2章
11 五賢人
グラリア王国、首都エウロ。
かつて『魔王』を討伐し、揺ぎ無い栄光と勝利を手に入れたこの国でも。
ひとたび陽の差し込まない路地裏に入れば、そこには闇が潜んでいる。
「………………」
蒼い瞳が、薄暗い袋小路に向けられていた。
頭の後ろで一つにまとめた空色の髪が、淀んだ風に揺れる。
落日の光は蒼き少女が着る白いローブの背に当たり、足元の影を伸ばし、その先には――赤黒い水溜まりが広がっていた。
「……クソっ」
壁にもたれ、浅い呼吸を繰り返す男。
周囲には他に三人分の、穴だらけの亡骸が転がっている。
そして男自身も腹から血を流し。手で出血を抑えつつ、少女の蒼き瞳を見上げる。
男の無精髭も、金の十字架も、黒い神父服も。全てが鮮血に染まり、最早どう足掻いても助からないことを如実に示していた。
「……はっ」
最後の抵抗か。あるいは抗えない不条理に笑うしかないのか。
吐き捨てるように、自分よりも若き少女へ侮蔑の目を向けた。
「分かって……いた、さ……。こう、なる……事……くらい……」
ぼやける視界。それでも尚。夕日の逆光を背にする少女の『蒼』だけは、捉え続ける。
しかし対するその『蒼』は、どこまでも無感情で、揺れ動くこともなく。無機質な薄氷のような瞳をしていた。
「ただなぁ、お前らの……。国の、やり方は……! いつか……行き詰る……。魔法は……大衆、の……」
「――お前の神に祈れ」
少女が口を開く。
見た目から想像される年齢よりも更に幼い声に神父服の男は驚く。こんなにも若い『殺し屋』と出逢うのは、裏稼業をしていても中々珍しい体験だった。
「……女神アルテミナは全ての罪を見通し、報いを与え……審判の日に魂は浄化される……。……故に……我らは……より清き、精神を……」
男の瞳から光が消え行く。
身体から力が抜け、温かな血が流れ出て寒い。それでも口元からは、言い慣れた聖句が絶えず零れる。
「……マル、サー……タ……」
ついには目と口を開いたまま、男は動かなくなった。
それを見届けてから、蒼き少女は男に歩み寄る。
瞬間。
男の右腕が跳ね上がった。
「ッ!」
「『ライトニング・スピア』!」
まだ死んでいなかった。いや、既に死ぬ間際だ。これが本当に最後の一撃。
攻撃魔法を撃ち込みながら、男は意識を手放した。
右手から放たれた光の槍は、少女に一矢報いようと迫る。
しかし。その槍は、少女に命中することはなく。
一瞬。槍は姿を消し、次に男の眼前に現れ、そのまま男の頭部を吹き飛ばした。
返り血と脳漿が少女の顔を汚す。蒼き髪も、白いローブも。
それでも少女は動じることなく、その場に立ち尽くしていた。
「――なァに反撃なんか許してんだ、『魔弾』さんよォ」
ガラの悪そうな声が、少女の背にかけられる。
『魔弾』と呼ばれた蒼き少女は、声のした方を振り向く。
そこには夕陽よりも更に赤く燃える、火炎のような髪を逆立てた青年がいた。彼女と同じ、白いローブを着て。
「反乱分子の粛清だからって、ちょっと手抜き仕事過ぎるんじゃねーの」
「何の用」
「あァ? 俺がテメェに会い来る理由なんざ、一つしかねぇだろ。『五賢人会議』の召集に決まってんだろうが」
「議題は」
「知るかボケ。知っててもこんな場所で機密事項を喋るかよ。どうせ、『魔王の右腕』が盗まれたとかどうとかの話だろ。噂は街にも広がり始めてる。そうじゃなきゃもしくは、住民の失踪事件関連だな」
「興味無い。欠席する」
一言でそう吐き捨てた少女に、赤髪の青年は目を吊り上げる。
「てンめぇ……。召集は法王様の命令だろうが……! ナメてんじゃねぇぞ!」
「舐めてない。興味が無いだけ」
「ただでさえ席が一個空いてんのに、テメェまで欠席したら『三賢人会議』になるだろうが! 俺一人で奴ら二人の相手したくねぇよ!」
「興味が無い」
同じ返答を繰り返す。まるで己の自我でも無いかのように。
しかし自分の主張は強情に曲げない。無感情そうでいて、感情的だ。
ならばと。仮面かと思うほど表情の変わらない彼女に対して、『餌』を撒くことにした。
「……ハッ。そうかいそうかい。なら興味の湧きそうな噂を聞かせてやるよ。まだ確定情報じゃねーから、議題に上がるかは微妙だが……」
「……何」
「『クリス・ルシフエル』が、マルタ村を脱出したらしいぜ」
「……!」
氷の仮面が剥がれ落ちた。ビンゴのようだ。
「……まァ、今更あの人が動いたところで何もできやしねーよ。剣も魔法も右腕も奪われて、人と魔族の両方から恨みを買ってる男だ。また『魔法皇』として担ぎ上げるような奴なんて……」
まだ喋っている途中の青年を横切り、蒼き少女は歩いて行く。
「おい――」
擦れ違い様。彼女の表情を見た青年は、その『殺意』に口角を歪めた。
「……!」
「……す。殺す……。殺す、殺す、殺す……! アイツ、だけは……!」
つい先程まで、人の頭部を吹き飛ばしても眉一つ動かさなかった少女が。
クリス・ルシフエルという名前を聞いただけで。親の仇でも見つけたような顔で、法王庁の方角へ向かって行った。
「……オイオイ、証拠隠滅もせずに行くつもりかよ。仕事が雑過ぎんだろ」
そう言って、転がる死体達に手を向ける。
するとその亡骸も、亡骸の身に着けていた服や十字架も、広がる血溜りすらも。白炎を発し、焼え尽き、焦げ一つ残さず消え去った。
まるで最初から、この路地裏がこれほど綺麗であったかのように。
「ったく。世話の焼ける妹分を持つと、兄弟子は苦労するなァおい」
王都の街並みに、沈み往く夕陽を眺めてから。青年もその場を去る。
そして暗闇に包まれる袋小路には、不気味なほどの静けさが戻っていた。
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