第二章・その3

「あの先生、やっぱ怪しい」

 校門から少し離れた所でカナは立ち止まり、言った。さっきの態度はやはり意味があったようだ。

「え?」

 一応聞き返す。

「絶対何かを隠してる。CPだと知った時のあの驚きよう、半端じゃなかった」

 そういって俺を見てくる。その眼は、確実に刑事としての眼。

「そう、か……」

 そんな眼で見られたら、反論する気も起きない。

「あの先生の名前、判る?」

「名前?」

「うん」

 そうだ、まだ転校してきて間もないからな。

「あれはここの副校長。名前は水島みずしま……わたる

「ミズシマワタル先生ね。ちょっと待って、犯歴照会してみるわ」

 そう言って、さっきも操作していた携帯電話のような機械をスカートのポケットから取り出した。

「ちょっと待って、携帯電話は持ち込み禁止だぞ」

 俺は慌てて注意したが、カナは気にする素振りを見せない。見つかったら面倒なんだけど。

「それに、先生だぞ? 悪いことなんてしているはずは──」

「先生だからという理由だけで信じられたら、どんなに楽か判る? 現実は違う。先生が被疑者になった事件はたくさんある。わたしがCPを目指すきっかけとなった事件、あれだってそうよ。時には親だって疑うのが刑事の仕事。CPの仕事は捜査活動も含んでいるんだから、それは心に留めておかないと駄目」

 カナの言うことはもっともで、反論は出来ない。けれど心の中ではやっぱり、先生という肩書きを信じていたかった。

「一応、照会はシロね。でもこの様子だと未発覚事案がありそうだけど。警戒しておくに越したことはないわ」

 カナは携帯電話らしきものの画面を確認し、淡々とした口調で告げる。俺の気持ちを配慮してくれたのか、それ以上は言わない。しばらく、無言の状態が続いた。

「……教室に戻ろっか。いつまでも立ち話してるってのもあれだし」

 カナは顔を少し赤らませて言う。どうして、かは判らない。多分さっきの演説調のあれは恥ずかしかったのだろう。

「早く!」

 思い切り袖を引っ張られて、仕方なくついていった。


   * * *


 教室には既に数人のクラスメイトがいた。俺達が入ってくると、彼ら彼女らは

「浩和、部活やって無いのにはやいなぁ!」

「香奈ちゃんって来るの早いんだ〜」

 まずは「登校が早い」で盛り上がる。しかし

「あれ? 二人一緒なんだ」

「おい、仲いいじゃねぇかよ」

「ほんとに転校生だよね?」

 話題はすぐに切り替わった。やっぱり興味の対象はそちらへと向く。チェックを続けている無線機からは

『神奈川本部より高速隊へ。東名高速上り線・海老名えびなサービスエリア付近で狸が車にはねられた模様』

 蛯尾浜市とは関係のない交信。そんなものが多数であるから、ピックアップするだけでも大変な作業だ。しかも無線機だけを延々と集中して聞ける訳でもないし。

「校内パトロールするよ」

 カナは踵を返し教室を出て行った。俺も急いで追いかける。何故だろう、カナはいつもより早足だ。

「何なの、あいつら」

 怒っている様子。とりあえず

「クラスメイトだよ。あそこら辺は陸上部のメンバーだな」

とだけ言っておく。

「そんなことどうでもいい。何なのあの思い込みは!」

 しかしカナには焼け石に水だった。まあ同感だけど、理由あってのことだ。

「まあ、来て早々の転校生が異性とこんなに親しくしていたら、そう思うだろうな」

「うるさい! CPっていつもそう。規則で異性とペアを組んでるのに、部外者にはいつも誤解される!」

 八白という所でもカナが子ども警察官をしていたことは、初対面の時聞いた。今の言葉ではその時も異性と組んでいたという意味に取れる。

「ってことは、前も?」

 確認の為、聞いてみた。

「ええ。レジェンドCPのイメージが強くて、皆が皆元々カップルだったと誤解される。あの二人だって、元は偶然組み合わされた結果に過ぎないのに!」

「じゃあ、俺はたまたま選ばれたってこと?」

 話の流れからすると、そう取れる。

「違うわ。あなたはわたしの指名。わたしがなって欲しくて、なってもらったの」

「なぜ俺?」

 となるとそれが大いに疑問だ。するとカナは顔を少し俯かせ

「……警察官としてのカンよ」

 一言、それだけ言った。見事に、曖昧すぎる答え。

「……それだけ?」

 チャイムが鳴る。これは八時二十五分、予鈴のチャイムだ。

「じゃあ、戻ろっか」

 少しだけ微笑む、カナ。

「……パトロールしてないぞ」

「いいじゃん」

 いいのか?と思いながらふと横を見ると、カナはいない。後ろを振り返ると、カナは既に教室へと歩き出していた。俺も慌てて引き返す。

「そういえば無線のイヤホンって、授業中も付けてないと駄目か?」

「当然よ」

 即答、か。

「先生への事前説明もなし?」

「ええ、あまり広めたくないわ」

「それはかなり難しいと思うぞ。カナは髪で隠せるからいいとしても。イヤホンも黒だし」

 確実に目立つ。そして先生に呼び出される。授業中に音楽聞いているとは何事だ、と。いくら規則だからって言われても非現実的である。カナも言われてから初めて気付いたのか、

「そうね、解った。わたしがチェックしてるから、もし何か入った時は知らせるわね。席も隣でちょうどいいし」

 妥協案を提示してくる。もちろん異議なし。

 二度目のチャイムが鳴る、同時に担任が入ってきた。

「えーと、ST始めるぞ。えーと室長、あいさつ」

 いつもの「えーと」口調でSTは流れていく。その口調は多分故意的だということが先日判明したが。

「……蛯尾浜市ヒノチョウって何処」

 途中、突然カナが尋ねてくる。おそらくは無線で聞いた地名だ。

火野町ひのちょうは──市の北東部で東部中の学区。高校が開校して急速に発展した地区だな。俺が生まれる前だけど」

 火野町にはこの市唯一の高校、県立火野高校がある。どうしてそんな物騒な地名が採用されたのか、理由は知らないが。

「東部中学区ね、なら今の所は関係ないわね」

「関係あったら、現場に行くつもりだったのか?」

 カナは少し考えて、

「いいえ、行かない。この学校のCPはわたし達だけだもの」

 他の学校には存在すらしていないけどな。

「それに、学校抜け出すと色々面倒だから」

 確かに。だが

「さっきは堂々と抜け出したよな」

 言動が一致していない。

「学校の治安に干渉するものだからよ。それに、授業前でしょ?」

 カナにとって、矛盾している訳ではないようだ。

 一時間目が始まっても、俺は緊張していた。いつも通りの先生、いつも通りの授業のはずなのだが。隣にいるカナは左手で頬杖をついている。右手だけはせっせと動き板書を写し取っていく。無線も聴きながらだから、本当、器用だな。

 ふと、カナは顔を上げた。そして胸ポケットから小さなノートを取り出し、ミシン目でページを一枚だけ切り取る。その切れ端に何かを書いて

「はい」

 その紙は俺の許へ。走り書きで

『二の三教室で窃盗の疑いあり。放課に現場確認』

と書かれている。つまり一緒に行こうって訳だな。「放課」は確か……休み時間のことだったはず。

「鈴木浩和さん、続きを読んで下さい」

 教科担当の諫山いさやま先生に突然指名された。続き、と言われてもまじめに追ってなかったのでどこだか判らない。慌てていると

『五十七ページ三行目から』

 そっとカナが紙を差し出してくる。無線を聴きつつ授業もちゃんと受けているなんて、恐ろしいほど器用だ。世にいう「天才」って奴か?

 俺は立ち上がって、教科書の「五十七ページ三行目」から読み始める。


 三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば好い」──彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切っていた。


 読みながら思う。この『子ども警察官』という仕事も「行く所まで行きつかなければ」辞められないものかな、と。行く所って、それは定年まで警察官を続けることなのか。それとも……。

「ありがとう」

 一つの形式段落を読み終わり、諫山先生は俺に座るよう促した。俺はすぐに着席する。諫山先生は今の箇所について解説を始めた。

「えー、この部分は『トロッコ』を三人で押していた『良平』の気持ちが動き始める所で、例の二人に──」

 授業はただ平凡に過ぎていく。

 国語の授業が終わると、カナは俺の手を引っ張りつつ見事なスタートダッシュを決めた。予想していた範囲内の出来事だったので、椅子から転げ落ちるという失態を演じることはない。走りながらカナは聞いてくる。

「で、二の三って何処?」

 階段に向かっていることからして、さすがに上の階だということは判るらしい。

「三階の、真ん中ら辺!」

 走りながら答えるのはなかなか辛いものがある。答えられたのはその一言だけ。

「解った!」

 今頃教室では、俺とカナが実はどうとか、そんな決定的な根拠の無い噂が立っているに違いない。まあこんなことをしていたら因果応報、当たり前である。カナはまた怒るかもしれないが、それは仕方ないし、俺にはどうしようもない。

 二年三組に着くと、カナはまだ残っていた先生であろう男性に

窃盗嫌疑事案せっとうけんぎじあんについて教えて下さい」

 開口一番そう聞く。男性教師は訳が解らなさそうな感じである。事件を知らないか、言葉の意味が解らないか。まあ、そもそも他クラスの生徒がそんなことを聞いてくるのが奇妙ではある。

「えっと……俺、いや僕達は子ども──」

 説明しようとしたが、言い終わる前に頭を軽くはたかれた。さらにカナは俺の服を引っ張り教室から出す。一言目がこれ。

「何、馬鹿正直に名乗るのよ」

 カナはしかめっ面。けれども、な。

「じゃあどうやって聞き出す?」

 警察だと名乗る以上に効率的な手段があったら教えてくれないか? カナは少し考えている様子を見せたが、名案は浮かばなかったらしい。

「解ったわよ。まあ彼からは何も出て来なさそうな感じだったけど」

 これが世にいう「開き直り」か。細かいことは置いておいて、つまりは

「このクラスの担任に聞くのが一番か」

「うん」

 カナは肯定する。なら最初からそうして欲しかったのだが。

「あ、あの、えーっと」

 追いかけては来たもののすっかり蚊帳の外に放置されていた男性教師に

「すみません、やっぱりいいです」

とだけ断りを入れ、

「さあ、早く教室に戻ろ?」

そう俺に言いながら、右腕を引っ張った。まったく、今日はカナに振り回されっぱなしである。あ、今日もか。

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