第三章・その2
吉永刑事の言葉通り、正門前には黒塗りのワンボックスカーが停まっている。カナは迷わずそれに乗り込んだ。
「CP、到着しました」
中にいるのは中年ぐらいの男性。当然、スーツ姿。胸に付けている名札に、「浜浦警察署刑事課・課長」の文字。彼は初め驚いた様子で、しかしすぐに状況を察して優しい笑顔へと変わって俺達を出迎える。
車内中央は後部座席が取り外され、大きな机が取り付けられている。リア側には「浜浦警察署」と書かれたコーンなどの備品。運転席とはカーテンで仕切られ、窓に貼られたスモークと共に外部への目隠しの役割を果たしている。天井には大型の無線機が所狭しと取り付けられ、そのマイクは宙吊りの状態。
「予告時刻は無線の通り一四三〇、予告状は回収済みです」
カナは右手に持っていた封筒を差し出す。刑事課長はカナと同じような白手袋を背広から取り出してはめ、受け取った。中身を確認するとすぐに、足元に置いてあった透明アクリル製のケースに入れる。
「確認した。生徒達の避難が完了した後、すぐ爆弾捜索を開始する。それまでに各階の見取り図を書いてはくれないか」
「了解」
カナは机の上に置かれていた黒色サインペンを手に、同じく敷かれている真っ白の模造紙へ線を引き始めた。迷いなく、正確に。わずか一週間で学校の構造をほぼ把握しているのだ。まあ、カナならそんなこと、何てないことだろうが。さすがに教室の用途までは把握し切れておらず、その部分は俺が補足しながら仕上げていく。
避難完了の報告の無線が入るのとほぼ同じタイミングで、校舎の見取り図は完成した。
「手間をかけて申し訳ない」
刑事課長は一言言い、天井からぶら下がるマイクの一つを引っ張って口元へ。
「指揮本部より各捜査員へ。これより捜索を開始。各班の担当は打ち合わせ通り。各教室の捜索を終えたら逐次報告。
ついに、捜索開始の指示が出された。ふとカナの方を見ると、いつの間にやらテープらしきものを何巻か持ってきている。
「規制線張ってきます」
カナはそう言って飛び出すが、すぐに止まり
「ほら、浩和も!」
俺の腕を掴んで、走り出す。
カナは正面玄関の前で立ち止まる。
「あ、ごめん、ちょっと持ってて」
持っていたテープを俺に預けると、スカートのポケットの中を探っている。そして取り出したのは、眼鏡ケース。二つを一緒に取り出し、一つを俺に差し出す。
「はい、伊達メガネ」
「何で?」
当然、伊達眼鏡は装備のはずがない。だから手渡される意味がいまいち解らなかった。でもそこはカナ、解説はちゃんとしてくれる。
「ほら、メガネのあるなしだけでも印象って変わるでしょ? 少しでも正体バレを防ぐためにって、先輩が用意してくれたの」
確かに橋野さん──いやミキが、中学に入るのと同時に眼鏡からコンタクトレンズにした時は、最初ミキだと気付かないくらいだった。既に半年が過ぎているが、それでも時々ミキがいることに気付かなかったりする。逆も然りってことだな、つまり。
「因みに警察仕様の特注品だから、失くすと高くつくわよ?」
まあ、さすがにこれは冗談だろう。
ケースを開け、眼鏡を取り出す。プラスチックフレームに同じくプラスチック製のレンズという、デザインにこだわらなければ百円ショップでも売っていそうな代物だ。
カナも俺と同じような眼鏡を掛けていて、その姿は少し違和感があるが似合っている。
「さて、仕事しよっか。一つ貸して?」
このテープ、よく観察すると黄色地に黒文字で「立入禁止」やら「神奈川県警」やら書かれている。事件現場からのテレビ中継で時折映る、あれだ。
カナはある程度の長さを作ると、運動場と校舎の境に並んだ木の一つにその端を結びつける。そのままテープを引っ張って、今度は玄関脇にある南洋植物らしき木の所まで延ばし、テープについているカッターで切って結びつけた。これで「規制線」の完成である。ちなみにこの規制線用のテープ、実は二種類あってそちらはテープの中に紐が入っていて丈夫になっているらしい。今回使ったのは純粋にテープの方だったが。
「玄関はオッケー、と。さあ次」
慣れた手つきで。カナは続々と規制線を作り出していく。北門、北校舎体育館口、体育館、東昇降口、中庭の東西、校舎北側・給食用トラックの出入り口、配膳室トラックヤード、西門の順に「封鎖」。移動指揮車と校舎を挟んで反対側に当たる所までたどり着いた。ここからは運動場に避難している生徒達の姿が見える。運動場の南半分、避難訓練通りに列を整えていて、訓練って実際に役立つのだなと感じる瞬間だった。
「さて、戻るわよ?」
俺達は西門に張ったテープをくぐり、公道へ。校舎北側に出るとその道は、警察車両が並んでいた。白黒パトカーが中心だが、おそらく機材の運搬用であろう、トラックも一部混じっている。その車群に釣られてか、野次馬も集まり始めていた。歩道は封鎖され、制服を着た警察官が交通整理をする。
歩道を通り移動指揮車方面に戻っていると、北門付近に変わった車両が見かけられた。紫色に着色され、大型の円形タンクを積んであり、またアームのようなものも付いている。
「爆発物処理車ね。液体窒素で凍らせて、処理するの」
カナが俺の視線に気付き、教えてくれた。なるほど、人の手で解体する訳ではないのか。
「ドラマはドラマ、現実は現実。人の手で解体せざるを得ない状況でも、生身ではやらないわよ?」
現実的というか、夢がないというか。
北門から再び規制線をくぐり、校内へ。ちょうど最初に作業を行った正面玄関付近に差し掛かったとき、正門に異変があった。カナはそちらをじっと凝視している。俺の視線も同じ方向へ行き、そして見えたのは、青と白で塗り分けられた大型バスが正門をくぐる様子。そのバスは俺達のすぐ近くにある、運動場へのスロープを、ボディーを傾けながら降りていく。スピードを落とさず、しかしどこにも接触せずに走り抜けるのは圧巻としか言いようがない。
そのバスは運動場の真ん中付近で急旋回する。校舎側に膨れ、その車体は倒れるのではないかと思うほど斜めになる。Uターンをする形で方向を変えると、校舎とバスが平行になる形で停まった。中からは、透明の盾を持ち紺色の服とヘルメットに身を包んだ男達が続々と降りてきて、生徒を守るように並ぶ。「待機!」と怒声が飛び、隊員達は盾を置いて直立。もし南側校舎で爆発が起こった際、生徒を守るための態勢であろう。
「まさか機動隊の一個小隊がやって来るなんて……。まあ時間は
俺に教えるように、カナは呟いた。さすがに機動隊まで出動するとは予想していなかった様子。と言っても俺は、どんな基準で機動隊出動となるのかなど、全く知らないのだが。
「そろそろ戻るよ」
カナの声が掛かるまで俺は、子ども警察官という仕事を忘れ機動隊の揃った行動に見とれていた。
* * *
「
正門近くに停まっている、本部代わりのワンボックスカーへ戻ると、刑事課長が無線で新たな指示を出している所だった。カナはタイミングを見計らって、話しかける。
「機動隊
刑事課長は無線用マイクのスイッチを切ってから、返す。
「了解。
「了解」
ふと机に敷かれた地図を見ると、まだ半分近くが未捜索のようだった。時間の制約があった故、仕方がない。
「職員室に関しては現場保全の措置を取った。しかし、何故なのか問いたい」
刑事課長は当然の疑問をカナにぶつけてくる。カナは臆することなく、すらすらと答える。
「紙の材質、印刷方法などを考慮すると内部犯行の可能性があるからです。糊付けされているところから手がかりが得られる可能性もあります」
「ふむ」
「例えば糊の成分鑑定をして職員室内の物と照合していけば、内部犯行が裏付けられるかもしれません」
カナだから当たり前のように答えるが、普通の中学生でここまで推理していくのは困難だろう。きっと、推理する以前の段階でパニックになる。まあ、それから考えると俺だって普通ではないのだが、それはカナが隣にいたからで。
『吉永警部補より刑事課長へ、全員退避完了しました』
無線が入り、刑事課長は所轄の指揮へと一旦復帰する。ほぼ同時のタイミングで、サイレンの音を大きく鳴らした覆面パトカー十数台が列をなし指揮車の近くを通過。それらは運動場の方へ抜け、間もなく何十人もの背広姿の刑事がこちらへ戻って来る。その表情は厳しく、かつ勇ましい。
「捜査一課、及びSTS
「これより指揮権を県警刑事部へ移行、浜浦署会議室に設けた警備部との合同指揮本部にて捜査一課長が統括指揮を、ここ現地本部にて私、田崎管理官が現地指揮を行います」
刑事達の言葉に、刑事課長は黙って頷く。そして
「
左手に付けた腕時計を見ながら、淡々とカウントする。
「──三、二、一、三十分」
予告時刻。口に出さなくても判る、いや、口に出すことは出来ない、この緊張した空気。じっと校舎の方を睨みつける。だが、爆発音や火災報知器の甲高い音は聞こえない。
「三十分、十秒──」
その間も、刑事課長はカウントを続ける。一分、二分と経つが動きはなく、ついに先ほど「田崎管理官」と名乗った男が口を開ける。
「状況はグレー、
「管理官、CPから報告が」
刑事課長が口を挟み、指示は中断した。
「了解。ではCP、報告せよ」
田崎管理官に応えたのはもちろん、カナ。
「予告状に使われている紙の材質が、学校内で通常使われているコピー用紙と類似しているように感じられます。またその紙の材質が少々劣悪なのにも関わらず文字の滲みがないことから、レーザープリンタもしくは一般コピー機等で印刷された物と考えられます。封筒に糊付けがされているため、それを調査するのが妥当かと」
「了解。内部犯行の可能性があるため、強行犯六係は職員室の捜索に専念せよ。その際全ての接着用糊を回収し、
即時理解、そして即時決断。権限があるからこそ可能なのだろうが、それが出来るのはかっこいいと思う。カナもカナで、彼を憧れの眼差しで見ているようだった。
「以上で指示を終える。時間まで待機せよ」
最後に締めると、田崎管理官はワンボックスカーの中へと入ってきた。
「CPのお二人さん、手伝ってくれるかな」
そう、俺達に声をかけて。
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