第四章・その4

 水曜日は廊下や教室にちゃんと監視カメラが設置されていることが確認出来たこと、会議室にそれを運用するための機材が入れられていたことのほかに大きな異変はなかった。いつも通りの学校生活、事件なんて起きないのではとも感じてしまう。

 木曜日になると「特殊急襲部隊」、いわゆる「SAT」の「小隊長」たる人物が学校に来た。万が一突入するといういう事態になった時に備え、校舎の構造をこの目で把握しておきたいらしい。だが、昼間の学校でそれをするのは目立ちすぎる。生徒がいる時間は監視カメラの映像と俺達CPの口頭による解説に留め、夜になったら実際に校舎内を案内するという計画を管理官は立てた。小隊長もその方がいいという。天木に断って放課後はほとんどそちらに専念することになった。突入に必要なのか、小隊長の質問も変に細かい。階段の段数は幾つなのか、西側渡りから北側校舎に入ると何歩で廊下なのか、など。そんなデータはカナでも解るはずはなく、そういった調査はほとんど夜になってから実測するという形に落ち着いた。

 金曜日、この日は五時間目から授業がカットされ半日文化祭の準備に当たることになっている。文化祭が待ち遠しいのか少々クラス全体が浮き足立っているほかは問題なく授業は進み、給食・掃除を挟んで本日のメインイベントとともいえる文化祭の最終準備が開始された。俺達の教室も大きく机が移動され、仕切りが作られていく。天木が描いた構想図によると後ろの扉が入り口となり、そこから右、左、右、左、そして右と折れ曲がりながら一番奥、窓側まで展示スペースが続いている。窓側は展示兼待ち合い用の細い通路が教室正面まで延び、そこから右へ行くと映像の上映空間が教室の半分弱を占めている。前面の黒板に模造紙を貼り、プロジェクターで映すとのことで、「三方の壁は天井まで延ばす」とある。上映が終わったら観客は入って来たのと対角線側にある出口から出ると左に曲がり、まとめとなる展示を経て前の扉から教室を出るという寸法だ。それがまた大掛かりで、教室内に支柱を立てたりしなければならなかったが、さすがに責任者がいるからか、一つの無駄もなく作業は進んでいく。一週間弱で仕上げたとは思えないクオリティーの高さに、当日はなるだろう。

 そんな作業を手伝っている最中、俺はふとどこからか怒鳴り声を聞いた気がした。とっさにカナの方を振り向くと、カナも少し考えている様子を見せた後俺の方へとやって来て、

「これは生徒同士の喧嘩じゃない。正門辺りで二つのグループが言い争ってるわ」

 そう耳打ちしてくる。

「行く必要は?」

「あるわ」

 カナはそう言い残し、スーツケースを持って教室を出て行く。カナがそう言うなら仕方あるまい。天木に何度目か詫びを入れてから俺も正門へと向かった。

 正門では何故か背広姿の、刑事とも思われる集団が二つに分かれ時々怒鳴り声をあげながら

「脅迫事件は刑事部の管轄だ!」

「いや、これはテロ事件だから公安の管轄である!」

 そんな感じで文字通り「言い争って」いた。もちろん目立つこと極まりなく、見物人、いわゆる「野次馬」も続々と集まってくる。カナは呆れた様子を見せながらも

「あのまま放ってはおけないわ。とりあえず田崎管理官に連絡を入れて対応策を練るわよ」

 何とかして止めなければならないらしく、捜査情報端末の無線で田崎管理官を呼び出している。しばらくするとどこからともなく白バイや白黒パトカー二十台程が現れ、二つの集団と野次馬、全てを同時に引き離した。野次馬はともかく、背広姿の集団はさすがにまずいと思ったのか素直に連れていかれる様子。すると野次馬達も自然に去り、正門前は平穏を取り戻した。

「管理官を通じて『交通の妨害となっている』との名目で署長命令を出してもらってね、交通課や地域課、それに自動車警ら隊の制服警察官を使って排除したっていう形。管理官は刑事部の人間だから止めることも出来ないし、わたし達が行っても多分無駄だったからね」

「署長って、そんなに権限があるのか?」

 疑問を口にするとカナは頷き、

「もちろん。特別捜査本部の本部長は形式的にだけど署長が就任するし、階級的には大概警視正だからその地位は捜査一課長と同等、もしくはそれ以上よ」

 誇るようにそう応える。

 その後俺達は教室に戻り、文化祭の直前準備の作業を再開した。仕切りの壁も無事立ち上がり、説明用の模造紙や展示品を並べる。映像も無事に流れることを確認した所で、チャイムが鳴る。文化祭準備終了の合図、つまり俺達のクラスはギリギリ間に合ったということでもある。ほっと一息、といった所だろうか。

 その後荷物を持って会議室に寄ると、


 田崎管理官が机に置かれた液晶ディスプレイを見て、唸っていた。

「どうかしたんですか?」

 カナが聞くと管理官は悔しそうに答える。

「明日の文化祭で、各教室に設置したカメラはほとんど意味を為さないことが判明してね、まあ学校側を説得するために全教室に設置した訳だから必ずしも無駄とは言えないが……」

 ディスプレイを覗くと確かに、かなりの数の教室内に仮設の壁が設置されており、それに遮られて監視カメラの死角のだいぶ広くなっていた。

「今日の夜も実測調査か……。ここまで仕事があるとは思っていなかったよ」

 火曜日は監視カメラの設置、昨日はSAT小隊長の事前調査と、管理官達の夜は忙しそうで、現に田崎管理官も少しやつれているように思える。張り込み捜査になれている(カナ談)捜査二課の刑事達は大丈夫そうではあるが、これも九月末までとなると大変なのだろう。対してCPは自然に学校にいることが出来るため割合楽ではある。ただ、いざ事件現場となると、俺には少し荷が重すぎる気がした。

 では、とカナが声をかけて部屋を出て行こうとすると

「あ、そうだ。君達に頼みたいことがあったんだ」

 思い出したように田崎管理官は書類の束を差し出す。

「学校側から借りた校舎の設計図と二日間の報告書、それらを浜浦署の特別捜査本部とくそうほんぶに持っていてほしいんだ。出来れば直接、捜査一課長に渡してほしい。午後十時と翌朝五時には定例の捜査会議もあるから泊まっていってもいいが。鈴木くんはお母さんが刑事だからいいとして、安江さんは──」

「今日明日明後日と、両親が急用で出かけているので大丈夫です。かえってその方が安心出来ると思いますし」

「なら二人とも大丈夫だな。地域部長の方には僕から連絡しておくから。一旦家に帰って荷物を整えてから、バスを使って浜浦署へ行くといい。バスは桜町駅から出ているはずだ。ただ特別捜査本部とくそうほんぶの指揮権は今、野並のなみ管理官が握っている」

 俺はその名を知らなかったが、カナは知っていたらしい。えっ、と驚きの表情を見せる。

「野並管理官、といえば各地の県警で徹底的な所轄差別をするうえに、いざ問題が起きれば責任を擦り付けるキャリアとして有名でしたよね?」

「そう、『あの野並』だ。CPについてどう思っているかは判らないが、十分注意しておいた方がいい」

「解りました」

 そしてカナが俺の家に寄ってから一緒に浜浦警察署に行くことを約束して、一旦各自の家に帰ることにしたのだった。


  * * *


 カナはどうせ寄るからと、明日学校で必要なものも別のカバンに入れて俺の家へ持って来た。それを置き、カナと一緒に桜町駅へ向かう。桜町駅北側、CPになった日にも待ち合わせたロータリー。そこには幾つかバス停があるが、カナはその一つに真っすぐ向かう。JR浜浦駅経由・浜浦市役所ゆき。「市役所の近くに警察署があるから大丈夫よ」らしい。

 バスの時間までは十分ほど余裕があったので、俺達はバス停に設けられたベンチに座っていることにした。しばらくすると、カナが話しかけてくる。

「前にも言ったかもしれないけど、この蛯尾浜の街って八白に似てる所があるなって感じる。街の北側に自然公園があったり、東西に鉄道が走ってたり、規模は小さくてもCPってものがあったり。八白だってつい最近までは警察署がなかった。細かいことをいえば、蛯尾浜市は比較的新しい市町村合併で出来た街だけど、それでも」

 生まれ育った「八白」という街が、カナはやはり大好きなのだ。カナが俺に自然な様子を見せるのもやはり、それに関連してだけ、である。

「そこまで言うなら一度、その『八白』って所に行ってみたい気もするな」

 それは、本心からだ。話を合わせて、ではなく。

「いつか機会があったらね」

 カナは微笑む。

 その後バスに二十分ほど揺られ、終点「浜浦市役所」で降りた。そこから歩くとすぐに、淡い水色をした建物が見えてくる。敷地内に何台も白黒パトカーが停まっていることからして間違いない、浜浦市と蛯尾浜市を管轄する「神奈川県警浜浦警察署」だ。

 市の名前が示すように、この警察署の裏手は道路を挟んで海岸になっており、磯の香りが漂ってくる。この一帯の海岸が本来「蛯尾浜」と呼ばれていたはずで、それが「蛯尾浜郡」の由来となり、海のない「蛯尾浜市」を誕生させたことにつながっているのだ。

 警察署の建物に近付くと、まず立ち番の男性制服警察官が俺達を止めた。夕方、といっても夜に近い時間に中学生が訪ねてくるのを不思議に思ったのだろう。まして今はまさに中学校関連の特別捜査本部が置かれているとなると、止めない方がおかしい。

「県警地域部子ども課準備室の安江と申します。届け物の書類及び明日の打ち合わせのため参りました」

 そう言いながらカナは警察手帳を胸ポケットから取り出し、警察官に見せた。俺も同じように見せる。

「失礼しました! 特別捜査本部は新庁舎一階の会議室です!」

 彼は慌てるように言って、背筋を伸ばして敬礼をした。カナと俺はそれに軽く敬礼を返し、建物内へと入る。玄関を入るとすぐに新庁舎への矢印があり、それに従い左へ進む。その後廊下は左、右へと曲がり両側が壁に囲まれた道へと続く。左手には所々扉があって、カナは四番目の扉で立ち止まった。そこには何故か、何も書かれていない、書き初めに使うような細長い紙が入り口の所に貼られている。少し考えれば、これはおかしい。この部屋に捜査本部があるとカナは確信したようだった。

 軽くノックをし、カナは返答を待つ。しばらくすると背広姿の刑事がドアを開け、

「何の用ですか。名前と階級、所属を」

 事務的に尋ねる。

「地域部子ども課準備室の安江 香奈・子ども警官です。彼は同じく鈴木 浩和・子ども警官。田崎管理官より捜査一課長宛の捜査書類を預かり、また明日の行動方針について確認するために参りました」

 カナは持っていた封筒を示す。それを見て刑事は、

「どうぞ」

 と、一旦ドアを閉める。カナがそれを手前に開け、俺達は会議室内へ。

 会議室は主に三つのエリアに分けられる。一番手前に窮屈に椅子が並べられた長机が並び、コピー機を挟んでノートパソコンがそれぞれの席に置かれ、椅子の配置にも余裕がある長机の群、デスクトップ型のパソコンや大机、そして一番奥に、こちら側を向いて配置された長机が並べられていた。

 壁には一定間隔ごとに液晶ディスプレイが掛けられていることに加え、一番奥には大型のスクリーンが設けられ、様々な映像や文字が映像装置の画面上を飛び交っている。そんな部屋を奥に進み、中央でただ一人、頬杖をついていた背広姿の男性の前まで来ると彼は一言、

「中学生がこんな所に何の用だ」

 そう言い放った。それでもカナは冷静に、入り口で刑事に言った通りのことをそのまま答えた。すると、

「じゃあ、その書類」

 と、彼は手を差し出してくる。しかしカナは

「捜査一課長本人に渡してほしいと、田崎管理官に言われました」

 書類の入った封筒を渡そうとしない。

「今、一課長は不在だ。代理は私、野並管理官だが?」

 俺は名乗られてやっと、彼があの「野並管理官」だと理解した。

「捜査一課長はいつ、こちらにいらっしゃるか判りますか?」

 あくまでもカナは、直接捜査一課長に渡すつもりらしい。だが野並管理官は

「だから、私が渡してやると言っている!」

 半ば逆ギレ気味に、カナから強引に封筒をむしり取ろうとしてきた。無論カナは奪われまいと抵抗する。その様子を見かねて

「野並管理官、やりすぎです」

 刑事と思われる女性が二人の間に割って入った。しかしそれでも野並管理官は封筒を奪おうとしている。ついには部屋内にいた全員が集まって来て

「管理官、やめて下さい!」

「管理官!」

 口々に言い出した。さすがに数には対抗出来ないらしく、カナに伸ばしていた手を離す。椅子に座ると再び頬杖をつき

「……今日の捜査会議に出席の予定だ」

 そう、呟くように言った。カナは

「ありがとうございます」

 あくまでも丁寧に、お辞儀をする。野並管理官はさらに気まずくなったようで

「……用が済んだのなら早く帰れ」

 そう言い放った。しかしカナは怯まない。

「今日はその、捜査会議に出るつもりで来たのですが」

「は?」

「明日は文化祭、一般客の出入りが非常に多く、一番警戒すべき日でもあります。行動方針を確認するため捜査会議にも出席したいのですが?」

 野並管理官は俺達を一瞥し、

「駄目だ」

 と一言だけ言った。当然、カナは反論する。

「所轄より近い立場のわたし達が決められた方針を守れなかったら、現場は混乱してしまいます。そのような事態を防ぐため──」

「ちょっといいかしら?」

 そんなカナを途中で止めたのは、先ほど最初に管理官を止めた女性だった。そして小声でカナに忠告する。

「管理官は今回の事件の捜査会議で、所轄を一切排除しているのよ」

 それを聞いてカナは、言っても無駄だと悟ったようで、

「では捜査一課長に書類を渡したら、わたし達、帰りますから」

 こう言い放つ。野並管理官はそれに対して何のアクションも返さない。俺の腕を引っ張って会議室を出ようとした時。

「──捜査一課長!」

 時刻にして午後六時五十七分。捜査会議に出るだけなら明らかに早い時間に、捜査一課長は姿を現した。カナから書類の入った封筒をもらうとその場で開け、すぐに目を通し始める。そして

「木下君」

 と、先ほどの女性刑事を呼ぶ。

「この書類──仮眠室の利用届を警務課に。あと、今夜と明日の捜査会議には所轄も参加するよう伝えてくれ。もちろん、CPもな」

 カナは嬉しかったに違いないが、しかし表情を崩さず

「了解しました」

 とだけ言い、俺を引き連れ会議室を後にする。行きの廊下を戻り、玄関までたどり着いた所でやっとカナは立ち止まった。

「そっか、だから本人に直接渡してほしかったんだ」

 何が、なのか。俺はそう聞く。

「どうして捜査一課長本人に渡してほしかったかよ。野並管理官に渡してしまえば必ず中身を見るから、CPが捜査会議に出席する話もうやむやにされてしまうかもしれない」

 カナは話を続けようとして、何かに気付いたかのように突然黙る。しかし俺は、カナの言いたかっただろうことについて予測出来ていた。きっとあの封筒には警備局長についての報告も入っていて、キャリアである野並管理官にはその件について知られたくはなかったのだろうと。

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