8

 あれだけいた観衆がまったくいなくなっている。腹の立つ緑の男も見当たらない。もちろんキーンもいない。廃墟のようになった闘技場には、今では僕ら二人しかいないようだった。

「異様だな」

 たこぞうは時間稼ぎだったのか。いったい何を狙っているのか。

「敵は巨大なイデアを操ってきます。慎重にいきましょう」

「おう」

 イデアの気配を頼りに、ゆっくりと進んでいく。闘技場を抜けると白い通路が果てしなく続いている。複雑に絡み合うように、アリの巣のように張り巡らされている。これだけのものを作ってしまうには、技術力だけでは不可能だっただろう。同胞たちの魂に、心の中で手を合わせる。

 断霊の影響か、ところどころでまったく方向すらわからなくなってしまう。それでもあらゆる敵意がないので、時間さえかければどうにか進むことができた。

「どうなってるんだ。随分と綺麗なスラムだ」

「何かに導かれている気がします。当然、本山の罠でしょうが」

 丁度、T字路でどちらに進むか迷っているときだった。

 ピッ!

 突然、大きな電子音が鳴り響いた。辺り一面、と感じたが、地下全体だったかもしれない。

「何かの発動の合図かね」

 ピッ!

 約十秒後、同じ音。

 ピーーッッ!!

 さらに十秒後、今度は長い音。

 同時に、周囲の壁が次々に倒れていった。それまで遮断されていたイデアが一気にあふれ出てくる。手に手に武器を持った全身赤色の服の連中が、次々と飛び出してきた。反射的に空間を操作し、最前列を吹き飛ばす。とっさのことだったため、交換対象にいろいろなものが含まれていたらしく、一瞬目の前がぐちゃぐちゃになった。こういうときは、イデアが混乱し破壊力が乏しい。

「ふざけやがってぇぇ!」

 クーカの銃弾が乱れ飛んだ。体を撃ち抜くのだが、誰も倒れない。血が出ているのかもよくわからない。

「まやかしですっ、効いている!」

 赤色は、血をごまかすためだ。そして、こいつらは狂っている。痛さを感じているのかどうかは知らないが、まったくひるまずにひたすら前進してくる。四方から迫ってくるため、空間操作では防戦にも限界がある。

 とはいえ、闘技場での戦いを見せてくれたため、それほどの者がたくさんいないことも予想できた。こいつらは、生死をかけた戦いを知らないだけで、今後僕らによって恐怖を植え付けられていくかもしれない。

「ぶっつぶす!」

 クーカは突然右側を向き、乱射しながら突っ込んでいった。そこが一番薄い、と判断したのだろう。僕も空間操作はそこそこに、援護射撃をする。

 敵は剣やら槍やら斧やら、おのおのの持つ武器が違いすぎるため、連係をとることができていない。クーカは体ごとぶつかって、物理的に相手を倒していった。いくら怖いもの知らずでも、弱ければ仕方がない。次々となぎ倒し、何とか一点突破を果たすことができた。

 その場を駆け抜けたものの、どこに向かっていいものかわからない。そして、突然電気が消えた。

「上ですっ」

 何かはわからないが、天井から殺意の群れが降ってきた。その数約三十。

 クーカはそこにも鉛の雨を撃ち込んでいったが、どうやらそれはまずかった。弾け飛んだそれらから、液状のものがあふれ出してきた。そして、電気が再び灯された。

「飛びます!」

 一か八かだったが、二人のいる空間ごとどこかの空間と交換した。降り注いできたのは金色の液体だった。触れるとどうなっていたのかは知る由がないが、突然明るくなったことにより、よりきらきらと瞬き、視力が奪われてしまった。背中から激しく地面に叩きつけられた。ただ、地面が遠くなかったのは幸運だった。

 体を起こす。隣にはまだ起き上がれないクーカ。周囲にはキリン、象、シマウマといった旧アフリカ地方に生息していたといううわさの動物の像が立っている。どれも真っ白だ。地面も真っ白な道で、まっすぐに伸びていた。

「いてて……なんだここは」

 クーカも立ち上がる。そして辺りを見回し、眉をひそめた。

「なんか、寒気がするぜ」

 空間全体に、冷たいイデアが充満していた。それは周囲の像が作り出すものであり、その像を作った人々の意思でもあった。

「来ました」

 まっすぐな道をこちらに向かってくる、緑の男。両手に短剣を握っている。

「へっへっへ。近道したらしいね」

 言葉とは裏腹に、目は強くこちらを刺激してくる。

「呼んだんでしょう。都合がよすぎる」

「それはどうかな」

 僕はあえて、鎌を手にした。キーンの悪夢を振り払うためにも、相手の土俵で戦いたいのだ。

「クーカ、ここは……」

「わかってるし、信じてるよ」

 不思議な安心感だった。今までまったく信頼し合ったことはないのに、実際に何度も共に苦難を潜り抜けてきたかのような気分になる。

「別に二人でも構わないけど」

「おごるなよ」

 背中から渦巻くものがわかった。今度は暴走させないし、そこまでの相手ではないはずなのだ。しかし、この疼きはなんだろう。

「いい顔だ。導きたいのもわかる」

 緑の男は、あっという間に間合いを詰めてきた。音も気配も何もない。声がなければ完全に見失っていただろう。しかし懐に飛び込んできながら、短剣を突き刺してくることはなかった。

「どうした。天使様なんだろう」

 二本の切っ先が、複雑に揺れている。見たことがある、その動き。背筋を旋律の束が駆け抜けていく。

「貴様……!」

 まさかこちらで見ることになるとは思わなかった。しかし、あれが人間の手に負えるものであるはずがない。

「時間稼ぎなんですね」

 詠唱はイデア内部の神的原理を抽出することから始まる。神により直接作られた僕らでもめったに使用しないものだから、神に遠い存在であるこいつなんかにうまく扱えるわけがないのだ。

「おごるなよ」

 短剣の間から、淡く白い光が発生した。それは、幾度か見た危険な光。全身が震えて、そして硬直した。

「神は、一人ではない」

 世界が創造されたときの力が、緑の男の手元に出現している。空間が萎縮し、イデアが沈黙する。逃げなければいけないと思うが、僕自身の意思が体に伝わらない。

「世界は、キーン様を選ぶ」

 光が急速に膨張し、僕の全身を包み込む。心がとらわれ、自我から隔離されていく。遠く深く懐かしいところへと沈んでいく。ただ一点、違和感。今俺を迎えようとしているのは、神ではなく人間なのだ。人が神になれるはずがない。だから、俺は最後の力で拒否する。

「  RU SHЮA ……」

 声が絞り出された。自分の声かどうかもわからない、呻き。

「    UO WOUTÜ  ……」

 かつて叩き込まれた、原初の抗い。神が大地を創造する以前の、空虚との戦いにおいて用いられた言葉。

「な……に……」

 光が渦を巻いて、そして乱れ始める。偽者の神に怒りの咆哮を上げる、僕の中の原初的な神の意志。

「天罰……だ」

 勝手に両腕が動き、鎌を振り下ろしていた。光を切り裂き、そして霧散させた。

「覚醒せずに振り払うとは……貴様は……」

「そこまでのようだね、フェリト」

 一瞬で、周囲の空気が固まった。白衣を着た、小さな黒い肌の少年が歩み寄ってくる。短い髪、大きな目、そこだけ目立つ、太めの首。見た瞬間に、それが誰かを判断することができた。

「キーン……」

「……申し訳ありません」

「いいんだ、フェリト。彼は今までのとは違う。しっかりとした、天使様だ」

 優雅ともいえる足取りで、キーンは緑の男……フェリトの横までやってきた。口元は常に微笑んでいるが、目元は決して優しくない。

「だけどね、神の意志はもう、古いんだよ。わからないかな」

「神は絶対だ。それに代わるものなどいない」

 語気を強めるが、途中でかすれた。力が入らなくなっている。

「ふふふふ……君はさっき、僕に恐怖を抱いただろう。そのときの感触を、思い出してごらん」

「……」

「ついに……ついに手に入れたよ、僕たちは」

 キーンが手を鳴らすと、どこからか二つの大きな箱が出現した。前面だけガラス張りになった、2メートル四方ほどのものだ。

「レディット!」

「姫!」

 僕らの目の前に現れた、鎖に縛られ囚われのレディット、そしてもう一つは……

「まあ、本命はこっちだけどね」

 ω。

 手足を縛られ、首輪をかけられ、足かせをされ、おそらく薬漬けにされている花柄の悪魔。

「……ああ……」

 クーカがωを見て、震え始めた。おそらく、クーカの魂をこんな風にしてしまったのは、ωなのだ。

「キーン……あなたはいったい何をしたいんですか。こんな地下で、本当に神になるつもりですか」

 こみ上げてくる思いは、怒りだった。誰もがばかげた思いで、事態を混乱させようとする。ただ神の思われるままにあればいいのに、抗って、無視して、自分たちで何かをなそうとする。

「神……そうだね、君たちが神と呼ぶもののようになりたいとは思うよ。けれどね、それは悲しいことでもある。本当に力あるものは、天上でも地下でもいない、地上から生まれるんだ。君たちの神も、地上の土から捏ね上げられたように」

「ふざけたことを言わないでください。神は地上ができるずっと以前からおられた」

「それを見たのかい? 僕は気付いたんだよ。今の神は、本当の神じゃない。だから人間を恐れるんだと」

 不遜すぎる発言に、両腕が震えている。

「恐れてなどいません。神が恐れるのは、あくまで単なるイレギュラーです」

「この少女のように、そして僕のように、か。でもね、だとしたら、何か足りないものに気付かないかい。イレギュラーを封じ込めたいのなら」

 少年の瞳が、悪意に満ちた湾曲を描いた。それは、レディットにそっくりだった。

 レディット。そして僕。キーン、そして……?

「……感じていました。幾人かの仲間の残骸を」

「ふふふ。でもね、一番大事なものを見逃している。もちろん、僕がそうなるようにしたのだけれど」

「教祖様、喋りすぎでは」

 それまで黙っていたフェリトが、口を尖らせながら割り込んできた。だがキーンは、まったく顔色を変えない。

「いいんだよ。彼もこれから、仲間になるんだから」

「誰が……」

 仲間に、と言おうとして、何かの気配に気がついた。誰かが訴えかけている。レディットを見た。違う。ということは……

 しっかりと開かれた目と、ごそごそと動く唇。その言葉は、はっきりと読み取れた。

「かなえてあげるよ?」

 そして、世界が暗転した。

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