02 馬鹿がホウキでやって来る
それからの生活も、特段変わり映えはしないものだった。
日の出より早く起き、叱られながら老師と共に体操に励む。
終われば朝の礼拝を行い、地獄の責め苦のような激痛を味わう。
それを悟られないようにしながら朝食をイザベラと共に摂り、午前中は教会の畑で育てている作物の世話だ。
所属するアルテミナ教会から毎月給金は出ているものの、額はたかが知れている。少しでも食い扶持を増やすため、質素倹約と自給自足は欠かせない。
畑仕事が終わり昼食を済ませ、午後はイザベラと村の子供達に勉強を教える。アルテミナ教の教義だけでなく、読み書きや計算などの一般教養も。この村には学校がないため、ここが唯一の教育施設にもなっている。
そうして午後の授業を終え陽が落ちると、これまた質素な夕食となる。
そして次の日の準備やらを済ませ、早い時間に寝床へ入る。翌日も、また夜明けよりも先に目覚めなければならないのだから。
そんな生活を、もう10年も繰り返してきた。あの戦争が終わってから。
そしてこれからも、このルーティーンを繰り返すのだろう。己の命が尽きるまで。
しかし神父には抗う手段も、その気概もありはしなかった。
自分はかつて世界を混乱させた大罪人。ここは人も魔物も滅多に寄らぬ流刑の僻地。歴史の表舞台には二度と立てないだろう。
だが静かな暮らしではあった。変化もなく、やりがいもない、ただ生かされているだけの身。それでも、処刑されるよりは万倍良い。
そう思えば、無味乾燥なこの暮らしも悪くない。悪くないものなのだと自分を納得させておいた。――納得できる思考を、いつの間にか手に入れていた。
眼鏡を外し、薄いマットレスのベッドに横になる。
諦めというより、こうした『折り合い』を付けることこそが人生において大切なのだと、寝る前によく思う。
――しかし。『変化』とは常に、唐突かつ激しい音を立てて訪れる。
そうとは知らず。露ほどにも思わぬまま。
そういえば明日は安息日だからミサは無い、でも老師は構わずやってくるんでしょうね……と。全く別の未来を思い描いていた。
***
そして、劇的な『その日』は訪れた。
安息日でも構わず老師は教会に来る。年中無休、夜明けの時間きっかりに。
故に神父は今日も早起きし、欠伸を噛み殺し、支度してから門へ向かう。
東向きに建てられた教会の出口は、反対側となる西にある。
その西口の門を開いたところで、とある違和感に気付いた。
「……ん?」
最初はその違和感を、自分でも説明できなかった。
朝の冷たい空気。
家畜や森の小鳥達の鳴き声。
教会へと続く道を、摺り足で近づいてくる老師。
何も変わりない。いつもの日常だ。
いや違う。ようやくその『異変』に気付いた。
西方の空にはまだ月と星々が、暗黒の夜空が満ちている。
そこから何かが――空飛ぶ『誰か』が、この村に向かって来ていた。
「……!?」
目をこすって再確認する。
寝惚けてはいない。
眼鏡のピントも狂っていない。
己の視覚から来る情報が、間違っていないのは確かだった。
迫る黒点が飛翔体であることが。
その飛翔体は人間であることが。
そしてその人間のスピードがとてつもないことが――迫り来るたびに伝わってくる。
夜を背に、一直線に向かってくる者。
そのシルエット。飛行速度。黒い三角帽子と、ホウキにまたがって空を飛ぶその姿。見間違うはずがない。
神父は驚愕を隠せずに、接近する『少女』の正体を口にした。
「ま、『魔女』……!?」
『……てー……いて……――』
「……?」
ホウキに乗って空飛ぶ魔女が、何か必死に叫んでいる。
よく聞こえない。だが察した。
この教会に向かってくる彼女。猛スピードで西口に迫る彼女は――減速する気配がないことを。
「ちょっ……!」
そしてようやく、彼女の叫びも耳に届く。
届いてしまうほど、距離は詰まっていた。
「ど、どいてどいてどいてぇ~~~~~!!!」
「!!?」
まるで放たれた弓矢。魔弾の術式。
一直線に一気に、門を開いたまま呆ける神父に向かって突っ込んで来る。
「減速しなさい! 速度を落としてーっ!!」
「で、できませぇぇぇぇぇん! 止め方知らなぁぁぁぁぁい!!」
「じゃあ何でホウキ乗ったんですか!!!?」
思わず突っ込みを入れてしまう。
ホウキに乗って空を飛んでおきながら、減速することはできない。停止方法を知らない。
そんな魔女、いるはずがない。聞いたこともない。そもそも――。
「神父様~……。大きなお声がしましたけど、何かあったんで……」
「イ、イザベラ!? 二階に上がっていなさい!!」
まずい。大声を聞いて、イザベラが起きて来てしまった。
神父は考える。自分だけなら、突っ込んでくる『魔女』を回避することはできなくもない。
しかしそうすると、彼女は教会の祭壇やステンドグラスに激突し、確実に大怪我を負うだろう。
万が一、もし居合わせたイザベラとも衝突すれば。最悪の場合は――双方取り返しのつかない事故となる。
ならばどうするか。
腹は、既に決まっていた。
「仕方ありませんね……!」
こんな事はこの村に来てから初めてだ。しかしやるしかない。
一度眼鏡を指で押し上げてから、泣き叫んでいる
「こんな時に祈れば良いんですかね……! あの性悪女神に!」
「ぶ、ぶつかりゅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
古めかしい魔女服に身を包んだ少女と、不意に目が合う。
二人の距離はもう数メートルしかない。邂逅は一瞬。
しかし互いに視線で伝えた言葉と想いは、あまりも多かった。
「手を離しなさい!」
「ッ!!」
魔女はホウキから手を離す。
しかしホウキは速度そのまま、巨人の投げた槍のように、神父の胴体を貫かんとする。
それを――半歩、右に避けて『いなす』。
乗員を失ったホウキは祭壇に向かうのみ。猛スピードで教壇に突き刺さり、吹き飛ばし、祭壇をメチャクチャにしてからようやく沈黙した。
しかしまだ終わりではない。
ホウキを手放しても、慣性に従って魔女の身体は移動し続けている。このままではどの道、教会の奥に激突してしまう。
神父はそんな彼女の身を、両腕で抱え込むようにしてキャッチした。
「ひゃわっ!?」
「ッ……!」
ぐん、と身体が後方に引っ張られる。明らかに超過スピードでホウキを乗り回していた証だ。
少女の運動エネルギーが自分にも付与され、しかしそれを少しでも分散させるため、二人分の体重で床に叩き付けられる道を選んだ。
それでも止まらない。抱き合った二人はゴロゴロと教会の身廊を転がりながら、祭壇へと向かう。
その先にあるのは、散乱した祭壇に突き刺さった、彼女のホウキ。
しかも運の悪いことに、ホウキは折れ、鋭い槍となってこちらを向いている。
「まっず、い……!」
このままでは自分か魔女のどちらかが、あの木の槍に刺されて怪我を負ってしまう。
速度を落とすため転がりながら、必死に抗う。せめて、この胸の中に抱く小さな魔女だけは、守らなくてはと。
そして決心する。本当はやりたくない。しかしやるしかない。
転がりながら、一瞬を見計らい、左手を祭壇に向けた。
「『―――ド』っ!」
空気が揺れる。
爆発音のようなけたたましい衝撃が、教会内に響き渡る。
「……!」
神父の腕の中に庇われながら、魔女は認識した。詠唱までは聞こえなかったが、確かに、その『魔法』を。
神父が放った魔法は祭壇を僅かに後退させ、折れたホウキを砕き、二人の滑走路を少しばかり長くした。
そして――。
「……はぁ~……」
呼吸を長らく忘れていたかのように、深く息を吐く。
小さい教会ながら高い天井を仰ぎ見て、己の無事を認識する。
「し、神父様! 大丈夫ですか!?」
心配そうなイザベラが駆け寄ってくる。
暴走する魔女を受け止め、怪我なくキャッチすることができた。
自分に覆いかぶさり、胸板に顔を埋める格好になっている魔女にも、大事はないようだ。
その証拠に――魔女はガバッと起き上がり、大きなエメラルド色の瞳を向けてくる。
その視線には好奇と、感動ばかりが溢れていた。
「助かりました! ありがとうございます!」
「ど、どういたしまして……。……それより、どいてくれませ――」
「さっきの、魔法ですよね!? 祭壇を吹き飛ばしたやつ! どの系統の攻撃魔法ですか!?」
「いや、あの……」
「はっ、そうだ! そんな事より!」
まるで会話が成立しない。若さという勢いでまくし立ててくる分、痴呆の老師よりも性質が悪い。
年齢はイザベラより3つか4つほどは上だろうか。それにしては、駆け寄ってきたイザベラが圧倒されているほど、快活な少女だ。
燃える炎のような赤いツインテールの頭に、黒い三角帽が乗っている。上から下まで、安易に想像される魔女の姿そのもの。そのまんま過ぎて、逆に仮装か何かとすら思えてしまう。
そんな魔女は神父の話など聞かず、床に倒れる神父に馬乗りになったまま。
ステンドグラスから差し込む虹色の光に照らされながら、弾けるような笑顔を見せた。
「クリス・ルシフエル神父様ですよね? アタシを、弟子にして下さい!!」
「……はい?」
思わぬ珍客があったとしても、またすぐに灰色の日常は戻ってくるものだと思っていた。
しかし魔女の格好をした少女との出逢いは、全てのきっかけに過ぎなかった。
波乱の日々は、まだ始まったばかりだった。
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