08 波濤と波紋
――負けるはずがなかった。
本来、『騎士』とは戦いのプロフェッショナル。
昨日今日で剣を持ち始めた新米など、ここには一人もいない。
故に、たかが田舎の神父に負ける道理など、あるはずがなかった。
稚拙な冒険譚では、運命に選ばれし子供が初めて握った剣で兵士を圧倒する、なんてつまらない筋書きもあると聞く。
しかし自分達は違う。爪と牙と角を持った魔物を、個人でも制圧できる。
槍や剣を用いた戦いにおいて、確実に勝利できる訓練を積み重ねてきた。
弓矢と魔術飛び交う戦場を、屈強な肉体と装備で生き抜いてきた。
「何だ……? 何が起きている……!?」
そんな実績と誇りを胸に抱える彼らが。グラリアの騎士達が。
今、たった一人の神父に。聖剣を握った子供でもない丸腰の男に――圧倒されていた。
「せりゃあッ!」
騎士の槍が突き出される。
鎧も付けていない、神父服だけのこの身体など、一撃で貫通するだろう。
それを、半歩右にズレて回避する。
擦れ違い様に足をひっかけ、体勢を崩させる。
同時に鉄の兜を殴りつける。
突きの体重移動と、落下の重力と、こめかみを殴る威力。
三要素揃ったエネルギーをまとったまま、騎士は地面に身体を強打する形となった。
その騎士が再び立ち上がることは、なかった。
「次」
眼鏡の奥の眼光が騎士達を射抜く。
一瞬その気迫に威圧されそうになりながらも、剣を持った二人が斬りかかる。
剣戟を掻い潜る。
斬り下ろしを身を捻って避ける。
そして肘で相手の鎖骨辺りを打つ。騎士は「うっ」と声を漏らした。
もう片方の騎士が斬りかかって来ても、相方を突き飛ばし、二人まとめて蹴り倒す。
「ハイ次」
声を上げ、
一歩後ろに飛び退く。
見れば、大地にヒビが入っている。大地を凹ませるその威力には舌を巻く。
そこを――戦槌から手を離した騎士が、掴みかかってこようとしていた。武器を手放してでも拘束しようとする心意気は見事だ。
しかし神父は握った拳で相手の両手首を叩き、次に肘の関節、肩の関節を殴り叩く。
そして両手の平を開き、相手の胸を突き飛ばす。
すると騎士は4、5歩とよろめき、ついには背中から地面に倒れこんだ。
「次。どうぞ」
騎士達にとって、こんな体験は今まで無かった。
一切の武器も、魔法も使わず。『素手』――。
丸腰で立ち向かってくる狂人など、相手にした経験は皆無だった。
動きが速い。
打ち込みは激烈。
鎧を付けていないためか、身軽な動きで翻弄される。神父の動きを掴むことができない。
まるで『波濤』。
波しぶきに剣や槍をいくら突き立てても海を割ることはできず、そのまま激流によって流されるだけ。
「し、しっかりしろ貴様ら! 立て! グラリアの騎士の名折れだぞ!」
小隊長の叱責が、倒れている部下に飛ぶ。
しかし神父に殴られた騎士達は立ち上がることができず、仮に意識を取り戻しても、激しい眩暈と吐き気を催していた。
意味が分からない。
そもそも、仮に神父の格闘術が達人級であったとしても。武装した騎士に勝てるはずはないのだ。
何故なら『鎧』とは、身を守るための最新技術が取り込まれた防具。一発二発殴られたところで、倒されるはずがないのだ。そうでなければ、甲冑を着込んでいる意味がない。
ただの拳法ではなく、何か――仕掛けがあるはずだ。
「何をした、貴様……!」
「さぁ、何のことでしょう。お手合わせしてみれば分かるのでは?」
挑発するように口角を上げる。
騎士を侮るその態度に、小隊長の額には青筋が浮かんだ。
「騎士様達は槍や剣の修練を積んでいるのでしょうが、そもそも身体の使い方がなっていないようです。剣も槍の扱いも素早いです。しかし素早いだけです。たまにはゆっくり、自分の技術が曲がっていたり歪んだりしていないか、確認してみてはいかがでしょう」
その言葉で、ミーナは気付いた。
毎朝老師と共に励んでいた、あの緩慢な健康体操。その真意を。
素早く武器を振るったりパンチを繰り出すことは誰でもできる。
しかしゆっくりと、丁寧に技術をなぞることで、己の未熟な部分を浮き彫りにする。
老師がやっていたのは、基本を正しく身に付けるための修練だったのだ。
「愚弄しおって……! 魔導師どの!」
「は、はい!」
「グラリオ王に認可されし魔法の術によって、あの大罪人に裁きを下せ!」
「し、しかし魔術による殺生は違法で……!」
「構わん! 少し痛めつけるだけだ、責任は俺が取る!!」
小隊長の気迫に負け、魔導師は杖を振るう。
すると空気が震え、草花がざわめき、杖から『聖なる音』が聞こえ出す。
「『ホーリー・サウンド』!」
本来は魔物に対抗するための拘束術式の一種。この上級魔法は聴覚に作用し、相手の動きを抑える。
「ぐっ……!?」
快進撃を続けていた神父も、膝をつき、脂汗を浮かべる。
濡れた大地に血を吐き出し、身体が痙攣し、その場にうずくまる。
「……!?」
この反応に驚いたのは、魔導師の方だった。
確かにホーリー・サウンドは人間に対して使用すると、聴覚や平衡感覚へ重大な悪影響をもたらす。
しかし喀血や痙攣など。まるで、魔物へ使用した時のような症状だ。
「神父様ッ!」
ミーナの悲痛な叫びが響く。
イザベラも顔を青白くし、言葉を失っている。
ただ唯一。顔を上げた神父だけは――笑っていた。
「ッ……! は、早くこの男を捕らえ……!」
危機を察した魔導師が声を上げる。
しかしその時には既に立ち上がり、猛然と駆け出し、魔導師の顔を鷲掴みにしていた。
「ひっ……!」
「……魔法で聖なる言葉を唱えるなど怠慢です。私は10年、毎日……! この僻地の牢屋みたいな教会で、クソ忌々しい聖句を! 自分の口で読み上げ続けてきたのですよ!」
「……まさか、貴方は……!?」
「『サウンド』!!!」
魔導師の鼓膜を、頭蓋を、脳を。手から放った『音』の魔法で、直接揺らす。
『サウンド』はただの低級魔法。音を鳴らす、それだけの効果しかない。ならば楽器や喉で音を出した方が早い。
魔石を使うほどの魔力量も要らない、難易度としても価値としても最下位の魔法。アカデミーの教科書にすら採用されていない。
そんな誰も見向きもしない魔法に、神父は10年向き合ってきた。
「……サウンドの魔法は、音を出す。音が出るということは、そこに『空気の振動』があるということ。しかし震音は強まれば肉体を揺さぶり、共振によって物体を破壊し、やがては大地を割る……!」
血に塗れた口元を拭い、崩れ落ちる魔導師から手を離す。
術者の気絶によってミーナの拘束魔法も解け、イザベラが駆け寄ってくる。
そしてミーナは思い出していた。暴走するホウキに乗ってきた時。祭壇にぶつかりそうだった所を吹き飛ばしたのは、あれは攻撃魔法などではなく、神父の『音の魔法』だったのだ。
「そうか、貴様……! それで甲冑を着た騎士すらも……!」
小隊長も既に合点していた。
ただの殴打では騎士は倒れない。しかし拳に『振動』の魔法を付与し、殴りつければ。その揺れは衝撃波にも似たものとなって体内を揺らす。
堅牢な鎧も、鍛え上げた肉体も、固い骨も意味を成さない。音は、人間の体の内部から揺らしてダメージを与える。
回避と防御主体の波濤拳。その格闘術によって敵の攻撃をかわし、握った拳を相手に届ける。殴りさえすれば、触れさえすれば。敵は臓腑を揺らされ戦闘不能となる。
「防御すらも無視する、最強の武術ということか……!」
「武術に強いも弱いもないですよ。魔法もそうです。最強の魔法は存在しません。最弱の魔法なんてものも。いつだって、それを扱う人間がいるだけです」
老師の教えを、ようやく体現できていると思った。
残す戦力は小隊長のみ。ここらで撤退して欲しいものだが、誇り高き騎士に撤退の文字はないようだ。
剣を構え直し、神父と対峙する。そして、柄の装飾部分――飾りだと思って石に、赤き光が差す。
「久々だ……! 我が『フラン・ベルジェスト』の真価を見せるのは!」
「炎の魔石……!」
刀身を包む、燃え盛る業火。火炎を発する魔石を用いた、特別製の炎の剣。
ただ持っているだけでも雨粒を蒸発させ、辺りに蒸気を発生させる。
小隊長としての特別な身分と実力を示すかのように。それだけの高温で灼熱に燃える剣が、向けられる。
「一太刀でも貰えば死に繋がる……! これで貴様と条件は同じだ!」
音震の拳と烈火の剣。
小隊長はあくまで騎士らしく、同じ条件化で討ち倒すつもりらしい。
その挑戦を受けるかのように、神父も拳を構える。
しかし。目の焦点は、少しづつ合わなくなってきていた。
朝の礼拝に加えて、先程魔導師から喰らった
フラつきそうになるのを悟られぬようにしながら、ボロボロの身体に鞭を打って立つ。
倒れるわけにはいかない。二度も手放したくはない。剣も魔法も失い、丸腰になってまで何も守れないのだしたら。『氷の花畑』どころか、自分はどこにも行けなくなってしまう。
運命に流され生きてきた。だからそろそろ、己の中で渦巻いている感情に従おうと思った。ミーナのように。あの真っ直ぐで、夢見がちな少女のように。
自分の魂を揺さぶる『波濤』へと、飛び込もう。
「さぁ、小隊長殿……。貴方の神に、祈りなさい!」
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