第一章・その2

 夏休みが明けて、九月一日。久しぶりに学校へと来て、しかし相変わらずテンプレート通りに進められていく始業式を過ごす。一通りの恒例行事が終わると教室に戻るとこちらも恒例、終業式の時にやらなかった大掃除だろうと思っていたら

「えーと、皆さん聞いて下さい。えーと、今日も掃除はやらなくてもいいです」

 と担任が言ったので、教室がざわめき出す。だったら宿題の回収か、と思うのはごく普通の考え方だろう。

「宿題も後で集めます」

 それを見越したように担任が付け加えると、今度は安堵のため息が一斉に。おい、やってないのかよ。どうせ提出が少しずれるだけでそう変わらない気もするが。その時まで、自分の怠慢を思い知っておけ。

「えーと、終業式の日に予告してあったと思いますが、転校生がこのクラスにやって来ました」

 担任が言う。そういえばそんなこと言っていたな、と思っているうちにドアがゆっくりと開く。スタスタと、そして堂々と一人の少女が教室に入ってきた。見覚えのある白襟セーラー服、腰までかかりそうな黒髪ストレート。あの日山下公園で出会った警察少女とそっくり。もちろん、驚きだった。

「名古屋市の隣・愛知県八白やしろ市の渋川しぶかわ中学校より来ました、安江香奈やすえかなといいます。父の転勤で此処に来ることとなりました。どうかよろしくお願いします」

 あの日帰ってから眺めた名刺。「愛知県」警「八白」警察署子ども課「渋川中」デスク「安江 香奈」の文字。生徒手帳に挟んであった実物を取り出し、確認する。──間違いない、本人だ。神奈川県内にある数多くの中学校、その中からここに転校してくるとは。まさか、とは思ったがあの時の反応が思い返される。そして最後の台詞。

「えーと安江さんは昨日到着したばかりとのことで、制服を買っていないためこの格好だそうです」

 この学校は普通の大きさの黒襟にオレンジ線一本のセーラー服だからなぁ、ってそういう問題ではない。俺の記憶に間違いがなければ、先週日曜日の段階で既に県内にいた。しかも今、よく観察してみるとスカート丈が短い。間違いなく校則違反の基準。せめてそこは注意しないのか、担任。

「えーと安江さんは、鈴木の横が空いてるからそこに座ってくれ」

 ──担任め、よりにもよって担任の横にはいつの間にか机セットが準備済みだし。

「先生ー、鈴木ってどの鈴木ですかー?」

 クラス一番の目立ちたがり屋、鈴木智美すずきともみが通った声で担任に質問。そうそう、このクラスには鈴木姓があと二人も──

「えーと、浩和の隣」

 まあ、解っていたけどな。他の二人の横は既に埋まっているし。

 担任は俺の席の隣に机と椅子を置く。廊下側、最後列。それを視線で追っていた警察少女の顔がはっ、となったように見えたのは、気のせいだろう。気のせいだと思いたい。

 ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴った。

「じゃあ休み時間な。えーと、宿題出す準備しておけよ」

 担任が教室を出ていく。まあいい、妥協するから席替えしろよと心の中で愚痴った。五月に一度やったきりなので、そろそろ替えてもいいじゃないか?

 俺は委員会の仕事があったのですぐに席を外した。帰ってくると俺の席──正確にはその隣──には女子達が集まっており、休み時間終了のチャイムが鳴るまで後ろのロッカー前で時間を潰す羽目になった。

「本当いいなぁー」

 小学校以来の友達でアニメ大好き、天木智仁あまきともひとがそれを見て話しかけてくる。

「いいなーって、何が?」

「だって、あんな美少女転校生の隣なんだぜ?」

「そうか?」

「そうだよ! 勉強はかどりそうだし!」

「そういうもんか?」

「うん」

「警察官の横だぞ?」

「は、何言ってるの? 中学生が警察官の訳ないって!」

 そうだ、こいつは何も知らないんだった。

「まあ、そんな気分なんだよ」

「んー、あ、あれ? 潔癖症のお嬢様が監視してくるみたいな?」

「そうそう」

 たとえがよく解らないが。

「それは、妄想のし過ぎだと思うよ?」

 お前が言うな。

 予鈴のチャイムが鳴り、女子達は自分の席に帰っていった。やっと自分の席に座れると思ったら、今度は隣の転校生もとい警察少女がこちらをジロジロ見てくる。首を傾げて五秒後。

「あ、やっぱ会ったことあるよね!」

 難問が解けたような満面の笑みで、クラス全体に聞こえるような大声で、彼女は言った。当然、好奇の目線が集まってくる。さて、どうやって言い訳したらいいのだろうか。

「先週の日曜日、家の下見の時道案内してくれたよね! あの時はありがと!」

 フィクションな出来事でごまかした警察少女。だがあっさり騙され納得したようで、視線は逸れていく。ついでに本鈴も鳴り担任が入ってきたのでこちらへの興味は薄まった。一安心一安心。

「スズキヒロカズ君だったよね?」

 阿鼻叫喚入り交じった宿題回収の後、担任が提出数を数えている時、小声で警察少女は聞いてきた。

「ああ、そうだけど」

「漢字ってどう書くの?」

「鈴木は判るよな?」

「うん」

「下は、さんずいに告発文の告。平和の和」

「了解」

 そう返事をしながら警察少女はA4ぐらいの、何かの申請書みたいなものに書き込んでいる。

「住所は?」

「何でそんなことを聞く?」

「秘密。じきに判る」

 そんなこと言われても。

「早く」

「……まあいいけど。蛯尾浜市桜本町えびおはましさくらほんちょう五丁目七六番地六」

 旧蛯尾浜郡桜町の中心住宅地だった所だ。ちなみに蛯尾浜市は蛯尾浜郡に由来しているが、この市は名前に反して海に面してはいない。海に面していた町村は浜浦市はまうらしとして独立したそうだ。

「じゃあ、将来の夢は?」

「え?」

「言って」

 命令口調。

「……警察官、出来れば刑事とかになってみたいとは思っているけど……。母さんも警察官だし……」

 警察官の前では言いたくなかったので、つい俯き加減になる。顔を上げると、そこには警察少女の、再びの満面の笑み。

「私のカン、当たった!」

 何の勘だよ。

「じゃあさ、明日は土曜日でしょ。横浜行く用事があるから一緒に付いてきて欲しいんだけど、いい? いいよね」

 人の話を聞くつもりは一切ないらしい。だいいち

「将来の夢と横浜行くのと、何の関係がある」

「いいからいいから」

 ……よくないから。

「何処に行くかとか、どうしてそこに行くかとかはまだ言えないんだ」

「理由も知らずに付いていけっていうのか?」

「うん」

 即答されてしまった。

「親には何と言って出れば──」

「何でもいいから。何ならこの際デートでもいいよ。付き合ってあげる」

「えー!?」

 質問を途中で遮られた上に大胆なお言葉。俺は思わず大声を上げてしまったらしく、最後となる宿題プリントの束の枚数を数えていた担任がこちらを見てくる。申し訳なさそうに頭を下げておいた。気持ちはゼロだが。

「で、話は変わるけどこの教室って扇風機ないの?」

 気持ちはよく解る。出来ればクーラーが欲しい。だが、ないものはない。

「もしかして、そっちの学校ではあったのか?」

 軽く冗談のつもりで聞いた。が、返ってきた言葉は

「うん、天井についてた。もちろん全クラスにね」

 予想外である。

「かなりいい環境だなー」

 正直に、そう言った。この学校で冷房設備は職員室とコンピュータ教室、音楽室にしかない。残りの部屋には扇風機すら。だからうらやましい。けど共に気になり始めていたのはやはり、その服装。

「ところで、そのセーラー服って──」

「この服?」

 警察少女は自分の制服を左手でつまむ。

「ああ、それって学校公認だったのか?」

 最初見た時はどこかの私立学校かと思ったけど、公立らしいもんな。

「もちろん。あ、スカートはちょっと短いって言われてたけど」

 それは当然だ。それより気になるのは、

「その白い襟や、大きさも?」

「うん?」

 警察少女は鳩が豆鉄砲を喰らったかのような表情になった。鳩が豆鉄砲を喰らった光景を実際に見たことはないが。

「ああ、そういうことね」

 何がだ。

「だから──名古屋襟ナゴヤエリって呼ばれるんだ!」

 難問が解けたような声で、やはり大きな声で言った。直後に何かが割れる音。その正体は──担任のチョークだった。文化祭に向けての動きを板書していた彼のチョークは、ただ偶然に割れたのではない。彼の怒りで折れたらしい。当然俺は

「声、大きいから」

 と注意した。だが、

「帰ったらケータイで友達に教えてあげよっと」

 本人には全く聞こえていない。

「解ったから落ち着け。授業中だ」

 俺は軽く警察少女の頭を叩いた。担任の怒り、多分爆発五秒前。

「何するのよ。ん? ……あ」

 ようやく状況に気付いたようだ。周りではクラスメイトがひそひそと噂話をする声、すら聞こえない。それくらい担任は怒りのオーラを出している。カウントダウン、三、二、──

「すみませんでした!」

 怒る担任を驚かせ、黒板へ彼の後頭部を強打させるくらいの勢いで立ち上がり、謝った。極道じゃないんだからそんな風に謝る必要はないだろうよ。警察官だが。

「いたたたた……安江、放課後に職員室来い。浩和もな」

 俺も巻き添えかよ。

「放課後って、いつですか?」

 そんな場で、警察少女は聞いた。担任に喧嘩を売っているのか? と思ったが、本気で解らないらしく、首を傾げている。

「ねぇ、いつのこと?」

 しかもよりにもよって俺に振ってきた。

「全ての授業が終わってからに決まっているだろう」

「そうなの? 放課ほうかの後なのに?」

 意味が解らなくなってきた。単独で「放課」って使う用法、聞いたことないし。

「ああ、名古屋では休み時間の事を『放課』って言うからさ」

 まあ友達と言えば友達っていう仲のクラスメイト・万場 裕樹が納得したように、頷きながら言う。そう言えば彼は、名古屋から転校してきたんだっけ。

「とりあえず判っただろ。授業を続けるぞ、早く座れ」

 警察少女が座って授業(?)は再開される。しかしチャイムは数分後に鳴った。

「えーと、今日はこれで終了。月曜は通常通りだ。えーと、室長あいさつ」

 立ち上がって礼をして、よし今日はもうこれで──終わりにはならない、担任の小言が待っているんだった。荷物をまとめて南側校舎の一階、職員室へ向かう。着いてから数分後、担任が警察少女を連れてやってきた。職員室前の廊下で、我慢大会の号砲が鳴る。

「まったく、二人とも仲がいいのは判るが、文化祭は再来週に迫って──」

 内容はさらりと聞き流す。あー、眠くなってきた。けどあくびをしようものなら火に油を注ぐ結果になるし。っていうか、「えーと」という口癖はわざと付けているのか? 現に今、ついていないし。

「──から。で、それよりお前達は何でそんなに仲がいいんだ?」

 しばらく説教が続いた後、担任が質問してくる。これに答えるのは警察少女──安江さんだ。「警察少女」って、いい加減呼びづらい。

「先週の日曜日、道案内してくれて──」

「それだけで、そんなに仲良くなれる訳ないだろ」

 バレたか。まあ、完全フィクションだからな。それに、仲が良い訳でもなんだけど。

「浩和、お前転校したことあるか?」

「ないです」

 即座に答える。嘘を付いたところで、すぐにバレるだろうし。

「安江さんは、こっちに来た事はあ──」

「わたし、生まれも育ちも八白市ですよ?」

 安江さんも即座に否定した。それにしても、どこかで聞いたことあるようなフレーズだな。

「じゃあ、何故?」

「「だから!」」

 先生、頭固すぎですよ。こういうこともあるんですから。──多分。

二ノ宮にのみや先生、ちょっといいかな」

 ちょうどいいタイミングに現れた声。こ、この声は神! じゃなくて睡眠導入剤──とも言える校長先生の声!

「あ、はい。二人とも、もう帰って──」

「用があるのは君じゃない。貴方が外してくれないか」

「あ、はい……」

 二ノ宮先生こと、俺達のクラス担任は職員室へと入っていった。それを見送ると、先に口を開いたのは校長先生。

「場所を変えて話したいんだが、いいかな」

「はい」

「もちろんです」

 職員室の横、中学生活で初めて入ることになる校長室に向かう。帰りたかったが、安江さんが袖を引っ張ってくるので逃げられない。校長室に入ると安江さんは、案内されるまま部屋の中央にある革張りのソファーへ座った。

「さあ、早く」

 安江さんは俺の右腕を引っ張って、無理矢理座らせてくる。向かい側に校長先生が座り、ドキドキ?な会話は始まった。

「実は愛知県警と神奈川県警、それに警察庁から相次いで連絡を受けたのだが、安江さんだったかな、君は──」

「CP、子ども警察官です」

 安江さんは胸ポケットに付いていたバッジを見せる。そこには「CP」の文字。こんなもの、付けていたのか。気付いていなかった。

「正直いうと、一度会ってみたかったんだよ。去年の五月頃テレビでやっていたね。何だったかな、あの事件──」

「連続誘拐事件のことですね。わたしもそれの報道特番を観て、子ども警察官になろうと思いました」

 そんなきっかけでこの仕事をやっているのか。当然初耳だし、「連続誘拐事件」の詳細は知らないが。

「私も観たよ。驚いたね。事件発覚がその……子ども警察官の直感だったって事は」

「まあ、彼の父親は警視庁捜査一課の元刑事だったらしいですけど」

 会話の内容についていけない。

「本当、若いのに憧れるよ。入学式の時この話をしたしね」

 安江さんが睨んでくる。いやいや、五ヶ月前のことを完全に覚えているはずないから。

「そういえば彼は、どうしてここにいるんだい? 一緒に転校して来たんじゃないんだろう?」

 校長先生は俺の方を見てくる。けど、俺も知らないから答えようがない。安江さんに袖を引っ張られて連れてこられただけだし。

「うーんと、彼氏?」

「え!?」

 驚く以外にどういった反応がある。

「冗談よ。──ま、そのうち判りますから」

「なるほど、期待しているよ」

 その後、午後二時まで二人の会話は続いた。途中で抜けられる雰囲気でもなかったから、内容が解らないまま付き合う羽目になる。おなかすいた。

「じゃ、帰ろっか。そういえば、そこの駅から横浜まで行ける?」

 校舎を出て正門まで来たところで、「そこの駅」こと武蔵野鉄道蛯尾浜線桜町駅さくらちょうえき方向を左手で指差して言った。

「乗り換えが面倒だけど、行けないことはないぞ」

「じゃあ、九時に駅のロータリーでね!」

 そう言って彼女は道を走っていく。それはちょうど、駅へ行く最短ルート。

「本当に知らないのかな……」

 微かに思ったが、気のせいだということにする。

 家に帰るとまず、作り置きしてあった昼食を食べる。その後パソコンの電源を入れてインターネットへ接続。検索サイトを開き「子ども警察官」というキーワードで調べてみた。出てきたのは「某編集型百科事典」の「子ども警察官」という項目。


 子ども警察官とは愛知県警察が八白警察署で導入した制度の対象者を指す。八白市内の公立中学校から毎年十二名の生徒を推薦者から選抜し、警察官としての実務を学ぶ。正式には子ども課課員、略称CP。英訳:The child policeまたはThe child police-officer。なお八白署は八白市の他に南隣の岩作市やざこしも管轄しており、そちらでも同様の活動が行われているとの情報もある。

■法律上の扱い

 階級は、警察法・子ども警察官特別規則により子ども警官(一般警察官の巡査に相当)。給与は子ども警察条例(愛知県条例)により月五万前後と定められているが、同条例で経費と相殺されることになっており、手取りはない。ただし制度上対象者の医療費は公私問わず全額免除となっている。

 子ども警察官は「警察署における中学生の職場体験実習事業に関する法律」に基づき設置されている。よく誤解されるが、この法律の施行に当たって労働関係法は改正されていない。これは拡大解釈によって合法とされたためである。地方公務員法にも年齢に関する規定がないため、大きな改正は加えられていない。

■地域部子ども課準備室について

 現在、四十七都道府県全ての地域部に子ども課準備室が設置されているが、実質組織として機能しているのは愛知県警のみである。ここには警察内外で「伝説の子ども警察官」(レジェンド・CP)と呼ばれる、現在高校一年生の二名が所属しているとされる。彼らの実力は非常に高く、最低クラスだった愛知県警の検挙率を大幅に上昇させた立役者との見方もある。

 また神奈川県警でも子ども課準備室が動き出したとの情報がある。

■関連事件

 子ども警察官が関係したとされる事件は多数存在するため、特筆すべき事件について記述する。──


 解ったような、解らなかったような。ただ神奈川県警で動き出したということは確かなようだ。あの時の刑事は神奈川県警の警察官のはずだから。

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