第四章・予告

第四章・その1

 日曜日は主に先輩達との雑談で過ごし、新横浜駅まで出て、名古屋へと帰る二人を見送った。そして月曜日。

 あわよくば休みだったかもしれないが、鑑識作業はスムーズに進められたようで。ほぼ平常通りの授業だと連絡網が回ったらしい。らしい、というのは昨日カナから教えてもらうまで知らなかった訳で、刑事である母さんはともかく父さんも休日出勤で土日とも家におらず、唯一家にいるはずだった妹も独りは嫌だったらしく友達の家へ遊びに行っていたそうだ。それゆえ留守録も機能しておらず、連絡が取れる状態ではなかったので仕方がない。連絡網の一つ前、鈴木 久光には今度謝っておかないと。

 カナはいつも通り俺の家に寄って、装備を付け学校へ行く。まるで先週金曜日が戻ってきたかのような時の流れ。校門が開くと俺達は西の昇降口へと向かった。正面玄関に水島副校長はいない。カナが「同じ轍を踏んだら任意同行」と言っていたけれども、この様子からして水島副校長の逮捕はまだ先のようだ。

 それを確認した直後、無線が入る。

『神奈川本部よりCPへ。科学捜査研究所かそうけんより分析完了との報告、端末を参照せよ』

 カナと俺は小走りで「東昇降口」から北側校舎に入り、脱いだ靴を持って廊下へ。そのまま俺達の教室「一年四組」に入る。

 カナはカバンを自分の席へと置いた後、スカートのポケットから携帯電話型の捜査情報端末を二つ取り出し、一方をポケットに戻した。手に持ったままだった方を操作し、無線で指示された情報を取り出す。

「接着用のりの成分分析では、職員室内のコピー機付近にあったスティックのりと封書ののりの成分がほぼ一致。封筒・のり共に指紋は複数検出されていて、手がかりにはなりそうもない。紙の材質は──室内のコピー機で使われているものと同じ。トナーも一致。よって内部犯の可能性が大分、高くなったわ」

 俺にそう教えてくれた後、カナは胸元から無線用マイクを引っ張り出した。

「こちらCP、確認しました」

 カナの声は耳のイヤホンからも聞こえた。この声はつまり、無線にも流れているということだ。

『神奈川本部、了解。以上交信終了』

 カナに応える声は何となく、田崎管理官のような気がした。

 CP用のスーツケースと靴を持って教室を出、西昇降口で上履きを履き靴を下駄箱へ。そのまま西側の渡り廊下を通り職員室へ。

「失礼します」

 いつも通りカナが言う。部屋に入った印象は、今までとそう変わらないような気がして、しかし事件の影響か少し緊張しているような空気も感じる。例のごとく校長先生は近くにいた。

「金曜日はご苦労だったね」

 今日は校長先生の方が先に口を開いた。

「いえ、当然のことです。それで今後なのですが、来週の金曜日──つまり合唱コンクールまでの二週間はCPとしても警戒レベルを大幅に引き上げ、万が一に備える方針です」

「この前大丈夫だったんだから、今後も問題ないんじゃないか?」

 カナの言葉に異論を唱えたのは、水島副校長。それについては予想の範囲内。

「水島副校長の言う通りですよ」

 だが校内ナンバースリー、教務主任の元木先生までが同調したので、それはカナにとっても驚きだったらしい。小さく「え」と声が漏れる。隣にいる俺にしか聞こえないほど小さく、だが。

「つまり警察サイドとしては、この二週間に集中している学校行事を中止せよと言う訳ですね? そんなことして見て下さい、保護者から苦情の嵐ですよ」

「いえ、そんな権限はわたしには……」

「そもそも『子ども警察官』ですっけ? そんな組織が必要なほどこの学校は荒れてなんかいません。金曜日の事件だって大ごとにして、一体何の存在価値があるんですか? おまけに労働基準法や地方公務員法をまるで無視、違法だらけの紛い物じゃないですか」

 ここまで言われて、カナが我慢出来るはずがなかった。攻守交代である。

「現在『子ども警察』制度が導入されている愛知県内の六校のいずれも、極端に荒れているということはありません。それに金曜日の事件、あれ以上に有効な手立てがあるのでしょうか。爆弾が発見されなかったのも結果論ですし」

「爆弾があるのを確認してから──」

「リミットまで二十分、犯人との連絡も取れないという状況で、まさか生徒を教室に残したまま爆弾の捜索を始めるとでも? それはパニックを引き起こします」

「そ、それは──」

「あと、地方公務員法に年齢規定はありませんし、労働基準法についても適法の範囲内であると、裁判所の判例も出ています」

「……どうやっても君に勝てそうな感じはしないな」

 教師にそこまで言わせてしまうのは、やっぱりカナだからな。理論武装は固い。

「まあここは安江さんの言うことがもっともだよ」

 校長先生も加勢し、元木先生も黙る。

「さて、学校側としてはどのような対応を取っていくべきなのかな、安江さん」

 校長先生の問いにカナは一呼吸置いた後、答える。

「はい、現在次の犯行予告が来ている訳ではないので、郵便物チェックを念入りに行ってほしいということと、もう一つ、可能ならば電話の即時録音体制、これをして頂けたら万が一の際の捜査が効率的に行うことが出来ます。学校行事については中止を勧告する段階ではありませんが、特に土曜日の文化祭については注意が必要です」

「それは、何故ですか?」

 窃盗事案の時はカナを半泣きにさせた高橋先生が尋ねた。カナはすぐに返答する。

「不特定多数の人間が自由に動き回れる環境が実現する、犯人側にとっては非常に好都合な日だからです」

 教師達はやっと、土曜日に行事を行うことに対する、潜在的危険性に気付かされたらしい。周囲からざわめきが感じられる。

「この学校にはCPがいる、自分達でいうのもなんですが、それは非常に幸運だったのかもしれません。初動が迅速に行えるという点で。必ず次はあります。決して油断しないでください」

「わかった、頭に入れておくよ」

 その校長の言葉を聞いてカナは少しだけ微笑み、いつも通り俺の腕を引っ張って職員室を出たのだった。

 部屋を出るとカナは俺を離す。一緒に教室へと戻り、他の生徒がまだいないことを確認してから、ようやくカナは口を開いた。まあ、内部犯がいる可能性が高い以上万全を期す必要がある訳で、俺が同じ立場でも警戒していただろう。

「先輩達の読みは明日以降ってことは聞いてたよね?」

「ああ」

 昨日、藤枝先輩達は大胆にもこの事件の経過を予想してくれた。当たれば「伝説」の名がますます強まることになるが、それによると第二の予告は火曜日以降、犯行は土曜日とのこと。「私達が関われば事件は必ず解決するから!」とは森岡先輩の弁だが、カナの反応を見ている限りあながち嘘でもないと思われる。

「今日も念のため警戒態勢は解かないけど、本当の勝負は明日。『昨日は何も起こらなかった』という心の隙と、犯行日を引き伸ばして心の隙を広げるというバランスが取れる、犯人側にとっては絶好の日だからね」

 その言葉通り月曜日は何も起こらず、朝に金曜日の事件を説明するための全校集会が開かれたこと以外は、通常の時間割がその通りに進んでいった。


  * * *


 動きがあったのは、カナをはじめとするCPの予想通り、翌日になってからだった。火曜日の、十二時四十分頃。四時間目の授業である数学も終わりがけになった時、突然カナが首を起こし、左耳に手をもっていく。それは集中して無線を聞こうというサイン。表情も真剣な、緊迫した雰囲気へと変わる。俺の取るべき行動を、それは示す。「無線を聞け」だ。

 俺は腰に付いている無線機を起動させ、左手の袖にあらかじめ通してあるインナーホンを引っ張り出した。左耳にそれを付けると同時に、周囲から判らないよう手で覆い隠す。耳からは音質の悪い、警察無線の交信が入った。

『──繰り返します、神奈川本部より浜浦及び神奈川CPへ連絡。現在一一〇番入電中、犯行予告状が届いたとの通報。場所は蛯尾浜市立中部中学校。関係各所は対応に当たって下さい。──』

 ちょうどいいタイミングで四時間目終了を知らせるチャイムが鳴った。俺とカナは、号令に従って礼をするとすぐにスーツケースを手に取って教室を飛び出し、早足で「現場」へと向かう。先週・今週とも給食当番に当たっていなかったのは不幸中の幸いだった。

 転校してきてからもう一週間、しかも毎朝足を運んでいたので、さすがに俺の案内なしでカナは職員室にたどり着く。部屋に入るなりカナは入り口近くの空いている事務机にスーツケースを置き、その中から白手袋を取り出し両手にはめた。その手で校長先生から封筒を受け取った。中身を出して広げるまで、まるで流れるように。自分が一通り目を通した後、カナは俺にもそれを見せてきた。



今日から九月末までの某日、貴校に何かしらの犯行を仕掛ける。生徒の安全は保障出来ない。未然にその犯行を止めたければ九月十八日火曜日までに現金九拾六萬円を横浜市営地下鉄横浜駅にある電子鍵式コインロッカーに入れろ。入れるロッカーは402番、暗証番号8811で開け、暗証番号3923で閉めること。警察に通報すれば、金の有無に関わらず

取引は不成立とする。以上



 A4サイズの紙に、縦書きの文章がワープロによって打ち込まれている。紙の材質については前の予告状よりも上質なもののように感じた。

「予想通り、来たわね」

 カナが独り言のように呟く。何かを考えるように一旦目をつぶり、そして再び目をあけるとその顔は、警察官そのものになっていた。

「とりあえず、これを見る限りでは来週火曜日まで安全って訳だよな」

 水島副校長がカナに、確認するように尋ねた。しかし、カナはすぐには答えない。いや、一人では確信が持てなかったと表現した方がいい。少し待って下さいと俺を連れて職員室を出ると、小声で聞いてきた。

「現金を受け取るのは来週の火曜日、でも犯行予告の範囲は今日からって……。単に現金を要求しているだけなのか、それとも犯行は十九日以降に実行すると脅迫してるのか……。浩和はどう思う?」

 俺にはどうしても気になる点がある。それは一応、文化祭の日も犯行予告の範囲には入っているということ。そこに意図というものが感じられて頭から離れない。だから俺はカナに言った。

「偽の犯行予告まで出してくる奴らが、『ただのミス』をするのか?」

 それを聞くと、カナは何か重要なことに気付いたかのように顔を上げる。

「そういえば予告状には、お決まりのフレーズもあったけど、それが何かを意味するとしたら……」

 少しの間カナは考え込む様子だったがすぐに「警察官としてのカン」が働いたようで、胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出すと情報の整理らしきことを始めた。そのペン先は決して止まることはなく、ただただ帳面にインクを載せていく。そのペン先が止まったと思うと、捜査情報端末を取り出して何やら調べ、メモ帳のページをめくってまたペンを走らせる。結局四ページ程を消費した後、カナは俺に自らの推理を説明し始めた。

「例えば職員室の誰かが犯人グループと関わりを持っていたら、警察に通報したことが相手に筒抜けになる。また今回の場合、一一〇番通報が県内系に流れた。それは通報の事実が県全域に伝わったということ。受信範囲に犯行グループと関わりがある警察官がいれば、やはり情報は筒抜けよ。前者の可能性は高いことを考えれば、この予告状は矛盾なく成立するわ」

「それは、内通者がいるってことじゃ。下手したら、警察内部に」

「ええ、そうよ。ただ一斉通報を受信出来る関係者は膨大な数になるから、絞り込みは困難になるけど」

 一拍分置いて、カナは再び口を開く。

「後で先輩にも確認してもらうけど、そのどちらかの線で通報の有無を確認してから身代金受け渡しをすると思うの。手元の捜査情報端末で確認できた範囲では、犯人の要求通りに応じ、事後通報したケースと、警察に通報した上で身代金受け渡しに応じたが、何も起こらなかったケースの二パターンに分けられる。それが犯人のやり方よ。万全を期す、ね」

「じゃあこの学校が襲われることはない、ということか?」

「今までのケースから考えれば、そうなるわね。でも油断は禁物よ。どう犯人の気が変わるかは判らないから」

 それを聞いて少しだけ安心した。前例からとはいえ、一応の安全は保障されたのだ。俺自身、CPになってから日も浅い。いきなり重大事件に対処するということになったら、大きなプレッシャーがかかる。

「とりあえず田崎管理官に連絡して、その後浜浦署の刑事が来たら一旦教室に戻るわよ」

「え、捜査はしないのか?」

 俺にとってそれは意外だった。カナのことだ、このまま捜査を続行すると思っていたのだが。

「わたし達は警察官である前に中学生よ。当然、可能な限り義務教育を優先させなきゃいけないわ」

 強い口調で、カナは言う。

「それに、今回の件はCPにとって大きすぎる。これは『大人達の』警察に任せるべき事件よ」

 カナは田崎管理官と連絡を取るため、捜査情報端末を操作し始めた、カナの言うことはもっともだが、何故か俺は大人に任せることに対し不安を感じてもいる。その不安に根拠はなく、言ってみれば俺なりの「カン」である訳だが。

 カナがこれから使おうとしているのは「捜査情報端末」に搭載された独自の新方式無線で、システム運営を所管する部署名を取り「捜査センター無線」と呼ばれているらしい。カナの説明によるとこれは今までの無線と併用する前提で開発されていて、画面上に表示された相手を選択して呼び出すという、電話にも似た方式である。ただ電話とは異なり接続可能状態でなければ名前は表示されず、また一般的には普及されていない多数での同時会話も実現されている。

 端末の画面でカナは「捜1・田崎管理官」を選択する。ここからは普通の無線を使う感じで、カナは端末を持つ。俺にも聞こえるよう配慮したのか、音声出力はスピーカーからだ。

「本部CP安江から捜一、田崎管理官へ」

『──こちら捜査一課、田崎。どうぞ』

 聞き覚えのある声が、返ってきた。音質的に、普通の無線よりもクリアで聞き取りやすい。

「例の事件について動きがありました、どうぞ」

『一一〇番受理までは確認済み、どうぞ』

「予告状の内容を確認しました、どうぞ」

『了解。都合が付き次第、そちらへ向かう。とりあえずデータ通信で予告状の文面写真と、君達なりの見解をこちらに送っておいてくれ』

「了解です、どうぞ」

『以上交信終了』

 カナは終話ボタンを押して無線交信を終了させた後、職員室へと戻る。

「結局、文化祭は安全か?」

 水島副校長が聞いてくる。

「結論からいえば、半々と言った所でしょうか。単純なミスと考えるのも早計ですし。警戒するに越したことはありません」

 カナは予告状を広げ、捜査情報端末で写真を撮る。何枚か撮り終えた頃になってようやく、浜浦警察署の刑事達が学校に到着した。

「では予告状の管理、お願いします」

 職員室に入ってきた刑事達に対し、カナは畳んで封筒に戻してから予告状を差し出す。一番先頭にいる黒色の背広を着た刑事は白手袋をポケットから出してはめてから、それを受け取った。

「じゃあ浩和、戻って給食食べないと」

 俺は何かが気になるような気がしていたのでもう少し留まっていたかったが、カナに腕を引っ張られ、半ば強引な形で職員室を後にした。

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