第四章・その2

 ちょうど食べ始めるタイミングで俺とカナは教室に駆け込むことが出来たのだが、それでも急いで食べ、食器を片付けた。掃除までのわずかな時間でもカナと事件について話し合っておきたかったし、カナも同じ考えだったらしく急いで食べていたからである。

「ちなみに、これと同じ事件って何件くらい起きているんだ?」

 俺が聞くとカナは、メモを取り出し返す。

「身代金を支払ったのが全国で五件、青森・千葉・奈良・鳥取・島根の各県で起きてる。一方威力業務妨害のみ、つまり身代金を支払ってない状態で立件されたのは十七回あるわ。北海道・宮城・東京・岐阜・香川で一回、神奈川・愛知・大阪・広島で二回、熊本で四回ね」

 そんなに起こっているとは、異常事態と言えるのではないか。

「何せ全国で同じような事件が起こってるからね。相手も警察に大きく絡んでるかもしれないわ。監察官室が介入してこなければいいけど……」

「カンサツカンシツ?」

「あれ、説明してなかったっけ? 警察官が不正を犯した時取り調べ等を行う部署、のはずだけど実際は処分を最小限にするために手を回す所でもあるらしいわ。それにキャリアの不正なんかはよほどマスコミが報道しない限りもみ消されるケースも多いって聞いたこともある」

 キャリア、で俺は引っかかっていた。何かと理由をつけてきて、まるで俺達が邪魔かのように扱って着た人物。

「警察庁のあの人──」

「警備局長?」

 俺の呟きに、カナが即座に反応した。しかし、すぐに首を横に振り言う。

「確かにテロは公安警察の担当、そして公安警察のトップがあのポストだけど、あの人の許には大量の捜査情報が日夜届いてるのよ? そんな中から特定の情報だけを抜き出すなんて、そんなこと……」

「不可能、じゃないだろう?」

「まあそうだけど……」

 カナは少し不満そうな顔をして俺を見つめてくる。そのまましばらく考える素振りを見せたかと思うと、再び首を横に振って言った。

「でも、警察組織には何万もの人間がいる。だから知り合った人ばかりを疑うのもどうかと思うわ。もちろん警備局長が神奈川の一事件で機動隊の出動があったということを知ってたのは不可解だけど、それだけで事件の重要参考人としてしまうのには無理がある。それを認めてしまったら、世の中には冤罪が溢れてしまうわ」

 チャイムが鳴り、掃除の時間へと入る。先週と同じ化学室へ移動すると、教師用の実験台には複雑な実験装置が組み立てられていた。近くにいた先生(多分理科の担当だろう)が掃除の監督そっちのけで解説してくれる。

「まずガスバーナーで試験管の先を加熱する。すると中の白い粉末──炭酸水素ナトリウム、いわゆるふくらし粉は分解して炭酸ナトリウム・二酸化炭素・水という三つの物質になる。二酸化炭素は試験管の口につながっているガラス管からゴム菅の中を通って、水槽の中に入れてあるガラス管の先から泡となって出てくるんだ。その泡の先に水で満たした試験管がくるようにすれば、ほぼ純粋な二酸化炭素を得ることが出来る。但し、加熱する試験管の口は少し下げ、火を止める時は水からガラス管を先に抜かないと、水が加熱部分に入って試験管が割れる可能性がある。因みに水の検出には塩化コバルト紙、二酸化炭素の検出には石灰水を使用するのだが、青色の塩化コバルト紙が桃色に変色したら水が存在することが判る。これの保管には基本的に塩化カルシウムの乾燥剤を使うが、同じく吸湿作用を持つものとして濃硫酸がある。不思議なことに、この二つの乾燥剤、どちらも水と反応して多量の熱を出す。だから乾燥剤には『水に濡らすな』と書いてあるし、硫酸を薄める場合は水に硫酸を少しずつ入れるよう指示されるんだ。一方石灰水、これも面白くて──」

 そんなこんなで、十分間の掃除の時間は過ぎていった。

 昼休みになると俺達は再び、職員室へ向かう。校長先生に頼んで校長室を使わせてもらい、カナは捜査情報端末で何やらメールらしきものを打っている。一通り打ち終わるとカナは端末を閉じ、俺に話しかけてきた。

「とりあえず田崎管理官にはさっきの推理を送っておいた。警備局長の件もね」

「え、でもそれは──」

 カナが否定したことではなかったか。そう言いかけたが、カナの微笑みに圧され、途中で途切れる。

「別に可能性がない訳じゃないから。それに、直接関わってないにしても黒幕という存在には成り得るわ」

 一応、俺の推理も考える余地はあるってことか。それよりも聞き慣れない単語がカナの口から出てきた。

「クロマク?」

「裏で間接的に手引きしてる人のこと。ただ本来この手の情報は各県警のSITから引っ張ってきた方がより迅速に、より正確に手に入るの。企業脅迫とかの威力業務妨害はそこの管轄だからね。けど、公安警察のように全国で統一された組織はないから、各都道府県で独自に接触する必要がある。それが実際に行われたとして、発覚しない訳がない」

「じゃあとりあえず、警察側の情報源は不明ってことだな」

「ええ。──本当はこんな話、ここでするのは危険だったけど」

 内廊下というべき通路を介して、校長室と職員室は繋がっている。通路と校長室との間にはドアが一枚あるがそれは薄板一枚。防音の役割を完全に果たす訳でもない。カナに指摘されて、初めて気が付いた。フォローするように、カナは付け加える。

「ドアの向こうに人がいた気配はなかったし、ドアから漏れ出すような大声を出してた訳でもない。だから大丈夫よ。機密事項だったらわたしが止めるしね」

 さすがカナ、というべきか。でも俺はそれがかえって心配になる。

「いつもそんなに神経を尖らせて、疲れがたまったりしないのか?」

「別に? 好きでやってる仕事だからね。わたしが希望したからこの仕事が続けられた訳だし、だからこそ挫折もしないと心に決めたの」

 今まで聞いたことのなかった、カナの決意。

「サポート体制が整ってた愛知県警と違うから、個人の力量でカバーしなきゃいけないの。神奈川県警の体制が整い、浩和が立派なCPになり切れるまで、わたしは疲れたなんて言えないのよ」

 ここまで言われたら、カナのやり方を否定する訳にはいかない。

「あまり頑張りすぎるなよ」

 たった一言、俺はカナに言った。カナは無言で頷くと俺の右手を握り、

「じゃあ、戻ろっか」

 嬉しそうに、微笑む。そして校長先生に一言お礼を言ってから、俺達は教室に戻った。戻ると間もなく予鈴のチャイムが鳴り、廊下にいたクラスメイト達も教室の中に入ってきておしゃべり。そんな中俺は天木に声を掛けられ、教室後方のロッカー前で、始業式の時のように話し始めた。

「今までどこ行ってたんだ?」

「いや、ちょっとな」

 まさか本当のことは言えまい。俺が誤魔化すと

「話したくないならまあいいや」

 そう言ってきたので、話の本筋ではないようだ。

「で、お前はその、安江さんっていうんだっけ? 彼女とどういう関係なのか聞きたいんだが」

 続けて出た質問にも、俺は答えられない。正直に言う訳にもいかなかったし、上手く誤魔化せる自信もない。そんな俺の様子を察してか、

「まあ、答えられないなら答えられないでいいんだけど」

 それ以上追及してこない。天木のいい所は、こんな所である。

「ところでさ、」

 と、天木は話題を切り替える。ここからが本題らしい。

「確か次の授業は、文化祭のクラス発表について決めるんだよな?」

「ああ」

 文化祭があと四日と迫っても、未だに決まっていないグラス発表の内容。ついにクラス担任はしびれを切らし、自らの授業を潰してでも決定にこぎ着けることにしたのだ。準備の都合もあって、何が何でも今日、決定する。

「そこでさ、一つ思いついたんだが『日本のアニメ文化』について展示するのは名案だと思わないか?」

 自身の趣味をクラスにまで持ち込む気らしい。俺は呆れつつ

「さすがにそれは却下されるぞ」

 と忠告するが、

「いや、意外に賛同者が出てくるって」

 天木に諦める様子はない。まあ、何も有力な案が出なかったら採用されるかもしれないが。

 ところが五時間目。あっさりと天木の案は通ってしまった。有力な対案が出なかった(劇は台詞の暗記が、模擬店は保健所への届け出がそれぞれ間に合わないとの理由で却下)のもあるが、全ての構成を天木自身が責任を持って行うと言ったことや、担任が意外に乗り気だったことも大きい。決定直後から早速、展示構成について説明している辺り、既に天木の中では構想が固まっていたようでもある。それなら調査に無駄な時間を費やす必要もなく、カナにとっても満足な結果のようだ。現に顔がそう告げている。

 その後展示内容などの詳細も天木の案がそのまま通り、今までが嘘に思えるほどの超特急で準備は進み始めた。紙の展示と映像の上映を組み合わせるようで(映像は天木が一人で編集するらしい)、男子陣は天木がその場で作った下書きを基に模造紙へ解説の文章を書き込み、女子陣は天木の持ってきた画集などを素材にイラストを描いたり衣装を作ったりしていた。内容を覗いてみれば「鉄腕アトム」から最近のアニメまで網羅しているようで(必然的か、最近十五年に偏ってはいるが)、文化祭の展示としては申し分ないように思われた。ただ少しばかり天木の個人的趣向も混ざっているようで、「深夜から劇場へ──進撃するアニメ」というコーナーもある。ショートカットのギター少女と、フリルの着いた服を着たピンク髪の少女が大きく描かれ、周りには「ただの人間には興味ありません」「ボクと契約して、魔法少女になってよ!」「ホビロン」「もう、叶っちゃってたみたい」「ワイルドに吠えるぜ」などのフレーズが書き連れられる予定らしい。天木に聞くと、

「だって、必要でしょ!」

 としか言わなかった。まったく、誰が彼の暴走を止めることが出来るだろうか。

 五時間目終了のチャイムが鳴ると、正式に学校側で設定された文化祭準備の時間帯となる、今日から三日間、六時間目がカットされ準備の仕上げをすることが可能である。前日の金曜日は五時間目もカットされ、組み立てという最終段階を行うことが出来るよう、配慮されていた。今日のペースでこのまま行けば、このクラスでも当日に間に合う可能性は高いと思われる。

 その後俺はカナに連れられ、学校内を巡ることとなった。校舎の隅々までしっかり確認しておきたいらしい。時折立ち止まって防火扉などをチェックしながら進み、一階から二階、二階から三階へと歩く。校舎内を一通り回り終わったタイミングでちょうど無線が入ったらしく、カナは立ち止まった。襟からリモコン兼マイクを引っ張り出し、小声で交信した後、

「田崎管理官が到着したみたいだから、職員室に行くよ」

 そう俺に言った。

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