第四章・その3

 職員室には刑事らしき人物がいて、荷物を持って校舎内の会議室に移動するよう声をかけてくる。その指示通り一旦教室へ戻る。

「ごめん、天木、急用できた」

「いいよ、行ってきな」

 一言天木に詫びを入れてからカバンを持って南校舎一階西寄りにある会議室へ。引き戸式のドアを開けると一番奥に田崎管理官が座っているのが確認出来た。その両脇を背広姿の刑事が固めている。「ロ」の形に机が並べられているのは、おそらく会議用か。そんなことを考えていると、田崎管理官が口を先に開いた。

「今日から九月末まで、つまり犯行予告の期間中、ここに現場本部を置くことになった。捜査員は捜査二課より五名、それに君達だ。連絡手段はこれまで通り捜査センター無線を使用、情報共有も同端末で行う。情報共有レベルは原則六とする。CP以外の出入りは目立たぬよう、非常口を活用して行う。以上」

「了解です」

 カナは右手を額に当て敬礼の動作を取る。俺もそれに倣って敬礼すると、

「だいぶこの仕事も板に付いてきたようだな」

 管理官が、今度は俺に対して声を掛けてきた。

「……そうでしょうか」

「今の敬礼を見たって、ずいぶん様になっている。それにあの報告、警察庁の警備局長という、それこそ地域部長でも滅多に会えない人が自分から来るなんて明らかにおかしい事態だよ。警察官なら、疑って当然だ」

 一呼吸置くように咳払いをして、管理官は話を続ける。

「実は彼についてマークしていた時期があってね、愛知県警の捜査二課にかを使って疑惑を洗い出す作業を秘密裏に進めていた時期がある。二課長からそれが漏れ、監察官室からストップがかかったがな。結局何も得られず強制的に捜査終了となったわけだが、あの時も裏で犯罪組織との繋がりがあるという情報は存在していた。調べてみる価値はあるよ」

「っていうことは、もう捜査は始まってるんですね」

 カナが尋ねると、管理官は首を横に振る。

「いや、二課にも通常捜査があるし、これ以上は頼めないんだ。東京地方検察庁特別捜査部とうきょうちけんとくそうぶに持ち込むためには確証が必要だし、警視庁に捜査協力を依頼するためには二課長から申し入れなければならない。しかし慣例に従って大抵の二課長はキャリアだし、するとどこから情報が漏れてしまうか……」

「つまり、この事件が終結し次第、そちらの調査へ回ると?」

 カナの問いに、管理官は再び首を横に振った。

「終結、というよりヤマを過ぎたらだな。調査自体は今も続けているし、本格的な捜査は裏付けに紛れた方が、都合がいい」

 何故だか理由が判らない俺は、カナにそっと聞く。

「裏付け捜査では解決前に比べて人員が必要ないからよ。そんな中で『捜査員だった』人間が別の捜査をしてても、傍目には区別がつかない」

 確かに余程の事情通でなければそんな区別はつかないだろう。田崎管理官も一度潰された疑惑ゆえ、慎重に慎重を重ねているようだ。

 一区切りを付けるように、管理官は思い出話を語る。

「最初、この話が副本部長から来た時には、ただのキャリア間の争いだと思ったさ。でも説明を受けているうちに、その人がそんな薄汚い理由ではなく、『不正は暴かれる必要がある』という信念だけで動いていると判ったよ。まさに、警察官の上に立つべき警察官という感じだったよ」

「いいですね、そんな上司って」

 田崎管理官も、そんな「警察官の上に立つべき警察官」の一人だと思うのは、俺だけだろうか。


***


 その後カナと管理官を中心に確認と報告のやり取りを繰り返しているうちに、下校時刻十五分前のチャイムが鳴る。管理官達はこの後、学校内に監視カメラを設置する作業に当たるそうで、その準備を開始し始めたのを機に、俺達は家路につくことにした。最後に管理官は、カナの持っているものと同型の「捜査情報端末」と、それの付属品一式の入った箱を俺に渡し、

「君も持っていた方がいい」

 そう一言言って作業の準備を始めた。俺はお礼の言葉を返し、カナとともに会議室を出る。同じタイミングで「吹奏楽部の三人」が階段を降りてきていて、お互い少し、びっくりした。

「今日来なかったのって、やっぱり仕事?」

 最初に口を開いたのは、やはりミキ。

「ええそうよ」

 と返すのも、やはりカナ。

「詳しくは聞きませんが、一般人が多数出入りする文化祭だからこそ、忙しいのでしょうね」

 そんな大人の言動は渡辺先輩で、

「ボクも手助けになるなら、協力するよ」

 いわゆる「ボクキャラ」の木村先輩。

「お気持ちだけ受け取っておきます」

 カナは木村先輩に対してそう言葉を返し、微笑んだ。どの仕草は「CP」という仕事から解き放たれた、自然の中学生の姿に見える。それは藤枝・森岡両先輩と話していた雰囲気とも似ていて、しかも俺と話している時には見せない顔。

「いつも通り、五人で帰ろ?」

 ミキの提案で、俺達は靴に履き替えた後五人で学校を出た。会話が途切れることのないカナ達四人に付いていきながら、俺は考える。カナはどうして、俺に対し素直な感情を、直接的には出さないのか。

 カナ達と別れた後、俺を心配したのかミキが話しかけてくる。

「何かあったの、浩和?」

 少し躊躇ったが、正直に俺が感じている疑問を口に出す。

するとミキはうん、と頷き言う。

「カナちゃんとは仕事上でのつながりが大きいから、そういったものも見せづらいんじゃないかな? カナちゃんは先輩って立場になる訳だし、ただでさえ男子と女子ってことなんだから。……わ、私と浩和はその、幼なじみなんだし気兼ねなく話せるけど、そういった昔からの関係もないでしょ?」

「ああ、確かに」

「浩和はその……カナちゃんと仕事以上の関係になりたいと思ってる?」

 少し俯きながらミキは尋ねてきた。でもその問いに、俺は答えを出すことが出来ない。出そうとしても心の中でもやもやしていて、はっきりとしたものがないのだ。確かにカナとはほとんどの時間、CPとしてしか向き合って来なかった。しかしこれだけ長い時間を二人に過ごして来て、何も感じない方がおかしいのだ。朝からやってきて席も隣り、帰りも途中まで一緒という状況で、何も感じられずにいられた時間が俺の場合一週間と少しだったという、それだけのこと。でも俺はその、感じたものが何なのか、よく解らない。そんな感じで思考がループしている。

「解らないなら解らないでいいよ。……手遅れにならないうちに答えを見つければいいんだから」

「え?」

 今度はミキの言っている意味が解らなかった。

「結論が出る前に相手がいなくなっちゃうのが一番悲しいから。──あの物語のように」

「あの物語って?」

「いや、何でもない!」

 意味深な言葉をごまかすように、ミキは強い口調で言う。「あの物語」というのが何かということも気になったが、尋ねてもきっと答えてはくれまい。といってこれ以上話を展開させようもないので、俺の方から話題を切り替えることにした。

「そういえばこの前ミキは『机上詩同好会』が好きって言っていたけど、やっぱりクラリネットが出てくるからか?」

 ミキは何故か驚いた様子だったが、少し間を空けて返してくる。

「まあ、──一番初めはそうだったけど今はそれだけじゃないかな。『机上詩同好会』で検索してみたことがあるんだけど、その時同じ作者が書いた『小説版』っていうのがあった。それは英語の教材ではなかった、話と話の間を埋める物語もちゃんと書かれてたの。一応二人の名前も決められてたし、最初の展開に至るまでの物語も入ってた。確かに、教科書に入れられないような部分もあったよ、でもこっちの方がより面白い、そう感じたの。浩和にも読んでもらいたいから詳細は語らない。でも私はこっちの方が好きになれる、浩和もたぶんそうだと思う」

「じゃあ今度読んでみるとするか」

 そこまで言われたら、読んでみるほかない。それに俺自身、読んでみたくもなった。その言葉を聞くとミキは嬉しそうに微笑み、

「ぜひそうして!」

 たちまち太陽のように明るくなった。やっぱりこの方がミキらしい。

 俺の家の玄関前でいつも通り別れ、ミキは自分の家の方へ帰っていく。

 今頃思い出したのだが、「机上詩同好会」の話をする時はカナも嬉しそうだった。教科書を読む限りこれは悲しい終わり方なのだが、意外にそれとは真逆の感情を抱かせるかもしれない。

 翌日水曜日の朝にこの会話をカナにも振ると、

「うん、小説版があることは知ってる。あの時はほら、英語教材としての『机上詩同好会』だったからね。わたしも本当は小説版の方が好き。ストーリーがはっきりしてこの物語の動きが生み出されてる所が魅力かな。『起』が実は『承』の前半に当たっていたり、こちらの方が自然なストーリーだと、わたしは思うわ」

 担任にも「起・承・転・結」が各章(正確には「幕」らしいが)に対応して構成された物語だと教えられたし、書店で解説書を立ち読みしても同じような内容だった。あくまでも「授業」では主に本文中で表現されていることについて扱うので、それは仕方がないことかもしれないが。

「それに少女の心の動きがはっきりしてるのも、小説版のいい所かもね。本当、一度読んでみて」

 そんな話をするカナこそ、俺は自然な様子に感じられた。

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