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 クーカ・グライハンス。貿易で大きくなったグライハンス家の長男であり、アメリカ方面の仕事を任されていた。対アメリカ殲滅計画の実行を前に一家で日本に亡命、その際多額の政治献金を行った。戦後は日本において貿易業を再開させ、成功。しかし貿易品の中に「宗教的なもの」があったことから検挙後、反唯物論的態度があったとして一家全員処刑。

「あれ、全員死んだって……」

「だから亡霊ということだ」

 クーカには警察としてのキャリアがない。今から何年も前に死んでいる上に、仕事も異なっていたためなかなか情報が見付からなかったのだ。

「しかし、嘘をついているとは思えませんでした」

「本人も気付いていないんだ。イデアが常に情報を補完していると推測されるらしい」

「イデアが?」

「普通はありえないことだ。亡霊にそんな便利なイデアが付いているとは。普通は」

 MCSRでは色々な案件を扱うが、幽霊の類にお目にかかることは滅多にない。幽霊は、多くの場合本当に実体がないもので、いちいち関わっていたらきりがない。そもそもこの世には霊的なものが満ち溢れていて、それを知らないからこそ霊的なものに怯えてしまう。知っていれば、その中で恐れるべき対象はほんの少しであることに気が付くはずだ。

「亡霊をわざわざ普通じゃなくするなんてことも、まずないですよね」

「まず、ない」

 霊とはつまり、イデアのみの存在だ。実体を持たないがゆえに、実体にとっては不確実なものとして捉えられる。人間の作り上げたイデアは特に肉体からひとり立ちしやすく、それが幽体離脱や死後の霊という現象につながる。しかしほとんどの場合、そのことで何か実害が生じるわけではない。霊はそれのみではほとんど実体に働きかける力を持たないし、イデアはそのうち消えてしまう。

「しかし、写真通りの顔ですしね。アンドロイドってことはないでしょうか」

「自分を警官だと思い込ませたアンドロイドをメンテナンスし続けているのか。このご時世にそんな物好きな金持ちがいるのかどうか。だいたい、私が刺したところを見ていただろう。完全に人間の感触だった」

 やはりクーカは、異常すぎる。肉体を持ち、自己存在の肯定のために情報を更新し続けるイデアも持つ。偶然そのようになってしまった、などということが有り得るだろうか。

 向かったのは、秘密地下刑務所。MCSRなどに捕らえられた思想犯が一時的に収容されることの多い場所だ。その存在は一般社会からは完全に隠匿されている。なぜなら、唯物論体制に反したものは即座に処刑されると思い込ませることが重要視されているからだ。全世界が統一の下運営されていくには、絶対的な恐怖が必要であり、救済の可能性は感じさせてはいけない。

「いつ来ても好きになれない。病院と同じにおいがする」

 長く複雑な経路を辿って、ようやく入口に付くことができる。僕らでも、案内無しでは来ることができない、それほどの機密事項。

 壁も床も天井も全てが黄色い。扉や窓の継ぎ目さえわからないように作られている。うっかりすれば、どこが通路かさえわからない。眩暈がする。

 この施設では、職員まで黄色い。侵入者に見つけられないようにという理由だが、単なる悪趣味ではないかとも思えてくる。先導している人間を時折見失う。

 号室も何の印もない部屋の前で、「ここだ」と言われる。そして、鍵を使うでもなく扉が開かれる。

 中の部屋は、真っ白い。だがそう見えるだけで、実際には普通の面会室が用意されている。見えない椅子に案内され、ギクシャクしながら座る。

「時間は三十分だ。全て録画されるが、裁判の証拠にはならない」

「わかった」

 白い空間の中に、暗い光の枠が現れる。小さな穴の開いたガラス越しに映る、普通のコンクリートの色。特殊効果光に影響されない、一メートル四方の尋問用の窓だ。

「さて……久しぶり」

 ガラスを隔てて、仏頂面のクーカ。

「別に会いたくはなかったよ」

 右肩に包帯が巻かれている。きっと、両足にもだろう。

「私も別に焦がれてきたわけじゃない。お前の方が再会を必要としていたんだ」

「俺が? 冗談だろう。一瞬で施設を制圧できる少女なんて、二度と会いたくなかったね」

「じきにそんなことも忘れる」

 お互いに武器は持っていなかったが、敵意は常に爆発しそうな空気を作り出していた。

「忘れるものか」

「忘れるさ。お前は自分自身を見失っている。比喩ではなく」

「何が言いたい。俺は何度も同じような質問をされて正直うんざりなんだよ」

「それは、お前が常に変化し続けているからだ。例えばお前の妹の生年月日。お前は一度それに答えているが、もう一度聞いてみたらどうなると思う」

 クーカの眉がしかめられる。馬鹿馬鹿しいと思ったのか。

「そんなもの、偽ってどうなる。57年の11月2日だ」

「ダウト。11月1日と答えている。録画もある」

「……そんなわけのわからない揺さぶり、何の意味があるって言うんだ」

「もしも、だ。お前が自分でも気がつかないうちに嘘をついているとしたら。ありえることだ。しかしそうすると今の一日の違いは何なんだ。説明のつかない、お前の言うとおり意味の無いことだ。だとしたらどうなるか。お前は気が付かないうちに、現実に対する認識を変えているのではないか。その必要性は? お前はそもそも何もないところに真実を求めているのではないか」

「おいおい、いい加減にしろ、そんなわけのわからない話……」

「そう、わけがわからないだろう、一般的にはね。だが、私達はMCSRだ。一般にはわからないことでも、わかることができる」

「……」

「ちなみにお前の妹の誕生日は、3月25日だ」

「おいおい、そんな馬鹿なことがあるか。俺は毎年一緒に祝ってきたんだぜ」

「そして、生まれたのは13年。すでに、故人だ」

「……あんた、何言ってんだ」

「ついでに言うならば、同じ年にあんたも死んでいる。今から30年前に、グライハンス家は滅びた」

「……馬鹿言うなよ、そのときまだ俺はガキで……」

「お前は両親が先に殺されたため、そのことだけを心に抱いて死んでいった。妹が殺されたことを知らなかったため、妹は生きているものとして心を適応させているんだ」

「……」

「お前は警察でもない。亡霊のお前に、そんな悲しい名目を与えたのは誰だ」

「……うう……」

「亡霊にはそんな能力はない。誰かの助力があったはずだ」

 ようやく僕にもわかってきた。そして、いつの間にレディットはそのことに気が付いたのか。

「花模様の男を知らないか」

「はな……もよう……」

「忘れるように望んだのか。いや、元々お前はそういうものを拒否しなかったのだ。だから亡霊となり、そして自ら復讐を選び取ったんじゃないのか」

「ちがう……」

「そうかな? お前の部下達……あれも、実際にはお前とは何の関係もない警察の連中だった。しかし、かたくなにお前の部下だと言い張っている。あきらかに、尋常ではない力が働いている。わかるか、この意味が」

「……」

「このままだと、全員抹殺される。だが、お前が認めれば、他の連中は無罪だ。そしてお前には、選択肢が与えられる」

「せんたくし……だと」

「宗教的有罪……死刑か、私達MCSRの一員となるかだ」

「ば、馬鹿な! そんなことを選ぶものか!」

「まあ、返事は急がなくてもいい。死刑執行人が待ってくれるかは知らんが」

 言い終えるや、レディットは振り返った。途端、窓が閉まり部屋が真っ白になる。

「もういいんですか」

「だいたいわかった。予想通りだろう」

「尋問というより脅迫でしたね」

「だから、私がよこされたんだ」

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