第四章・その5

 捜査会議までの間を利用して、俺達は夕食を取ることにした。あいにく署内の食堂は既に閉まっていたが、海沿いからJR浜浦駅にかけては浜浦市の中心街ということもあり、警察署周辺には数多くの飲食店が立地している。カナはどこにしようかと迷っていたが、結局値段も手頃な近くの喫茶店になった。というのは玄関先で二人して考え込んでいた所にたまたま、浜浦署の刑事である俺の母さんが通りかかり、それなら、と行きつけの所を紹介してくれたからである。外装、そして内装も古くから営業している感じで、馴染みの客が足繁く通うような、そんなお店だ。迷った末、二人ともメニューに「定番」と書かれていたスパゲティを頼むことになった。料理が来るまでの間、カナは先ほどの管理官のように頬杖をつく。しかしその姿に、彼のような憎たらしい感じは覚えない。お互い無言で時間が過ぎ、そのうちにウェイターが料理を持って来たが、それでもカナは会話を振って来なかった。そう言えば、まず口を開くのは大抵、カナの方だ。距離的にはミキと同じように感じることもあるというのに、不思議な感じだった。といって今、俺が振ることの出来る話題も皆無なので、この場で話しかける訳にもいかない。BGMとして流れるクラシック音楽と食器同士が触れ合う音だけが、この場を支配し続けていた。

 無言のまま食べ終わって会計を済ませ、俺達は浜浦署に戻った。ゆっくりしたつもりだったが、それでも時刻は午後八時半を過ぎた所で、捜査会議まではあと一時間半もある。玄関を入って右、本庁舎一階のロビー兼相談窓口コーナーの待ち合い椅子にカナと一緒に座っているとナイスタイミングというか、俺の母さんがまた通りかかった。

「あら浩和、ご飯は食べたの?」

「うん、食べたけど」

「で、確か──安江さん。彼女とここで時間を潰してるってことよね?」

「まあ、そうですけど……」

 今度はカナが返事を返す。それを聞くと母さんはぽん、と手を打ち、

「じゃあ、刑事課にでも来ない? 私達は通常業務だから忙しい訳ではないし、皆子ども警察に対して興味を抱いているから、きっと歓迎してくれると思うな」

 と提案。カナは

「いいですよ」

 と言って微笑む。そして急に立ち上がり

「さあ浩和、行くよ!」

 俺の腕を取り、勢いよく引っ張って来た。さすがについていけず、俺は勢い余ってカナの方に倒れ込む。

「──え? ……ひ、浩和……」

 「か弱そうな」カナの声が耳元から聞こえ、俺は慌てて起き上がった。頬を赤らませ、カナは椅子を背に力が抜けた様子で俺を見上げている。その表情は不安の中に少しだけ、嬉しさが混じったような。

「ご、ごめん!」

 俺が謝ると、カナは少し考えるような仕草を見せた後

「べ、別にいいけどね……」

 小声で呟く。

「何が?」

「な、何でもない! さあ、刑事課に行こ!」

 慌てるように「いつも見ているカナ」に戻り、誤魔化した。様子を見ていた母さんも

「そ、そうよね、さあ早く行きますよ」

 と、急かすように言う。

 刑事課は本庁舎一階の、奥に入った所にあった。この前入った捜査一課より狭いのは当たり前だが、壁際に大量の書類がうずたかく積まれていることが余計、狭く感じさせる。

 母さんに連れられて俺達は課内の応接室に入り、ソファーに座った。カナいわく、任意同行などで事情聴取が必要な場合、慣例でここを使うという。中にはテレビも設置されており、例えるならば小さい校長室といった感じか。

 窓は二面に取られており、一方は刑事課、もう一方は外とガラスを挟んで繋がっている。外へと取られた窓からは会議室のある新庁舎が見えるが、耐震補強用の鉄骨を挟んだ所に見える水色の壁に窓は存在するものの、そこにはガラスの代わりに白い板がはめてあってその役割を失っているのが確認出来る。そのことはカナも気付いたようで、多分捜査情報共有システムの導入が原因だろうと教えてくれた。

 そんな話をしていると、見覚えのある男性刑事が入ってくる。

「あ、吉永刑事!」

 カナが驚いた様子で言った。そう、CPとの関わりも深い吉永 充・警部補である。その吉永刑事の後ろから母さんがやって来て、

「知ってるとは思うけど、彼が私の上司、強行犯係長の吉永刑事よ」

 と、改めて紹介した。

「係長だったんですか!」

 カナはさらに驚きを隠せない様子。

「で、係長、聞きたいことって何です?」

 母さんが促すと吉永刑事は

「では失礼します」

 一回咳払いをして、間を取る。

「先例における子ども警察官は所轄署に所属し、署内各課と連携して業務を行ってきたと聞いています。しかしながらここ神奈川県警の場合、子ども警察官は本部地域部に所属しているので、所轄署や刑事関係の部署との連携はどうなるのか疑問です」

 俺には答えることが出来るはずもなく、母さんも「答えられる訳がないでしょ」と言いたげな顔をしている。いやいや。

「子ども警察の組織モデルは二種類あって、そのうち今年から始まった岩作市やざこしでの組織構成が、神奈川での事業モデルとなっています。地域部に所属しているのは形式的なことで、実際には事案によって多方面、場合によっては公安などと連携することもありえます」

 カナはすらすらと、澱みなく答える。俺にとってそれはカナらしい部分だと思っているのだが、当然母さんは驚いた様子を見せた。聞いた本人も驚きらしく

「よくそこまで知っていますね」

 と、感心した様子。

「では、所轄と子ども警察官の連携というのも──」

「ええ、当然必要です。ただ、神奈川CPはやむを得ず県内系の無線を使っているのが現状なので、それこそ署外活動系無線しょかつけいで直接交信出来るようにしてほしいのが──」

 こうして、夜は更けていった。


  * * *


「強行犯係、知能犯係、それにCPは捜査会議だ」

 ちょうど一週間前の威力業務妨害事件で、前半戦の指揮を取っていた刑事課長が呼び掛ける。それを聞き母さんや吉永刑事を始め、席に座っていた刑事達もぞろぞろと動き始めた。その列は迷うことなく、捜査本部の置かれた会議室へと到達し、俺達が先ほど入ったのと同じ、会議室後方の扉から中に入る。中では既に捜査幹部、捜査一課を中心とする本部刑事達が席に座っていた。刑事課長が正面左側の机に向かったほかは皆、コピー機を挟んだ所に並べられた長机へと座っていった。本部刑事達が三人で一つの机を共有するのに対し、同じ種類の机に関わらず所轄刑事は五人で一つ。近隣署からの応援などもあるらしく、席自体に余裕があるように見えたが気にせず前から五人で詰めて座っている。既に慣例になっているようだ。

 俺達が入って来たことに気付いたのか、捜査一課長が立ち上がり、こちらへ向かってくる。それを、野並管理官が睨みつけるように目で追っていて、よっぽどCPを毛嫌いしているのが目に見えて判った。

 捜査一課長はカナに書類を渡し、

「田崎管理官の報告は君からしてもらう。そういう訳で、本部側の席に座ってほしいんだが」

 と頼む。カナは迷ったが、横にいた母さんも

「あなた達がいいなら、私達も気にしないように努めるだけよ。中学生の方が前に来たって、別にいいじゃない」

 と言ってくれた。

「なら、了解しました」

 捜査一課長はカナの肩をポン、と叩き

「では頼んだぞ」

 そう言った後、正面の机へと戻っていく。それを追い掛けるようにカナは俺の腕を引っ張り、本部刑事用に用意された五列分の机のうち最後列に腰掛けた。俺も一人分空けて横に座る。浜浦署の備品と思われるノートパソコンも置かれているがこれはまあ、触らない方が無難だろう。

「えー、それではこれより九月十五日における二回目の捜査会議を開始します」

 マイクを通じて捜査一課長の声が響く。単なる形式的な一言ではあるが、それは会議室中の空気を一気に緊迫させた。

「それでは野並管理官」

 捜査一課長はマイクを置く。代わりに野並管理官が立ち上がり、状況説明。

「今までは捜査一課刑事のみでこの捜査会議を開いてきたが、今回は田崎管理官の提言もあり、所轄やCP、いわゆる子ども警察官も参加させることとなった。この事件は先週金曜日と合わせて単なる脅迫・威力妨害事件のようにも思われるが、実際何が起こるのかは予想が出来ない。各々油断せず犯人検挙に結びつけるよう、私から努力を求める」

 ここで一旦、間を置く。

「なおこの事件はマスコミ各社と報道協定を結んではいるが、現在はネット経由で情報が拡散することも十分に考えられる。情報流出にはくれぐれも避けてほしい。私からは以上だ」

 ここまで言って、席に座った。これだけを聞いていると野並管理官は普通の、それこそ田崎管理官とも変わらないような指揮官だと思える。さながら「羊の皮を被った狼」と言った所か。

「では事件の初動状況について」

 捜査一課長が進めると、本部刑事席から二人の刑事が立ち上がり報告を始めた。

「九月十二日火曜日十二時二十分、学校側より一一〇番通報を受理。すぐにCP──今回出席の二人でもありますが──が犯行予告状であることを確認しています。証言によると予告状はポストに入っており、朝の時点では確認出来なかったとのこと」

「その後所轄刑事、鑑識を通じて現在科学捜査研究所かそうけんに回され、詳細な分析をしている所です」

「では予告状について」

 するとまた別の刑事が立ち上がる。正面のスクリーンや壁に掛けられていた液晶ディスプレイは、一斉に予告状の写真を映し出した。

「文面は見ての通りですが、要点をまとめると予告状が届いた日──十二日ですが──から九月末までの間の犯行予告、十八日を期限とした身代金要求となっており、一般的に考えれば実質十九日から九月末までの犯行を予告したものだと考えられます」

「念のため番号を控えた一万円札九十六万円を準備してありますが、まだ未投入です」

「次に、科捜研から予告状の分析及びプロファイリング結果を」

 それには本部刑事席より前、デスクトップパソコンの置かれた席に座っていた人物がそのままの姿勢で答える。

「紙質は一般的に流通しているもので、メーカー等の特定は出来ません。また文字自体に滲みがあるのに対し印刷方式としてはトナーが使用されており、一度プリントしたものをコピーして送付されたようです。文字フォントは『メイリオ』ですが、これはウインドウズの標準フォントで、マッキントッシュにも導入可能となっているため作成環境の特定は出来ません」

「犯人は横浜市及びその近辺の高級住宅街に住んでいて、体型はやせ形、二十代後半。大学相当を卒業して大手企業の営業部に勤めており、部下をコントロール出来る地位にある。人との付き合いも多く、頭脳的。はっきりとした意見を述べる。以上がプロファイリング結果になります」

「では現在の捜査状況について、まず捜査一課から」

 報告は再び、本部刑事席に戻る。今回立ち上がったのは女性刑事だった。

「予告状が発見された前々日は警察による採証作業が行われており、それは前日深夜も同様でした。また当日朝にも新聞を取るためにポストが開けられていますが、その時にも異常はなかったとのことです。この証言より、この予告状が入れられたのは午前七時頃から通報直前までの間と思われます」

「この間不審者の目撃証言はなく、この事件についても内部犯行の可能性が考えられます」

「次に、潜入班及びCPから報告をお願いする」

 いよいよカナの出番。書類と捜査情報端末を持って立ち上がり、正面を向く。そこで書類に目を落とした。

「十二日火曜日から捜査一課管理官・田崎警視を長として学校内での潜入捜査を行っています。内部犯の兆候がある水島副校長を中心に、監視カメラによる行動確認を行っていますが今の所目立った行動を見せていません」

 ここまで言い終わると、捜査情報端末に視線を移した。そして続ける。

「また、来客の中に不審者は確認されていません。なお、CPが通常業務を続けています」

 自分達についての報告が非常に短い気がするが、それくらいしか言うこともない。カナが座ると、野並管理官が口を開く。

「では今後の捜査方針について。明日は文化祭という学校行事が当該校にて開かれ、人の出入りも激しい。犯行を実行に移すにはデメリットが多く、その可能性は低いと考えるのが常識ではあるが、念には念を入れ厳重に警戒に当たってほしい。CP・所轄は通常業務、その他は明日指示する。以上だ」

 言い終わった所で皆が立ち上がり、解散となった。

「解ってはいたけど、通常業務か……。何も起こらなければいいんだけどな……」

 カナも独り言を呟きながら立ち上がる。俺も何だか嫌な感じがしてならない。虫の知らせとでもいうのだろうか、森岡先輩が言い残したあの言葉が頭の中に浮かんでは消え、また浮かんでは消えを繰り返していた。

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