23 魔王の右腕

 フローレアの脳は既に、眼前で起きている事象への理解が及んでいなかった。


 今まで一度も捕まらなかった自分が、一介の神父に追いつかれた。

 その神父は居候先のハンナと知り合いであり。

 そんな彼と揉めている所に、青い髪をした『魔導師』が現れた。自分と同じく王都の掃き溜めで生きる、昼間では生きていた『おっちゃん』の死体を、引き摺りながら。


 そう、彼女は魔導師であるはずだ。

 神父の身体に無数の穴を空け、後方に吹き飛ばしたのは。詳細は分からないが、何らかの魔法なのだろう。

 そうでなければ、説明が付かない。自分とそう年齢の変わらない少女が、大人を圧倒するなど。


 逃げなければ。どうせ、おっちゃんも神父も助からない。

 それなのに。恐怖で足が動いてくれない。呼吸も上手くできず、息苦しい。


「お前の神に祈れ」

「……神様って……。大嫌いなんですよね……私」


 そうした言葉の応酬の後。ジャネットと呼ばれていた青いポニーテールの少女は、神父に向かって右腕をかざした。

 そして放たれる閃光。

 その一瞬の煌きは月光よりも眩く、神父の脳天を貫こうとして――。


 ――半透明の、夜の海のような『揺らめき』に。

 その光は、飲み込まれた。


「!?」

「……なッ」


 神父とフローレア、そしてジャネットの間を挟むようにして。

 薄暗い『膜』は両陣営を隔て、その上空から――ホウキに乗った『魔女』が舞い降りた。


「先生ッ!」


 赤毛の魔女。

 フローレアは、彼女がクリス・ルシフエルの弟子であるミーナという事を知らない。

 だがこの状況から、トドメを刺される寸前の神父を助けに入った事実だけは理解した。


「貴女も乗って! アタシ独りじゃ、先生を支えきれないから!」

「えっ……でも、その……!」

「早くして!」


 ミーナの必死な声と形相に駆り立てられるようにして。フローレアの足は動く。

 瀕死の神父を背中に担いだミーナは、ホウキに跨り。フローレアは二人の後ろから、血濡れの神父が落ちないよう支える。

 そして三人を乗せたホウキは、王都の上空へと飛翔する。


「待て……!」


 それを、わざわざ見逃すジャネットではない。

 瞬時に攻撃魔法を繰り出すも、どれも広がる膜に阻まれ、撃墜させることは叶わなかった。


 見た事もない防御魔法。いや、ミーナ赤毛の魔女は魔法を使用している気配すらない。ただ、三人乗りのホウキを制御するので精一杯といった感じだ。


「……まさか」


 攻撃の手を止める。

 ジャネットとミーナ、互いの視線が一瞬だけかち合った。

 そして師を同じくする『弟子』二人の邂逅は、言葉を交わすこともなく終わり去った。


 黒い魔力のバリアで包まれたまま、ホウキは王都の上空を猛スピードで駆けていった。


***


 生まれ落ちたその時より、『神童』で名が通っていた。

 それは賞賛と共に、『厄災』としての意味忌みも込められていた。


 魔法使いに拾われたのは、偶然か必然だったのか。どちらにせよ、物心が付く前の時より、本能的に『魔法』を操っていた。

 霊樹の森に隠れ住む、高齢だった師が亡くなった時から。神童は師の名前の一部を貰い受け、『ジル・ドレイク』と名乗ることにした。


「魔法をもっと、誰かのために使いたい」


 その思いを胸に、師とは別の道を進むことにした。

 魔法使いは己の分野を探求し、軽々には他者に伝承しない。

 だが神童は、より多くの人間の幸福を追求した。


 複雑な詠唱を簡略化し。

 古今東西の魔導書をかき集め。

 魔法使いによって千差万別だった専門用語を統一し。


 人々は古来より魔石を使うことができた。そこに着目し、少量の魔力でも扱える魔法を発掘・開発した。魔法は、以前よりも広く人々に伝播した。


 だが同時にそれは、伝承者を選ぶ魔法使い達の掟からは外れていた。

 少年ジルは、知らなかった。誰にでも魔法が扱えるようになるということが、どんな結果を招くのか。


 各地を巡る旅の中で『ジャンヌ』と出逢った。

 五人の幼子を見込んで弟子にした。

 7人で、ハウスの中で、研究と講義を行いつつも、世界に魔法を広めていった。


 その頃には。

 魔法は、悪意ある者達の『兵器』に変わり果てていた。

 国家に不満を持つ者達が魔法を武器とし。人間と対立する魔物達すら魔導を覚え。

 ついには、グラリア王国は魔法魔術を悪用する人間と魔物の討伐へと乗り出した。


 当時、全ての魔なる法を定めた青年は。『魔法皇』と呼ばれていたジルは。

 迫害される魔物を見捨てることができず。騎士と対立する魔法使い達を見殺しにはできず。

 魔法が戦争の引き金になった事実を、認めることすらできなかった彼は。

 やがて『魔王』として全ての者を導こうとして――魔王として、討たれた。


 魔術の極意を刻み込んだ右腕は、斬り落とされた。

 心臓を穿たれた。

 ジャンヌは『聖女』として己の前に立ち塞がり、そしてこの世を去った。

 弟子達はバラバラになった。いや、自分ジルの方から離れていっただけだ。彼らの無垢な視線から、逃げるように。

 そして彼らは魔王軍に大打撃を与えた英雄として、秘密組織『五賢人』として、法王からの信頼を得ている。


 そうしてジル・ドレイクは。

 『クリス・ルシフエル』として名を変え。田舎の教会で、静かに日々を過ごしていた。


 それが、どうして今。

 自分は王都にいて、マイクやジャネットといった弟子と再会し、死に掛けているのか。


 ――あぁ、そうだ、全ては。


 止まっていた運命が、再び動き出していたのだ。

 ミーナ・ベルガモットがホウキで教会に突っ込んできた、あの日から。


***


 太陽の光を感じて目を覚ます。

 窓から差し込む明るさに一瞬、自分が見上げているのが天井であると、認識できなかった。

 

「……ここは……」

「ガーネフ武具屋だ、ドレイク」


 自分のか細い声に、返答する者があった。


 その者は、黒い神父服の上に金の十字架をぶら下げていた。

 そして肌も褐色より更に重い黒色で、細身な自分と比べて屈強なシルエットをしている。

 その上、スキンヘッドと黒いサングラス。まさに全身ブラック。


 そんな威圧感のある神官が、工房のベッドで眠る自分の枕元で、椅子に座って聖書を開いていた。


「……『ローレンス大司教』……!」

「起きるな。そのままにしていろ」

「どうして大司教猊下げいかが、ここに……」


 大司教とは法王、その下で法王を支える枢機卿に続いて、アルテミナ教会では序列三位に座する神職者の称号。

 各地の教会や神父達を管理する、いわば地方統括官のようなもの。

 そして複数人いる大司教の中で、ローレンスは、クリス・ルシフエル神父の所属するマルタ村も管轄に入っている。即ち、直属の上司とも呼べる。

 そんな人物が。何故、中央街から離れた地区にいるのか。不思議でならなかった。


「法王庁事務局のコンラッドから聞いた。マルタ村の教会焼失の件や、お前が連行してきた『マイク・ドレイク』の件についても、色々と聞こうと思ってな。そうして訪れてみれば……まさか穴だらけになっているとまでは、思っていなかった」


 昨夜の出来事を思い出す。

 ジャネットと遭遇し、ジャンヌに関する真実を伝え、激昂するジャネットに敗北した。


 しかし痛みは多少あるものの、もう既に身体の風穴は存在しない。

 機械の右腕は無いが、傷は塞がっている。


「……ローレンス大司教が治療を?」

「回復魔法を使用したのは俺だが、感謝すべきは『お前の弟子』にしておけ。お前をここまで連れてきて、膨大な魔力量でそこまで回復させたのは、全てあのお嬢さんの手柄だ」


 ローレンスが顎で指し示す先には、椅子に座ったまま寝息を立てるミーナの姿があった。

 魔力を消費し、相当疲労したのだろう。毛布をかけられたままま、起きる気配がない。


 彼女はきっと、驚いたことだろう。

 先生である自分が、ボロボロになるまで敗北した姿を見て。

 そして、自分の胸元に埋め込まれた、大きな『魔石』を見て。


 上半身に服を着ていないので、誰が見ても分かる。

 心臓の位置に露出する、拳ほどの大きさもある『石』を。


「……ミーナ……」


 そのタイミングで。工房の扉が開かれ、午前の仕事を終えたハンナが部屋に入ってきた。


「おや、起きたのかいクリス」

「ハンナ……」

「言っとくけど、アタシは何もしてないからね。全部、そこの大司教さんとミーナのお陰さ。……この子、相当ビックリしてたよ。『先生の心臓に石が撃ち込まれてる! 早く摘出しなきゃ!』ってね」


 慌てっぷりが容易に想像できる。

 しかし同時に、不可解に思うこともあった。


「しかしどうして……。ミーナが私を助けに……」


 その疑問を口にした時。ローレンスの雰囲気が変わった。


「……ドレイク。起きたばかりだが、少し長くなる話に付き合ってくれるか」

「……なんでしょう」


 ただならぬ予感を悟り。心の準備だけはしておく。

 そしてローレンス大司教は、静かに、それでいてハッキリと、事実を告げた。


「単刀直入に結論から入る。お前が弟子にしたミーナ・ベルガモット。……おそらく彼女が――法王庁から持ち出された、『魔王の右腕』だ」

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