番外編

もうひとつの、はじまり

もうひとつの、はじまり その1

 その日はもう、明日に迫っていた。この街を離れる、八月二十六日は。わたし、安江 香奈がこの街を去る、その日は。

 自宅前。小さい頃から見慣れたこの景色も、今日で見納めになる。遠くに見えるベージュ色の塔。「スカイエリアやしろ」という、展望台や天体観測施設も兼ね備える複合施設。丘の上に建っているので、この八白市で一番高い建物と言ってもよいのだろう。

 電機メーカーに勤めるパパが転勤、らしい。異動先は神奈川県。当然、わたしも転校することになった。けどわたしには特殊な事情があったから、その調整が難しかった。もちろん自分でやった訳ではないから、らしい、だが。

 子ども警察という仕事。市内の八白やしろ警察署に子ども課という部署が設けられ、各学年四名ずつ、中学校当たり十二名がその「子ども課員」に任命される。八白市内では合計三十六名だ。子ども課員は警察署の各課に割り振られ、業務の一部を職場体験という形で担当。中学校に警察官がいることで校内の治安維持、そして警察の仕事を実体験してもらうことで希望者を増やそうというのが一応の目的である。直接採用につながる高校生にしなかったのは、地域にも密着した組織運営を行う必要があったためだ。

 そんな組織の中にわたしはいて、働いていた。大きな事件は一つあって、その時は地域課での研修となっていた私も呼び出された。南隣、岩作市やざこしでの立てこもり事件。犯人は拳銃を持ち、人質を盾に民家で立てこもる。約十年前に起こった事件を彷彿とさせるものだった。

 県警本部側もあの事件を意識したか、捜査一課を四係分投入するなど、万全の体制を取ろうとしていた。しかし岩作市内の子ども警察制度開始は今年からで、とある交番の二階に拠点を構える。そのため練度は本署にある八白の方がどうしても上となり、駆り出されることとなったのだ。

 授業が終わった後警察署に集められ、最初の十分間はミーティング。事件の最新状況と意見を募る場として設けられた。これは伝説とまで呼ばれる先輩達の活躍があったからに他ならない。

 わたしがこの仕事に興味を持ったきっかけも、この二人があってこそだ。

 お風呂から上がって、何となくテレビを点けた。テレビでは、市内で起こった連続誘拐事件の特集が放送されている。

『五月二日。市内中学校に通う長川 拓巳ながかわ たくみ君が何者かに誘拐された。それは三日間にわたる大事件のはじまり。たった一ヶ月前に設けられた八白警察署に早速立ちはだかった大事件だった。その解決に当たってこの署独自の組織・子ども警察が大きく活躍したことはあまり知られていない。今回は愛知県警全面協力のもと、事件の真相に迫っていく』

 その番組では事件発覚、犯人特定、そして解決まで大きく子ども警察官が関与していたことを明らかにしていった。特に、あの先輩達。

「ああ、子ども警察ね」

 ママが居間に入って来て、呟く。その頃はまだ、CPという略称は定着していなかった。ママは八白署の警務課勤務。子ども課と同じ四階だ。

「ねぇママ、子ども警察って、わたしでもなれる?」

 その頃は小学六年生。ちょうど、次年度の候補生が募集されようとしている時期だった。

「ええ、なれるかもよ。応募してみる?」

 そして今、子ども警察官としてここにいる。わたしがこの仕事を始めたのも、大事件に関われたのも、そしてこの「子ども警察」という仕事を続けられるのも、あの先輩達のおかげ。

 午後五時。どこからか、聞き馴染みのあるメロディが聞こえてくる。小さい頃、家に帰る合図がこれだったし、警察署で仕事をする時の終了もこれだった。昔は歌詞を知らなかったけど、音楽の授業で習った今なら、覚えている。何となく、口ずさんでいた。



「こころざしを 果たして

 いつの日にか 帰らん

 山は青き ふるさと

 水は清き ふるさと」


 別に、何か目標があって離れるわけじゃないけど。それでも、わたしにとっての故郷は此処だから。転校が決まってから「ふるさと」を聴くたび、その想いは強くなった。

「ここにいたのか、香奈」

 パパが家から出てきて、声をかけてくる。

「うん、この街をちゃんと、記憶に焼き付けておこうと思って」

「それなら行くか、あそこまで」

 パパが指差したのは「スカイエリアやしろ」。


  * * *


 スカイエリアやしろの展望台からは市内が一望出来る。午後九時まで開館、しかも無料とあって、夜景スポットとして紹介する雑誌もあるらしい。わたしはその夜景、見たことないけど。

 そして視界の中ほど、岩作市との境界辺りにそびえ立つビルが八白警察署。こちらからだと二つあるヘリポート、その奥に非常時用施設が集まった高層棟、そしてその上にそびえ立つ通信アンテナがよく見える。

「そう言えば前も、ここで一緒に見たな」

「うん。まだ警察署は建設途中だったっけ」

「そうだな」

 わたしがパパと前、ここに来た時。あの時はまだ、八白警察署は建設途中だった。

「香奈、ママは今度からあそこで働くんだ」

「あそこ?」

「そう。この街に新しく出来る、あの警察署で」

「そっか」

「まあ、ここからだと若干遠くなるんだけどな」

「遠いの?」

「でも、働きやすくはなるな。ママも楽になるよ」

「なら、早く出来ないかな」

 その建物が完成して、ママだけでなくわたしも働いたのだが、その時は知る由もない。

 六月に転校が決まってから、色々なことがものすごい勢いで過ぎていった。前例のないことだったけど、先輩達の残してくれたものは大きかった。先輩達の活躍のおかげで警察庁を通じ全国四十七都道府県警察全てに「子ども課準備室」を設置されていたし(ほとんどで名ばかりの、休眠状態だったが)、警察本部長を通じて神奈川県警地域部にCP創設を要請したときも嫌な顔はされなかったらしい。県警間で異動というのも異例中の異例だから、不思議なものだ。七月十日、神奈川県警の子ども警察始動が決定。当面の措置として所属は県警本部地域部子ども課準備室とし、大々的な募集も行わないのが条件ではあったが、大きな前進だった。

 そして八月一日、人事異動発令。わたしの所属は八白警察署子ども課渋川中デスクから県警本部地域部子ども課準備室付となった。そしてそれは、神奈川県警へ行っても独りでやっていけるよう、そして教えられるように知識・技能を身につける特別研修の始まりを示すもの。

 そして二十日まで、途中に三日の休みを挟んだので実質十七日間に教わった相手は、伝説ともいわれるあの先輩達、藤枝 勝先輩と森岡 翔子先輩だった。二人は中学卒業後も警察に残れるよう、ここに移って警察の仕事を続けているらしい。もちろん、特例中の特例だ。

 研修の中では地域課だけでなく、刑事課や交通課など、今までとは違う領域の仕事も叩き込まれた。普通なら三年がかりで、やっと一領域の仕事を覚えるんだから詰め込みにも程がある。しかし、そんな弱音は吐いていられないのだ。だって、この人達はたった一年間で伝説と呼ばれた先輩なのだから。

「大丈夫よ、香奈ちゃんなら。だって、私達は一年しか時間がなかった。でも香奈ちゃんには三年もあるもの。私達を超えるCPになってくれるわ」

 翔子先輩にこう言われた時、嬉しかった。そしてそういう時間をくれた大人達への感謝は増すばかりだった。

「まあ、その頃には僕達ももっと、立派になっているだろうがな」

「そうですね。でも中三の先輩は、超えてみせます」

 自然にそう、口に出ていた。

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