16 無敵の間合い
鉄腕神父クリスと魔女見習いのミーナが足を踏み入れた、山中の屋敷。
そこに住まう美しき当主にして、国家認定魔導師の息子フランツ・シュタイナー。
だが、実際にはそんな人物など存在せず。
欲望の館にて少女達は監禁され、そして今。
その毒牙はミーナにも向けられていた。
「離れてよ、このデブ!」
「こっ、の……!」
ベッドの上で攻防を続けるうち、フランツの怒りは頂点に達していた。
最初は活きの良い獲物としか思っていなかったが、ミーナの抵抗は激しく、蹴りでも噛み付きでも何でもしてくる。まるで獣だ。
そこへ、トドメの『禁句』。
もはや容赦など必要ないと判断したフランツは、ベッド脇の机に置かれた『杖』を手に取り。
己の小指よりもずっと細いそれを、ミーナの顔に向けた。
「『ナイト・ダウン』!」
即効性の催眠魔法。
正体がバレた今、飲み物に睡眠薬を混ぜるといった遠回しな手段をとる必要はない。
魔法は意識に作用し、対象を深い眠りへと誘う。
――はずだった。
「……?」
「なに……!? 僕の魔法が……!」
ミーナは不思議そうな目で見つめ返してくるだけ。
魔法は確かに発動したはず。それなのに。
不発はありえない。魔法から身を守る術を施しているのか。そんな様子もない。
「まさか……。お前……!」
一つだけ。心当たりがあった。しかしそんなこと、可能性としても存在するはずがない。
いや、それでも――。
――瞬間。
部屋の扉が、蹴破られた。
「ッ!」
「せん……!」
その方を向いて。
フランツは脂肪の乗った顔を歪ませ、ミーナは歓喜の色に染まる。
夜の闇と同化したような黒い服。
その胸元に輝く金の十字架。
白い手袋と眼鏡が際立つ、聖白なる女神の黒き使途。
男は静かに、目線と声に怒気を孕んだまま。
眼鏡を指で押し上げた。
「スイマセン、お手洗いはどちらですかね」
迷いなき足取りで、『鉄腕』の聖職者は舞い降りた。
***
「……どうして、この部屋が……!」
まず最初に。どうやって神父がこの部屋に到達したかを問うてきた。
館の主の部屋は一階に存在する。しかし道は複雑であるように『見せて』おり、ミーナもフランツの案内がなければ辿り着くことは不可能であった。
それを、こうも易々と。
彼が来た時点で、メイドの暗殺部隊は倒されたということ。使えないペットに意識など向けない。ただ、己の『魔法』が突破された理由を知りたいだけだった。
「『
指を一本上げ、教会で村の子供達に教鞭を振るうかのごとく。答え合わせを始める。
「動物の中には人間に知覚できない『音』を放つものがおり、その音が対象にぶつかって跳ね返ってきたのを感知し、自分の位置を測るそうです。盲目の人間も、杖で床や壁を叩いた反響音を聞き取り、対象との距離を認識しつつ進むのだとか」
音の魔法『サウンド』。それしか扱うことができない。
だからこそ『音』の持つ特性を。その利用方法を。それだけを。10年かけて模索してきた。
反響定位での位置確認は、それら活用法の一種であった。
「この屋敷に入った時から、見た目よりも遥かに『狭い』建物であることは把握していました。幻影魔法の類によるものであることも。……ですが、何もないなら朝には黙って立ち去るつもりでした。……残念ですよ、『マイク』」
マイク。太った男に向かって、そう呼んだ。
ミーナがフランツだと思っていた男はあっさりとベッドから下り、杖を持って神父と対峙する。
「……はっ。演技していたのは僕の方だけじゃなかった、ってわけだ」
この幻惑の館に入って以来。二人は顔を合わせ、言葉を交わし、『夢』について語り合った。しかしそれらは全て、儚い陽炎でしかなかった。
今この瞬間こそが。肉欲と薫香立ち込めるこの部屋が。
初めて、『師弟』が再会した場であった。
「最初から、全て分かっていたのか。僕のことも」
「分かりますよ……。食事の時に嫌いな野菜を皿の隅にどかすのも。『太っている』といった言葉に過敏に反応するのも。新しいモノが好きなことも、女の子に弱いところも。……何年一緒に、貴方と暮らしたと思っているんですか」
どれほど姿形を変えようと。別の人格を演じようと。
全ての言動が、『マイク』へと辿り着く道筋であった。間違うはずが無い。
「……今更何の用だよ、先生。アンタと俺にはもう関わりがない。そのつもりだったのなら、さっさと黙って自分の部屋に戻ってくれないかな」
「そうもいきません。貴方が今『手篭め』にしようとしているミーナは、私の弟子です」
『弟子』。その言葉は、フランツ――いや、正体を現した『マイク』にとって、何の意味も持たない言葉だった。
「アンタまだ『こんなこと』やってるのか。学習能力が無さすぎるでしょうよ」
「過去の体験から学んだことがあるからこそ、人はそれを他者に伝えることができるのです」
「伝える? 何をだ? また、『人を幸せにする魔法』だとか何とか、下らない理想論を押し付けるのか!?」
「私は言いましたよね。無謀な空想かどうかを試す権利は、誰にでもあると」
「ハッ、ハハハハ! 呆れて笑うことしかできないよ!」
マイクの高笑いが部屋に響く。
檻の中の少女達は怯え、ミーナは怒りを露わにし。
神父はただ、無表情でかつての『弟子』を見つめていた。
「まぁ良いさ、好きにしなよ! 僕は実際、感謝してるんだ! 僕も僕の好きなように生きることができているのだから!」
「……山奥に住むことがですか? 王都はどうしたのですか。『五賢人』の役目は――」
「僕を見下すだけのあんな奴ら、こっちから切り捨てただけさ! 魔法の力があれば何でも思い通りに行く! だけどグラリアはもうダメさ。衰退するだけ。高飛車なアイツらには似合いの結末だけどね!」
まるで子供のように。背も伸び、恰幅も広がったというのに。
10年前と変わらぬ歪んだ幼さが、悪意となって向かってきているようだった。
『フランツ』として対面した時。あながち、全ての言葉が演技だったわけではないようだ。
内燃機関も、少女達も。
「……分かりました。貴方の『夢』も、充分に把握しました」
「理解が早くて助かるよ、先生。何なら
「『母さんルール』。その
遮る。また指を一本上げる。
眼鏡の奥の瞳が、マイクを射抜く。
「誰かの悪口を言ったり、馬鹿にしてはいけません」
「……何を……」
「その二。魔法で誰かを傷つけたり、泣かしたりしてはいけません」
「貴様……!」
「その三。嫌いなものがあっても、ご飯を残してはいけません。ただし体調不良の時は除く」
その『約束』は。マイクも覚えていた。
『……もちろんジルも例外じゃないからね~。このハウスで暮らす子はみーんな、私のルールを守ってもらうわ。母さんルールを破ったら――』
『母』と慕われた彼女。優しい記憶の中の、温かな声。
あの頃の約束だけは今も――生きている。
「――ルールを破ったものは、鉄拳制裁」
「ッ!」
体勢を低くする。超低空から、床を舐めるほどの位置から。
一瞬で距離を詰め、硬く握り締めた『右腕』を、肉で三段になっているアゴ目掛け、振り上げる。
「うわぁっ!」
拳がアゴを掠める。風切り音が鳴る。
しかしアッパーカットは咄嗟に飛び退いて回避された。
だがもう、マイクの背後には壁だけ。逃げ場はない。
勢いを殺さぬまま、右足を軸にして回し蹴りを――。
「『ソニック・ショット』!!」
その蹴りを肉腹に叩き込む、寸前。
マイクの杖から魔法が放たれた。
「ぐっ……!」
攻撃は届かず。衝撃波が襲い来る。
防御もできないまま、狭い部屋の反対側の壁に、背中から叩き付けられた。
「先生ッ!」
ミーナの悲痛な声が届く。と、いうことは鼓膜は破れていない。
全身を激痛が襲うが、両足と左腕と右の鉄腕はまだ動く。健在。問題なし。立ち上がる。
だがその先にあったマイクの顔は、勝利を確信したにも近い笑みを浮かべていた。
「……ハッ、ハハ……! まさかアンタが、素手で殴りかかってくるなんて! 魔法を失ったからって、丸腰で魔法使いに戦いを挑むなんて!」
魔法は『サウンド』だけ使える。体術も鍛えた。
接触さえすれば、鎧も付けていない寝巻き姿の若者など、一発でダウンさせられる。
ただし。そのためには、最大級の問題を突破しなければならない。
「魔法使いに……! 五賢人の一角を担っていた者に! アンタが直接魔法を教えた、この僕に! 指一本でも触れることは不可能だと、アンタ自身がよく分かっているはずだろ! 先生!!」
『魔法使いに接近戦では勝てない』。
その常識を確立したのもまた、
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