15 真実

 全ての明かりが消灯され、森の木々すら寝静まった頃。

 月明かりだけが照らす廊下へ、音もなくドアを開けて出る。その身には、夜に溶けるような黒き服。

 白い手袋をはめた指で、眼鏡を押し上げる。

 そしてそのまま、一階へ下りる階段へ向かおうと――。


「――どちらへ行かれるのですか」


 背後から、若い女性の声がかけられる。

 最初に玄関で応対してくれたメイド長だ。

 しかしあの時以上の警戒心と敵対心が、隠れていない。


 彼女の持つランプによって、ランプの中にある魔石の光で、足元の影が伸びる。


 ――


 俯いていた顔を、メイド長の方へと向けた。


「いえ、トイレに行きたくなりまして。お手洗いはどちらかな、と」


 努めて明るい顔で。和やかな顔で。正面から彼女と向き合い、にっこりと語りかける。

 最初は怪訝な顔をしていたメイド長も、すぐに澄ました表情を取り戻し、小さく頭を下げる。


「それでしたら、反対側になります。案内致しますので、どうぞコチラへ」

「あぁ、これはどうも。助かります」


 メイド長の道案内に従い、その背中に従う――フリをして。


 反転し、階段の方へ駆け出した。


「ッ! ――殺せ!!」


 メイド長の叫びに呼応して。

 花瓶を置く台座の影に隠れていた別のメイドが、眼前に飛び出してきた。

 その手には、月明かりを反射してギラリと輝くナイフ。分厚い刃の身が突き立てられる。


 それを――『右腕』を差し出すことでガードした。


「なッ……!?」


 少女メイドは声を上げる。

 肉厚なはずのナイフが折れた。

 斬りつけた袖は裂けたのに、赤い血肉は姿を見せず。

 ただ反響する『金属音』に、三つ編みのメイドは驚愕の顔を浮かべていた。


「スイマセンね、私の右腕は特注品なものですから」


 左手の平をメイドの腹に叩き込む。

 加減はしている。単に触れるだけで良い。

 接触すれば、後はそこから――『音響サウンド』の魔法による振動で、内臓を激しく揺さぶるのだから。


「ぐっ、う……!?」


 痙攣しながら倒れるメイド。

 命に別状はないが、正視するのは憚られそうだ。この場面だけを切り取って見れば、立派な婦女暴行なのだから。


 そんな悠長なことも言っていられない。

 振り向けば、メイド長もスカートの下に仕込んだナイフを取り出していた。


 更に一階の階段を駆け上がり、他の部屋からもドアを破り、続々と武器を持ったメイド達が集まってくる。

 誰も彼も、若く美しい。ここで疑念は、確信に変わった。


 しかし同時に。こんな夜遅くまで勤勉ですね……と、包囲されつつ呑気に思う自分もいた。


「アルテミナ教は女神を主神とする宗教……。女性を傷つけるのは、戒律違反に当たりそうなのですが……」


 だが相手メイド達はお構い無しに、殺意を向けてくる。

 狭い廊下で挟み撃ちにされ。二階の窓から飛び降りるのも得策ではないだろう。

 退路は無し。ならば、押し通るしかない。


「……まぁ良いでしょう」


 腰を落とし、右足を引き、拳を柔らかく握り。

 『波濤拳』の構えで、この館の暗部に立ち向かう。


「血を流さず命も奪わず。私が10年かけて会得した『技術』、お見せしましょう」


 しかし最初に右腕でナイフを受け止めたのは、老師が見たらまた怒鳴りそうだなとも思った。


***


「……ん。アレ……?」


 目を覚ます。一瞬、自分の今いる場所が分からなかった。


 直前の記憶を引っ張り出す。

 お菓子と魔法の道具があると言うので、確かフランツの部屋にワクワクしながら入ったのまでは覚えている。

 広く豪華な部屋に通され。数々の珍しい魔導書や道具に目を光らせていると、ハーブティーを淹れてくれた。

 それを口に含んでから……その後、気を失うように眠ったのだ。食欲も知的好奇心も、旺盛だったというのに。


「……ふ、フランツさん……?」


 大きなベッドから起き上がり、周囲を見渡す。

 天蓋付きの寝台。客間のそれよりも遥かに立派だ。しかし、肝心の部屋の主フランツが見えない。

 すると。微かに、人の気配がした。

 ベッドのすぐ左脇。薄手のカーテンで仕切られた先に、何か――誰かいる。


 ミーナは恐る恐る、しかし決心して、カーテンを開いた。


「っ……!?」


 そこには。堅牢な『檻』があった。

 太く長い鉄柵。猛獣を押し込めるかのような、温かみを一切感じさせない監禁道具。

 その中には。獣でも魔物でもなく。――幾人もの少女達が、首輪で繋がれていた。


「……なによ、コレ……!?」


 服とも呼べないような布を身にまとい。手錠と首輪と、この檻と。

 人間性を否定され押し込められた少女達は、気力のない、落ち窪んだ瞳でミーナを見つめ返してくる。


「――起きたかい、ミーナさん」

「!」


 声のした方へ顔を向ける。聞き間違うはずがない。フランツの声だ。

 しかし――。


「……だ、誰……?」

「誰って。僕だよ。この館の主の、フランツさ」

「う、嘘! そんなハズない!」


 そこにいたのは、ミーナの知るフランツの姿はなかった。

 金髪と金の瞳は同じだ。白い寝巻きも。

 しかし千両役者にも匹敵する美貌は、今はどこにもなく。でっぷりと太った醜い男が、ニヤついた笑みで近づいてくる。


「だって、フランツさんは……!」

「頭が悪いなぁ。それでも魔法使い志望かい? ここまでバラしておいて『幻影魔法』の発想に至らない時点で、魔術学園アカデミーでは落第レベルなんだけど」


 小馬鹿にする言い方で、ベッドの上のミーナへ舐め回すような目線を向ける。


「幻影、魔法……?」


 その言葉を己の脳で理解するのに、ミーナは時間を要した。意味自体は分かる。

 ただ、館の優しい主だと思っていたフランツに騙されていた、という事実を飲み込めなかっただけで。 


「そんな……。全部、嘘だったの……?」

「いちいち確認しなきゃ理解できないのかい? 僕、頭の悪い人間は嫌いなんだけど」


 ミーナの問いを否定しない。

 それだけで、ミーナの想像が正解であることを物語っていた。


「だ、だって、魔法の才能に恵まれなかったって……」

「そんなワケないだろ。僕は天才なんだ」

「お父さんは、国家認定魔導師で……」

「父親はいない。母親も。顔も名前も知らないよ」

「毎日一人でご飯食べて、寂しくて、久しぶりのお客さんで楽しかったって……!」

「寂しくなんかないさ。僕はたくさんの『お嫁さん』に囲まれているからね。……キミも、すぐに仲間入りさ」

「立派な魔法使いになりたかったって、言ってたじゃない!」

「僕を誰だと思っている! 口うるさいだけのニワカ魔女がっ!」


 ついに興奮した醜男が、ベッドに座るミーナを組み伏せる。


「ヤダ! やめて! 放して!」

「まぁ良いさ、素直なだけじゃつまらない……! 顔は悪くないんだし、これからじっくり……!」

「……先生……っ!」


 荒い鼻息を間近に感じ。ミーナは恐怖のあまり、師に助けを求める。

 だが額に汗と、劣情の表情を浮かべる巨漢には、意味を成さず。

 脂肪がたっぷり乗った顔を歪ませ、細い手首を握る手に力をこめる。


「あの男は来やしないさ……! 使あの人なんて、今頃僕の戦闘メイド達に……!」


 神父への対処も済んでいるという。

 それを聞いたミーナの顔から、さっと血の気が引く。

 己の身も危ういというのに、震える声で聞き出した。


「……あ、アンタのメイドは……戦闘員は……。王国の騎士達より、強いの……?」

「まさか。そこまでじゃない。だが、対人戦においては――」


 ふっと、力が抜ける。

 諦めたのか。投げ出したのか。違う。

 『安堵』のために、緊張が解けたのだ。


「はぁ~……。なんだ、良かった……」

「……何だと?」


 この状況で『安心』しているミーナの姿を、不審に思う。

 メイド達は複数人。その一人一人が、誘拐や暗殺でも、命令であれば従順にこなす自慢のペット。

 それを魔法の師に差し向けられたというのに、何が「良かった」のか。全く理解できない。


 しかしミーナの中では既に、一つのシンプルな結論に到達していた。

 彼は来る。あの人は、必ずここへと辿り着く。

 ならばそれまで、眼前にいる豚のように太った男に、力の限り抵抗するだけで良い。

 何故なら――。


「先生を倒したかったら、騎士団の一個大隊バタリオンくらい持ってこないとダメよ」


***


 老師の言葉を思い出す。

 極めてごく稀に、冴えきった瞳と頭脳で語りかけてくれた時の教えを。


『良いかウェイフォン。で立ち向かってくる相手を、で押し潰してはならん。疲れるだけじゃ』


 ナイフが突き出される。

 左足を引いて半身を取る。

 刺突をかわし、ナイフを持つ右手首を、左手で掴む。

 そして己の右掌で、メイドの鎖骨を打つ。

 いや、正確には『打撃』ですらない。飛び込んでくる位置に、手の平を『置いた』だけだ。


 勢いのまま、そこへ激突して来るメイド。

 鎖骨を強打し音振を受け、廊下に沈む。


『十の力を受け流せ。己が使うのはだけじゃ。敵の十に己の一を足せば、相手は十一の力で地や壁に叩き付けられる』


 振り返り様に回し蹴りで、振り下ろされたナイフを叩き落す。

 雷撃にも似た速度の蹴りにメイドは怯むも、諦めず素手のまま襲い来る。


 目潰し――。騎士道など存在しない、戦争ではなく『戦闘』の技術。

 だが動じることはなく。

 今度は右足を引いて身を捻り、右手で相手の手首を掴み。

 足をひっかけ、後頭部に左腕を回してから――床に投げる。


「がっ……!」


 顔面から廊下に叩き付けられたメイド。鼻を打ち、そのまま沈む。


『一の力のみで戦えば、疲れることもない。何十人に囲まれようと、何百人を相手にしようともな』


 廊下の前後から、次々と攻撃が繰り出されているというのに。汗一つかかず。

 かわし。叩き落し。一撃で戦闘不能にする。


『一騎当千のつわものとは、千人力を宿した者のことではない。相手の千の力を、千と一にしてする技術を持った者のことじゃ』


 どれほどの激流が襲いかかろうと。己の正面と、背後から迫ろうと。

 そこに渦を巻き、己の身には水滴一つ付けないまま、激流を相殺する。

 それこそが――波濤拳。


「……おやおや。どうなされました。折角うら若いお嬢さん達に囲まれたのに。そうも距離を取られると……。まるで加齢臭でもして嫌がられているのかと、不安になるのですが」


 近接戦闘では敵わないことを悟ったらしい。良い判断だ。

 プライドに邪魔され猪突猛進してきた騎士達よりは、いくらか冷静だろう。


 そして攻め方を変えたメイドの軍勢は――その手に持ったナイフを、投擲してきた。


「!」


 宙を舞い、直進してくる三本のナイフ。

 回避はできる。しかしそれでは、背後にいるメイド達に当たるかもしれない。

 同士討ちを考慮していないのか、あるいは覚悟の上か。

 どちらにせよ――。己の身で回避も受けもしない。


「ではどうするか? します」


 一人呟き、壁に飾られていた『絵画』を手に取る。

 その上質な絵と、安物ではない頑丈な『額縁』で、投げナイフの攻撃を防いだ。


「あ゛っ」


 しかし。その絵画には。

 女神アルテミナが、湖畔で優雅に横たわっていた。


「……っちゃー……。やってしまった……」


 女神は微笑を湛えたまま。彼女の脳天と胸と下腹部からは、ぶすりと刃が突き出てしまっている。


 せっかく細心の注意を払って、女性メイドに怪我させないよう立ち回っていたのに。

 これでは、女神の怒りを買うかもしれない。


「……まぁ良いや」


 気にしたのは一瞬だけ。ナイフが刺さった女神の絵は放り捨て。

 背後から迫ってきたメイド長の斬り下ろしを、交差させた手首で受け止める。


 拮抗した状態で、メイド長は『想定外』といった感情を隠せないまま、恐れにも似た目を向けてきた。


「……何者ですか、貴方は……! ご主人様の話では、魔法はもう使えないと……!」

「何者、と言われましても。ご覧の通り、魔法もロクに使えないただの田舎神父です」


 そう言っておきながら、瞬時にメイド長の靴を踏み付け、動きを制し。

 脇に回って左の拳で腕の関節を殴り上げつつ。右の拳を、手首に振り落とす。


「ッ……!」


 人体の構造上曲がらない方向へ、打撃のエネルギーを伝える。

 痺れと痛みにナイフを落とし、しかしそれでも、左に隠したナイフを向けてきた。


 更に背後からは、二人がかりでの攻撃が迫っていた。

 少し離れた場所からは、投擲のためにナイフが振り上げられている。

 破れかぶれで、包囲して袋叩きにするつもりか。


 さて、どうしたものか。少し悩んでから――。


 『魔法』を、放った。


***


「……やれやれ。私もまだまだ未熟ですね。体術だけで制圧できるようにならないと」


 を踏まないように気を付けながら。階段へと向かう。


「反則くさいから、あんまり好きじゃないんですけどね……。ま、仕方ない仕方ない」


 『耳鳴り』が響く自分の頭を、トントンと叩きつつ。

 悠々と、月光照らす廊下を進んだ。

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