22 魔弾
「まて待てまってまって待って速い速い速い速いはやい!!」
両足を全力で動かしつつ。短い金髪が夜風に吹き付ける。
その背後からは――真っ黒な服を着た神父が、猛スピードで追いかけて来ていた。
「♪にーげる羊をーつーかまえーて~♪ こーんやは家族で、ごー馳走ーだ~♪」
「ざッけんなクソ坊主!!」
童謡を歌う余裕まで見せ付けてくる。
逃げ足には自信があったのに、神父を振り切れない。
自分にも匹敵するあの速さ。教会で聖典を唱えているだけの神官には、とても実現できる動きではない。
直感が告げている。ヤバイ相手だと。
後悔が押し寄せる。狙う獲物を間違えた。
そんな思いを振り切るように。
飛び石を渡るようにして、魔石の街灯の頭に跳ね移る。
大通りに高く立ち並ぶ街灯は、内部の魔石の灯りによって、王都から闇夜の恐怖を消し去った。
しかし今。同じく街灯の上をジャンプして猛追してくる神父の姿を見て、14年の人生の中でも一番の恐怖を覚えた。
街灯を蹴り、大通りの反対側にある店の屋根へと移動する。
神父も同じく飛び移り、着実に距離を詰めてくる。
このままでは追いつかれると感じた少女は――本当は『奥の手』を見せたくはなかったが――懐から小さな丸薬を取り出した。
「コレでも喰らえっ!」
投げつけられる、小さな球体。
得体の知れない物体に触れるわけにもいかず。神父の追撃は止まり、しかしその足元に着弾した丸薬は、大量の白煙を周囲に立ち込めさせた。
「煙幕ですか……!」
屋根の上に巻き起こる煙。
煙幕に遮られ足を止め、互いの姿が見えなくなった一瞬を狙って。
少女は屋根から細道へと降下し、迷路のように入り組んだ路地を再び走り出した。
「へへっ、ザマーミロ!」
ここまで来れば、勝ちは確定したようなもの。王都の裏道は自分にとって慣れ親しんだ庭。
このまま暫く身を隠し、十字架を売った金で、ほとぼりが冷めるまでガーネフ武具屋からは少しの間――。
「はい上から失礼コンバンハ」
「うきゃぁぁぁぁぁぁ!!?」
急ブレーキ。眼前の脅威に悲鳴が出る。
黒い神父服の男が、上空から降って来た。
「ててて、転移魔法か!?」
「ただの神父にそんな高等魔法使えませんよ。国家認定魔導師でもあるまいし」
言われてみればその通りだ。
屋根伝いに先回りされ、自分と同じように降りただけなのだろう。
「鬼ごっこはもうヤメましょうか、お嬢さん。大人しく十字架を返して頂ければ、憲兵に突き出したりまではしませんよ。少しの説教と右手でゲンコツするだけで――」
――再び。丸薬が宙を舞う。
また煙幕を巻かれては面倒だと判断した神父は、地面に落ちる前にそれを蹴り上げる。
しかしその瞬間。球体は激しい光を放ち、裏路地の暗がりを切り裂いた。
「今度は閃光弾ですか……!」
その眩しさに視力を一時奪われ、またしても泥棒少女を見失う。
だが、問題は無い。
「……『サウンド』」
王都に来るのはこれが初めて。土地勘などあるはずもない。
それでも『反響定位』を利用すれば、街の全地形を把握することができる。
寝静まった街をネズミのように走り回る、コソ泥の動きすらも。
「まぁどこの店の料理がオススメだとか、そういうのまでは分かりませんけど……」
自身の魔法への、微妙な評価を独り呟いてから。
追走劇を再開した。
***
「ハァッ、ハァ……! くそっ、何なんだよアイツ!!」
どこまで逃げても安心できない。
今この瞬間も、追いつかれそうな不安感が押し寄せる。
こんな事は始めてだ。泥棒稼業を始めて10年。物心付いた頃から生きるために技術を磨き、この年まで捕まらずに上手くやってきた。
騎士も法王庁の神官も、国家認定魔導師から逃げ仰せてみせたことだってある。
それが、あんな冴えない風貌の田舎臭い神父に。
「もうこうなったら、プライドの問題だ……!」
掃き溜めのコソ泥にも、僅かながらの誇りはある。
ナメられたままでは納まりが付かないと思い、絶対に逃げ切ってやると決意を固め、より暗い方へと細道を進んだ。
「とりあえずは暫くどっかに隠れるか……。世話になってる『おっちゃん』の所にでも泊まれば良いか……」
雲に隠れて月明かりが届かない十字路を右に曲がり。
法王庁方面へと繋がる抜け道を、とぼとぼと歩いて行く。
「そうですね……。反対側は行き止まりですし……」
「そうそう。慣れてない奴はさー、左に曲がってジ・エンドさ」
「いやぁ、やはり地の利は大事ですね」
「あたぼーよ! 昔の偉い将軍さんも、戦に勝つにはまず地形を調べ上げてから、って――」
足が止まる。
横を見上げ。
雲が流れ、月が出る。
月明かりが眼鏡に反射し。
黒く背の高い神父が、にっこりと微笑みかけていた。
「みーつけた」
「おぎゃああああああああああああああああああッッ!!!!?」
踵を返し、脱兎の如く駆け出す。
しかし瞬時に首根っこを左手で掴まれる。
覚悟を決め、懐に隠したナイフを取り出し、どてっ腹に一突きくれてやろうとして――。
瞬きするよりも素早く、手首を捻り上げられた。
「痛、放せっ、コノヤロ……!」
「子供が刃物なんて持ち歩いてはいけませんよ、お嬢さん」
「ガキじゃねぇ! それにお嬢さんでも! オレは『フローレア』ってんだ!」
「おや、可愛らしい名前ですね」
「うるせぇッ!」
「良い名前を付けてくれた親御さんに感謝しなければいけませんね。で、保護者の方はどちらに? 貴女のお家の人に話して、もうこんな事は……」
「親はいねぇ! 家なんてモンも……!」
逃げようと激しく暴れ、それでも拘束された状態で、睨み上げてくる。
その目と合っただけで、フローレアがずっと独りで生きてきた事が分かった。
そういう子供達を今までたくさん、見てきているのだから。
「……そうですか」
「今はガーネフ武具屋で厄介になってるけど……! てかお前! 何でハンナの店にいたんだよ! 屋根裏はオレの第二私室だぞ!」
「私はハンナの客です。屋根裏部屋の使用許可も、ちゃんと
「ちっ、やっぱ知り合いかよ……!」
「そんな知り合いから物を盗もうなんて、どういう発想ですか。後先考えてないんですか」
「っせーな! 後先なんて考えてたら、餓死するんだよ『オレ達』みたいなのは……!」
言い方が気になったが、とにかくどんな理由があろうと、窃盗は窃盗だ。
このままフローレアを捕まえた状態で、
「ぎゃあああああ……!」
路地裏の奥の闇から、悲鳴が聞こえた。
「――ッ!」
「……え、な……?」
互いに声を押し殺す。下手に身動きしない方が良いのは、示し合わずとも双方理解している。
雲の隙間から、薄く月光が照らすだけ。
深い闇の向こうには、何も見えない。目を凝らそうと、墨のような重い漆黒ばかりが広がっている。
悲鳴の後は、何も聞こえなくなった。虫の声も、風の音も。不自然な程の静寂の中、聞こえるのは自分とフローレアの息遣いだけ。
しかし、全く情報が無いわけではない。
感覚器官に訴えるその情報は。五感の中の『嗅覚』が察知したその断片だけで、今起きている事象を充分に理解できた。
それは――血の臭いだった。
「……ハンナの工房に帰りなさい。そしてもし貴女にその気があるのなら、ハンナと共に憲兵を連れてきて下さい」
「おい……! お前、まさか……!」
フローレアの拘束を解く。
そして警戒しながら静かに、一歩ずつ。悲鳴のした方向へ、足を伸ばす。
その背中には、何度も修羅場を潜ってきた浮浪児からの忠告が投げられる。
「首突っ込むことねーよバカ! さっさとズラかるぞ! 十字架は返すからよ、明らかにヤベーって! ただの酔っ払いの喧嘩じゃねーよきっと!」
押し殺すような小声で、それでも最大限の警戒心を込めて。
優しさからではなく、巻き込まれてはごめんだという意志を、ハッキリと言外に示している。
「……ですがそういうわけにも、いかないでしょう……!」
左手を握る。包帯を巻いた右腕も、ギシギシと鈍い音を鳴らしながら構えの姿勢にする。
ロクに動かせない鉄腕だが、無いよりはマシだ。最悪の場合、両足と左腕だけで戦うしかない。
何故なら、反響定位で捕捉したその人物は――。
血の臭いをまとわりつかせながら歩くその者は、既に二人の下へと歩み寄っていたのだから。
「……誰」
「ッ……!」
「あ……なッ……」
そこに会した三人は。それぞれが目を見開き、言葉を失った。
神父は、赤き返り血を浴びる青いポニーテールの少女を見て。
フローレアは、青い少女の小さな手に引きずられる、中年男の顔を見て。
そして白い外套に身を包んだ少女は――五賢人の末席『ジャネット』は、師との偶然の再会を前にして。
驚愕のあまり、誰もすぐには声を発することができなかった。
「……お、おっちゃん……?」
最初に「信じられない」といった言動を見せたのは、フローレアだった。
服の襟を掴まれ、虚ろに地面を向く白髪混じりの男。だが彼はフローレアの呼びかけに応えることなく――そもそも生気を失った青白い顔のまま。瞬き一つしない彼の胸元には既に、全身の血を出し尽くした後の大穴が、ぽっかり空いていた。
「う、嘘だろ……? だって、昼に、寝てるおっちゃんにいつもみたく挨拶して……。今日の稼ぎが良かったら、ガキ共連れて、飯でも食いに行こうって……! きたねぇから久々に、風呂にでも、って……! おっちゃん、オレに言って……!」
現実を受け止め切れず、錯乱する。
悲鳴を上げないのは、あるいは混乱のあまり悲鳴を上げることもできないでいるのは、むしろフローレアの命を拾った。
ジャネットの憎悪に燃える瞳が、その関心が。クリス・ルシフエル以外の者に移る事は、致命的なのだから。
「……先生……」
「ジャネット……」
もはや声に出して、確認するまでもなかった。
見慣れた顔。見慣れた声。10年経って背は伸びたが、間違いはしない。顔を変えて変装したマイクすらも、見破ったのだから。
昔。ジャンヌが『空の色みたいね』と褒めていた髪と瞳の色は。今も変わらず。
しかしその中に宿した黒い炎は、初めて見るものであった。
「……お、大きく、なりましたね……ジャネッ……」
「……ひとつだけ、聞きたい」
有無を言わさず。拒否権も与えず。
10年前には存在しなかった圧迫感で。その眼光は、かつての『師』を射殺す。
「――どうして母さんを殺したの?」
「……!」
いつの日か。こんな時が来ると分かってはいた。分かっているつもりだった。
だがそれを先延ばしにし、田舎の神父の身分に甘んじ。今日までズルズルと、生き永らえてきてしまった。
それも、今日までだ。今この瞬間、語らねばならない。
どれほど受け入れ難い真実でも。弟子達にとって、残酷な現実でも。
嘘偽りなく、伝えなければならない。
「……母さんが、ジャンヌ自身が――それを望んだからです」
――虎の尾を、踏んだ。
「……ふふっ」
まさか最初に『笑い』がこみ上げるとは、互いに思っていなかった。
『ジャネットは、ジルが大好きだもんね~?』
次の瞬間には。
竜の逆鱗が、引き千切られたかのように。
「死んで母さんに詫びてこい!!! 『ジル・ドレイク』ゥゥゥあああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」
前方に差し出した鉄腕が、パーツの一片に至るまで砕け散った。
眼鏡は割れ、大気が震え、音響魔法を使う暇もなく。
全身に風穴が開く。
左足首、太もも、左腸骨、腎臓左部、右鎖骨、左の耳たぶが消し飛び。
体術も魔法も、それこそ『手も足も』出ないまま。
その細身な身体は、路地裏の壁に叩き付けられた。
「……ジャネ、ッ……」
口から血を吐く。喉元や食道の負傷ではない。内臓の、もっと深い位置からの喀血だ。
呼吸ができない。視界の焦点が合わない。酷い耳鳴りがする。
それでもこんな状況下で。相手に悟らせないほどの発動速度や、詠唱の簡略化、そして魔法の威力に、
昔のままならきっと、「凄いですね、よくできましたね」と、手放しで褒めていただろう。
どうしようもないまでの己の魔法バカっぷりに、思わず可笑しくなってしまった。
「――お前の神に祈れ」
離れた位置から、ジャネットは右手をかざす。
『瀕死の相手であろうと、決して近付くなかれ』。
魔法使いとしての基本戦術を忠実に守っている姿に、素直さは変わっていないのだなと安心する。
そして、振り絞った声で――。
『断末魔』を、吐き捨てた。
「……かみさ、ま……。……って……大嫌い……な……ですよ、ぇ……私……」
それを最後に。
視界の全てが、黒に墜ちた。
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