第二章・その4

 三時間目から四時間目にかけては、平凡な日常が戻ってきた。カナは交信が絶えない無線を聴きながらも授業をバッチリ受けるという神業を難なくこなしていたし、俺はそれを観察しつつ必死で授業を受けていた。そんなことをしていたおかげで、四時間目終了のチャイムが鳴る頃にはすっかり疲れ果ててしまっている。まあ次は給食だ、体力も回復するだろう。

「今朝の事件、何か引っかかるんだよねー」

 いや、全快という訳にはいかないらしい。右手でシャープペンを回しながら、対面に座るカナが話しかけてくる。

「気にし過ぎだって」

「そうかなぁ? わたし、絶対裏があると思うんだけど」

 カナはシャープペンを落とす。髪に隠れた左耳にはまだイヤホンが付いていて、無線を聴いているのだろう。いや、絶対そうだ。カナなら。

 教室は白いご飯に牛乳、八宝菜、サバの銀紙焼き、それにプリンだった。特に嫌いなものは無かったので残さず食べる。カナはというと、食べている間は終始無言だったが早々と十分で完食すると俺に話しかけてきた。

「楽器って、何吹ける?」

 意外にも事件の話題ではない。まあ、唐突ではあるが。

「ほとんど何も。そうだな、リコーダーくらいかな」

 吹けるといっても授業でやったからで、ほとんどの人が出来るレベルである。

「わたしはね、トランペットをやってたんだ。前の中学では吹奏楽部すいぶに入っててね、夏のコンクールとか出たんだ。しかも金賞だよ。でもね、その上の県大会には行けなかった。いい成績ではあったけど、何か物足りないっていうか」

 吹奏楽のコンクールについては幼なじみの橋野さんが説明してくれたことがある。大体四十人くらいで課題曲と自由曲の合計二曲を演奏し、審査される。その結果で「金・銀・銅」の三つにカテゴライズされ、「金賞」の上位数校が県大会に行けるとのことだ。ただこの学校の、今年の結果はC、つまり銅賞だったらしい。カナが入ったとしたら何となく一つくらい狙えそうな気がするが、気のせいだろうか。

「ここでも吹奏楽部すいぶに入ろっかなって思ったけど、やっぱ今は忙しいからね。もうちょっと慣れたらありかもしれないけど」

「つまり俺次第って訳か」

 俺がちゃんと仕事をこなせるようになったら。それまでカナは待っててくれる。そういうことだろう。

「うん。あと、もしわたしが吹奏楽部すいぶに入ることになったら一緒に入ってね」

「え!?」

 そんなこと言われたって、俺はリコーダーしか出来ないぞ。

「大丈夫大丈夫、慣れれば結構簡単だよ?」

 そうカナは言うが、カナの言う「簡単」はそう簡単ではないイメージがある。

「あ、昼放課に職員室で聞き取りね。解った?」

「ああ」

 早くもカナの使う方言の理解スピードが早くなっている。クラスの中で一番一緒にいると言われても否定出来ないくらいだからな。

 教室の後には掃除があって、カナは担任の策略か俺と同じ班に入った。掃除区域は南側校舎の二階、西の端にある化学室。ガス栓付きの、作り付けられた大きな机が六つ並ぶ部屋である。部屋の片隅にはガスバーナーや、試験管を一定の高さに固定しておく台などが置いてあって、まあ普通の中学校と変わらない設備や備品だと思う。他の学校を見たことが無いのでしらないが。

「ほら、ちゃんと掃除するよ!」

 掃除はしっかりとやりたいらしい。俺も仕方なくほうきを持つ。

「そういえば、この学校にも文化祭ってあるんだよね?」

「ああ、来週の土曜日にな」

 この学校は公立学校にしては珍しく、文化祭を土曜日に行う。理由は定かではないが、より多くの人に発表を見てもらうため、らしい。

 掃除終了のチャイムが鳴ると、カナは俺の腕をつかみ化学室を脱出。予定通り職員室へ。

「まず校長先生を呼んで、彼立ち会いで二年三組の担任に今回の事案の説明をしてもらうつもり。場合によっては被害者に事情聴取ね」

 カナが段取りを説明してくれるが、つまり「俺の休み時間はない」ということで。

「失礼します、校長先生いますか?」

 職員室に着き、入り口を開けると同時にカナは言う。ちょうど目の前に校長先生はいた。

「毎回お疲れ様。君達の事だから来るとは思っていたけれどね」

 そんな彼に連れられて校長室に入ると、そこには先客がいる。一人の女性ともう一人、俯いた少女の姿。

「二年三組担任の高橋ですけど、話があるっていうのはあなたたちですか?」

 驚いた表情を見せながらも、女性は名乗って聞いてくる。その反応は想定の範囲内だったらしく、すぐにカナは胸ポケットから警察手帳を取り出し、開いて見せる。

「神奈川県警地域部子ども課準備室の、安江 香奈です」

「同じく、鈴木 浩和です」

 俺も同じように見せた。

「はあ!? あなたたちが警察ですって!? ちょっと、冗談はやめてよ」

 高橋先生は全く信じられない、といった様子で校長先生の方を見る。

「ちょっと、この子たち正義感からかなにかは知らないけどハッタリかましてるんじゃなくって?」

「本当の話ですよ、高橋先生」

 校長先生は落ち着いて言うのだから、高橋先生は余計に疑いを掛けてきた。

「証拠は?」

「だから、これです」

 カナは冷静に、改めて警察手帳を示す。

「だって、それ茶色いじゃない! 普通、警察手帳って黒じゃ──」

「それはドラマの中での話です」

 高橋先生の言葉を封じるように、カナは口を挟んだ。

「本物の警察手帳は焦げ茶色です。警察手帳というのは警察官であることの身分証明ですから、寸分違わぬものを作るのは犯罪です。ただ実際のところテレビドラマや演劇では必要なアイテムなので、黒地の手帳が使われる訳です」

 カナはあくまでも事実をもとに話す。高橋先生も不満ながら納得したらしく、

「理屈は通っているわね」

 そう言葉を漏らした。だが

「けど、何故学校内の事件に警察が出てくるのか、理解出来ないわ」

とも呟くのだから、カナの逆鱗へと触れてしまったようだ。

「それが、わたし達子ども警察官の仕事です! わたしからこの仕事を取らないで下さい!」

 カナは俯く。俯きながら呟く。

「わたしからこの仕事を取ったら、いったい何が残るんですか……」

 カナの弱い面、普段隠している面が少しだけ見えた気がする。

「まあまあ、落ち着いて。とりあえず事件について話をしようじゃないか」

 校長先生が二人の間に入り、その場をなだめる。カナは髪全体を手で一払いして、その一瞬で刑事の顔へとなっていた。

「──窃盗被疑事案について話して頂けますか」

 高橋先生は少し不満そうな顔をしながらも、隣で縮こまっている少女に、話すよう促す。

「……え、えっと──」

 今にも泣き出しそうな声で、少女は話し始めた。

「私、朝の七時半くらいに、その、学校に来たんですけど、あの、私吹奏楽部に入ってて、教室に荷物置いて、その、練習行ったんです。そしたら、その、帰ってきたら、かばんが開いてて、その、調べてみたら、なかったんです。あの、財布が」

「どれくらい入ってました?」

 カナは少女の目を見て話す。

「あの、えっと、三千円くらい……」

「教室に帰ってきたのって何時くらいか判りますか?」

「えっと、八時十五分過ぎ、くらいかな」

「あとあなたの名前を聞かせて下さい」

「渡辺≪わたなべ≫、愛理≪えり≫です」

「最後に、」

 カナは少し微笑みながら語る。

「もし犯人が判って、そして謝ってくれても、これを事件にしますか?」

 少女は驚いたようだった。俺も予想していなかった設問。しかしカナは続ける。

「もし事件にしたくなければ、わたし達が止められる。事件にしたければ、わたし達は報告する。被害者はあなたですから、あなたが決めるべきことです」

 少女は少し俯き、二、三分ぐらい後になって顔を上げる。

「もし、謝ってくれるなら、私はその人を許します」

「解りました。聞き取りは以上です」

 カナは立ち上がり、深々と礼をする。俺もそれに倣った。カナの事情聴取を見ていると刑事ドラマのような厳しさはなく、人情味あふれると言った方がいいような。これが本来の形なのだろうか。もちろん、人によって方法は異なってくるだろうけど。

 カナは校長室を出るとすぐに、俺に確認を取ってきた。

「この学校って、お金とか持ってきていいの?」

「いや」

 携帯電話やお金を持っていくことは校則で禁止されている。まあ、守っていない人も多いけどな。

「そうだよね。だったらお金を持っていることを知っている人物、つまり友達とかの可能性が高いっていうこと」

「ああ、だから……」

 あの時事件にするか尋ねたのは、そんな理由からだったらしい。

「一応、明日の朝から張り込みね。まあ今日中に解決するかもしれないけど」

 もし仮に犯人が友達だったとしたら、謝罪するだけでも事足りるかもしれない。それが解っていて、カナはこの「事案」──「事件」と言わないことが、その表れでもある──を扱っているのだ。そんな姿を見ていると、やっぱりカナはすごいんだなと感じる。普通の中学生には、こんなことできっこない。俺も含めて。

「そういえば話したっけ?」

 カナは突然話題を変えてきた。

「何を?」

「『伝説の子ども警察官レジェンドCP』の話」

「いや、聞いていない」

 だが、「伝説」と呼ばれる子ども警察官の存在はインターネット上で見たような覚えがある。

「まあ簡単に説明すれば、わたしの師匠ね。藤枝先輩と翔子先輩という高校一年生で、関わった事件は全て解決に向かうという、親譲りの伝説を持つ二人なの。ペアを組んだ当初からすごかったみたいで、四月中旬に学校内で起こった立てこもり事件を解決しちゃったらしいし。

 この前受けた研修で、立てこもりは捜査第一課特殊犯捜査係(神奈川ではSTS)の担当だと教わった。STSは専門知識を身につけているベテランとも聞いたから、拝命早々そんな活躍が出来るなんてまさに「伝説」ではないか。

「そういえば藤枝先輩は、CPとして唯一拳銃を発砲した人物としても有名ね」

「え!?」

 本来、子ども警察官は拳銃を持てないはずだ。制度上は私服警察官で拳銃を持つ義務はないし、そんなこと世間が認めないだろう。

「あの時はCPにも拳銃携行命令が出てたんだって。そして先輩達は被疑者の一人と出会ったらしいの。相手は銃を二人に向け連射してきて、一発は翔子先輩の顔の真横を通過したりもした。藤枝先輩はやむを得ず、空に向かって威嚇発砲を行ったけど、次の銃弾が藤枝先輩の腹部へと命中した」

「う、嘘!?」

 考えもしなかった。まさか、子ども警察官が撃たれたことがあるなんて。

「まあ命に別状はなかったみたい。翔子先輩は『私のお守りが藤枝くんを守ったのよ!!』って、いつもはしゃぎだすんだけど。確か、CPが撃たれたのもこの時が唯一。まだ二年目だしね、他に例があったら逆に困る」

 もしかしたら俺は、子ども警察官というこの仕事をなめていたかもしれない。今日発覚した小さな事件もあれば、世間を騒がすような大事件を担当する可能性もある、それが警察官の仕事なのだ。子ども警察官だって例外ではない。

 予鈴のチャイムが鳴る。カナはふと、俺の方を見て言う。

「まあ、そんな事件は滅多に起こらないから安心して。それに──」

 カナは俺に向かって微笑む。

「あなたが危ない時は、わたしが守るから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る