17 破砕震音駆動拳

 魔法使いが戦う時。その戦闘スタイルは基本、相手の攻撃が及ばぬ距離からの射撃となる。

 古来は、長い詠唱の際に大きな隙が生まれたため。

 詠唱が簡略化されて以降も、『研究者』である魔法使い達は接近戦を苦手とした。

 無論、肉体を強化する魔法や、戦士並に身体を鍛える者も存在した。

 しかしそれは特殊な例であって、魔法による戦闘とは――遠距離攻撃ロングレンジ射程外攻撃アウトレンジでの戦いを指している。


 故に。

 拳に魔法を付与して殴り倒す戦法に活路を見出した、この男は。

 かつての魔法皇は――こんな状況にいつか追い込まれることも、頭の隅では自覚していた。


「討伐戦争でグラリア王国が当初は劣勢だったのも……。後に魔法使い達を懐柔し戦列に加え、最終的に勝利をもぎ取ったのも……! 全ては魔法の持つ『射程』の功績! 人類は太古の昔から、より長い射程を持った武器を持った側が、勝利して来た!」


 何もそれだけが戦争の勝敗を分けたのではない。しかしマイクの言った『歴史』も、終戦へと導いた一つの大きな要素ではある。


 そしてそれは、一対一のこの場においても。同じことが言えた。


「懐に入ってしまえば、関係ないですけどね……!」


 もう一度拳を握り。壁を蹴って、一気に駆け出す。


「ライトニングスピア!」


 光の槍が放たれる。足元を狙い、身動きを封じるつもりだろう。

 瞬時に右に避け、跳躍し、上空からの蹴りを――。


「ソニック・ショット!」


 再び。衝撃波を放つ魔法が、マイクの杖より発せられる。

 飛び蹴りを選択したのは悪手だった。空中では身動きがとれず、咄嗟に右腕を前にかざすも、防ぎきれず正面からマトモに喰らってしまう。

 その威力に天井へ叩き付けられ、重量に従って床へと沈む。


「ぐ、ぅ……!」


 右腕の袖が破け、黒い義腕が姿を現す。

 全身がバラバラに砕けそうな痛み。骨にもヒビが入っているだろう。

 詠唱の速度、正確性、威力。どれも一流だ。


 加えて、建物全体を包むほどの幻影魔法や、自分の見た目を変化させる魔法を、顔色一つ変えずに使用し続ける魔力。

 これが、魔導魔術の開祖である自分クリスの指導を受けた、5人の弟子――その四番、マイク。

 たとえ国家認定の魔導師であっても、彼と正面切って戦い、押し切れる者はごく少数だろう。


「……腕を、上げましたね、マイク……ッ!」

「どうも。先生の方は見てらんないね。この程度の、昔のアンタなら指一つ動かさず打ち消していた」


 全て事実だった。

 マイクが今まで一度も、上位の攻撃を使用していないことも。

 10年前の自分なら、その場から動かずとも魔法を相殺し、反射させ、数秒もかからず相手の全てを否定できていたのも。


 それが今では。

 丸腰で立ち向かい、打ちのめされ、無様にも床に膝を付いている。

 昔の自分が見たら、さぞ呆れるだろう。あまりにも、見苦しい。


「ヒキョーよ!」


 ベッドの陰に隠れ、戦局を見守っていたミーナが。劣勢に立たされる師を見て、声を上げた。

 最上クラスの魔法使いの戦闘技術を前にして。自分では手も足も出なくとも、せめて口出しくらいはしなければ、気が済まなかった。


「男だったら一方的にイジメてないで、お、同じ土俵で戦ってみなさいよ!」


 負けるとは思っていない。先生クリスの強さは、この場にいる誰よりも知っているつもり。

 しかし近付くことすらできないでいる様子に、イチャモンにも近い野次を飛ばすことしかできない。


「昔から、同じ土俵に立たせてくれなかったのはアンタの方だ先生。僕は成長し、アンタは劣化した。それだけのことさ」

「……えぇ。そうですね。その通りですよ、マイク」


 痛む身体に鞭打って。よろよろと立ち上がり、三度対峙する。

 しかし今度は、拳を握ろうとはしなかった。


「……ミーナ。今から、あまり聞かれたくない話をするので、少しの間耳を塞いでいなさい。……檻の中にいるお嬢さん方も」


 何を語り始めるというのか。

 しかしミーナは躊躇わず、師匠の命令に従った。己の耳をしかと塞ぎ、囚われている少女達にも同じようにするよう願い出る。


「……魔法皇だった頃の話でもする気かい先生? それとも、アンタのせいで『母さん』が死んだこと? どっちみち、新しい弟子に良い顔したかったら――」

「――『ライトニングスピア』の発射速度はいくらですか、マイク」

「……は?」


 急に。何を言い出すかと思えば。その質問は実にシンプルであり、同時に――あまりにも簡単だった。


「……およそ時速500キロメルトリスさ」

「正解です。では、最速の魔法とも呼ばれる『ソニック・ショット』の速度は?」

「……時速800キロメルトリス」

「その通りです。流石は私の弟子です」


 マイクは訝しんだ。これで挑発のつもりか? と。


 出題は基本的かつ、初歩の初歩といったレベル。アカデミーの一年生でも、いや、これくらいの知識がなければ入学することすら不可能。

 魔法使いにとってそんな『常識』を聞いて、何がしたいのか。聞かれたくない内容でもないだろうに。何かの心理作戦か、それとも出来の悪い精神攻撃のつもりか――。


「私の拳は、どうやら貴方に届かないようです。ご存知の通り魔法も、貴方に向かって撃ち出すことはできません。仮にサウンドの魔法をここから使用しても、それで貴方をどうこうできないでしょう。何せ音を操るだけの魔法ですから」

「なら、さっさと諦め……」

「ですが。魔法や弓を貴方に向かって放つなんてこと、本当は必要ないんです」

「……何を」

「だってそうでしょう。こうして私達は言葉を交わしているのですから。互いの意思疎通を行えている。……知らなかったのではないですか? マイク。貴方のために届ける『声』の速さは――」


 一瞬。それは、マイクが神父の意図に気付くのに要した時間。

 1秒にも満たない、刹那の時。


 だが常人を越えた計算スピードや、脳が理解し肉体へ命令を送る電気信号すらも。

 その速度は、遅すぎた。


 何故なら――。


「――音の速さは時速1225キロメルトリスですよ」


 息を、大きく吸った。


「――ッ! ソニッ……!」


 遅い。

 杖を持ち上げ声を出し魔力を解放し衝撃波を神父に届けようとする、その頃には。


 『サウンド』の魔法で強化されたは、刹那よりも短い時間で。

 既に鼓膜へ、届いている。




「ごぉぉぉぉぉああああアアアアアあああああああああああああッッツッッ!!!!!!」




 音が。

 声が。

 大気の振動が。


 爆発した。


「うわああああああああああああああああああああああああッッ!!!!!!」


 床と壁と天井にヒビが入る。

 家具は砕け、ティーカップが割れ。

 そして太った男の鼓膜は、激しく揺さぶられる。


 サウンドの魔法は音を操る。音を出すだけ。

 魔力をほとんど持たない神父では、遠距離攻撃として使用することは不可能。


 しかし。生まれ持った『声』なら。


 自分自身の『大声』を砲弾とし、それを魔法で揺さぶり、強化すれば。

 文字通り『音速』の声は、何者よりも素早く相手に直撃する。


「……ぅ、ぁ……!」


 酷い耳鳴りと船酔いに似た吐き気に。マイクは足取りが覚束なくなり、上下左右の感覚すら分からなくなる。


 そんな中で。己に向かって拳を振り上げ向かってくる神父先生の姿を視認し。五賢人としての知識と知性が、身体を反射的に動かした。


「ひっ……! だ、『ダイヤネス』!!」


 マイクの皮膚が硬質化する。

 全身を硬化する魔法。美青年に顔を変化させたものや、肉体を強化する魔法達と分類上は同じ。肉体変化の術によって、体表を硬くする。


 マイクほどの使い手ならば、鉄や鋼どころの硬さではない。恐らく鉄の義手で殴りつけても、拳を振動させても、体内にまでダメージとしては響いていかないだろう。


 分かっていた。故に、「助かった」とも思った。

 正直、この状況で怯まずに反撃をされた方が勝機は無かった。

 だが臆病なマイクが最後には、己の身を守るための魔法を使うと知っていた。その可能性に、全てを賭けた。


「マイク……!」


 だからこそ。右腕の関節付近に取り付けられた『フック』に、左人差し指をかけた。

 そしてそれを――引っ張る。

 フックの先に取り付けられたワイヤーが、右腕の義手内部から伸びる。


 マイクはその『機構』を、名称だけは知っていた。


「『リコイルスターター』……!?」


 西の国の『チェーンソー』なる道具にも使用される、回転によって『内燃機関エンジン』を叩き起こす方法。


 ワイヤーによって回転を与えられた義手は唸りを上げ。

 排気ガスを紫煙のように吐き出し。

 『声』よりも更に大きな騒音が、振動そのものが、神父の右腕より奏でられる。


「言ったでしょう。『こういうの』に詳しい知人がいるって。特注品なんです」


 右腕を振り上げる。

 超微振動するその拳は――炭鉱の岩盤すらも、砕く威力を有している。


 衝突インパクトの瞬間。弟子と目が合った。


 その不安に揺れる金色の瞳は、いつかの日と同じ色をしていた。




『――そんなところで泣いて、どうしたんですかマイク』

『先生……。……みんなが、ぼくをイジめるんだ。太っちょとか、豚さんとか……』

『そうですか……』

『ぼくは、みんなと仲良くしたいだけなのに……』

『……では、魔法を勉強するのはどうでしょう?』

『まほう?』

『そうです! 誰かを幸せにする魔法を、皆を笑顔にする魔法を習得すれば、きっと皆がマイクのことを大好きになってくれます』

『……ほんとう?』

『本当です。さぁ、手を握って。行きましょう。男の子がいつまでも泣いていてはいけませんよ』

『うん……』

『大丈夫です。マイクは優しい子ですから。きっとすぐに、魔法が得意になりますよ』

『……うん……!』



 あの日。

 彼の手を引いた右腕は、もう無い。




「歯ァ食いしばりなさい、マイクゥゥあああああああああああ!!!」




 丸々と太った鉱石に。冷たく硬いクロガネの右腕を――叩き込んだ。


 殴り付けられたマイクの身体は吹っ飛び、壁すら突き破り。

 その巨体は、隣の部屋の壁にぶつかってから、ようやく制止した。


 後に残ったのは部屋を包む静寂と、その静寂を切り裂くように唸る、右腕のエンジン音だけだった。

 その断続的に鳴り響く駆動音は――心臓の鼓動にも、誰かの慟哭のようにも聞こえた。

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