離を置いて、僕らと対峙する形で止まった。まるで、決闘を申し込んでいるかのようだ。

「応えてやろう、悲しき命よ」

 少女が、一歩前に出た。車輪が、一回転した。風が、止まった。

 無理やり命を与えられた鉄の塊の中に、僕ははっきりと魂を見た。それは、人間が神に対して犯した冒涜ではあるが、美しいとさえ思った。もともと宗教は神を信仰したものだから、そこから生まれるものは醜くはならないのかもしれない。

「どうするんだ、木馬。何ならまずは名前をつけてやろうか」

 大きな鉄の塊が、身震いしたように見えた。

「よし、来い、束縛の自由フリューゲル

 空気が震えた。声こそ出さないものの、名前を与えられた木馬の嘶きだったのだろう。そして、あの子どもと同じ名前、フリューゲルは背中を開き、二枚の大きな翼を生やした。レディットはそれを知っていたのだろう、小さく頷いていた。

 レディットが、地面を蹴った。小さな体が、しなやかに宙を舞って、走る。そして、フリューゲルも、翔んだ。そして、駈った。

 太陽が二人を照らし、プリズムが零れ落ちた。視界から二人の姿が消え、静寂がしばし自己主張を強めた。

 再び姿を現した二人は、どちらも無傷に見えた。だが、再び地面に戻ってきた二人は、時が止まったかのように動かなかった。イデアの流れも感じられない。二人の間で何が起こったのか、「何も起こらない」状態が作り出されてしまったのだ。

《ジェッティーン、聴こえるか》

 心の中、無意識と意識のハザマのような場所に、レディットの声が響いてきた。

「はい、聴こえます」

 どこから届いているのか分からないので、声に出して答える。

《たいした奴だよ。自分の中に宇宙を持っていた》

「え、宇宙?」

《もちろん擬似的だが、奴の宇宙に取り込まれた私のイデアは、奴の宇宙の法則に縛られている。だが、私も奴のイデアを多少なりとも砕いたから、不完全な状態だ。うーん、ややこしい》

「どうすればいいですか」

《空間を送ってくれ。座標を教えるから》

 言っていることの中身を理解するのに時間がかかった。ゆっくりと考えた。レディットは今この宇宙の外(といっても木馬の中)に魂を飛ばされていて、そこの空間をこちらの空間と交換させようとしているのだ。いくらなんでも、この世界の外、法則の違う世界をどうこうすることなどできるだろうか。

「でも、レディット……」

《いいか、現にこうして意思は通じている。問題は理屈ロゴスだ。お前がここを見つけさえすれば、いいんだ》

「でも、物理的にはそこは、僕にとってはどこでもないんですよ」

《いいか、ここはフリューゲルの根本的な意義アイデンティティだ。奴を理解すれば、そのうちに宇宙は開けている》

「とにかく……やってはみます」

 レディットの意思と、木馬の体に集中し、もうひとつの宇宙を探索する。しかし、宇宙の概念自体が神によって創られた唯一無二のものなので、宇宙を探すという事実自体が意味をなしていない気がする。レディットの言葉は、何かに対する比喩なのではないかと疑ってみる。

「これは……」

 木馬の中でまず見付かったのは「物語」だった。唯物論体制下では宗教的とされるような、人々の真実の歴史ものがたり。神に祈り、神に捧げ、神に祈る人に捧げてきた、人々の思いが、木馬の中には詰まっていた。単なる偶像崇拝だったり、権力者の自己満足だったりもしただろう。しかし、多くの人々が本気でその物語を作ってきたのは確かなのだ。

 いけない、と思った。僕は物語の中に引きずり込まれようとしている。木馬の中のイデアは、僕らの中にある物語への共感を、たくみに刺激してくる。人々の思い自体を武器にするとは、恐るべき生物兵器だ。

 できるだけ客観的に、イデアを解析していく。子孫を残すことどころか、成長さえも望まない生命。物語を原動力とし、自らの世界に魂を引き込み、自らの自我も捨て去ってしまう存在。本山はなんと悲しいものを作り出してしまったのだろう。

 ここまで僕が見てきたのは、あくまでフリューゲルの自我の土台となっているものに過ぎない。彼が見せた一瞬の震え――あれは、自らの尊厳を表明した瞬間だった。彼は創られたものだが、しっかりと自己を保っている。

 深層へと近づくにつれ、イデアの形が複雑になっていく。本来生命が何万年もかけて見つけるべき自己保存の調停を、木馬は一代のうちに成し遂げねばならなかったのだろう。それゆえ雑多なものをむちゃくちゃにつなぎ合わせて、どうにか自分の存在理由を作り上げている。その奥の奥に、小さく渦巻く暗い影。あらゆるイデアを弾き返し、真に独立して存在する世界ヴェルトイン世界ヴェルト。本物の宇宙に比べればあまりにもちっぽけだが、それでも神の摂理から独立した領域を形成していることは本当に驚愕する。

 本山はすでに、神の領域に足を踏み入れているのか。だとすれば、唯一絶対の神と呼ぶには、何が満たされればいいのか。

 第二の宇宙は、僕の思考をかき乱す。しかし今の僕には、レディットを救うという現実世界の現実的な使命がある。

《見付かりましたよ、レディット》

 主観内ではっきりと認知したためか、直接レディットの魂に声をかけられるようになった。

《そうか。じゃあ、私の場所と外とで空間を入れ替えてくれ》

 そうは言われても、僕が見つけたのはあくまで宇宙で、レディットそのものではない。小さいとはいえ宇宙の中の一人を座標的に特定するのは、砂漠で落とした宝石を探すよりも難しい。

《そうは言われても……》

《いいか、ここは構成上宇宙だが、そもそも木馬の中だ。木馬の主観を越えた広さは成立しようがない》

 助けを求める立場の割には、態度が大きい。とはいえここまできたらどうにかするしかない。

《でも、物理的な広さの問題ですか》

《観念的広さだ。原子が一個の宇宙だとしても、原子以上のことは成しようがない。そうだろ》

《何か目標はないんですか》

《太陽がある。光も闇もない、やけっぱちの太陽だ》

 宇宙の中は、見えない。可視的な世界ではないのだ。光を基本としない、暗き法則の内面。音も臭いも風もない。あるのは嘆き、悲しみ、戸惑い、失望。物語の中に溜まった負の諸々が、木馬の中で一つの宇宙を作ってしまったのだ。その中心でただ漫然と腰を下ろしているのがやけっぱちの塊、太陽。どろどろしたものどもを回転させながら、ひたすら悪態をついている。

《太陽は見付かりました。ただ、レディットはわかりません》

《今から私が太陽を飲み込む。太陽ごと交換しろ》

《え》

 もはや意味が分からないが、やってみるしかない。 あの太陽がこの宇宙に現れたらどうなってしまうのか正確に予測することはできないが、おそらくこの宇宙の巨大さの前には霧散するぐらいだろうか。まず飲み込む、ということ自体どういう事態かが不明なのだが……

《そちらの空間は多めにぶち込め。フリューゲルを成仏させてやりたい》

 簡単に言うが、そもそも宇宙同士の交換レートなど知る由もないのだ。

「もう、知らん」

 それこそやけっぱちに、とにかく空間操作を行った。レディットの魂、そしてこの世界が頑丈であることを祈るしかない。意識を研ぎ澄まし、二つの空間を交換する。

 すぐに、木馬が、音を立てて倒れた。全ての車輪がはじけ飛ぶ。生命の感覚が、なくなった。

「よくやったぞ」

 レディットの体が、ゆっくりと動き始めた。魂を取り戻し、この世界に完全なものとしてよみがえったのだ。

「お前ならできると信じていた」

 僕の方に歩み寄ってきて、精一杯背伸びして、僕の肩を叩いた。

「なぜ、同情したんですか」

「似ているからさ。この世界の中で、成長することができない」

 少女の姿を見下ろしながら、僕はあのお方のことを考えていた。レディティウスもキーンもあの木馬も、全てあのお方の治めるこの世界に生み出されたものだ。それなのになぜこんなにもいびつなのだろう。それは、僕にも当てはまる。僕はなぜこんなにどす黒いものとして生み出され、姿を偽って少女を見張っているのだろう。そもそもなぜ僕は、あの時殺されずに、今生きているのだろう。

「誰も、成長なんかしませんよ」

 それは、自分に対する呟きだった。

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