21 ガーネフ武具屋

 鬱陶しいので首のコルセットを外し。

 ようやく楽になったと思いきや、身軽になりはしなかった。


「お~いしー! 流石は王都エウロ!」

「……マズイですね、コレは」


 味のことではない。ミーナの暴食に蹂躪された、己の懐具合の話だ。

 財布の方はすっかり軽くなった。しかしそれと反比例するように、左腕には重い紙袋。その中身のほとんどは、ミーナにせがまれて道中で購入した食べ物ばかり。

 焼きたてのパンに、瑞々しい果物。甘い菓子や分厚い燻製肉。


 しかしそれらを見て絶望の顔を浮かべるクリスなど、気にもせず。

 ミーナは大通りを歩きながら、先程買った商品に齧り付く。細かく切った肉や野菜を薄皮で包んで揚げた、王都の名物料理。

 熱々の饅頭に舌鼓を打つミーナの顔は、実に満足げだった。


「……あ! 先生、なんかアッチからも美味しそうな匂いがしますよ!」

「そっちは目的地と違う方角なので却下です」

「えー!」

「貴女はまたそうやって、一人でウロウロしようと……。迷子にならないで下さいよ」

「先生の方こそ、まーたアタシを子供扱いしてー。……ん?」


 食べ歩きをしながら他愛もない会話を繰り返していると。家々の屋根の向こうに、目立つ建造物を見つけた。

 進む度に『ソレ』は近付き、そして。露店などが並ぶ大通りを、右に曲がった先には。

 街路樹が立ち並ぶ通りの向こうに、ソレは全容を現した。


「大きい! 綺麗! 誰の像ですかアレ?」

「……あぁ」


 ミーナが指差す方を見て。

 首都エウロの中央広場にそびえ立つ、白い陶器の彫刻を言っているのだと気付く。

 10雨風に晒されたせいか、やや経年劣化しているものの。天高く剣を突き上げるその騎士は、その『聖女』の銅像の事は、見間違いはしない。誰よりもよく知っていた。


「……アレは『聖ジャンヌ像』ですよ。10年前、魔王にトドメを刺し人類に平和をもたらした、勝利の女神です」

「あぁ、救世の英雄ですね! 名前は聞いたことあります。へぇ~……。すっごい美人だったんでしょうね!」

「……そうですね」


 顔色も声の調子も、一切変えることなく。

 脇に荷物食品を抱え、足取りそのままに、横道に入る。

 そうすると中央広場の方は、見えなくなった。


 わざわざ見物する必要もありはしない。

 あんな銅像よりも、実物の方が、ずっとずっと美しかった。


 あの日。魔法皇としての自分が終わった日から、彼女の記憶は固定化され、朽ちることのない思い出と化したのだから。

 目を閉じるだけで、姿も、声も、全てを思い出すことができる。

 そしてそれはきっと、他の五人の弟子達も同じであろう。

 あの『ハウス』に住んでいた者達にとって彼女は、忘れたくても、忘れられない人なのだから。


「……ところで先生。これから行く鍛冶屋って、事前に連絡とかしてあるんですか?」

「アポイントメントは取っていませんよ。……ですがまぁ、大丈夫です」

「本当に大丈夫なんですか?」

「えぇ。何せ『彼女』の工房は、人間は滅多に訪れませんから」

「……?」


 言葉の意味を図りかねる。しかし二の句を継ぐ前に、饅頭の湯気と香りに気を奪われる。

 再び王都名物を味わうミーナは、黙って神父の隣を歩くだけだった。


***


 その工房は、大通りメインストリートから外れた、一等地とは呼べないような地区に居を構えていた。

 迷路のような細道や曲がり角を何度も進み。まるで土地勘でもあるかの如く、神父は裏路地を迷い無く進む。

 そこには煌びやかな都会の喧騒とは程遠い、静かで薄汚れた空気が辺りに広がっていた。

 同じ王都でもここまで違うのかと。落書きされた壁や路傍に捨てられた生ゴミ、それを漁る浮浪者の姿に驚きつつ、ミーナは神父から離れないように付いていくしかない。


 そして。とある一角でようやく二人の足は止まった。ここが、目的地だ。


「……『ガーネフ、武具屋』……?」

「おや、よく読めましたね」

「え、えぇ、まぁ……。何となく」


 看板に描かれているのは、グラリア王国で採用されている言語ではない、ミミズが這ったような独特の文字。

 なるほど確かに、普通の人間が見たのでは、何の店かも分からない。予め知っている者でなければ、この鍛冶屋を訪れはしないだろう。


 しかしミーナが読み解いたその屋号の通り、建物の奥からは熱気と、金属と金属のぶつかる鍛錬の音が届いてくる。


「ごめんください」


 工場の音に負けないよう、やや声を張り上げて。工房へと足を踏み入れる。

 すると。熱した鉄を水に入れたような蒸発音がし。独特の香りがする白煙の中から、『職人』は現れた。


「なんだいなんだい、刀剣の納期なら明後日だろがい。グラリアの騎士は日付も分からな――」


 騎士団の来訪と勘違いしているのか、刀匠はドスの効いた声で悪態をつく。

 だが来訪者の姿が煌びやかな銀甲冑でないことに気付くと、黒い神父服を認識すると――途端に表情の色を変えた。


「……って」

「どうも。ご無沙汰しています、ハンナ」

「クリス! 珍しいじゃないか、アンタの方から訪ねてくるなんて! むしろ初めてじゃない!?」


 声も大きければ、背も女性にしては高い。

 豪放磊落を絵に描いたような『ハンナ』は、頭に巻いた油汚れの目立つタオルを取り、赤茶色の髪を振りほどく。

 そして細身な神父の身体をバンバンと強めに叩き、来訪を喜んでいる。


「てか良いのかい、アンタ。あの村から出てきちまって!」

「アルテミナ教会の神父として、法王庁に業務報告をしに来ただけですから。神職者の責務を妨害できるのは、法王様だけですよ」

「相変わらず、頭と口先だけは回る男だよ! 騎士が捕まえに来たって、庇い立てしないからね!」

「勿論です。ハンナに迷惑はかけませんよ」


 親しげに会話する先生クリス職人ハンナの間に、ミーナは割って入ることができずにいた。

 どうやら二人は旧知の仲らしい。しかしどうにも、高身長な二人の威圧感に尻込みしてしまう。

 それだけではない。ハンナは大きい。色々と『デカい』のだ。

 熱を遮断する分厚い作業服の上からでも分かるボディライン。同じ女として、敗北感を覚えるには充分過ぎた。

 しかし自分には将来性がある。魔法の腕前も女性的魅力も、どうせすぐに――。


「ところでコッチのおチビさんは?」

「私の弟子です。押しかけてきた所を、なし崩しに容認するような形で」

「なし崩しって!」

「……ふぅん。『弟子』、ねぇ……」


 ハンナの目が向けられる。

 己の話題が上がったことに気付いたミーナは、まだ挨拶していない事を思い出し、慌てて頭を下げる。


「み、ミーナ・ベルガモットです。初めまして!」

「こりゃどうもご丁寧に。あたしゃハンナ・ガーネフ。父親がドワーフで、母が人間の、いわゆる亜人って奴さ」

「……『デミ・ヒューマン』……」

「なんだい、魔女なのに物珍しいかい? そんなナリしてるから、てっきりアタシらみたいなのは見慣れてるもんかと」

「あっ、いえ、その……!」

「ミーナはまだ見習いの身分ですからね。何もかも、これからです」


 「そうだったのかい」とハンナは笑って、立ち話も何だからと、工房の奥へと案内してくれた。


「魔女を目指してるなら、色々知っておかなきゃね! まぁ師匠がクリスなら大丈夫だろうけどさ。何せ、魔法以外にはなーんの取り得もない男だからね!」

「貴女は失礼ですね相変わらず」

「褒めてんのさ! コイツを師匠に選んだミーナは、良い選択をしたよ」

「……どうもです。あざっす」


 歯に衣着せぬ、とはこういう事だろうか。

 しかしその裏表がないようなストレートさは、ミーナには心地よかった。

 魔女を目指しているからと好奇の目を向けることも、馬鹿にもしない。ただ一人の夢追い人として、きっと他の若者であろうとも、このように平等に接するのだろう。


 様々な工具や武器防具、そして熱気の充満する中。

 そんなハンナ半ドワーフが営むアトリエを、二人は進んで行った。


***


 しかし実際。

 己が生み出した『作品』の変わり果てた姿を見て。ハンナもクリスという男に対して、流石に呆れる思いだった。


「……焦げ跡、凹み、切り傷、磨耗、そして終いにゃ動作不良。さんざんブッ叩いてブッ叩かれて、って感じかい? 三ヶ月前にド田舎まで出向いて新調してやったってのに……。ここ最近の間に、何があったのさ」

「……えぇ、まぁ、そうですね……。どれから話せば良いのか」

「まぁ詳しくは聞かないよ。顧客の事情に足突っ込んでも、何の得にもならないからね」

「助かります」


 ミーナのおねだりで買ってきた品々をテーブルに広げ、お茶請け代わりにしながら。

 椅子に座る各々の視線は、黒き鉄腕に集中されている。


 ボロボロになった右腕の義手。それだけなく、神父クリス自身も三ヶ月前より傷付いているのを見抜き。

 しかし彼の込み入った事情も知るハンナは、あえて追求しようとはしなかった。


「……直りますかね?」

「ここまで来ると、丸ごと交換した方が早いし安上がりだね。ちょうど、新作を持って行こうと考えていた所だし……。むしろナイスタイミングさ」

「それは良かった」

「騎士連中からの仕事も途中だからね。アンタの腕は、3日後には完璧なモン用意してやるよ。それまでウチに泊まると良い。今は『居候』が他に一人いるけど、まぁ寝る場所なら空いてるし」

「では、お言葉に甘えて」

「……3日で完成できるんですか?」


 ミーナは義手の事については詳しくない。しかし素人目から見ても複雑そうな機構の右腕を、それほどの短期間で用意できるのか。

 そんなミーナの疑問に、ハンナは白い歯を見せつつ笑って答えた。


「ドワーフ族に代々伝わる製鉄技術を、ナメるんじゃないよ。特にアタシは古今東西の素材や工法を組み合わせるのが得意分野だからね。どのドワーフにも人間の技師にも、負けないモン作るさ」

「私の知る限りですが、ハンナの腕前はグラリア王国でも一番ですよ」


 その身にはドワーフの持つ力強さと、人間の指先の繊細さを兼ね備えている。

 ハンナだからこそ作り出せる、彼女にしか生み出せない一品こそが、クリス・ルシフエルの求める代物であった。


***


 その夜。

 月光差し込むガーネフ武具屋の屋根裏部屋で、神父は床に就いていた。


 夕飯時では、相変わらずのミーナの大食いっぷりが、半ドワーフであるハンナすらも驚かせていた。

 普通の人間の女性よりもハンナの食事量は多い方だが、ミーナの胃袋はドワーフ級だったようだ。

 しかしそれでますますミーナを気に入ったのか、今は下の工房で女子二人楽しくお喋りをしている。


 他者と交流するのが上手い弟子だ。やはり、何かしら他者を惹き付けるものがあるのだろう。

 ミーナの知らない魔法を、自分はたくさん知っている。

 しかし同時に、ミーナにできることを、真似できない。

 

 そう思いつつ、大きな欠伸が出る。

 マルタ村にいた頃の癖で、早い時間から眠くなってしまう。明日の早朝、老師が訪ねてくることもないのに。それでも明日は早起きしてしまうのだろう。


 そう言えばイザベラは元気にしているだろうか。牧場で寂しい思いをしていなければ良いのだが。きっと、大丈夫であるはずだ。精神的には自分やミーナよりも強い子なのだから。

 それらの事を取りとめもなく考えていると、やがて睡魔が襲って来て、抗うこともなく夢の世界へと身を委ねることにした。


***


 そして深夜。

 ミーナもハンナも寝静まった頃。


 屋根裏部屋へと続く天井窓が、静かに開かれた。


「……あん? 誰だ、コイツ……」


 その小柄な侵入者は。屋根裏の狭いスペースに布団を敷き、静かに寝息を立てる神父を見て。気配を殺したまま呟いた。

 そして同時に、目ざとくも、枕元に置かれた輝く金色を見つける。

 

「……へへっ」


 思わぬ収穫。今日はもう仕事終わりにして引き上げたつもりだったが、むざむさこんな『チャンス』を見逃す理由も無い。

 忍び足で、音を立てぬまま神父に近付き、枕元に置かれた金の十字架ロザリオを手に取る。

 そして猫のような動きで、再び音もなく、天井の窓から出ていった。


「儲け、儲け……! お導きに感謝するぜ……!」


 眼下には夜でも光を失わない、宝石箱のような夜景が広がっている。

 そんな王都の空を身軽にジャンプして移動する。

 屋根から屋根へ、小さな影が飛び跳ねる。


 そしてある程度ガーネフ武具屋から離れると、民家の屋根の上で止まり、今し方『拝借』したブツを改めて確認する。


「……本物の金だぜ……! ラッキーなんてレベルじゃねぇ! 女神様サマだなこりゃ。質屋のジジィ、腰抜かすぜぇ~……! きっと10万か20万で換金――」


「――されてしまうと、困るんですよねぇ」


 背後から。頭上の方から。男の静かな、声がした。


「それ、大事な商売道具なんです」


 『泥棒少女』は声にもならない、驚きと恐怖の叫びを上げた。

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