11

 プロジェクト・ωに、急展開が訪れた。あまりいい方向にではない。

 新たに、二体の子供の死体が発見された。翼はなかったが、正常だったならば、僕らに報告されることはない。二人は、異様に痩せていたが、周辺聴取の結果、前日までは太っていた、というのである。

 具合が悪いのは、今度の事件は死体が家族によって発見されたという点である。残念だが、このような場合発見者も確保される。そして多くの場合、生きて社会に復帰することはない。

 ωがいる限り、このようなことは今後も起こるだろう。実際にはもっと多くの事件が起こってしまっているかもしれない。

「やばいですね。このままだと一般のニュースにもなりかねませんよ」

「なんとしてもこちらで確保しないと」

 相変わらず本山とωのつながりに関しては何の情報もない。これだけ何もないと、全てわかっているがゆえに隠蔽されているのではないかと疑いたくなる。

「こんなにうっとうしい事件は初めてだ!」

 シュディルは最近ひげをきれいに剃っている。いらいらすると気が付かないうちに剃っているらしい。ところどころ赤くなっている。

「なんとかなるんでしょうか」

「しなきゃならないんだよ。ちょっと、派手にやりすぎている」

 他の些細な事件の処理など、本当に雑務に思えてくる。

「お前はどう思う。ωに会っているんだ、何か感じただろう」

「あれはやばいですよ。まっすぐ歪んでる感じです」

「まあ、俺達にはありがちなことだ」

 小さく息が吐き出された。いつもは熊みたいなシュディルが、やせ犬のように見える。

 部屋の中は陰気さで満ち溢れていた。時計を見るとすでに六時を過ぎていた。僕は部屋を出て、リラクゼーションルームへと向かった。

 地下に作られた公園のような空間は、普段ならば僕の心を落ち着かせてくれるはずだったが、今日は違った。あちこちで煙が上がり、ベンチは満員。ため息の合唱状態。

 こうも湿った人間が多いと、せっかくの草木の爽やかさも台無しである。

 本当に仕方無しに、自分の部屋に帰ることにした。決してくつろげる場所ではない。地下に作られた、秘密の組織なのだ。居住空間はできるだけ質素に作られている。六畳ほどの部屋には、壁に備え付けの本棚やテレビ。自分で持ち込んだのは小さなテーブルだけ。ロフトの上にベッド。台所にはワンドアの小さな冷蔵庫と、ほとんど使わない電子レンジ。

「君の望みを、考えてみたんだ」

 扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた花柄。あまりにも予想になかった登場に、体が全く動かない。

「でも、わからなかった。滅多にないことだ。なんでかな?」

「……何で……」

 あれ以来常備するようになった拳銃を抜こうとするが、ズボンのポケットにくっついてしまったかのように抜くことができない。すでにωに先手を取られている!

「危害は加えないよ。君の望みを叶えたいんだから」

 悔しいが、すでに何もできなくなっている。手の内は知られてしまっている。わずかな隙ができるのを待つしかない。

「僕に見えないものがあるなんて、思わなかったよ」

「それで、どうしたいんですか。ここはMCSRの本部ですよ、逃げ切れると思ってるんですか」

「入れたから、出れるんじゃないかなあ」

 右手を、ふわふわと舞わせている。簡単だった、という意思表示だろうか。MCSRは軍よりも侵入が困難と言われているにもかかわらず、ωはさも当然というような涼しい顔をしている。

「一体どうやって入ったんですか」

「そんなこと言っちゃったら、次から入れなくなるじゃない」

 威圧されている。威圧されすぎている。

「入らなくていいですよ。ここから出しはしない」

 焼けてただれるような背中の痛み。突き抜けるような快感。抑えようとする理性の叫び。様々なものが僕の中で狂いだした。目を真ん丸くしている花柄の顔。

「わかってねぇんだよ!」

 耳の裏を風が巻いて奔る。喉の奥の方で、封じ込められていた言葉達が出口を求めて暴れ回っている。必死におさえようと、両手が喉を締め付ける。上の歯と下の歯が別々の行動を望み、ぶつかり、こすれ、絡まる。

「解放が望みなのかい?……それにしては……」

 風の中を一直線に突き破る、何かがあった。ωが後ろに飛んだ。追うように、実際に追いかけて飛ぶナイフ。

「大丈夫ー、ジェッくん?」

 メレルの声に、僕は答えられない。答えれば、今の僕の声を聞かれてしまう。僕は小さく、頷いた。

 狭い部屋なので、逃げ切ることはできないはずだった。イデアそのものめがけて飛ぶナイフは、現在開発中の取っておき、のはずなのだ。

「おもしろいね。でも、それだけ」

 しかしωは、ロフトの上で微笑んでいた。右手でしっかりとナイフの柄を握っている。

「そんなーっ」

「君達が与えた思いは、小さすぎたんだ。モノ本来の望みに比べたら、本当に小さい」

 騒ぎを聞きつけたのか、多くの足音がこちらに向かってきている。

「まあいいや。君達のもろさはわかったし、また今度ね」

 ωは両手を広げた。その下から、白いオーラが零れだしてくる。あの時見た、翼。

「にがさないっ」

「無理だよ。君は、知っているのに、わかっていない」

 いつの間に抜き取ったのか、メレルは僕の銃で発砲した。しかし、結果はこの前と同じだった。ωには、届かない。かなわない。

「貴様!」

 わきの下から、影が飛び出す。銃剣の切っ先がまっすぐに伸びていく。レディットの攻撃は、洗練されていて、なおかつ激しい。避けることは不可能、今までかわされたのを見たことがなかった。

「いびつだよ」

 だが、ωはかわす必要がなかった。剣が銃から取れてしまったのである。ωにとっては、くっつけられたものを元に戻すことなど実に簡単なことだろう。それぞれのそれぞれでありたいという願いさえかなえてやればいいのだから。

「君の願いは、今すぐ叶えてあげてもいいけどね」

「貴様の一面的な助力など、当人にとっては足枷と同じだ。こんなところまできて、何様のつもりなんだ」

「君達と和解すれば、少しは楽になるからね。敵が多すぎるというのも考えものだよ?」

「な、貴様……」

「僕にもすぐにはかなわない望みはあるんだ。あまりにも大きすぎて、逃げ出すのがやっとだった相手が」

 意外すぎる言葉に、誰もが対処に困った。背中からすうっと力が抜けていくのがわかる。この男の思考回路はさっぱりわからないが、ただ、根拠もなく事を荒立てているわけではなさそうだ。

「僕は世界中の望みを叶えてあげたい、それだけなんだよ。けれども彼らは自分たちの望みこそ叶えられるべきだと思っていた。全てを一元的にしてしまう、悲しいやり方だよ」

「貴様、本山の何だと言うのだ」

「君達がこの社会で闇を取り締まっているように、本山にも裏があるということじゃないかな? まあ僕は道具に過ぎないから、詳しいことはわからないよ」

「だが、貴様はすでに何人も死に追いやっている。貴様が本山にどんな思いを抱いていようと、私達にとって捕らえねばならない対象であることに違いはない」

「そう……僕は知らなかったんだよ。こちらでは、生きることが大事だってことをね。でも僕は抑えきれないよ。食べたり眠ったりするのと同じように、叶えてしまうんだ」

「貴様に良心があるならば、おとなしく殺されるのが世界のためだ」

「それは、僕の望みじゃない」

 白いオーラが、ωの全身を包み込んでいく。周囲の空間が伸縮しているのが感じられる。ωの能力は、イデアを超えて空間という器自体にまで作用しているのだ。下手に手を出せば巻き込まれて大変なことになってしまう。第一手の出し方がわからない。

「どうすればー、いいのよー」

「どうにかしないといけないだろうっ」

 MCSRの面々が、各々に何かをしようと試みているが、形としては何も現れない。ωの力が強すぎて、全てが打ち消されてしまっているのだ。空間を交換するわけでも、物質を移転するわけでもない。ωの思いに、周囲のイデアが共感している。自然に、ωの姿が消えていく。

「悪魔が……」

 僕の声には、誰も耳を傾けていなかっただろう。唯物論体制下最強の集団が、ただ、立ち尽くしていた。

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