第五章・その3
ドスの聞いた男の声がスピーカーから流れ、廊下が静まり返る。一時の沈黙が場を支配した後、怒濤のように生徒・一般客達が出入り口方向へとなだれ込む。カナは俺の腕を掴みつつ、流れを外れ適当な教室へ飛び込んだ。二年五組教室、劇をやっていたらしく窓には黒色のビニール袋が張り付けられており、一時的に退避するには適した環境である。
カナは左袖からリモコンを取って口元に近づけ、
「CPより各局へ。蛯尾浜中部中で事件発生、種別は立てこもり。一般客、生徒は避難中。犯行グループは『カミヨノシズク』と名乗っていて、放送室、職員室は確実に占拠されている状況」
俺もリモコンで一番のボタンを押し、無線の指示を聞く。カナは指示を待っている間に警棒を腰に付けるなど、装備を整えていく。
『浜浦特捜よりCPへ。状況了解。至急機捜一を派遣して現地本部を設置する。CPはそれまで時間を稼げ。以上』
この声はきっと、野並管理官である。続いて、
「神奈川捜査十一、
という交信。カナは少し微笑み、
「CPより捜査十一、どうぞ」
と返した。
『状況了解、至急引き返す。機器を活用して至急、犯行グループの居場所確認をするのでそれまで待機』
「了解です」
カナは袖口にリモコンを戻し、スカートのポケットから眼鏡ケースを取り出す。眼鏡をかけるとカナは指示を出す。
「浩和、県内系は一旦切っておいて。電池節約のためにね」
指示に従い俺は一番のボタンを押し、無線を切った。しばらくすると
『田崎管理官よりCP両名へ』
捜査センター無線の方で、交信が入ってきた。
『犯行グループは職員室内に三人、北校舎一階廊下に二人、二階と三階に一人ずつ。南校舎では一階に三人、二階に一人、三階に二人。全員マシンガンらしきものを持っているので注意が必要。なお、各教室についてはまだ未確認。全員、口元にバンダナを巻いている』
「CP了解です。北校舎二階の人物は今どこに?」
カナが尋ねると、
『二年三組の前を西に向かって歩いている』
と返答。つまり、こちらに向かって歩いてきているということである。
「わたし達は現在、二年三組にいます。カウントダウン、お願いします」
カナは右手で、腰に付いている伸縮警棒を取り、振り下げて三段階伸ばす。
『五、四、三、二、一、ゼロ』
それを合図にカナは左手で勢いよくドアを開け、怯んだ犯人が銃を向ける前にその右手を打つ。その痛みで犯人がマシンガンを取り落とした所を狙い、もう一発を首筋へ。完全に戦意を喪失した所で両手を後ろに回し、腰から手錠を取って掛けた。
「九時三十一分、銃刀法違反で現行犯逮捕。二年五組に身柄を留置します」
カナが左手のリモコンに向かって言うと、
『了解。出来るなら手錠は回収して、紐のようなもので拘束するように』
田崎管理官が無線で応える。その指示に従って俺は教室を探り、前の戸棚にビニールひもがあるのを発見した。同じ所にはさみも入れてあり、それらをカナの方へと持っていく。カナは被疑者を一旦教室に入れた後に口に巻いていたバンダナを詰め、その後一旦廊下へ戻ってマシンガンを拾い上げ、被疑者へと向ける。被疑者はじっと、カナの方をじっと見ている。
「やはり、これモデルガンね。SATの訓練でMP5は見たことあるけど、それにしては不自然だと思ったわ。あなたが頭を逸らさないのが何よりの証拠だしね」
カナはそう話しかけた後モデルガンを床に置き、俺からビニールひもとはさみを受け取る。手首に対し八の字状に何重にも巻き付け、仕上げにそのひもを腰に巻き付け縛る。靴を脱がせ、足首も同様にする。その後手錠を外し、腰へと戻す。
次に、カナは残りのビニールひもを適当な長さへと切っていく。確認されているだけでも十二人、一人一人掛けたらとても手錠は足りなくなってしまう。手首用、足首用と長さを分け、十五人分を作る。
その作業が終わり俺達はやっと、教室を出た。渡り廊下を通り、南校舎二階へ。監視役が背を向けている隙を見計らって西端の化学室へ飛び込む。理科部の発表が行われていたので鍵は開いている。そこから理科準備室へ抜けるとカナはY字型の試験管を取り、俺に見せてきた。
「それで一体、何をするんだ?」
俺が聞くとカナはニヤリ、と歯を見せて微笑み、
「簡易爆弾よ」
とんでもないことを言い出した。
「片方に濃い硫酸、もう片方に少量の水を入れる。前に先生が教えてくれたように、硫酸は水に溶ける時、大量の熱を出すの。それこそ、水が沸騰してしまうくらいにね。水が液体から気体に変わると体積は一〇二四倍、それに加え、薄い硫酸に浸されると水素を発生するマグネシウムを入れて栓をしたら?」
「試験管が、破裂する訳か」
「正解。ゴム栓が吹っ飛ぶか、ガラスが割れる。簡単なスタングレネードね。そちらに注意が逸れた所を、捕まえる」
「違法、ではないのか?」
「銃を持っている相手だし、殺傷能力も高くない。正当防衛の範囲内よ」
そこまで言うのなら、そうなのだろう。妙に説得力があったので信じることにした。
カナは「薬品庫」と書かれた金庫のようなものから、「濃硫酸」とラベルが貼られた瓶を取り出し、Y字型の試験管(二また試験管というらしい)十本の片方へと注ぎ入れる。少しドロっとした液体だ。もう片方には白いプラスチック製容器に入っていた「蒸留水」らしき液体を、硫酸に比べると半分位の量まで入れ、そちらに適当な長さに切ったマグネシウムリボンを投入していった。
その後カナは田崎管理官に連絡を取る。
「CP安江より田崎管理官へ。南校舎の見張りはどこにいますか」
『田崎よりCPへ。コンピューター室前を東に進行中』
今いる理科準備室から見ると、物理室、会議室、コンピューター室と部屋が並んでいる。距離的には割と近い、といった所か。カナは了解、と無線で伝え、試験管を持ったまま物理室へ。物理室後方、見張りに近い方の扉は内鍵式なので、音があまり立たないよう、そっと開ける。
「さあ、行くわよ」
カナは試験管一本を残し、残りは壁に立てかける。持ち続けている試験管は、俺が運んできたゴム栓をしっかりつけ、ふたをした。
引き戸を開けると同時に、カナはブーメランのように回転させながら試験管を床に滑らした。試験管は見張りの靴へと当たり、彼は振り返る。何だろう、といった様子を見せ素手で取ろうとした、その時。
内圧に耐えきれなくなった二また試験管が破裂し、四方八方へとガラス片が飛び散った。その破片の一部は当然、犯人の顔へも向かう。反射的に腕で顔を守ろうとしたその瞬間を狙って、カナは廊下へと飛び出した。走りながら左手で警棒を振り下ろして伸ばし、見張りの方へと一直線に向かう。だが彼はすぐに立ち直り、カナの方へと持っていたマシンガンを向けた。カナはその正面にいる。危ない、と俺も飛び出そうとした時、カナは跳んだ。左斜め前へと跳んで廊下の壁を蹴り、半回転して右足を犯人の顔面に踵落とし。反作用を使ってそのまま再度飛び上がって後ろへと下がり、犯人と対峙する態勢をカナは取った。反撃に備えて警棒を横に構えるが、犯人は起き上がって来ない。どうやら、顔面直撃が効いたようだ。慎重に、カナはポケットに入れていたビニールひもで手足を縛る。
「手伝って」
カナは俺を呼んだ。気絶した見張り役を部屋の中に引きずりながら運び、口に巻いていたバンダナは、先ほどと同じように口の中へと押し込まれる。
「あれって、子ども警察官は皆出来るものなのか?」
ふと、カナに聞く。アクション映画さながらの逮捕劇なんて、自分が出来るようになれるとは考えられない。すると、カナは苦笑いしながら答える。
「あんなこと、普通の警察官でも出来ないわよ。わたしは『あの二人』に教えてもらっただけ」
あの二人、『伝説の子ども警察官』の二人は何者なのか、ますます解らなくなってきた。
* * *
「じゃあいくよ、三、二、一、今!」
北校舎一階、西階段前ホール。ここに防火設備の操作盤が設置されており、今カナが押したのは防火扉の動作スイッチ。北校舎の随所に設置された鉄製扉が解放され、廊下が一つの空間から複数の空間へと分割されていく。隠れながら移動する俺達にとっては、その方が条件がよい。扉の向こうも監視カメラの映像である程度把握出来るので、犯人側より格段に有利になったと言える。
『現地本部、田崎よりCP両名へ。職員室にSTSが突入、無事制圧した。なお監視カメラ映像によれば、主犯と思われる男が北校舎三階、三年二組にて人質を取り立てこもっている模様。人質は校長と推定される。CP両名は北校舎三階まで上がった後、待機』
合わせたかのように事件解決へのプロセス実行と指示を含んだ無線が入ってくる。
「了解!」
待ってました、と言わんばかりにカナは階段の方へと走り、駆け上る。三階に着くとさっと壁の方へ隠れるようにして寄り、
「田崎管理官、敵側の状況は?」
左袖を口元に近づけ、無線に話しかける。監視カメラ映像を確かめるための少しの間があった後、田崎管理官からの通信が入る。
『現在、三年二組へと各人が移動中。南館三階の二人は東渡りを使用、一階の三人はSTSが取り押さえた。北館二階の一人がそちらへ向かっている。北館三階にいた見張りは配膳室エレベータに乗り、おそらくは逃亡を図る様子』
当然、俺達は来るはずの敵に備えた。そして姿が視認出来たその瞬間、カナは俺の腕を引っ張り犯人の方へ向かっていく。相手も気付いたか銃口をこちらへ向けてくるが、ここでカナが投げたのは例の簡易爆弾ではなく、特殊警棒。手首のスナップを生かして投げ付けられたそれは縦に回転しながら目標へ向かい、見事に犯人の顔面を直撃した。ここでカナは俺の腕と持っていたスーツケースを離し、そのまま階段へとダイブ。見張り役に向かって飛び蹴りを食らわし、いとも簡単にやっつけたのである。正直言って、男としての立場が(今のところは)ない。
「で、この被疑者はどこかに置いておくとして、その後はしばらく待機ね。STSの本来業務は交渉なんだから、ややこしいことがなければその班が来ると思う」
投げ付けた警棒を回収し、手首と足首を縛りながらカナは言う。俺は袖口に付けたリモコンの一番を押し、県内系の警察無線が聞けるようにしておいた。
『神奈川本部より各移動へ。浜浦署管内、蛯尾浜中部中学において立てこもり事案が発生中。管内周辺の各移動は万が一に備え警戒走行せよ』
『神奈川機動四より浜浦対策本部へ。
「機動隊が今頃? ──なるほど、SATが」
カナが呟くように言う。
「サット?」
「SAT──特殊急襲部隊。ダッカ事件を契機に創設され函館空港で初めて公に姿を現した、ハイジャック対応を主とした対テロ特殊部隊のことよ」
教えてくれるカナの顔は、不安に満ちていた。無線を切り、俺は尋ねる。
「対テロ部隊が来たってことは、有利になったんじゃないのか?」
「警察が一体なら、ね……」
カナの言葉で、俺は思い出した。偽予告状事件後の、警察庁警備局長の発言。
「指揮権は、刑事部か!」
捜査指揮を取っているのは捜査第一課・野並管理官。つまり刑事部の人間だ。職員室を制圧したSTS、これも刑事部所管。対する機動隊は警備部の所管である。STSとSAT、二つの特殊部隊が同時に存在している状況で対応をどちらに任せるのか。難しい判断を迫られるなか、果たして決断出来るか。
「どの立場にも属さない人間の介入がなければ、おそらく動かせないわね。上──警察庁は再びSATが殉職する事態を避けようと圧力を掛けてくるだろうから、キャリアでかつ警備部門出身の県警本部長もあてにならないわね。出世街道邁進中だから、余計に」
カナの出す結論は、何となく俺にも予想できた。
「地域部の俺達が、この状況の突破口になれ、と?」
カナは頷く。
「野並管理官のことだから、所轄は一切排除してるはず。それも裏目に出たわね」
再び県内系警察無線のスイッチを入れると、状況はカナの予想通りだった。
『渋谷部隊長、職員室より北館三階へ移動せよ』
『いや、現場にはSATを行かせる。STSは待機』
『待機はSATだ!』
『かまわん、SATが行け!』
『指揮権は刑事部にある!』
どうやら、野並管理官より上の人間が喧嘩をしているようだ。カナは大きくため息をつき、そして「捜査センター無線」を入れる。
「田崎管理官、CPの突入許可を求めます」
『駄目だ、許可出来ない』
即座に返答がある。立場上、そう言わざるを得ない事情もあるだろう。しかし、カナは続ける。
「今の状況で、迅速な解決は期待出来ません。去年四月、同様の事案で愛知県警CPが突入し、無事解決していることからも、CPによる対処は不可能ではないと思われますが」
『しかし、今回は規模が違う』
「事案は、同じです」
『だが、なぁ……』
渋る田崎管理官に対し、未だ混乱状態の県内系無線に対し、カナは呼び掛ける。
「STSとSAT、それかCP。誰が突入するか決めるのは、現場にいない人達なんですか、田崎管理官?」
喧嘩状態になっていた県内系無線の交信が、ピタリとやむ。皆が皆、田崎管理官の判断を待つ状況になっていた。時間にしたら十秒ほどだろう、しかし長い長い沈黙の後、
捜査第一課管理官・田崎警視は、命令する。
『現地本部・田崎より各局へ。STSは南校舎及び北校舎の一階・二階を完全制圧せよ。なおCPが拘束した被疑者の連行も頼む。SATは三年二組への突入準備を行え。そしてCPは──』
数秒の間。カナは息をのむ。
『CPは、北校舎三階の東西階段間を制圧。その後可能ならば、三年二組に突入せよ!』
背筋がしびれるような命令とは、このような命令のことをいうのだろう。カナも小さくガッツポーズを見せた後、金属製の防火扉を押して開ける。
「それは置いといていいから」
カナは俺が持っている二また試験管を指す。指示通り、その「簡易爆弾」はホール部分の壁に並べ立てかけておいた。
カナに続いて防火扉の内側に入る。三年二組があるのは東階段の向こうなのですぐ突入、という訳ではないが、もしかしたらカメラの死角に敵が潜んでいるかもしれない。警戒しながら俺達は進む。多目的室、少人数教室、三年五組、三年四組、三年三組、そして生徒議会室。一部屋ごとに扉を開け調べたが、人影はなかった。そして廊下の先に立ちはだかる防火扉。これを開けると東階段前に出るはずだ。
「本部CP・安江より田崎管理官へ。東階段前の状況は」
カナは捜査センター無線で田崎管理官に確認する。先ほど南校舎にいた二名が移動しているとの報告もあったので、張り込んでないか注意する必要からだろう。田崎管理官の返答は少し経ってから返ってきた。
『田崎より本部CPへ。当該人物はなし。なお廊下や三年一組に姿はなく、全員三年二組に集まっていると思われる』
「三年二組には何人いますか?」
『MP5を持ったのが四人、重要人物としてリストアップした三人、水島副校長、人質としてだろう、校長の姿もある。あと──もう一人、リストにない人物がいる。以上十人だ』
「MP5はモデルガンとして、水島副校長もおそらく誘導役に過ぎないから残る四人が問題ね。拳銃だけなら残念だけど、手に入れられる可能性がある。状況が読めたらすぐにSATへ引き継ぐべきか」
状況を分析しつつ、カナは捜査センター無線で伝える。
「本部CPより田崎管理官へ。状況によってはSATの即時突入を要請します。特に銃声が聞こえたら、速やかに」
唐突に浮かんだのは、森岡先輩の言葉。カナの後半のセリフ、それは万が一自分が動けなくなった時──つまり、撃たれた時のことを想定している訳で。
「まさか、カナ──」
しかし俺が言おうとすると、カナは俺の口を手で塞いできた。少し微笑んで、カナは言う。
「最悪の事態が起きないよう、SATによる対応も準備してるんじゃない。大丈夫、浩和には怪我一つ負わせないし、わたしも死なない。それが、CPとしての絶対条件だもの」
そして、カナは防火扉を押し開けた。無人の東階段前ホール。普段なら何気なく通り過ぎるような空間が、広く感じる。そして金属の防火扉をもう一枚開けるとそこには、三年二組がある。
「スーツケースは、ここに置いておくわよ」
カナが緊張したような面持ちで言った。さすがにカナでも、か。カナが置いたすぐ横に、俺も持っていたスーツケースを置く。必要な装備は、体に付けている。
「じゃあ、いくよ。いい?」
「ああ」
俺達はゆっくりと、薄い金属の板で出来た、しかし実際の重量以上に重い扉を開ける。近くにあった消火器で扉を固定し、先へと進む。警棒を右手に構え、いつ敵が現れてもいいように。
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