10 そして未来へ
「離して! 離してよイザベラちゃん!」
「ダメ! 危ないよ、ミーナちゃん!!」
「だってまだ、神父様が中に!」
腰にしがみつくイザベラを振り払おうともがく。そうしてでも、ミーナは燃え盛る教会に向かって行こうとする。
しかしイザベラも必死に、それを許さない。天井すら焼け落ちた今、中に入るのは無謀だ。
そして齧り掛けのパンを落とし、老師もまた呆然と黒煙を見上げていた。降りしきる雨が、せめて少しでも早く鎮火させてくれるよう願いながら。
その時。教会が崩れ落ちるのと、ほぼ同時に。
燃え盛る聖堂から『何か』が飛び出し、上空で羽ばたき、ミーナ達の前に飛来してきた。
「なっ……!?」
その者は、ミーナ達の身長の二倍はあろうかという体躯をしていた。
黒い身体に角と羽を生やし、鋭い爪と牙が見え、人間など一口で丸呑みにしてしまいそうな大顎だった。
「ま、魔物……!?」
凶悪な面相をした『ガーゴイル』に、その赤い眼光に、ミーナは腰を抜かしてしまう。
誰か、魔物を討伐してくれるような騎士――は、神父が全員倒してしまった。
その神父が。
クリス・ルシフエル神父の姿が、ガーゴイルの手の中にあった。
「神父様!?」
***
ガーゴイルは丁重な手つきで、神父を地に下ろす。
そして神父が目を覚ますと、うやうやしく頭を垂れた。
「……なかなか、私も悪運が強いみたいで……」
「ご無事なようで……! 『魔法皇』様……!」
「これのどこを見てご無事だと思ったんですか……。……ですがまぁ、『魔王』ではなく久々に正式名称で呼ばれたので、良しとしますよ」
神父が生きていることに気付き、ミーナとイザベラは魔物の姿に恐れながらも近づいてくる。
そんな二人の姿を見て、思わず笑いが零れてしまった。
「全ての魔の法を定め、我らを導いた貴方様に……! お伝えせねばならぬ事があり、此度は馳せ参じました……!」
「今更私に何の用ですか。私は戦に負け追放され、
「――『魔王の右腕』が何者かに奪われました」
「……!」
痛みに構うことなく起き上がり、ガーゴイルを見上げる。わざわざ嘘を言いに来たはずもない。
己の右腕を見る。その煤けた硬い義手。10年前に失った、腕の代わり。
「全ての責を負い、心臓を抉られ右腕を斬り落とされた魔法皇様には酷な話なれど……。右腕が悪用されれば、また世は戦乱に戻ります。各地の魔物達も『魔王の右腕』を手に入れ、再起を図ろうとしています。一体どこの誰が、厳重な法王庁の警備を掻い潜り盗み出したかは不明ですが……。せめて事態だけでも、魔法皇様のお耳にと……」
戦争の代償。平和な世の中へ進むための礎。そのためなら己の右腕など、安いものだと思っていた。
教会にこもり聖典を唱え、自由のない生活だったとしても。世界から戦が消えたのなら、それで充分だと思っていたはずなのに。
時代の針は、再び動き始めてしまった。
「……伝えてくれてありがとうございます、ガーゴイル。貴方には悪いですが、すぐに各地の魔物達へ私からの言葉を伝えて下さい。事態の詳細が分かるまで、決して不用意に動くなと。情報収集だけに努め、事を荒立てることなど無いように」
「我が主の命ならば、喜んで飛びましょう……! 10年振りの勅命、必ずや全ての者共にお伝え致します……!」
感極まった声を出しながら、ガーゴイルは再び羽ばたく。そして、西の空へと飛んでいった。
思えば騎士隊がこの村に来たのも、ガーゴイルを追ってのことだったのだろう。
そして早朝に、教会の上に居るガーゴイル像を不思議に思ったミーナの眼も、間違いではなかった。
「神父様ぁぁぁぁぁッッ!!!」
「おっわ!?」
そんなミーナが、1週間前のように。猛スピードで駆け寄ってきた彼女がは飛びついてくる。
ボロボロの身体では、今度はちゃんとキャッチすることもできず。勢いよく押し倒されてしまった。
そして彼女は年下のイザベラよりも子供っぽく、わんわんと泣き出した。
「無事で良がっだでずぅ~……! 仲直りできないまま死んじゃっだら、アダシどうしようがど……!」
「ハイハイ、こちらこそ変な意地を張って申し訳なかったですよ……。あと重いですから、早く退いて下さい……」
「重くないもん!!」
ミーナの騒がしいこの声は、自分の放つ
***
教会は全て焼け落ち、回収できるものなど一つも無かった。
通り雨は過ぎ去り、白く薄い雲の隙間から、虹色の光が村に差し込む。
住む場所を無くした神父達は、牧場を経営するリールさんの家に厄介になることになった。元々、毎朝牛乳と卵を分けて貰っていた顔馴染みだ。リールさん家の息子にも、神父はよく勉強を教えていた。故に快く歓迎してくれた。
しかし、牧場に住むのはイザベラだけになった。神父がそう、願い出たのだ。
今回の騒動。そして教会の焼失。全て、王都にある法王庁へ報告しに行かなければならない。
そして同時に、『魔王の右腕』のことも捜さなくては。野放しにはできない。
リールさんに用意して貰った『旅』の荷物を担ぎ、黒く焦げた柱を見つめる。
焼け落ちた教会は、かえって心を軽くした。一度は魔王として死に、二度目は罪人として隠居する神父が焼け死に。
三度目の人生を旅立つにあたって、古い物は全て燃えてくれた方が良かったのだ。
ただ、唯一の気がかりがあるとすれば。
「イザベラ……」
既に鎮火した協会跡地で。その庭で。イザベラは一人、黙々と土を掘り返していた。
神父が助かったと気付いた時は、涙を流し喜んでくれた。しかしイザベラを村に置いて旅立つ事を決めた時は、悲しそうな顔も浮かべていた。
そして今。何かを掘っているその姿に、かける言葉が見つからなかった。
「……神父様!」
そこへ。作業を終えたらしいイザベラの方が駆け寄ってきた。
「……コレ……」
「これは……」
土に汚れた小さな手には、『球根』が乗せられていた。
冬でも咲く青紫の花。イザベラが教会に来てから毎年、世話をして咲かせていた花。
騎士に踏まれて炎に焼かれ、ほとんどがダメになってしまった。しかし地の中で、新たな命を繋げるための準備は始まっていたのだった。
「ちょっと小さいですけど、植えればまたきっと花は咲きます」
「イザベ……」
「だから、大丈夫です」
父と母を失い。孤独な運命の中にあって。潤んだ瞳で、イザベラは微笑んだ。
「待ってます。神父様とミーナちゃんが自分のやりたい夢を叶えて、いつ戻ってきても良いように。私も立派なお花屋さんになるために、種を植えて、花を咲かせて……! 待っていますから! ですから、大丈夫です! 私の事は、心配なさらなくとも!」
「……!」
きっと、見透かされていたのだ。すっと前から。この少女には。
今の生活に満足していなかったことを。
本当は魔法が好きなことも。
教会を出て、『氷の花畑』を目指したかったことも。
それらを全て理解し、たとえ自分が寂しくとも、送り出してくれる。
きっと彼女がいなかったら、とっくに心は折れていただろう。
イザベラの手を握り。土に汚れたその美しい手を、硬い義手で握りしめる。
「行ってらっしゃい。神父様」
「ありがとう、ございます……! 行ってきます……!」
そうしてイザベラと別れ、村の出口へ続く道を行き。
イザベラとよりも付き合いの長い『老師』とすれ違う。
「波濤拳の真髄は……河の流れに等しく……」
しかし老師は旅立とうとする神父になど目もくれず、毎日の徘徊コースを進んで行く。
「いや、あの……。……まぁ、良いか……」
マトモな別れなどそもそも期待していない。
老師に関してはいつも通りな方が、かえって安心する。
しかし。視線を感じて振り返ってみると、老師がこちらをじっと見ていた。
「……?」
「ウェイフォン」
何だろうか。また怒られるのか。
だが老師はにっと笑うと、また自分の道を歩いて行った。
「修練を怠るでないぞ」
それだけ言って、もう振り返ることもなく。
小さくなっていく老師の背中に、神父は拳を合わせて、一礼した。
そして村の出口へと辿り着く。
そこには既に、全ての準備と別れを終えた、出逢って一週間ばかりの少女がいた。
「遅いですよー、神父様。ホウキも何も燃えた今、スピーディーに行動しないと。王都まで何日かかることやら」
赤いツインテールの上に乗った黒い三角帽子。
姿形は魔女なれど、心意気だけで中身の伴わぬ少女。
しかしそんな彼女は。彼女こそが、今まで出会ってきたどんな人間よりも、『魔法使い』にふさわしい人物だと思い始めていた。
その資格があると。
「……ミーナ・ベルガモット!」
「は、はい! 神父様!」
急に呼ばれて背筋を伸ばす。
その姿をおかしく思うが、笑ったりはしない。今からするのは、大事な話だ。
「これからは、私のことを神父様ではなく『先生』と呼びなさい」
「……それ、って……」
ミーナの表情がみるみる変わっていく。何とも分かりやすい。
「……ですが、一つだけ約束してくれますか。魔法を決して、人を傷つけるためには使わないと。私がいなくなっても、何年経っても……! 魔法を、人の幸福のためだけに使うと」
自分にはできなかった。
最強の魔法など存在しないように、完璧な魔法使いもまた存在しない。
だから繋げる。改良し、継承し、理想に近づく。その先に『氷の花畑』があると信じて。
そしてそれを託す価値が、ミーナにはあるのか。それを問うた。
「はい……! 約束します、先生! アタシは、皆を笑顔にする魔法使いになります!」
確認するまでもなかった。
自分を真っ直ぐ見つめ返すそのエメラルドの瞳には、一つの曇りもない。
「ならば私の魔法を……! 私の知る全てを! 貴女に授けます!! 行きましょう、ミーナ!」
「はい! 先生!」
かつて魔術の全てを開発し、練り上げ、魔法として体系化した『魔法皇』。
しかし時代の奔流に呑まれ、彼は『魔王』と呼ばれ全てを失った。
剣を捨て魔法を捨て、それでも捨てきれない想いが、まだここにあった。
その想いを託すため。そして己の目指す場所のため。
鉄腕神父は魔女見習いの少女と共に、新たなる人生への第一歩を踏み出した。
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