09 鉄腕
黒い神父服では、炎の剣の一撃を喰らうだけで全員が火に包まれてしまう。
しかし対する小隊長も、鎧では『音』による振動を防ぎ切ることはできない。
互いに間合いを取り、タイミングを見計らい、迂闊には踏み込めない状況で――小隊長は先に動いた。
「せぇいっ!」
剣の軌跡に火の粉が舞う。刀剣が振るわれるたびに、炎が残影となり空気を焦がす。
相手の動きを読み、その剣戟を回避する。
しかしフラつく身体では徐々に追い詰められ、二人は教会内部の聖堂へと戦いの場を移す。
「どうした! 逃げるだけか!?」
後ずさりしながら奥へ退く。
左右にある身廊の長椅子を引っ張り、簡易的なバリケードとするも、小隊長は長椅子を叩っ斬り、焼き払い、次々と迫り来る。
このままでは、火の手が教会の全てを包んでしまう。
覚悟を決め、振り上げられた剣の柄を殴打する。
空いた胴体に肘打ち、顔に裏拳、そして肩を使っての体当たりを入れる。
一度に三連撃を食らわすも、相手は膝を折らない。
「打ち込みにさっきまでの勢いがないぞ! もうヘバったか!」
聖句による『毒』が身体に回っている状態だ。全力を出し切れない。
しかも相手は体力豊富で血気も盛んな騎士。多少の『振動』では、平衡感覚を奪われることもないらしい。
「確かに多少は腹に響くが……。これならまだ、王都の酒場で酔い潰れた時の方が苦しかった」
「……騎士様でも、悪酔いすることがあるのですね」
「あぁそうだ。そして一介の田舎神父が、騎士に勝てるなどと馬鹿な夢に酔いしれてしまうことも。……安心しろ。この剣で、貴様の中に流れるその悪い酒ごと、血肉を蒸発させてやる」
燃えた長椅子の炎は、既に教会の天井近くまで登っている。
酸素も薄くなってきた。思わず床に膝をつく。
ぼんやりする頭に浮かんだ言葉は、老師の叱責だった。こんな時まで、彼の顔は思い出したくなかったが。
「――こりゃあ、ウェイフォンッ!」
「……!?」
しかしそれは走馬灯などではなかった。
教会の入り口近くで、危ないからとイザベラやミーナに止められても、なお押し入って来ようとする老師の姿がそこにはあった。礼拝終わりに配ったパンを片手に。
「何べん同じことを言わせるつもりじゃ! 弐十一の型は、手首を使うんじゃあ!」
「……何だあのジジイは……?」
小隊長は謎の老人を不思議そうに見ている。
しかし神父には、不思議なことは何もなかった。彼の怒りも、己の技術の未熟さも。
「……うるっさい、ですね……! 毎回毎回……! 冷える朝はオイルが回らなくて、上手く動かせないんですよ!」
「何を……」
「ですが騎士様のおかげで、ようやく温まってきました」
笑ってから腰を上げ、再び立ち向かう。
正しく構え、呼吸を整える。
振るわれる剣と火炎を紙一重で回避し、腕を殴り上げる。
それでも振り下ろされた剣を、その持ち手を。半身を取りつつ、手首の捻りを使って床に叩き落す。
ならばと掴みかかってこようとする左手の、その指を。逆に掴んで反対側に折り曲げる。
「痛ッ……!」
「失礼」
そう言いつつ、後ろに回り、小隊長の膝の裏を蹴る。
体勢を崩した隙に、再び前に回り。二の腕の内側を叩き、顎に肘鉄。
グラついた所を、一気に畳み掛ける。
鳩尾、鎖骨、こめかみ、顎。
反撃に剣が持ち上げられれば、すぐさま手首と関節を叩いてそれを許さない。
そしてまた、掌底で胸を打つ。
「……お、のれ……!」
よろめきながら後退する小隊長に、それでも戦意を失わない姿に、少しばかり驚く。
これだけ打ち込んでもまだ立っているとは。鼻血を出している。体内も相当揺れているはずなのに。
やはり伊達や酔狂で一団を預かっているわけではないらしい。
「あああッ!!」
半ば狂乱になりながら、炎の剣を突き出してくる。
そんな乱れた剣が当たることはない。
左の拳で柄を打ち払い、これで終わりにしようと、右ストレートを繰り出そうとした。
その時。
小隊長は、神父に背を向けた。
「!?」
払われた剣の勢いに逆らうことをせず、あえてそのまま、遠心力を借りてフェイントを仕掛けたのだ。錯乱したフリをして、至極冷静な頭で。
相手の力すらも使用して反撃する波涛拳。小隊長は、その片鱗を悟り、逆に利用してみせた。
命中することなく突き出される右の拳。
それを、剣に肩に担いだ小隊長が、振り向き様に両断しようとする。
この一撃に互いの全てが乗っている。
しかしこのままでは、神父の右腕は真っ二つにされてしまう。
回避か、防御か。どちらにせよ、炎は袖口にでも着火する。そこに必ず隙は生まれる。
それを狙った小隊長は――勢いを殺さぬまま腕を突き出す神父の姿に、驚愕した。
「なッ……!?」
腕は引かない。回避もしない。ただ、真っ直ぐに殴り付ける。
全身に力をこめて、想いを乗せて。
――そして、決着の時は来た。
右腕全体を火炎が包む。
折れた剣が、天井高く舞い上がる。
炎の中から飛び出す、神父の黒き腕。
焦げているわけではない。
剣を折る硬度。
炎に負けない耐熱性。
黒光りする無骨な姿を持つ『ソレ』は――。
「――『鉄腕』……!?」
神父の義手が、右ストレートが、小隊長の顔面に叩き込まれる。
そして聖なる言葉がよく届く、聖堂内の『反響』を利用して。
その
「コレが、私の魔法だぁぁぁッッ!!!」
渾身の一撃と、増幅した音の振動を受けて、入り口まで殴り飛ばされ。
雨降りしきる外に転がり出た小隊長は、ついには気を失って剣を手放した。
燃え尽きた半身の剣は、雨に打たれるたびに蒸気を発する。
それを見届けてから、限界を迎えた神父は教会の床にへたり込んだ。
「……ハハ……。流石に……グーパンを魔法と言い張るのは、無理がありますかね……」
しかしそれで勝利を掴んだ。
ミーナとイザベラの声が遠くに聞こえる。彼女達を守ることが最期にできて、本当に良かったと思う。
燃え盛る聖堂。10年過ごした場所。長椅子も祭壇も聖書も、ベッドも食器も『氷の花畑』の絵も、全てが火炎に包まれ天に還るだろう。
忌々しい牢獄だったはずのここも、これで別れかと思うと少し寂しい。
「……まぁ、私にしては……。よくやった方ですかね……ジャンヌ……」
もう一歩も動けない。
建物全体が軋み、崩れる音がする。
そして、クリス・ルシフエル神父を中に残したまま。
教会の天井は、焼け落ちた。
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