第二章・その2
教室に戻ってきても、誰一人いなかった。まあ、部活動の朝練以外でこんなに早く学校へ来るクラスメイトなんて、他にいるとは思えないけど。
「無線、聴いてる?」
カナが聞いてくる。もちろん。教室に戻ってきた後無線機を取り出してインナーホンをつなげ、良いとはいえない音質のものを。ちなみに内容は
『港北署管内、JR新横浜駅前の車道上で泥酔した男性が踊っており通行の障害になっているとの通報。駅前
というものだったが。
「県内系のものしか与えてくれないなんて、不便よ!」
彼女いわく、警察無線には大きく分けて「県内系」と「
「
「二人しかいないからな。準備する余裕もなかったんだろう」
「まあそうかもしれないけど……。せめて浜浦署の
その頃無線は
『相模原署管内、相模原市
時間帯を間違えた泥棒による空き巣事件を報じている。確かに自分達とは関係ない地域の情報ばかり。カナの気持ちも解らなくはない。
『自ら七二より神奈川本部』
今度は自動車警ら隊と警察本部の交信だ。
『こちら神奈川本部。自ら七二、どうぞ』
『蛯尾浜市の……
この学校がある町だ。
『桜北町四丁目で倒れている男性を発見。どうぞ』
「ほら来たーー!」
カナが思い切り叫んでいる。喜ぶことでは決して無いのだが。
『了解、外傷は?』
『背中に出血多量。刺し傷だと思われます。どうぞ』
「ほら、行くよ」
カナが袖を引っ張ってくる。
「学校外の事件だろ、これ」
昨日の研修で、俺は地域部長に言われた。子ども警察官というのは「学校内の」治安維持が主たる目的であると。それに照らすと、出動する根拠が無い。
『生死は解るか、どうぞ』
『微かに意識はあります』
「学校の治安に影響するかもしれないの! そんなことくらい解るでしょ!」
そんなカナの言葉を裏付けるかのように、無線が告げる。
『
『目撃者によると、
「早く行くよ!」
そう言って、先ほどよりも強く引っ張ってくる。まあカナの言う通りだったし、仕方なく付いていく。
「スーツケースからサイレンを出して!」
子ども警察官専用装備として、GPS・サイレン付赤色灯が支給されている。けど、走りながら出せと。
「あ、やっぱいい」
どっちだよ。そう言おうと思ったがカナはスーツケースを持った手で、携帯電話のような物を操作しながら走っている。どれだけ器用なんだか。
その頃無線では逃走犯の特徴が報告されていた。赤のTシャツにジーンズ、茶髪の若い男らしい。
「見かけたら
「ケイホウダイキュージューゴジョーって?」
そんなこと言われても、ピンと来ない。刑法っていうからには犯罪について定めてありそうだが。
「
「それ、職権乱用だろ」
とりあえず公務執行妨害で捕まえ、本来の容疑について取り調べ自白させるという方法。報道などでかなり問題となっている手段を、カナはあっさり提案した。よく冤罪の温床と言われる、あれを。
「刑法の二〇三条とか、二〇四条の現行犯では逮捕しづらいの! 現場から逃走してる時点で明確に犯人とは断定出来ないからね」
「まあ、確かに」
よく解らないが。
「それにCPは
それは解った。それより
「その、二〇三条とか二〇四条に当たる犯罪って何だ?」
「殺人未遂と傷害よ」
「へぇー」
そういっている間に、正門まで着く。門を一歩、出ようとすると
「こら、何をしている!」
早速、先生に呼び止められた。
「あ、いた!」
カナは何かを見つけたらしく、走り出す。袖を引っ張られるので俺も連れて行かれる。先生も焦って追いかけてきた。前を見ると、確かに無線で聞いた容姿通りの男が挙動不審に歩いている。カナは大胆にも、声を掛けた。
「そこの、茶髪で赤Tシャツの人!」
男は一瞬ビクッとなるが、すぐに
「て、てめえ何か用か!」
怖い口調で言い返してくる。けれどもその言葉の裏に、何か後ろめたさを感じた。
「えーと、はい、少し聞きたいことがあって」
「はあ? てめえ何様のつもりだ!」
「当ててみて」
少し話の辻褄が合っていない気がする。彼は、確実におかしい。それは俺にも確信に近い形で理解出来た。そんな人物に対してもカナは物怖じしない。むしろ挑発しているような。
「おい、なめてんじゃねぇぞ!」
男はカナにつかみかかろうとする。それを、
「まあまあ……、落ち着いてください……」
先生がなだめようと間に入ってきた。その顔は恐怖からか少し引きつっていて、先ほどまでの貫禄はさてどこへ消えたのか。
「おいてめぇ!」
しかし先生の仲裁は無意味だったようで、男は相変わらず怒っている。しかし、若干の焦りも感じられた。
「いい加減にしねぇと、どうなるか解らせてやる!」
左手を腰に回し、男は隠していたナイフを見せてくる。刃渡り五センチほど、そして所々に付着した液体状の「赤いもの」。
「よし!」「おいやめろ!」
カナと先生が同時に動いた。カナはスーツケースを後方に投げ、先生はカナを守ろうと一歩前進。カナの言葉が不思議に思われたのは一瞬だけ。このナイフの血こそが、事件の証拠だ。俺は持っていた無線機のスイッチを押し、マイクに向かって叫ぶ。
「蛯尾浜中部中正門前にて被疑者発見!」
カナは先生を押しのけ、男の方へ。一歩目と同時に右手を腰に当て、二歩目と同時に警棒を取り出していた。スーツケースに入っていたはずだが、果たしていつ取り出したのか。三歩目で振り下ろされ、それと同時に伸びた警棒の先はナイフに命中、凶器を叩き落とす。
「てめぇ、何者だ!」
そう叫びながらナイフを拾おうとする男の手を、カナは再び警棒で叩いた。痛さで顔をしかめ怯んだ一瞬、カナはまたいつの間にか腰に付いていた黒い手錠を左手で取り、男の左手へとはめる。
「そうね、警察官って言ったら解るかしら?」
右手も強引につかみもう一方の輪っかにはめた。
「で、あなた」
「は、はい!」
警察官だと判った途端、男は素直になる。抵抗する気力を無くしたらしい。
「さっき同じ町内で起こった事件も、あなたの仕業よね?」
「はい……」
「で、人を殺す気があったのか、なかったのか、それだけ教えて?」
「え、えーと……、ありました」
不思議なくらい素直だ。
「では刑法第百九十九条の二〇二条適用、まあつまり殺人未遂の容疑で現行犯逮捕する。銃刀法違反も付くわね」
「は、はい……」
サイレンを鳴らしてパトカーも集まってきた。白黒や覆面仕様など、総勢十台。警察官が一斉に降りてきて俺達の許へ集まってきた。
「誰か、時間を」
カナが聞く。その問いに灰色の背広を来た男が腕時計を見ながら
「八時ちょうどです」
と答えた。カナは少し微笑む。
「ありがと。で、あなたは?」
「浜浦署刑事課捜査一係の、
吉永と名乗る男性刑事が敬礼をし、カナも敬礼を返す。
「ええ、そうです。手錠、持っていますよね」
何故か、は知っている。研修の時に教えてもらったから。子ども警察官は専用仕様の手錠を使っているからだそう。
「はい、当然です」
吉永刑事は左手を腰に当て、背広に隠れていた手錠を出す。見た目ではどの点がCPと異なるのか判らない。カナは胸ポケットから鍵を取り出し男に付いている手錠をいったん外す。ほぼ同時に吉永刑事が手錠をはめた。
「殺人未遂と銃刀法違反での現行犯人です。情報を聞き巡回へ出たところ対象と遭遇、職務質問の途中抵抗されたため逮捕に至りました。なお取り出したナイフに血が付いていたため当該事件の
「了解。証拠品は、足下のナイフですね?」
「ええ」
「取り調べは我々
「解っています。では」
カナは右手を額に当て二回目の敬礼をする。俺もカナに倣った。
「お疲れ様です」
吉永刑事も敬礼を返し、被疑者を連れて車の方へ戻っていく。ナイフは別の刑事が白手袋をはめた手で回収し、透明の袋に入れ持っていった。パトカーは続々と去って行き、瞬く間に日常が戻ってくる。
「でもこれって、学校の治安維持に必要だったのか?」
「判らない。けど、第二の事件が起こる前に犯人を逮捕することが出来た。起こす気があったかは別としてね。『後悔先に立たず』って言うでしょ?」
確かに。だけど
「どう見ても、学校に忍び込む気は無かったんじゃないか? 先生もいるし」
陰でつながっていたのなら別だが、そんなのは信じたくない。これでも俺は、この学校の生徒だ。
「そうね、そうかもね」
カナは何故か、意味深な反応。
「き……きみらは……」
すっかり蚊帳の外に置かれていた先生が、声を発する。それが耳に入り俺達は校舎側へと振り返った。そこには腰を抜かしたらしい、男性の姿が。
「子ども警察官。聞いたことある──ありますよね?」
突き放したような口調。目上の人には丁寧な言葉遣いを心がけているらしく文末を言い直したが、何か気になる。一方先生の方は普通の人間でも見て判るくらい明確に、驚いた。
「あ、これ他の人には秘密ですよ。では仕事、頑張って下さいね」
俺は軽くフォローした。そのまま二人でその場を立ち去る。カナはスーツケースを拾いつつ。
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