第五章・その2
飼い犬の散歩を終えた後、ミキも結局俺の家に上がり込んできた。カナは何故か残念そうな顔をしていたが、そのことを聞こうとすると、
「べ、別にそんな風には思ってないんだから……」
と、変な拒絶をされた。
カナが有り合わせの食材で作ってくれた朝食は、ベーコンエッグに野菜を付け合わせたもの、味噌汁、それに白いご飯だった。カナは「いつもの味噌がない!」と探していたが、まあそれは食文化の微妙な違いだろう。俺達の家族は全員神奈川育ちなので仕方がない。
「あれ、お兄ちゃん、帰ってたんだ。ごはん?」
そこに、妹が自分の部屋から起きてやって来た。
「ああ、朝ご飯」
妹はカナとミキの姿を見て、確認する。
「うんと、ミキちゃんと、この子は?」
「安江 香奈よ。よろしくね」
カナは妹に右手を差し出し、寝ぼけた様子の妹と握手した。
俺とカナ、妹と食卓を囲み、「いただきます」と手を合わせた後箸を付け始める。ミキは自分の家で食べてきたとのことで、彼女の分は用意されていないが一緒に座っていた。
「おいしい?」
カナは俺の顔をじっと見つめ、聞いてくる。
「もちろん」
その一言で、カナはぱっと向日葵の花が咲いたかのように満面の笑顔を見せた。
「よかった!」
声を通じても、その嬉しさが伝わってくる。たった一言でこんなに喜んでもらえると、見てるこっちまで幸せに感じてくるほどだ。だが、
「新婚さんみたいな会話だね?」
ミキの一言でカナは一転、真っ赤になって無言になる。
「お兄ちゃんの作ったのじゃないからおいしくない」
空気を読まずに言い放ったのは妹。何とまあ、微妙な気分。俺の作った方が好きというのは有り難いのだが、ここでいうことではないかと。
「でも、これもおいしいだろ?」
「全然。お兄ちゃんの味噌汁だったらえのきなんて入ってない。代わりにニンジンが入ってる」
それはまあ、そうなのだが。
「じゃあ私が今度、妹ちゃんに満足いく朝ご飯、作ってあげるね」
「それは遠慮しておく」
即座に返した。
「なんでー!」
昔食べさせられたミキの料理といったら、丸焦げトーストに丸焦げホットケーキ。目玉焼きや野菜炒めまでならまだ解るが、炊飯器で炊いたご飯まで丸焦げになっていた時には、むしろその謎能力がすばらしいと思った程だ。ミキの母いわく「料理が出来るお婿さんが欲しい」とのこと。ただミキは「本気を出せばちゃんと出来る」と言い張っている。
「妹ちゃんは食べてくれるよね?」
「絶対嫌」
「二人はどうして、美希ちゃんの料理を食べたくないの?」
「それはだな、──」
不思議そうな顔をしているカナに理由を説明すると納得したように、
「……それは重症ね」
と呟く。
「カナちゃんも意地悪!」
意地悪と言われたって、それは仕方がない。
ご飯を食べ終わると、カナは着替えるからとミキを連れて洗面所の方へ。その際、
「あ、忘れてたけど今日は冬服ね」
と言う。どうして、と聞くと、
「袖にマイク、仕込むから」
とだけ告げ行ってしまう。しょうがない、クローゼットから引っ張り出すとするか。
自分の部屋で着替えを済ましてから戻ると、既にカナ達は戻っていた。カナは俺に、
「ちょっと我慢してて」
と言い、学生服の第一から第三あたりのボタンを開けていく。そしてコードらしきものを手に取ると、左手を俺の懐へ潜り込ませた。
「え!?」
戸惑う俺には構わず、カナの左手が左袖へと入っていく。同時に袖口からはカナの右手が入っていき、ひじの辺りでその手が交差する。袖口から抜けた右手に持っていたのは、ポータブルプレーヤーのものに似た有線リモコン。カナはそれを中に着ているカッターシャツの袖に付け、肘の辺りでもコードを固定しているようだった。左手を抜くとカナは
「これでよし」
と言い、インナーホンを俺の左耳に、もう一方の先を学生服のポケットに入れていた捜査情報端末に差し込んだ後、ボタンを閉めた。
「もう少しそのままで」
それから俺の捜査情報端末を操作し、何やら設定している様子。設定が終わると端末を戻し、カナは説明をしてくれる。
「基本は捜査センター無線の待ち受けモードで、一番のボタンを一回押すと県内系の無線が聞ける。もう一回押すとオフね。二番は応答ボタン。押している間だけマイクがオンになるの。マイクはリモコンに付いているわ。三番はわたし、四番を押すと田崎管理官とつながるように設定してあるからね。リモコンを使う時は袖口から引っ張り出せるし、戻すのは袖口に付ければ自然にコードが中に引き込まれる。それくらいかな」
確認すると、確かにリモコンにはボタンが付いていて、試しに①と番号が付いたものを押すと
『自ら九〇より神奈川本部』
といったような声が聞こえてくる。しかし、リモコンにはもう一つ、ボタンがあった。
「この、五番というのは?」
「これは、うん、使わない」
カナはただそれだけ答え、
「そろそろ行くよ?」
と俺の腕を引っ張る。時計を見ると、七時五分を回っていた。
* * *
ミキも制服に着替えるため一旦家に帰った後合流して、三人で学校へと向かう。カナはいつになく真剣な表情。俺もミキも話しかけられず無言のまま学校に着いてしまい、東昇降口でミキと別れた。西の昇降口で上履きに履き替えた後教室に荷物を置き、スーツケースだけを持って田崎管理官のいる会議室へ。
「万が一の際はよろしくお願いします」
カナは田崎管理官に対し、深々と礼をした。そんな様子に、田崎管理官も少々困惑している。
「安江さん、何かあった?」
田崎管理官は率直に聞くがカナは、
「いえ、別になにもありませんが?」
極めて冷静に答えるだけ。
「ならいいんだが……。もしかしたら、殉職すら覚悟しているのかと」
「命あってのこの仕事ですから」
きっぱりと、カナは言う。
「では失礼します」
俺の腕を取り、会議室を出て行こうとする。俺は抵抗することなく付いていく。俺は何となく感じた。何か、ごまかそうとしている態度。森岡先輩の忠告が、心に引っかかる。
会議室を出てしばらくすると、耳に付けたインナーホンから声がする。
『田崎管理官からCP鈴木くん』
カナが反応していないことからして、俺だけを呼び出しているのだろう。俺は二番のボタンを押しながら
「はい、なんですか」
と応答する。
『今横に、安江さんはいるか?』
「はい、いますけど」
『なら、後で教えておいてくれ。たった今、野並管理官から私達に撤退命令が出た。何故か、は判らない。まあ、おそらく勘づかれて、裏で動きがあったのだろう。監視カメラの映像は使えるようにしてあるから、万が一の際は捜査情報端末から、自らの判断で使ってくれ』
「了解しました」
『以上、交信終了』
状況は悪化、と言ってよい。警察官として開始当初から潜入出来るのは俺達だけ、ということになるのだ。
無線が切れるとほぼ同時に、カナがこちらを振り向き聞く。
「何だったの?」
「田崎管理官達に、撤退命令が出たらしい」
「そう」
それだけ言って、黙ってしまった。いつものカナなら、理由くらい聞いてきそうなものだが。
「どうして、とか聞かないのか?」
「多分、野並管理官からの命令でしょ。大丈夫、何かあった時は、何とかするから。浩和は心配しなくていい」
確かに前半は正しいが。
「前にも言ったと思うけど、あまり独りで抱え込むなよ」
「大丈夫、本当に大丈夫だから」
どうやら何か、秘めた決意をカナは抱えているらしかった。
時刻が八時半を回ると朝のSTが始まり、担任が今日の進行に関する簡単な確認をする。その後体育館へ。
今日の文化祭は、体育祭・合唱コンクールと合わせ「センチェリーさくらちょう」の一環として行われる。その最初の行事なので、開会式が開かれるのだ。
校長の挨拶だったり生徒会長の挨拶だったりがあった後、各クラスの準備活動やPRを紹介したビデオが上映された。その後有志による発表。ジャグリングだったり、目隠しでルービックキューブを解くパフォーマンスだったりと、どちらかといえば隠し芸に近いものが中心だったが。
そんな開会式もあっという間に終わり、教室に戻って最終準備に入る。開始時刻の九時半に向け、生徒達のテンション、そしてCPとしてのプレッシャーも高まっていく。
『時刻は九時半になりました。発表を開始して下さい』
女子生徒らしき声がスピーカーを通じて学校中に響き渡り、廊下からは喧噪が聞こえ出す。文化祭、開始である。
カナは俺を引き連れ教室を出る。さながら、校内版雑踏警戒と言ったところか。人混みをかき分けて進み、東階段まで来る。東階段の所では、魔女的な三角帽子を被った女子生徒達がうろついていた。
「創作小説集『
「『
「『
そう呼び掛けながら、冊子らしきものを配っている。その横を通り抜け、二階へ。カナは一般人を中心に一人一人の顔を確認し、重要参考人が紛れていないか、不審者がいないかチェックしているようだった。校舎の西端までたどり着き、折り返そうとした、その時。
『全校に告ぐ。この学校は我々「神代の雫」が占拠した。人質になる意志がないものは速やかに退去せよ』
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