第二章・その6
音楽室の入り口近くに椅子を用意してもらい、そこに座って練習風景を眺める。渡辺先輩は持っていた楽器・クラリネットで、木村先輩はフルートだった。指揮者の指示を聞いたところ、一度全曲を通して演奏するようである。指揮者は白い棒を持ち、それを二拍空振りして曲が始まる。
「あ、この曲か。『風之舞』ね」
一番初め、クラリネット(だと思われる)メロディを聞いた途端、カナは呟いた。
「『カゼノマイ』って?」
演奏を邪魔しないよう小声で聞く。吹奏楽のことは橋野さんに教え込まれた基本的な部分しか知らないので、「カゼノマイ」と言われてもよく解らないのだ。曲は、金管楽器が一斉に鳴らす場所へと入る。
「正式には『吹奏楽のための「風之舞」』っていう曲。十年くらい前のコンクール課題曲なんだけど、結構いい曲だから今でも時たま演奏されたりするかな。わたしが一番好きな曲でもあるし。──あ、ここ小さすぎるかも」
俺に曲の解説をしてくれつつも、耳は演奏の方に向いているらしい。それが証拠に、膝の上にメモ用紙を出し感想らしき文字列を書き込んでいる。ちなみにトランペットが金属製の筒を付けてソロを吹いた所だった。自分の吹いていたパートだから気になってしまうのか。
「んー、ここあんまりピッチよくないなぁー」
と思ったら、今度はホルンパートのことを指摘していたり。
全三曲(「風之舞」と「HAPPY BIRTHDAY AROUND THE WORLD」という、誕生日におなじみのあれを色々な曲調でアレンジした曲、そして「りんごマーチ」という曲。全てカナの情報による)を演奏し終わった後、曲を細かく区切っての練習となった。「風之舞」の最初に出てくるメロディーや「HAPPY〜」のジャズっぽい部分など、様々な所を何回も繰り返し演奏している。時には指揮者に「トロンボーンだけK四小節目、soliから」などのように吹く楽器を指定されながら。カナはその間も熱心に、感想を書き続けている。
時間はあっという間に過ぎ、練習の途中で下校時刻十五分前のチャイムが鳴る。きりが付いた所で指揮者が練習の終了を告げ、皆が一斉に片付けを始めた。渡辺先輩は手早く楽器を片付けたようで、すぐに俺達の許へ近づいてくる。
「どうでしたか?」
笑顔をきらめかせながら、渡辺先輩は尋ねてくる。
「いい演奏でしたよ?」
「正直に話して下さって結構ですよ? 色々思う所があるようですし」
カナはそれが合図だったかのように、流れる水のごとく語りだした。
「では失礼して、全体としてはよくまとまっていると思います。けど細かい所に粗さが目立ちます。結構言われがちな問題点が中心ですけどね。あ、クラリネットはよく出来ている印象です、お世辞抜きで。でもフルートは小さいし、特にオーボエ。この音が本当に聞こえてこない、サックスはベタ吹きな──」
渡辺先輩はそんなカナの指摘を食い入るように聞いている。まあ、これほどに分析を加えているとは思ってもみなかっただろう。
「細かい指摘、ありがとうございます」
カナが長い感想を言い終わると、渡辺先輩は丁寧に頭を下げた。そんな、先輩なのに。
「ところで、香奈さんって吹奏楽部でしたか?」
「ええ、そうでしたけど」
言わなかったっけ? と言いたげな顔だ。
「やっぱり!」
カナの分析力はまた別の能力だと思われるが。
「ねえ、香奈さん。今すぐでなくてもいいですから、入ってくれませんか?」
そんなことは知らない渡辺先輩はカナの前で膝立ちになってカナの手を取り、目を少し潤ませつつ下から目線で頼み込んでいる。男相手だったら一瞬で落ちてしまうだろう、そんな瞳で。
カナは少し困った様子で、俺を見てくる。渡辺先輩も一緒に。って、こっち見られても。
「もれなく、全くの初心者が付いてきますが、それでも?」
つまり俺のことだが、渡辺先輩は全く気にしていない様子。
「もちろんです。むしろ新入部員は大歓迎ですよ? それに浩和くんでしたっけ?
それは初耳だ。「美希」こと「
「あ、やっぱ浩和だ!」
噂をすると橋野さんはやって来た。
「吹奏楽入るの? 浩和は普段目立たないから、トランペットがいいんじゃない? この学校って珍しく一人しかいなくて困ってるしさ。それにこの前冗談半分でバジングやってって言ったら出来てたじゃない」
一方的にまくり立てるその話し方はやっぱり、橋野さんだ。ただ「バジング」という言葉を聞いた途端、カナの目の色が変わったのははっきりと判った。
「なら、問題ないわね!」
満面の笑顔をカナは見せた。渡辺先輩もそれに釣られて笑顔になる。
そんな光景をバックに、橋野さんは俺に小声で尋ねてくる。
「で浩和、あの子とはどういう関係なの?」
「どうって、カナとは、その……」
一般生徒に「子ども警察官」だという事実は教えられないが、いい説明も思いつかない。その板挟みに困っていると
「とりあえず、あの子と付き合ってるの?」
そう聞いてきた。それには
「いや」
と簡単に答えられる。すると橋野さんは
「ま、それならいいけど」
と、何か意味有りげに呟く。
「え、何が?」
そんなこと言われたら、当然気になる。
「ん、何でもないよ」
だが、軽く手を振って誤魔化されてしまった。そんな所は、カナそっくり。そういえば橋野さんは別のクラスだし、カナのことはあまり知らなかったな。
「で、浩和はあの子のこと、カナって呼ぶよね」
「ああ、それが?」
本人にそう呼ぶよう言われたからな。
「じゃあ私のことも、小っちゃい時みたいに『ミキ』って呼んでよ」
「えっ……」
確かに、まだお互い幼かった頃は「ミキ」とか「ミキちゃん」と普通に呼んでいた。でもいつからか、多分恥ずかしさが原因だと思うが、いつの間にか「橋野さん」と呼ぶようになっていた。本人もあまり気にしていない様子だったのだが、何故今頃?
「ね、いいでしょ」
「あ、ああ……」
そう強く押されては、呼ばない訳にもいかない。
「ん? なにしゃべってるの?」
カナはそんな俺達の様子に気付き、尋ねてきた。
「ううん、何にも。で、カナさん、だっけ?」
「ええ。名乗った覚えはないけど」
「ちょっと
「ええ、もちろん」
カナとミキの二人は一緒になって音楽室を出て行った。渡辺先輩と俺は取り残された格好になる。
「話って、何ですかね?」
話題がなかったので、それとなく聞いてみる。
「私からは言わない方がいいと思いますよ。出来れば二人に聞くのも止めておいた方が。いきなり突きつけられても困るだけで、徐々に気付いていくのがいいという、そんなものです」
いまいち解らない発言なのですが。
「初めて会った二人がこうして話そうとしているのは、互いに何か気になる点があったからでしょう。女の勘っていいますけど、それも相手をずっと観察していた結果から編み出されるもので、つまり蓄積されたデータを分析し相手の行動や気持ちをシミュレートして得られた結果だと私は思います。それが第六感って言われたりも。二人はこの短時間でお互いの言動から『あること』を読み取ったので、それを二人だけで確認しようとしているのでしょう」
結論はまとまっているが、何か途中の部分でよく解らなくなった気がする。というより話していた内容は、中学生が普通考える内容ではない。
「そういえば、昼とは大違いですね」
昼休みに事情聴取を行った時の印象より、ずっとしっかりしている。
「私、緊張するとタジタジになっちゃうんです」
「へぇー」
そんな、あまり意味のない会話が続いて。
「さて、そろそろ下校時刻です。帰りましょうか」
時計を見て、渡辺先輩は言った。チャイムが鳴ってから十分あまり、時刻は十七時四十分を示している。確かに、もう帰り始めなければならない。
「あ、荷物取ってきます」
そう言って部屋を出ようとすると、渡辺先輩は腕をつかんで引き止めてきた。そして小声でこう忠告してくる。
「確かあの子達は、私達が会話した部屋──つまり浩和くんが荷物を置いた部屋へと入っていきました。きっと女の子同士の秘密もあるでしょう、そんな会話をしている時にあなたが入ってきたら気まずくなるかもしれません。なので、私が」
そう言って、渡辺先輩は扉の向こう側へ。先輩には何でもお見通し、ってことか。でもそんな単純に言い表せる感じでもない。その能力が向く所に向けば、ノーベル賞などを取ってしまいそうな。
「あ、浩和! かばん持ってきたよ!」
三人はすぐに戻ってきた。俺に声を掛けてきたのはミキ。右手には俺のかばん。
「ありがとな」
カナも自分の荷物、そして俺とカナ二人分のスーツケースを持ってきている。とりあえず俺の分だけ二人から受け取った。
「さあ、帰ろ?」
俺の左腕を引っ張ったのはカナだった。
「私も一緒に帰っていい? どうせなら渡辺先輩も一緒に」
「はい、構いませんよ」
「なら僕も、いいかな?」
会話を聞いていたらしい木村先輩が話に入ってくる。しかし
「え、木村先パイってボクキャラ!?」
ミキの一言で話題は大きく変わる。
「何処かで聞いたことのある喋り方のような気が……誰だっけ……」
カナは真剣に悩みだした。
「まあ、人の個性は多種多様といってもそのパターンには限りがあるので、必然的に誰かには似てくるでしょう」
渡辺先輩は相変わらず、論理的というか回りくどいというか。
「『ボクキャラ』って何のことかな」
木村先輩は言葉の意味がよく汲み取れないらしい。
「そうだ、浩和は誰に似てるって感じた?」
ミキが俺に聞いてくる。他の三人も気になる様子で俺の方を見てきた。
「確か天木に読まされたんだけど──」
そう前置きして、俺はある小説の登場人物の名前を口にする。
「そうそう、彼女よ!」
カナはやっと納得した様子。
「その本はまだ読んだことがないので、今度読んでみますね」
「「「止めた方がいいです」」」
渡辺先輩の発言には俺とカナ、ミキが同時に止めた。何となく渡辺先輩には合わない気がして。ミキが知っていたのは意外だったが。カナはまあ、何でも知っていそうだし。
「とりあえず遅いですから、帰りましょう。鍵を掛けておかないといけないので廊下で待っていて下さいね」
渡辺先輩が職員室に鍵を返すのに皆で付き合った後、昇降口で靴を履き替える。一年四組の下駄箱は西側にあるので、二組のミキや二年三組の先輩達とは一旦分かれることになった。
「吹奏楽、また入りたいな……」
靴に履き替えながらカナは呟く。今日の出来事を通じて、その思いは一層強くなったようだ。
「俺がちゃんと子ども警察官の仕事をやれるようになるまでは、だろ?」
「うん……。でもわたしは五ヶ月だけ長くこの仕事をやってる、それだけの違い。『あの二人』と比べたらわたしなんてまだまだだもん」
あの二人、『伝説の子ども警察官』にまだ会ったことはないが、カナがそこまで言うからにはすごいのだろう。一度会ってみたいと、改めて思った。
「けどわたし達には『あの二人』よりも充分に時間がある。きっと卒業する頃には、同じ年齢だった時の二人を超えられる。だから頑張ろ」
「……ああ」
「でも正直。わたしを超えられるのはあんまりいい気持ちじゃないから、ずっとわたしを頼りにしてくれる?」
「ああ、頼りにするさ」
カナは微笑む。その幸せそうな笑顔も、カナらしい。俺もカナを安心させるために。笑顔を作った。
「さあ待ってるよ、行こ?」
軽く俺の右腕をつかんで、カナは歩き出す。
中庭を経由して東昇降口へ行くと、既に三人は外で待っていた。何も知らない幼なじみと、今日の事件で関わった先輩達。そんな学校の日常を守るのが子ども警察官の仕事なんだなと、そう感じた。
「あれ、そんなに仲いいんだ?」
ミキの一言で、カナは慌てて俺の腕を振り払った。
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