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クイーザー・ツリー27階の奥には、保育所がある。それぐらいの情報ならば前から知ってはいたが、まさかそれと今回の事件とが結びつくとは思わなかった。
隣の部屋からは子供たちの歌声が聞こえてくる。上手とはいえないが、元気はいっぱいだ。
「そんなに恐い顔をするな。子供の扱いは慣れているんだろう」
レディットの皮肉にも、園長のクレイバーグは難しい顔をしたままだった。白髪の目立つ口髭がぴくぴくと動いている。
「僕たちが聞きたいのは、卒園生のことなんです。決してここの園がどういう方々のご子息を預かっているかということではなく」
「まあもちろん、そういう事実がもし万が一あったとして、見逃すということではないがな」
子供たちの歌声に比べて、ピアノの音は力が無い。おそらくここで働いているのは、免許のない人間だ。唯物論体勢による二元論狩りの結果、身寄りのない子供たちが多く生じた。そしてその面倒を見るべき大人たちも多く処分されてしまった。さらに二元論支持者の子供という枷を付けられた者達は、一般の施設には受け入れられなかった。
「用件を言ってくれ。そんなに暇じゃないんだ」
クレイバークはひどく苛立っているが、事実彼は忙しいことだろう。闇の保育園は、金儲けのためにやっているわけではない。罪のない不幸な子供たちを、ほぼ慈善事業として面倒を見ているのだ。いつ、唯物論協会に告発されるかわからない中、よくこれだけのことができると感心する。MCSRはそんな彼らを追い詰めるようなことは極力しない方針である。
「では、言いましょう。ここに、フリューゲルという少年がいましたね」
「ああ、まあ、三月まで」
「どんな子でしたか」
「おとなしい子だったよ」
「夢はあったのか」
レディットは、子供の顔に大人の目つきを浮かべている。これほど威圧感のある表情はない。
「夢……」
「例えば、空を飛びたい、とか。そういう子供だったのかどうかだ」
「ああ、それなら」
クレイバーグは立ち上がると、棚から紙の束を取り出した。どうやら、子供たちの描いた絵のようだ。
「去年、フリューゲルが描いた絵だよ」
子供の絵なんていうのはどれも似たり寄ったりだが、それは、特異だった。上手いというのではないが、幼さの感じられない、乾いたタッチだった。そして紙の真ん中で、背中から翼を生やした子供が青空を飛んでいた。
僕らがその絵に見入っているのを感じてか、クレイバーグは口に手を当てた。確かに、これを証拠に二元論支持の疑いをかけることすらできるだろう、危険な題材ではある。
「そいつはただ単に空を飛びたいってので、その、そういうモチーフとかそういうのじゃないんだよ。わかってくれるだろ」
「まあ、そうだろうな。それにしてはこいつはあまりにも美化されていない。本当に、ただ単に翼が欲しかったんだろう」
しかしそれは、子供にしてはやはり異常なことだ。すでに彼は、現実的に翼だけを欲していたのだ。そして彼は、実際に翼を手に入れた。
「なるほど。来たかいがあったよ」
「そうですね。充分でしょう」
僕とレディットは、同時に立ち上がった。
「ちょっと、子どもたちを見てもいいですか」
「ええ、はあ」
僕らが入っていくと、子供達はいっせいにこちらを振り向いた。まず僕の方を見て、敵と認識したらしく、口をとがらせた。次にレディットを見て、首を傾げたり口をぽかんとしたりした。一見同じ仲間なのだが、醸し出す空気が違いすぎるのだ。背丈も肌のつやも、外見は全くの子供だが、生物としての本能により、誰もが彼女が子供だなどとは認めない。そしてすぐに彼らは理解する。危ないのは、僕よりもレディットの方だと。
「警戒心の強いガキどもだ。ひとめぼれとかすれば可愛いものだが」
まあ、レディットのほうは子供にどうこうと感情を抱くわけではない。子供は観察の対象、事件解決の鍵、役に立たなければどうでもいいもの、だ。
実際この子達から何かヒントを得られるのか、疑問だった。この子達から第二の被害者が出るとは考えにくいし、加害者がまぎれていることはありえない。だが、レディットは絶対に見ておかなければならないと言った。
「三歳から八歳までいるな。今日は何人か来ていないだろう」
クレイバーグの目はまん丸になっていた。当たっていたのだろう。
「いつも全員はいないものなのか」
「ええ、まあ。親の仕事の関係などで……」
ひとつ、僕にもわかったことがある。クレイバーグはまだ、教え子から死人が出たことに気がついていない。
「そうか。ご協力、ありがとう。そろそろお暇するとしよう」
子供達は、さっていく僕らを目で追っている。振り向かなくても、わかる。
「ところでジェッティーン、帰りも階段なんだな」
「そうですね」
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