14 新しき時代

 食後の紅茶を、ダンスホールのように広いリビングルームで啜りながら。

 神父は柔らかなソファに背を預け、壁にかけられた絵画達を眺めていた。

 アルテミナの女神を描いた宗教画。

 10年前の戦争で魔物と戦った、勇敢な騎士達の戦争画。

 あるいは古代の生活を描き出した風俗画。


 実に様々な年代やジャンルの絵が飾られている。ともすれば、雑多ともとれるようなラインナップ。規則性や収集主の好みが見えにくく、目が滑る。

 しかし別に鑑定士でもなければ高尚な審美眼を持っているわけでもないので、流すように紙の上の絵の具を認識するだけだ。


 しかしそんな中で、目を止めたものがあった。

 絵画ではない。その下の、ガラスケースに収められた物体。

 黒く無骨な、多くのグラリア国民にとっては見慣れないであろう一品。


「さすが神父殿。お目が高い。『鉄鋼機械』に着目するとは」


 立ち上がってケースに近づいた時。

 ちょうどドアを開け、バスローブ姿のフランツが入ってきた。

 入浴後の彼は、更に増して色気が出ている。


「いえ……。物珍しいなと思っただけです」


 しかし同性である神父はこれまた冷静に、視線を戻す。

 鉄製の歯車や、多くの部品を組み上げて作られた機械達。

 しかし仮に素人が見ても、奇妙な形をした彫刻としか感じないだろう。

 それに目を付けた神父を、フランツは評価しているようだ。


「これは油を入れて、点火させることで回転を生み出す内燃機関エンジン。そちらのは、水を蒸発させて出力を上げる蒸気機関と呼ばれるものです」

「どれも、西方の国で最近台頭してきた技術ですね」

「ほう、ご存知ですか!」

「詳しくはないですけれど。知り合いに、こういうのが好きな鍛冶屋がいるものでして」


 フランツは喜色満面といった様子で、口々に『エンジン』とやらの解説をする。まるで、自慢の玩具を友達に披露する子供のようだった。


「これらは新しい時代の要になるでしょう。既に西方では、人々の生活に広まっているそうです。聞いたことありますか、『機関車』というものを! 馬車よりもずっと多くの人や物を乗せ、魔女のホウキより速く道を駆け抜けるそうですよ!」

「……おやおやこれはこれは。偉大なる魔導師のお父上を持ち、伝統と歴史を重んじるグラリアの国民とは思えぬ先見性ですね」


 半ば嗜めるような言い方に、興奮の火は鎮まるものの。それでも、フランツの情熱は止まらないらしい。


「……ここだけの話ですが、魔法は既に時代遅れだと思います。討伐戦争で魔石の鉱脈を魔物達の領土から手に入れたものの、その採掘量は年々減っています。しかし王国は代替エネルギーを国家認定魔導師達に研究させるでもなく、権威と技術を独占するだけ……。今、王国の基盤は揺らいでいます」

「貴族達も保身ばかりで、戦場という活躍の場を失った騎士達のフラストレーションは、日々溜まるばかりですからね」


 つい先日、その吐け口にされた身としては、言葉に実感がこもる。


「このまま変革が無ければ、グラリアは衰退の一途を辿るでしょう。その前に僕はこれらの品を手土産に、西方の新興国に向かうつもりです」

「亡命、ですか?」

「そんな大層なものじゃないです。ただ、グラリアの国益になる技術や知識を身に付け、持って帰りたいと思っています」

「なんと素晴らしい……」

「魔法の才が無かった自分なりに、祖国に貢献できるのはこれくらいかな、って……」


 青臭い理想論かもしれない。少し恥ずかしそうに笑うフランツからは、そんな気持ちが滲んでいる。

 しかしその夢は、手放しで賞賛するべきものであった。


 魔法の才能が無くとも、自分で自分の道を模索し進む。情熱と堅実が入り混じった聡明な理想に、目頭が熱くなる思いだ。

 今頃バスルームで泡まみれになっている弟子にも、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい気分だった。


「……私も」


 最近、夢見る若者達に感化されたからか。つい口を割って本音が漏れる。


「私もかつては、新しい技術や変化に、胸躍らせ歓喜したものです。次々に学習し、習得し、目まぐるしく世界は変わっていった」

「……今は、違うのですか?」

「世界や自分は簡単に変わるものだと思っていました。無限に変えることができるのだと。……実際はそうじゃないということを知っただけです。身の丈、限界、打ち止め……。過ぎ去る時間は早まるのに、己の変化は鈍化していく。……単に、一種の『老い』が来ただけなのかもしれません」

「神父殿はまだお若いじゃないですか」

「己の限界を悟った時から、人は老いるのですよ」


 自嘲気味に吐き出された言葉に、若き当主は口をつぐむ。

 そんな彼が落ち込まないよう、伝えたい想いを続ける。


「ですが」


 眼鏡の奥の双眸で、金色の瞳を見据える。照明の光を反射して、宝石のように輝いていた。


「限界を知るための冒険は、全ての者が生まれながらにして持つ挑戦権です。己の夢が無謀な空想なのかを試す権利は、神によって保障されなければなりません」

「それは……」

「目指すと良いでしょう。貴方の夢を。貴方の行く道を。行き止まりなのか茨の道なのか、それを確かめる前に阻害されるなんてことは、それだけは、あってはいけません」

「……ありがたいご教授、胸に刻んでおきます」


 感銘を受けたといった様子で、頭を下げる。

 そんなフランツを、神父は少し、笑みで見下ろしていた。


 重量感のある内燃機関達だけが、その黒光りするパーツに、彼らの姿を鈍く映し出していた。


***


 その夜。

 久々に広いお風呂で足を伸ばし、全身をさっぱりさせたミーナは、バスローブ姿で屋敷をウロついていた。


「お腹空いたな~。何か余ってると良いんだけど……」


 師匠であるクリス神父は、割り当てられた部屋で既に寝たようだ。

 当主のフランツも自室に戻った。

 こんな時間にまだ起きているメイドがいるか不安だが、厨房に行くだけ行ってみようと思う。

 誰もいないならそれはそれで、少しばかり『拝借』しても許されるだろう。ここの住人は良い人そうだったし。最悪、師匠が謝ってくれる。


 などと小賢しい計画を立てていると、考え事をしたせいか、再びお腹がぐぅと鳴く。


「前は小食だったくらいなのになぁ……」


 先生クリスが聞いたらきっと「何の冗談ですか」と鼻で笑うだろう。あれだけ夕食をかっ喰らっておきながら。


 しかし実際、以前まではこんなに大食いでも無かったし、すぐに空腹感を抱くような体質でもなかった。魔女の里にいた頃は、祖母に心配されるほど食が細かった。

 ここ最近の話だ。異様に食欲が湧いてきたのは。


 自分の変化を不思議に思いながら。魔獣のように唸るお腹の虫をさすりつつ、階段を下りる。

 すると一階には、同じく寝巻き姿の、金色の美丈夫がいた。


「あれ、フランツさん」

「おやミーナさん。こんばんは」

「フランツさんもお腹空いたんですか?」


 一瞬言葉の意味が伝わっていなかったようだが、すぐに理解し、フランツは噴き出してしまった。


「僕はつまみ食い目当てじゃないですよ」

「あっ、いや、その、盗もうとかそういうアレじゃ……!」

「構いませんよ。ただ、ネズミが入らないよう厨房にはもう食材が置いてないですし、食料庫も鍵がかかってますし……」

「そうですか……」

「ですが……甘いお菓子くらいなら、僕の部屋にありますよ」

「えっ!?」

「それに父の遺した魔導書や、貴重なマジックアイテムも保管してあります。よろしかったら、見に来ますか?」

「ホントですか!?」

「もちろん。久々の客人ですから、眠くなるまでお話ししましょう」

「はい! 行きます行きますお邪魔シマス!」


 ミーナの目の色が変わる。

 甘いお菓子に魔法の書。どれも、ケチな師匠の教会には置いていなかったものだ。

 断る理由など、あるはずがない。


 自称『か弱い箱入り娘』は、フランツの誘いの意味も理解しないまま、彼の背中に嬉々として付いていった。

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