20 エウロの都
法王庁事務局で第一受付口を担当するコンラッドは、かれこれ勤続50年となる。
髪とヒゲが白くなるまで半世紀もの間、グラリア王国の首都エウロにて、法王庁に関する様々な事務仕事を請け負ってきた。事務局長を務めたこともあり、周囲からの信任も厚い。
そんな自分も若き頃は魔法使いに憧れ、遠方の魔導師に弟子入りを志願したこともあった。
しかし才能が無かったのか、あるいは師である魔導師に『教育』の概念が無かったためか。夢半ばでエウロに戻り、アルテミナ教に出家して神父となった。
「ほい、22番でお待ちの人~」
それから法王庁の事務局員となり。
今日まで、この窓口に座り続けてきた。老眼と腰痛が最近になって悪化してきたが、まだまだ働ける。孫がアカデミーに入学した今、学費を援助して息子夫婦にも楽をさせてやりたい。
「申請書類と身分証を」
背の高い男が二枚の紙と、
十字架の裏には、本人を特定する刻印が彫られているのだ。
「マルタ村のクリス・ルシフエル神父ね。わざわざ遠い所からご苦労さん」
マルタ村と言えば随分と田舎だ。何年か前に罪人が流されたとか噂を聞いたが、年を取ったせいかあまり詳しく思い出せない。
それよりも、仕事に集中しなければ。
「……はいはい、建物火災の申告と、騎士団への意見申し入れね。……え? 誘拐犯を引き渡した? そりゃお前さん、法王庁じゃなくて憲兵の仕事でしょ。
二枚の書類から目線を上げ、異な事を言う者を怪訝に思う。
そこには。勤続50年目にして、それでも初めて目にする風貌の男がいた。
右腕の袖が破け、腕全体に包帯をグルグルと巻いている。眼鏡にはヒビが入り、神父服もあちこちボロボロだ。そして首には、医療用のコルセットが巻いて固定してある。
誘拐犯を捕まえただけで、ここまで負傷するものだろうか。
「……馬車にでも轢かれたんか?」
「えぇ、まぁ、ちょっと。……弟子を信じた自分が馬鹿だっただけです」
「?」
よく分からないままだが、深入りはしない方が良いと長年の勘が告げている。
コンラッドは申請書類に判子を押し、また後日連絡が行くと、ズタボロの神父にそう告げた。
彼は周囲の神父やシスター、法王庁内を忙しく行き交う人々からの、好奇の視線を集めながら。
よろよろと、覚束ない足取りで法王庁を後にした。
***
せり立つ白壁の法王庁は、さながら古代遺跡のような荘厳さだった。女神の信託を受け、威光を王都にあまねく広めるに相応しい外観をしていた。
その入り口では建物の外周に沿うようにして、花壇に青紫の花弁が咲き誇っている。
腰ほどの高さがある花壇の縁石に腰を下ろし。「そんな格好で法王庁に入れるわけないでしょう」と、「鏡を見てくださいよ」と反論したい格好をした
目の前の広い道路には、人や馬車が絶えることなく行き交っている。
出店には多種多様な商品が並び、客を呼び込む店主の声や、王都の現体制に不満を訴える集会の代表者が演説し。
故郷である魔女の里やマルタ村とは、比較にならない活気と喧騒に満ちていた。
そんな彼らは時折、チラチラと
典型的な、もはやステレオタイプとも化した魔女の格好。魔王が倒され魔女狩りを経て、魔法使いは国に認められた一部の者だけを指す時代。奇々怪々な姿をしていると思われるのは、ごく自然なことだろう。
「お待たせしました」
そんなナリをしている者に話しかけるのは、同じく『変てこ』な出で立ちをした神父くらいなものだ。
マイクとの戦いで袖が破け、鉄製の義手が露出したために、巻いた包帯でそれを隠し。
ミーナの無茶な転移魔法で首をやらかしたので、応急処置として首を固定している。
そんな格好の師を見ると、思わず笑いがこみ上げてくる。
「……ぶふ」
「何笑ってんですか殴りますよ。右手で」
「いやイヤやめてくださいゴメンナサイほんとに。次は上手くやりますから!」
「貴女はもう魔力を使用する乗り物禁止です」
「えー!」
ホウキを暴走させた時といい、屋敷ごとの転移魔法といい。
確かに目的地には到着したが、毎回乗り物を大破させていたのでは、まともな移動手段とは言いにくい。
「法王庁への用事は全て済みました。マイクと少女達のことは、完全に憲兵の管轄だそうです。あとは騎士達が上手く処理してくれるでしょう」
法王庁はあくまで宗教組織である。マイクや
メイドとして働かされていた者達や、囚われの少女達の保護も騎士団に任せれば問題ない。
ごく一部の騎士には乱暴者も存在するが、基本的には国を守り民を庇護するのが仕事である、誇り高き官職の者達だ。
「とにかく一件落着ですね! じゃあこのまま、王都観光しましょうよ! アタシ来るの初めてだし!」
「いえ、その前に寄る所があります。知り合いの鍛冶屋の工房へ行って、とにかくこのガタが来ている腕をどうにかしないと……」
「え~……」
マルタ村での騎士小隊との戦闘。そして幻影の館でも、メイド達やマイクと戦い。特に硬質化したマイクの身体を殴りつけた時、あれが致命傷となったのか、右腕は指一本も動かなくなっていた。
ここ最近で酷使し続けた義腕は、もはや正常に動作しないほど痛んでいる。この状態のままでは、何か『事』が起きた際に対応できない。
『魔王の右腕』の捜索はこれからであり、マルタ村で待つイザベラの事も、いつまでも放っておくわけにはいかない。
しかし。山奥で育ったミーナにとっては、初めての都会である。魔術に関する品々だけでなく、社会見学としても、彼女にとっては楽しみたいはずだ。
懇願するような目に根負けし。過程はどうあれ、短期間で王都に辿り着けた功績も評価し。譲歩するより他はなかった。
「……ですが
「ホントですか!? やった! 先生大好き!」
「調子の良い人ですね……」
媚を売るように腰に抱きついてくる弟子を引っぺがし。
なるべく少ない出費で鍛冶屋にまで辿り着けることを祈りつつ、雑踏に足を踏み入れ――。
「……ん?」
「どうしました?」
ふと。視界の隅に、何か見覚えのある物を捉えた気がした。
「……いえ。何でもありません。行きましょう」
しかし周囲の人ごみに紛れ、『それ』を見失った。
気のせいだと思い、再び都会の喧騒の中へと、
青いポニーテールの髪の毛など、王都では特段珍しくもないだろうと思いつつ。
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