第二章・その5


 五時間目はクラス担任による英語の授業だった。扱うのは短編物語で、タイトルは「The club of written on the book」という。ただ作者は日本人らしい。

「これって元々は、日本語のショートショートなんだよ」

 カナが異様に明るかった。

「元の題名は『机上詩同好会』っていうの。書いたのは八白市在住の作家さんで、デビュー前に書いた作品とかをホームページ上で公開してる、そんな人。これも公開してる作品の一つよ」

「あ、八白の人だからそんなに嬉しそうなのか」

「うん」

 カナは自分の地元・八白が大好きらしい。だから少しでも関係があるものが出てくると、すごく嬉しそうにするのだ。

「あ、これいる?」

 カナは机の中に入れていたファイルから、A4サイズの紙を何枚か取り出す。

「ホームページから印刷してきたの。役に立てばいいかな、と思って」

「あ、サンキュ」

 本当、カナは用意周到だ。有り難くもらって早速、今日やる所辺りを読んでみる。夏休みを挟むのに、担任はきりよく終わらせなかったのだが。


 授業が終わり、俺は担任に頼み込んで×××××室の鍵を借りた。相変わらず机への落書きが多いこの教室。もちろん、最後に「机上詩同好会」として活動したあの日の、彼女の最後の詩も残っている。


「えーと浩和、詩の部分訳してみろー」

 ちょうど読もうとしていた所を、担任に当てられた。なのでそのまま続きを読み上げる。


私は、そう私は生かされている

いつ 絶えるか分からない生命(いのち)だけれども

精一杯がんばって 生きてやる!


私は、そう私はクラリネットを吹く

いつ 吹けなくなるか分からないけども

精一杯がんばって 吹いてやる!


私は、そう私は

今のうちにやりたい事を できるだけたくさん

精一杯がんばって やってやる!


「……浩和、えーと確かに、いい訳だとは思う」

 担任が驚いた顔をしてこちらを見てくる。

「だがな、まず一つ。詩のセンスは求めてない」

 確かに。英語の授業で大切なのはちゃんと意味が取れることで、単語との関係があやふやとなる意訳は避けるべきであろう。

「もう一つ、お前は原文をどこから手に入れた?」

 バレたか。仕方ないので俺はそっと、隣のカナの方を指差す。カナは驚いた様子だったがすぐに

「まあ、この作家さんってホームページ持っているので、そこから」

 そう言って、自然な笑顔で担任の方を見る。

「えーと、まあ……原文を読みたいという気持ちは構わない、むしろ嬉しいぐらいなんだが、そのまま訳に使うという卑怯な真似はしないように」

 担任はその表情で威圧感を感じたらしく、顎を掻きながらその場を収めようとした。だがこの出来事が触れてはいけない話題を思い出させてしまう。

「えーとそういえば思い出したんだが、えーと浩和と安江の二人は、実は子──」

「それは絶対、言っちゃ駄目!」

 カナは俺の腕をつかみつつ立ち上がり、叫んだ。そのまま歩み寄る。担任は平然としていた、訳でもなく少しだけ震えている。

「先生、ちょっといいですか?」

 カナは小さめの声で、話しかけた。担任は少しだけ、首を縦に振る。そのまま三人で廊下を出た。

「わたし達が子ども警察官だってことは、先生達に公表されていても生徒には言わないで下さい」

 カナは担任を見ながら冷静に話す。対照的に担任の声は

「あ、ああ分かった……。それだけ、か?」

と、震えているのが判る。傍目には生徒と教師の立場が逆転しているように、悪く言えば学級崩壊的な感じに見えるのかもしれない。

「ええ、それだけです」

 カナは軽く前髪を払い、

「さ、授業を続けましょ」

笑みを崩さず言って、教室へ戻ることになった。俺の台詞、ゼロ。


   * * *


 担任を本気でビビらせた五時間目が終わり、帰りのSTで簡単な連絡を聞き解散となった。荷物をまとめているとカナが言う。

「今朝の窃盗事案の被害者に、会いに行くわよ」

 ああ、まっすぐ家には帰れないか。

 吹奏楽部の練習は南側校舎の西の端、掃除区域だった化学室のちょうど真上に当たる第一音楽室で行われている。さすがは元吹奏楽部、音だけで向かっていた。

「すみません、渡辺 愛理先輩っていらっしゃいますか?」

 ドアを開け開口一番そう聞くが、色々な楽器の音が混じった空間がそれを無惨にもかき消す。カナは少し困ったような顔をして、しかしすぐ何かに気付き明るくなる。俺の腕を引っ張りつつ、部屋の中を突き進んでいく。

「渡辺 愛理先輩、ですよね?」

 そして机で楽器を組み立てていた少女に声を掛ける。少女はふと顔を上げ

「ああ、あの時の……」

と呟いた。顔を見ると確かに、あの被害者の子だ。カナの観察力には驚くほかない。

「ここではちょっとあれなので、他の部屋で話しませんか?」

 少女──渡辺先輩はそう言って、俺達を誘導する。入り口横の机に置いてあった缶の中から鍵の束を取り出し、第一音楽室の隣「楽器庫」のそのまた隣「音楽準備室」の鍵を開けた。中には箏がたくさん置いてあって、電子キーボードと何故かノートパソコンもある、そんな部屋。俺達は足元に荷物を置く。

「だいぶ落ち着いたようですね」

 カナは渡辺先輩の目を見て、そう話を切り出した。

「はい。それに最初警察の人が対応に当たると聞いてドギマギしていた部分もありましたし。けど優しい感じで接してくれたのでだいぶ安心しました」

 渡辺先輩は微笑みを消さないまま話す。ふと頭を傾けると揺れるツインテール。それに加え楽器を持っていない方の手で時々前髪を後ろへと避ける仕草は、先輩という要素を抜きにしても少し惹かれる。きっと天木辺りが見たら、卒倒ものだ。

「一つ、お願いしてもいいですか」

 渡辺先輩の落ち着いた様子にカナも安心したようで、笑顔を崩さず言う。

「わたし達が子ども警察官、出来ればこの学校に子ども警察官がいるってことも、内密にして欲しいんです」

 今頃か、と思ったがこれはカナの作戦であるに違いない。カナはそんな、計算高い人間でもあるのだ。決して悪い意味ではなく。

「あ、いいですけど……。ちりちゃんにはもう言っちゃったんです」

 申し訳なさそうに、渡辺先輩は言った。

「チリちゃんって?」

「木村 千里(きむら ちさと)ちゃん。えっと、私の大切な親友です。初対面の印象は無愛想な女の子だけど、本当は優しい子。今日もずっと心配してくれて」

 カナのことだ、何かしら犯人である可能性を探るに違いない。と思ったら

「親友か……。わたし、まだ転校してきたばかりなのでそんな子はまだいないですね」

 何か、特に気にしてないようだ。渡辺先輩は驚いた様子。

「へぇー、転校してきたんですね」

「ええ」

「あのー、」

 渡辺先輩は少し遠慮がちに切り出す。

「何ですか?」

「よ、よかったら、吹奏楽に入っていただけませんか?」

「へ?」

 思わぬ申し出に、カナも驚きを隠せないようだ。

「いえ、よかったらでいいんですけど……。もうすぐ三年生もいなくなって部員も減ってしまいますし、そうなるとギリギリで回すパートも出てきてしまうので……。今年は一年生も少ないですし」

 カナは少し考える為に間を開けた。内心はやっぱり、吹奏楽に入りたい気持ちはあるようだ。

「もうちょっと落ち着いたら、でもいいですか? 入るか入らないかも含めて」

 具体的に言えば、俺がちゃんと子ども警察官の仕事を出来るようになったら、か。カナが無事に入れるよう頑張らなくては。

「はい、もちろんOKです!」

 一瞬で、渡辺先輩は満面の笑顔になる。この笑顔を見ていたらそれだけに幸せになれると思わせるほどの、幸福感で満ちていた。

 そんな中、誰かがこの部屋の扉をノックする音。

「はい」

 渡辺先輩がそれに応えドアを開けた。すると

「あ、ちりちゃん、どうしたの?」

 渡辺先輩に比べると背丈は大きめの、髪をショートにした女子生徒がいた。

「あの、きみたちは……」

 少し不安げな声で、彼女は尋ねる。

「子ども警察官っていったら、信じるかしら?」

 既に渡辺先輩が教えていることを知っているので、カナは躊躇することなく警察手帳を取り出し示す。それを見て「ちりちゃん」こと木村先輩はますます恐縮したようだった。

「え……えと、すまない!」

「「へ?」」「ちりちゃん」

 一体何を謝ろうというのか。

「えと、これ、なんだけど」

 木村先輩が差し出してきたのは、クリーム色をした二つ折りの財布。

「あ、それ私のです」

 渡辺先輩が驚いて声を上げる。カナも事態の急展開に唖然としていた。

「本当は学校にお金なんて持ってきちゃいけないから、からかうつもりでやったんだ。先生に言うはずがないと思ったし、すぐ返すつもりだった。けど愛理は真っ先に先生へと報告した」

「そしてわたし達子ども警察官が関与したことで、ますます言えなくなった。そうですよね?」

 補足するようにカナが言い、木村先輩は申し訳なさそうに頷く。

「まあ、ありえない理由ではないわね。それよりも、」

 カナは木村先輩を見る。

「改めて、言うことはないですか?」

 木村先輩はハッ、としてカナの目を見て、すぐに渡辺先輩の方へ向き直る。

「……本当、すまなかった」

「いいのいいの。私っていつもちりちゃんに頼ってばかりだから、いつも通り真っ先に相談してくるって思ったんでしょ?」

 渡辺先輩は笑顔を崩さず言う。それに釣られて、木村先輩も少し微笑んだ。

「さてと、あくまでもこれは『事案』だから、警察サイドとしては問題ないんだけど、──」

 カナは突然、というよりは必然的に話題を変える。

「──学校サイドにどう説明するかが問題ね」

 確かに。

「ちりちゃんが何か言われるのは、嫌です」

 渡辺先輩のリクエスト。俺は少し考え、

「家に帰ったら机の中に入ったままでした、とかそういう感じはどうですか?」

 と提案した。カナは「それだ!」と声を上げ、

「ちりちゃんが何も言われないなら、それでいいです」

「愛理がいいなら、構わない」

 先輩二人も同意して、先生達にはそれで通すことに決まった。単なる思いつきを口走っただけだが、「結果よければ全てよし」そんな感じだ。

「そうだ、これから合奏やるので見ていきませんか? 出来れば本番前に一度、感想も聞いてみたいですし」

 カナは「もちろん」と頷く。俺も、同意した。

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