もうひとつの、はじまり その2
八月二十六日。この街と別れる日。朝、引っ越し屋さんが来て、家具やダンボール詰めの荷物をトラックに詰め込んでいった。「速やカニ、確カニ。全国ネットワークのカニエ引越センター」と荷物室側面に書かれている。テレビCMでよく見たことのある、その引っ越し屋さんだ。
そのトラックを見送ると、近所の人達への挨拶回り。みんな、何かと気に掛けてくれた人達だ。それが済むと不動産屋さんにパパが家の鍵を渡し、空っぽになった、長年住んで来た家を後にした。車のエンジンがかかり、ゆっくりと景色が動き出す。車窓から見える景色はどれも、わたしが何度も何度も見て来た街の姿。新しい道が出来たりもしたけど、それでもこの街が故郷であることは変わらない。
昼は、ママが取り計らってくれて八白警察署にある食堂で食べることになった。地下一階の来客用駐車場に停め、エレベータで七階にあがる。すると予想外の出迎えがあった。今回の件で色々と手続きをしてくれた田上 康子ども課主任や地域課の安城 悠警部補、そして共に子ども課員として活動した横山 智基くん達がいて、わたしを歓迎してくれた。どうやら待っていたらしい。とりあえず定食を一つ注文して、会話に加わった。
「神奈川でも、頑張るんだぞ」
田上主任が声をかけてくれた。わたしが引っ越し先の神奈川県でもCPを続けられるよう交渉や手続きをしてくれた人だから、その言葉は重い。
「子ども課員って、いつも一緒にいるから恋愛感情芽生えちゃうんだよなー」
会話の途中、ふと横山くんが呟くように言った。
「へ?」
わたしは聞き間違えたのかと思う。
「あくまでも少しだけ、だよ。でもさ、藤枝先輩と森岡先輩はその典型でしょ」
「もしかして、告ってる?」
まさか、と思った。でもこういう時大抵、裏切ってくれる。
「こういう機会がないと言いにくいしね。特にペアを組んでいる間柄じゃ、仕事に支障を出す訳にもいかないし」
「え……」
告白されたのは初めてだった。
「まあ、あいつらもずっと、お互いのことを好きなのが見え見えなのに付き合ってない関係が続いていたしな……」
田上主任が思い出すように言う。
「まあ一応、返事を聞きたいんだけど」
横山くんに促され、わたしは自分の心を整理しつつ、答える。
「正直、ごめん、としか言いようがないかな。わたしには多分、そういう感情はなかったと思う。この街を離れたら変わるかもしれないけど、それは判らない。だから、ね」
「うん、そうだと思った。安江さんは仕事一筋だったから。周りの反応にも怒ってたし」
「あれ、言ってたっけ?」
「見てれば判るよ、態度で判る」
そっか、ペアだものね。気付かない訳、ないか。
「そういえば今日来てるよ。例の二人」
地域課での研修で横山くんと一緒にお世話になった安城警部補。彼の一言が合図だったか、隣接する柔剣道場の方から男女が一組出てきた。一人は夏の開襟シャツに学生服の黒いズボン。もう一人は白襟のセーラー服に白線が入ったスカートを身に纏っている。八月一日からの「特別総合研修」でお世話になった現在高校一年生のCP、そして「伝説」と呼ばれる藤枝先輩と翔子先輩だ。
「お久し振り、っていうほど経ってないか」
翔子先輩が言う。ギリギリ襟に着くぐらいの長さの髪で、髪先を少し跳ねさせている。そして本当に可愛いから、こんな顔から笑みが溢れれば女であるわたしでさえ、惹かれるものがある。藤枝先輩が好きなのも解る気がした。
「たまたま用事があってね、呼ばれたんだ」
こちらは藤枝先輩。髪は少し長めなのだが暗い印象を与える訳ではなく、気さくな人柄がむしろ好印象。ほんと、ベストカップルだと思う。わたしもこんな人と出逢えるのかな、ちょっと気になった。
「本当に、ありがとう、ございます……」
言い終わる前に、目から涙が溢れてきた。別れは確かに辛い、悲しいんだけど、これは違う。嬉しさから来る涙だと、多分思う。
「あー、藤枝くん香奈ちゃん泣かせたー」
「え、僕!?」
「いや、流れ的に横山くんじゃないかな」
「安城さん、ひどいです」
こんな風に冗談が言い合えるって、ありがたい。
「そういえば前に話してくれたよね、もう『ふるさと』のメロディが聞けなくなるから寂しいって」
翔子先輩がふと、話題を切り替える。確かに言った。とある日の訓練終了後、色々と話していた時に。
「市役所に問い合わせてみたら音源をくれたの。あとで送ってくね」
「そんな、ありがとうございます」
何も言わずに色々やってくれるからすごいというか。
「じゃあ、また逢えるといいね」
「はい」
先輩達はエレベータの方に行ってしまった。注文した定食が来て、食べて。
「今までありがとうございました」
皆にお礼を言って、わたしの新しい街への旅は始まった。
* * *
名古屋インターから東名高速道路に乗って、上郷サービスエリアで一旦休憩。東名か、それとも新東名か、迷っているらしい。とりあえず渋滞情報をチェックして、早く行ける方を考えているらしい。パパがそんなことをしているうちに、わたしは眠ってしまって、起きたのは夜だった。
起きると、神奈川県の
翌日。わたしは横浜市の神奈川県警察本部へ向かった。制服を着て、ただし古い学校の、白い襟の制服で。
案の定、玄関で立ち番をしていた警察官に制止される。胸ポケットに付けた「CP」のバッジを見せても判らないらしい。まあ仕方ないか。焦げ茶色をした警察手帳を見せると彼は驚いた。
「愛知県警の子ども警察官、安江 香奈です。地域部長をお願いします」
彼は半分疑ったような顔をしつつも、携帯無線機を手に取る。
「地域総務課・杉田より庁舎管理室へ」
『はい、庁舎管理室の下野ですが。どうぞ』
「正面玄関に愛知県警の警察官を名乗る女の子が来ているが、地域部長に面会予定ありますか、どうぞ」
『了解、えーと地域部長は、と……。あったあった。氏名は、どうぞ』
「ヤスエ、カナというそうです、どうぞ」
『ありますね。愛知県警より今日から転属、面会予定とあります』
「了解。以上交信終了」
スギタというらしい警察官は無線機を口元から外した。
「確認出来ました。では、」
そう言って彼は、わたしに地域部長室のある階へ行くよう指示した。
その階へ着くと、エレベータの前に男が一人立っていた、
「安江 香奈さんだね? 私は、地域部長の宇都宮だ。子ども課準備室の鍵は、これだ」
そう言ってカードを一枚渡された。
「さあ、行こうか」
部屋は、小さい事務所みたいな感じだった。
「そういえば、手帳を取り替えないとな」
わたしは地域部長に警察手帳を渡した。彼は下部のエンブレムを取り外し、新しいものを近くの棚から出して取り付けた。それだけ。
「はい、終わり。あとの作業はこちらでやっておくから」
ちょうど、その時。
『通信指令本部より連絡。横浜市中区山中町、
放送用のスピーカーから流れてきた一報。でもあくまで所轄が第一。出動するとして、捜査一課か四課辺りだ。でも、宇都宮地域部長は言った。
「子どもだからって甘く見られないよう、見せつけたらどうかな」
意外に、真面目一辺倒な人ではないらしい。そして、それに答えない義理はない。
「解りました!」
わたしは飛び出すように部屋を出る。階段を五段飛ばしくらいで駆け下り、玄関で覆面パトカーに乗り込もうとしていた男達に
「すいません、わたしも乗せて下さい!」
そう言った。
「あ、これでも警察官の女の子ですよ。面白いかもしれません」
立ち番のスギタさんも加勢してくれた。意外と融通が利く人だ。子ども扱いされたのが癪と言えば癪だけど。
「しょうがないな……乗っていきなさい」
でも黒色スーツ姿の男性がそう言ってくれたのは、わたしが子どもだからだろうか。それはさておき、わたしは助手席へと乗せてくれた。
「君は、噂の子ども警官って奴か?」
走っている最中に運転手の男性が聞いてきた。
「はい。まだ新米ですけど」
「いくら被疑者でも、驚くと思うぞ。そうだ、最初に声をかけるのは君の役割にしよう。十分に驚かせてやれ。あ、言ってなかったが俺は
「え……。あ、よろしくお願いします」
程なく車は山下公園へと着いた。数台のパトカーを率いた自分達の乗る覆面パトカーは一番前へと走り出て、ドリフト。助手席側を犯人に向け停まった。わたしはドアを開けて車から出、思い切り叫んだ。
「警察です。拳銃をその場に置いて投降しなさい!」
目についたのは左手に拳銃を持ったまま突っ立っている被疑者らしき男と、年齢的に妹だろうか、少女を守ろうと男に向き合っている少年。彼は怯えてはいるが、瞳に少し正義感が輝いている、そんな感じがした。だから一瞬だけ、この少年がCPとして活躍してほしい、一緒に仕事がしたい、そう思っていた。とは言っても今回、全県単位で募集をかける訳ではない。自分の通うことになる中学校で、適していると思われる男子生徒を一人、見つけるだけだ。まあ、彼が偶然、私が通うことになる中学校の生徒だったら別だが。
でも何となく気になって、無事に被疑者を逮捕した後に、何気なく近付いて声をかけた。
「そこのあなた、さっきからわたしのことをずっと、不思議そうな目で見ていらっしゃいますけど……何かわたしに変な所でもありますか?」
少年は何か言いたそうだったが、言葉に出ないようだ。あれかな、シャイなのかな。
「どうして中学生が警察官をやっているのか、不思議なんだろう?」
運転手だった捜査一課の刑事が近付いてきて言った。被疑者は彼が確保していたのだが、別の刑事に引き継いだらしい。彼の言葉に、少年は頷く。頷いてから、驚きの表情を見せた。
「ほら、此処は愛知県じゃないんだからさ」
フォローしてくれたのはありがたいけど、その言い様には少しイラっとした。
「愛知県じゃないからって……。子ども警察の存在と活躍は全国ネットでテレビ放送されたはずなんだけど」
それが、言動に出てしまっていたらしい。
「たまたま観てなかったとか、さ……」
捜査一課の刑事を申し訳なさそうな口調にするなんて、何やってんだろう、わたし。でもこういう時には子ども扱いされていた方が、後の始末は楽だな、とも思う。とりあえず、その場を取り繕う。
「まあ、そういうこともあるか」
後は、そう、子ども警察という存在を知ってもらおう。そうすればいつか、彼を引き込める日が来るかもしれない。存在さえ知ってもらえていれば。
「わたしは、CPよ。あ、子ども警察官のこと。えっと……『警察署における中学生の職場体験実習事業』っていう、何か長ったらしい名前なんだけど、それに参加してるの。昨日まで八白に住んでて、でもパパが転勤。それで神奈川に来たの」
とりあえずこれだけの材料があれば、インターネットなりで情報は集められるだろう。もし興味を持っていてくれれば、ね。
少年はそれを聞いて、よく解ってない感じだった。ちゃんと、通じたのだろうか。
「つまりちゃんとした警察官だってことだよな?」
まあ、要するにそういうことだけど。わたしの仕事、少しは知ってもらえたみたいだ。
「安江さん、そろそろ……」
黒色の背広を着た例の捜査一課刑事が遠慮がちに声をかけてきた。犯人を逮捕出来た今、多忙な彼らが此処に居続ける理由はないのだろう。それにそろそろ、マスコミが集まりだしても不思議ではない。でもわたしが神奈川で初めて関わったこの事件も、彼らにとっては忘れゆく記憶なのかな。
「じゃあ、職務中なので失礼します」
もうちょっとだけ、手がかりを残しておきたかった。わたしのことを確実に覚えておくための手段、それは、
「あ、名刺、古いのだけどあげるね」
その場の思いつきだった。胸ポケットから警察手帳を取り出し、それに付けられているポケットから名刺を一枚引っ張り出した。出来れば今の、神奈川県警のものの方がよかったが、支給されていないものはしょうがない。八白にいた時の名刺を差し出した。半ば強引に、押し付けるように。
「因みに、あなたの名前は?」
こちらから探し出すための手がかりも、一応得ておこうと思った。
「鈴木 浩和だけど……」
「学校は? あと学年も」
「蛯尾浜中部中の、中学一年」
耳を疑った。わたしが転入する予定の学校が、その中学校だ。まあこれで、新たに探す手間は省けたか。
「そっか、ならまた逢えるかもね。じゃあ失礼します」
かもね、じゃない。確実に見つけ出すつもりなのだが、そのことは伏せておく。だって、その方が面白いじゃない。そんなことを思って、何考えているんだろうと我に返った。これじゃまるで、わたしが少年に好意を寄せているみたいで。違うはず、なんだけど恥ずかしくなって、逃げようと無我夢中で走った。
しばらく走ったら、県警本部へと戻ってきていた。道も知らなかったはずだが、これは警察官としてのカンだろう。そう思っておこう。
立ち番は相変わらずスギタさんだったのですんなり通れた。子ども課準備室に戻ると、すでに地域部長の姿はない。その代わり、メモが一切れ、机の上に置いてある。
分かっているとは思うが、在籍する中学校から一名以上の奇数名、子ども警官に引き抜くように。申請書は戸棚。
宇都宮
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