03 ミーナ・ベルガモット

 陽は既に昇り始めた。


 今日が礼拝も何もない安息日で良かったと、神父は心から安堵していた。

 粉々に砕けた祭壇。破損した教壇。これでは、礼拝ミサどころか聖書を置くこともできない。

 その原因を作った少女。ホウキに乗って飛んできた『魔女』と向き合って立ち、手渡された手紙を読み終えると――眉間に深い皺を寄せる。


「……『ミーナ・ベルガモット』さん」

「ミーナで良いですよ」

「…………………」


 自分を見上げる、翠玉のような瞳。

 なるほど確かに、記憶にある『手紙の送り主』のそれと瓜二つだった。


「……ではミーナ。確かに、この手紙を書いた貴女のお婆さんと私は知り合いです」

「神父様の話は、たまにお婆ちゃんがしていました」

「しかし……『ウチの孫がそっち行くから』としか書いていないコレは、紹介状としてはあまりにも雑です。いや確かに色々と雑な人でしたけど。あの魔女は」

「そーなんですよー! お婆ちゃんったら、なかなかアタシに魔法を教えてくれなくて、それでも食い下がったら『じゃあコレ手紙持って東のクリスに会いに行け』って言って、それっきりどっか行っちゃったんですよ! でも良かったー! こっちの方角で会ってて。……あ、そうそう。手ぶらで弟子入りするのもアレなんで、地元名産のキノコとか野草をホウキに積んで……って、あぁー! てか、アタシのホウキ!」


 神父とは旧知の魔女。その孫娘であるというミーナ。

 そんな彼女をキャッチする際に、床に叩き付けられたせいだろか。いや違う。

 この『頭痛』は、彼女が口を開き始めてから発症したのだから。


「……あのですねぇ。私は弟子なんて取りませんし、そもそも魔法は――」

「ヴォアアアぁぁぁぁぁ!? ほ、ホウキが折れてるぅぅぅ! キノコも……野草も! 何で粉々になってるのよぉー!」

「人の話を聞きなさいッ!」


 あまりにも自由奔放なミーナに、頭痛は加速する。

 超過スピードで突っ込んで来ておいて、唐突に弟子入りを願い出て、そのくせ会話を成立させようとしない。

 ここは一つ、神父らしく説教でもしてやろうかと――。



『ダメよ、ジル。女の子の扱い方が分かっていないわね』



 不意に、『彼女』の言葉を思い出した。


『理屈ばっかで面白くないのよ。順序立てとか主題とか、どーでも良いの。会話する事そのものを楽しまなくちゃ。そんなんじゃ、貴方モテないわよ?』


 どうして今、思い出すのか。

 忘れたと、思っていたはずなのに。


「………………」

「……神父様?」


 何かを言おうとして目線を伏せた神父の変化を、イザベラは察する。

 そんな彼女の存在に気付いたミーナは、小さな天使との距離を詰める。


「あら~可愛いですねぇ~! お名前は何でしゅか~? アタシはミーナ! 綺麗な金髪ねー! 神父様の娘さん?」


 まるで猫でも見つけた時のような反応だ。

 イザベラは警戒のあまり、急いで神父の後ろに隠れて腰にしがみつく。

 早朝の教会にいきなり飛び込んできた魔女だ。誰だって不審に思うだろう。


「……イザベラは私の子供じゃありませんよ。この教会で一緒に暮らしている、戦争孤児です」

「……あー……」


 それを聞いて。今までテンションの高かったミーナも、流石に不用意な発言はしない。


 孤児などは珍しくもない時代だ。10年前の魔王討伐戦争。それから始まった魔女狩り。親を失った子供は、王都ですら溢れるほど存在すると聞く。

 だが『他にもたくさんいる』という事が、本人にとって何かの慰めになりはしない。


 イザベラは神父の服をぎゅっと掴み、身を強張らせている。こんな時に投げかけられる言葉は、蔑みか哀れみのどちらかでしかない事を、嫌というほど知っているからだ。


 しかしミーナは、その『どちら』でもない道を選択した。


「……じゃあイザベラちゃん! ハイこれ。あげるっ」

「……?」


 神父を挟んで、ミーナはイザベラに目線を合わせるように少し屈む。

 そして懐から取り出した小さな『砂時計』を、彼女の眼前に差し出した。


「持ってみて」


 恐る恐る、イザベラは砂時計を手に取る。瓶の中で重力に従って、黄土色の砂がサラサラと落ちて行く。何の変哲もない、普通の砂時計に思えた。


「魔力を込めてみて。別に魔法使いみたいに、たくさんの魔力を使う必要はないわ。『魔石』が使える程度で良いの」

「……こ、こう……?」


 砂時計を持つ小さな手に力をこめる。同時に、生きている人間なら誰にでも流れている『魔力』も。

 すると落下する砂は、キラキラと光りを放ちながら時計内部を『上』へと昇る。

 色を変え、流れを変え。単純ながら幻想的なその仕掛けは、砂の一粒一粒を宇宙に浮かぶ星へと変貌させる。

 砂時計に詰め込まれた小宇宙。イザベラは満天の夜空を見上げる時と同じ輝く瞳で、砂時計に魅入る。

 そしてぱっと顔を上げると、これまた満足げなミーナと目が合う。二人は古くからの親友のように笑いあった。


「すごーい!」

「そうでしょー! コレもうちの村の伝統品なのよ。魔力を込める人によって、流れ方とか光り方も変わるのよ! イザベラちゃんのはすっごく綺麗な色ね! きっと身体に流れている魔力が美しいからだわ」


 魔力を褒められることなどなかったイザベラは、照れくさそうに頬を染める。

 警戒心が解けた様子に安堵し、イザベラの頭を撫でてから、次は神父に同じ物を差し出した。


「ハイ、師匠もどうぞ」

「……『師匠』と呼ばれるような立場になったつもりはありませんが」

「じゃあ先生?」

「先生でもありません。貴女がアルテミナ教に入信するなら、その呼び名もアリですけど」

「生憎、神様は信じてないんですよねー」

「奇遇ですね。私もです」

「え?」

「あぁ、いえいえ。何でもありません」

「とにかく、受け取って下さいよー。神父様の魔力はどんな感じなのか、アタシ知りたいです!」

「……『魔力』、ね……」


 ミーナの手に乗る、小さな砂時計。

 しかしそれを、受け取ろうとはしなかった。


「……ハッキリ言います。貴女のお婆さんからの紹介であっても、私は弟子を取るつもりはありません」

「何でですかー!」

「私から学ばなければダメだ、という事もないでしょう」

「お婆ちゃんが『あの男より魔法に詳しい奴はいない』って言ってました!」

「……そりゃまぁ、そうかもしれませんけど……」


 何せ『魔王自分』が全ての魔法を開発したのだから。


 しかしそこを掘り下げられたくないので、話題を逸らす。


「……それでもダメです」

「私は魔法の極意を知りたいんです!」

「そもそも、そんなに魔法を学びたいなら『魔術学園アカデミー』にでも入学すれば良いじゃないですか。こんな田舎神父に教えを乞うより」

「アカデミーなんて、将来の税金泥棒を育てているだけじゃないですか! 国家認定の魔導師なんて、『魔法使い』を名乗る資格もないですよ!」

「ですが彼らのおかげで魔法を悪用する人間は減り、魔法研究が進んだのも事実です」

「そうじゃないんですー! 魔法ってのはもっと自由で、素敵で、魔法使いは己の探究心のために我が道を突き進むものなんです。それを国家のためじゃなく、民衆のために使うんです! お婆ちゃんはそうだった! 公職とか学問とか、邪道ですよ! 魔法は人々を幸せにするものなのに!」


 その刹那。

 『殺気』が、漏れた。


「……ッ!?」


 ミーナはこの日、生まれて始めて『死の恐怖』を知った。

 ホウキで高速飛行し、教会に激突しそうになった時ですら、感じなかった恐れを。

 それをこの痩せた、一介の田舎の神父から感じた。原初的な、深い闇への恐怖に似たものを。


「……し、神父様……?」


 イザベラの位置からは神父の顔がよく見えない。しかし、何か見てはいけないものなのだと、心のどこかで察知していた。

 それまで言葉をまくし立てていたミーナが、無言の神父によって押し黙ったほどなのだから。


「……『魔法は人を幸せにする』、ですか……」


 ミーナが最後に放った言葉。それが何か、神父の中の触れてはいけないものに接触してしまったのだろう。

 それを分かっていつつ、冷や汗をかきながらも、ミーナは折れない。


「はい……! 少なくともアタシは、そう教わったし、そう思っています……!」

「………………」


 ミーナの瞳が、恐怖と動揺に揺れつつも見つめ返してくる。真っ直ぐに、真正面から。

 神父は溜息と共に目線を外し、眼鏡を押し上げた。


「……まずは片付けが先です。祭壇がメチャクチャですから。この件は一旦保留にしましょう。イザベラ、ホウキと塵取りを持ってきてください」

「は、はい……!」

「待ってください……! アタシの話はまだ終わって――」


 その時。開かれっぱなしの西口から、新たな侵入者の姿があった。

 そしてその老人は、腹の底から神父達を怒鳴りつけた。


「こりゃあーっ!!」


 『老師』の登場に。

 怖い顔をしていた神父も。

 掃除用具を取りに行こうとしていたイザベラも。

 尚も食い下がろうとしていたミーナすらも、呆気に取られる。


 しかしそんな彼らに構わず、老師は怒り心頭といった様子だった。


「いつまで遊んどるんじゃあ! とっくに稽古の時間じゃぞ! 全員、外に出んかーっ!」


 確かに本来なら、既に老師と共に武術の型を舞っている時間。

 しかし一連の流れも、教会内部の惨状も、老師は目撃して見ていたはずだ。それにも関わらず、老師は日課を欠かさないつもりらしい。


 故に。三者三様な感情が渦巻いていた神父達も、ここでは全員の気持ちが一致した。 


「「「えぇー……」」」

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