第三章・その4

 翌日、俺はカナと一緒に神奈川県警察本部へ向かった。研修は警察学校だったから、任命の日に行って以来二度目。当然「ここが職場だ」というイメージはまだ付かない。主に学校で動いているのだからずっとこのままかもしれないが、「(大人の)警察」という固定概念が抜け切れていないのも事実だ。

 本日、俺達は「地域部」の各課が集まる階にある「子ども課準備室」で「内勤」をすることになっている、のだが。

「よく来てくれたね。では中に入って資料を渡そうか」

 昨日の約束通り、俺達は準備室に荷物を置いてから「刑事部」の「捜査第一課」の部屋に向かった。部屋の前では既に田崎管理官が俺達を待っており、カードキーで扉を開け中へと入れてくれた。

 刑事部捜査第一課、一般に「捜査一課」、警察内部では「いっか」「そういち」とも呼ばれる部署に割り当てられた部屋はとても広く、学校の職員室を倍にしたくらいの面積だ。ただ机が並んでいるにも関わらず、それに見合うような刑事の人数は中にいない。目視で七、八人が確認出来る程度。机が五十くらい並んでいるのに、これは異常としか思えなかった。

「一課っていうのはいつもこんな感じだよ。大概は皆外に出ていて、所轄署で事件の捜査をしている。課長ですら特捜本部回りで忙しく、一日二回顔を出すくらいさ」

 軽く笑いながら、田崎管理官が教えてくれた。その顔も一瞬で真剣な表情になる。その変化は俺でもすぐに感じ取ることが出来た。

「で、本題だ。昨日の件だが、公安からもらった断片的な情報を基に、交通部の免許証データベースで顔写真等を引き出したので渡しておく。あと夕方頃になるらしいが、愛知県警からこの事件の担当捜査員が来るそうだ。こちらの用事が済み次第子ども課へも向かわせるから、詳しいことは彼らに聞くといい」

「了解、です」

 「重要参考人情報」と表紙が付けられ、㊙の印が印刷されて綴じられた書類を受け取る。カナと俺用、わざわざ二部も作ってくれていた。こうした機転が効くのは管理官まで上り詰めたからか。

「あと安江子ども警官の方かな? 確か愛知県警の捜査情報端末を持ち込んでいるはずだね。このたび神奈川県警でもそのベースとなる『捜査情報共有システム』を導入することになったので、代わりにこれを」

 そう言って田崎管理官が渡したのは、携帯電話のようなもの。カナが前操作していたそれと瓜二つ。多分同型だろう。

「仕様は、変わっていないですか?」

「ああ、愛知県警のものに準拠させてある」

「解りました」

 カナはポケットから「愛知県警の」捜査情報端末を取り出す。

「こちらは、どうすれば?」

「愛知県警の捜査員に渡せばいい。まあ、そのまま持っているように言われるかもしれないが」

 カナは了解、と返し二つともスカートのポケットに入れた。

「ありがとうございました」

 そして丁寧にお辞儀をする。俺もカナに倣い、遅れながらも頭を下げた。

「協力してもらうんだから、お礼を言うのはこちらの方だよ」

 田崎管理官は少しだけ、笑みを浮かべる。それに釣られて、カナも微笑んだ。

「では」

 カナは俺の腕を引っ張り、二人で部屋を出ることに。子ども課準備室に戻ると今度はカナが鍵を開ける番。ドア近くの機械にカードをかざすと自動で開く。カナは部屋の中央に置かれた事務机の一つに座ったので、俺もその対面の座席へ腰掛けた。そして先ほどもらった書類を見始める。そこには顔写真や名前・本籍などが書かれているが、交通違反歴も会わせて記載されていることからこれが交通関係のデータベースの情報だと解る。業務妨害事件に免許証のデータとか、全く情報とは意外な所から手に入るものだ。

 さて、そんなデータを見ていく。一人目は八木 健太郎、二十五歳。本籍地は愛知県稲沢市。口元と顎の髭が特徴的で、交通違反歴はなし。手書きで「リーダー」とメモされていることから、この犯行グループの中心的存在だと推測されているらしい。二人目は吹雪 茂、二十四歳。本籍地は岐阜県海津市。交通違反は駐車違反が二件ほど。いかにも理系とでもいうような眼鏡で、髪も結構長い。三人目が近藤 恭助、二十九歳。本籍地は神奈川県横浜市青葉区となっていて、三人の中では一番神奈川との馴染みが深い。酒気帯び運転で一度免許停止になっている。顔つきはふっくらとした感じに見えるので、きっと体つきも太り気味であろう。

 それらに加え、「四人目」水島副校長のデータもある。本籍地が神奈川県横浜市港区というのは解らないでもないが、スピード違反を三回もしていた。まあ、関係ないが。

「判っているだけでこれだけの関係者がいるってことは、実際の犯行に及ぶことの出来る実力を持っている可能性も高い。それにきっと、メンバーはもっといるはずよ。今までは身代金を要求するだけだったけど、それがいつ、実力を伴う手段に打って出るか判らない」

 カナは早速分析をし始めた。

「もしもう一度犯行予告を仕掛けてくるとしたら、ターゲットは……。犯人達が仕事をしているとすると……」

 色々な条件を次々に分析材料へと加えたせいか、ついには

「あーもう解らない!!」

 頭がパンクしてしまったようだ。俺も考えてはみるが、全く見当がつかない。

「それより、昨日の事件の報告書!」

 どうにもならないことを、どうにかしようとせず気分転換に別のことを先に済ますのはカナらしい。早速、別の机へ大量に積まれていた書類の処理へと取りかかった。


  * * *


「はー、終わったー」

 カナが書類の処理を終わらせたのは正午を少し過ぎた頃のこと。その間俺が何をしていたかというと、犯行予告してくる日の予想や今度の文化祭で何をやるか、など。しかも結論は出なかったので全くカナの役には立っていなかった。本当、申し訳ない。

「これは置いておけばいいから……お昼食べよ?」

 カナに右腕をつかまれ、半ば強引に連れて行かれるパターン。おおむね平常運転である。

 庁舎二階にある食堂に入り、俺とカナはサンドイッチを注文して席に座る。

「まあとりあえず犯人の目論見に嵌らないよう、油断だけはしないようにしないとね。大体一週間ぐらいは神経尖らせておかないと」

「一週間先といえば、文化祭か……。結局、何やるんだろう」

 未だに俺達のクラスでは文化祭に何をやるか決まっていない有り様。本当に間に合うのか心配でならない。

「そうね、映画なんか、当日必要な人員が少なくて──「え!?」」

 俺とカナはほぼ同時に気付く。そう、来週といえば、土曜日の文化祭。しかも一般に公開されるから、誰でも入れることになっている。それが意味するのは、犯人が入ってきても保護者達に紛れ、判らなくなってしまうということだ。

「そうね、一番危ないのが、判ってるとは思うけど土曜日ね。これは教諭が主犯でないと仮定してだけど。一番いいのは文化祭を中止することだけど、公安絡みだし保護者に理解を求めさせるのも難しいわ。予定通り実施される前提で考えるのが得策よ」

「例えば、制服警官を校門に配置したら?」

 俺の思いつきにも、カナは首を横に振る。

「確かに抑止力にはなりそうだけど、そういったことは警備部が中心となって行うの。その警備部の中に公安部門があるから、多分無理だと思うわ。しかもこれはわたし達が直接決められることでもない」

「確かにな」

 注文したサンドイッチが来たので、俺達は食べ始める。

「愛知県警、か……」

 時々、カナが呟きながら。

 部屋に戻ると、宇都宮地域部長が来ていた。

「警察庁警備局長が、君達に用事らしい。呼んでくるから待機していてくれ」

 そう言うとすぐに走って行く。カナは驚いた様子を隠せない。

警察庁サッチョウの、警備局長? 何でそんなキャリア官僚が……」

 呟きながらもとりあえず、椅子へと座る。

「何がおかしいんだ?」

「警察庁内のCP業務の管轄は実務の都合上長官官房だし、わたし達が積極的に関わってる刑事警察のトップ、刑事局長が来るのはまだ解るわ。でも、警備局長よ? 公安警察のトップがわざわざCPに会いに来るなんて、前代未聞どころか歴史に残るわ」

 驚愕しかない、と言った様子でカナは答える。

「この前の事件で何か問題があったとか?」

 そんな俺の問いにもカナは首を横に振った。

「あり得ない。さっき言った通り、それなら警備局じゃなくて刑事局よ。対応自体も浜浦署刑事課長と捜査一課管理官指揮の下で動いたし、初動もマニュアル通りよ。唯一問題なのは、愛知県警のマニュアルで動いたことかしら。けど、それは大問題になる規模のことではないわ」

 しばらく沈黙が流れ、俺も口を開くことが出来ない。その状態が続いているうちに地域部長が戻ってきた。連れてきたのは黒の背広に身を固め、金属フレームの眼鏡を掛けた、いかにもエリートというオーラを出す男。

「君達、」

 その男、警備局長が口を開く。

「あそこまで警察官を動員しておいて、何も起こらなかったとはどういうことだ?」

「わたし達に権限はありませんが。それにあの切羽詰まった状況では、事実関係の洗い出しより生徒の保護を優先させるべきで、最善の措置だったと思われます」

 カナはため息をつき答えた。しかし警備局長はなおも突っ掛かってくる。まるでCPに八つ当たりするような感じで。

「大体、刑事部の人間を出すのはいいんだ。問題はそれを超え、警備部の機動隊や公安も使ったことだ」

「だから、わたし達にそのような権限はありません!」

 当然、カナは強い口調で返した。普通に考えてみたら当然で、階級的に巡査と同等とされている「子ども警官」が「警視」相当の管理官を飛び越えて現場を指揮することはないのだ。

「お二人さん、やめようよ」

 そう言ってカナと警備局長の間に割って入ったのは、地域部長でも、もちろん俺でもなく。

「──藤枝先輩!」

 学生服を着たその人物を見て、カナは驚いた様子を表し、

「フジエダ? 何か聞いたことのある気が……」

 警備局長でさえ小声で呟く、その正体は。

「愛知県警地域部子ども課準備室の藤枝です」

「同じく森岡です。──お久し振り、香奈ちゃん」

 後ろから白襟のセーラー服を着た少女も顔を出した。「愛知県警」そして「カナと彼らはお互いのことを知っている」つまり彼らはカナが前に話していた、

「伝説の、子ども警察官!?」

 そう推測した俺の呟きに、二人は反応する。

「ああそうだよ。──その呼ばれ方はあまり好きじゃないけど」

「伝説伝説って言われても、当たり前のことしてるだけだしね」

 いや、一年足らずで「警察官として」当たり前のことをしてきたのなら、それは「伝説」と呼ばれても仕方がないのではないか。

 先ほどまでカナに八つ当たりのような苦言をぶつけていた警備局長は二人の正体を聞いてしばらく沈黙した後、

「宇都宮地域部長、私は帰る」

 自分が不利な立場になったのを感じ取ったか、ぷいと顔を背け足早に部屋を出て行く。追い掛けたのは指名された地域部長だけ。

「藤枝先輩、翔子先輩、何でここに?」

 部屋の中へ入ってきて俺達が使っていない事務机へと腰掛けた二人に、カナは尋ねた。

「あれ、聞いてなかった? 愛知県警の捜査員が来るって」

 少女の方が、笑みを見せながら言う。

「それは聞いてましたけど……。てことは先輩達が、その」

「うん、昨日の事件担当になった愛知県警捜査員ってことよ」

「まあ元々来る予定だったんだけどね。その業務はついで」

「そうだったんですか!」

 カナは相づちを打つ。直後、何かに気付いた様子。

「そうだ、自己紹介してあげて下さい」

 すると二人は俺の方を向く。

「愛知県警の子ども警察官、藤枝 勝です。本来は中学生までの子ども警察官ですがまあ、特別措置として続けさせてもらってます」

 標準型、ただしボタンは金色の学生服を着た少年が先に口を開いた。髪が少し長い印象もあるがそれはまあ、現代風と言ったら通じるだろう。カナが補足するように言う。

「初めて拳銃を撃って、唯一撃たれた先輩よ」

 確かにそんな話をカナから聞いた覚えがある。ただ少年、藤枝先輩は

「そんなこと、教えなくてもいいのに」

 困ったような口調で苦笑い。あまり出してほしくない実績でもあるのだろう。

「私は、森岡 翔子。勝くんと同じ愛知県警のCP。中三からペア組んで、これで二年目ね」

 白襟セーラー服の上着に、体の横のラインに合わせ白線が入ったスカートという制服を着ているのが、森岡先輩。髪先が首に掛かるか掛からないかのところで外側に少しカールさせているのが特徴で、その顔立ちは少し幼くも見える。

「そして藤枝先輩とバカップル」

 カナのからかうような言葉に二人は

「「へ!?」」

 同時に驚く。確かに相性はピッタリのようで、その相性の良さが子ども警察官の活動にもいい方向へ働いているようだ。

「で、本題ね。現在愛知県警でも今回の件と関係がある人物を追っているんだけど、彼らは全国各地で事件を起こしている可能性がある。判明している手口は、まず内部の人間を取り込んで架空の犯行手口を送りつける。その後改めて身代金を要求し警察に気付かれないまま犯行を終わらせるのが彼らの手口よ。最初の、架空の犯行予告で警察に通報した例はない。最初の反応を見て、警察に通報されなければ本命を行うということじゃないかしら。詳しいことはまだ判っていないけど、普通に考えると今回のケースでは『二度目はない』と推測するのが筋よ」

 愛知県警側の情報について、森岡先輩が最初に話してくれた。付け足すように藤枝先輩が言う。

「内部犯と思われる教諭は皆、事件後三、四日に失踪している。当然無関係ではないと僕達は考えている。グループへ取り込んでいる可能性が高い」

「警察庁では広域事件に指定してはいないんですよね?」

 カナの問いに、森岡先輩が頷く。

「ええ、関連性が断定出来ていないからね。今回の事件で逮捕出来るとしても、水島副校長止まりになると思うわ。新たな事件が起こらない限り、神奈川でグループを一網打尽、ってなことは立証上困難よ」

「そうですか……」

「一部では警察関係者にも手がかかっている情報もあって、秘密保持のため神奈川県警では田崎管理官だけが刑事部側の捜査担当になっているわ。神奈川の捜査情報端末の本格導入はまだ先だから、管理官との連絡は捜査センター無線を使えば大丈夫よ」

「解りました。あ、愛知県警の端末返さないと」

 カナはスカートのポケットから三台の携帯電話を取り出し、しばらく観察した後一台を森岡先輩に差し出した。

「ありがとうございました」

「いえ、まだ持っていて」

 しかし森岡先輩はそれを押し戻す。それにはカナも、おちろん俺も驚いた。

「何でですか?」

 反射的に聞くと森岡先輩は少し困ったような顔をする。

「現在、愛知と神奈川の情報は直接共有出来る状態ではないからよ」

「え?」

「ネットワーク上の問題さ」

 そういう切り出し方で説明を始めたのは藤枝先輩だった。

「仕様では、全国の更新データを警察庁の専用サーバに集め、一日三回、従来から使用されてきた通信方式『WIDE』に乗せて同期させるようになっているんだ。けど肝心の警察庁でまだ導入されていないし、捜査協力モードを使用して愛知・神奈川間で同期させようにも隣の静岡県警でシステム未対応、不正な信号として遮断してしまう。もちろん犯歴情報などのデータは既に全国共通だけど、捜査中データなどの『生きた情報』は独自に持っているという、システムを生かし切れていない状況なんだ」

「てことは、わたしだけが神奈川と愛知、両方の情報を持つことになるのか。愛知県警のは一般回線でつながるし」

 カナが納得したように言うと、二人は真剣な表情で頷いた。

「まあとりあえずわたしが直接捜査出来る立場でもないし、管理官の指示を仰ぎながら双方に随時情報を提供していけばいいのよね」

「ええ、大変だとは思うけどよろしくね」

 森岡先輩の言葉にカナは

「大丈夫です!」

 満面の笑みで応えた。

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