07 神父の拳
貫禄漂う、国家認定魔導師。
しかしそんな彼に対しても、ミーナは敵対心を隠さない。
「資格は持ってないです」
「では、アカデミーの学生さんかな? 学年と所属学科は……」
「学生でもないです。あんな所、行きたくもない」
「……こ、戸籍数字は……。どこの街の出生で……」
「王国に登録なんてしてないわよ。『魔女の里』で育ったけど、生まれがどことか、両親の顔すら知らないし」
ミーナの返答に魔導師はついに閉口し。
騎士達は我慢できずゲラゲラと笑い。
神父は顔を手で覆っていた。
「……これはアレですな隊長殿。この娘さんは魔女でもないし、魔法使いでもないです。ただの住所不定無職。格好から入るタイプの、魔女のなりきりごっこで遊んでいるのでしょう」
「なるほど。よく分かった。良かったなお嬢さん。本当に魔女だったのなら、我々はキミに対して魔女狩りを敢行しなければならなかった」
小隊長の言葉に、ついには温和そうな魔導師すらも肩を震わせる。
資格を持たない。登録もしていない。格好だけの、浮かれた子供。
それは一つの事実ではあった。しかしミーナにとって、これほどの屈辱は今まで味わったことがなかった。
顔を真っ赤にし、今にも手を出しそうだ。
神父は咄嗟に背後から羽交い絞めにし、彼女の暴走を抑える。
「離して!」
「いい加減にしなさい! ……大変失礼を致しました皆様。すぐに食料をお持ちしますので、何卒、ご寛大な対応を……!」
騎士達に向かって頭を下げる。
それを見た小隊長は、実につまらなそうに鼻を鳴らした。
「さっさとしろ。我々は貴様らと違って暇じゃないんだ。……だがまぁ、魔法使いになりたいのなら、道がないわけでもない」
「えっ……?」
発言の意味を図りかね、思わず声を漏らしてしまう。
魔導士の方は小隊長の意図を察したのか、好色そうな視線をミーナに向ける。
「そうですな……。アカデミーで落ち零れて、神父になるくらいしか道のなかった者に教わるより、専門職である私なら、じっくりと教えることもできるでしょう」
ミーナの肩に手を置く魔導師。
その触り方だけで、ミーナの全身は鳥肌が立つ思いだった。
「……てなのよ」
「んん?」
声が震える。恐怖からか、あるいは屈辱からか。
「……どうして、そうなの……?」
本当はそのどちらでもなかった。
ミーナはただ、『悔しい』のだ。
「魔法は人を笑顔にするって……。誰かを幸せにするのが魔法使いなのに、認められた存在であるはずなのに……! 何でそうやって、他人を馬鹿にできるの……?」
「……!」
ミーナの身体から力が抜けていくのを、羽交い絞めにしている神父は直に感じ取った。
灰色の空から小雨が振り出すと共に。
どうしようもない理想との解離に、彼女の目には涙が滲む。
ミーナが目指している魔法使いの姿は、少なくとも『こんな』ではなかった。
記憶の中の『魔王』は、こんな厭らしい手つきをしていなかった。穏やかな言葉と、優しい笑顔をおぼろげながらも覚えている。魔族のトップでありながら、ただの里の子供である自分にも、分け隔てなく見せてくれた。美しく、心奪われる魔法を。
それを。それなのに。
今、目の前にいる者達は。権力に胡坐をかき、他者を見下し、他人の物を全て手に入れることができると思っている。
彼らはかつて、国に勝利をもたらしたのかもしれない。魔術を研究し、国の庇護を受ける特権階級かもしれない。
ならば何をしても良いのか。秩序を守る代わりに、道義を踏み外しても許されるのか。
「ミーナ……」
神父は知っていた。それが、『許される』ものだということを。
世間は正論だけで回っているのではない。正しい事だけが、まかり通っているわけではないことを。嫌というほど知っていた。
しかしそれをミーナに諭し、悟らせ、納得させるには。ミーナはあまりにも、まだ若すぎた。
「子供の戯言です。お忘れ下さい。……中に戻りなさい、ミーナ」
「ダメだ」
本格的に雨が降り出す。
小隊長の言葉をきっかけに、場の空気が張り詰めた。
「そこの魔女気取りは連れて行く。魔導師殿も気に入ったみたいだしな。色々と世話をして貰おう。神父、貴様も我らに従軍し、物資を運ぶのを手伝え。それで、これまでの言動は清算してやっても良い」
「お待ち下さい! 物資はお渡しします、ですから……!」
イザベラだけを残して、教会を離れるわけにはいかない。ミーナの事も、丁重に扱う気などさらさらないのだろう。
しかしもはや、反論の猶予を与えるつもりもないらしい。
小隊長の指示によって、騎士達が詰め寄ってくる。神父とミーナは引き剥がされ、身体の自由を奪われる。
「やめて……っ! 離してよ!」
「元気が良いのは結構。しかし騎士の誇りを侮るのは許さん。神父の方には監督責任もある。任務が終わったら、異端審問にでもかけるとしよう」
「大人しくしなさい……! 『ホーリー・ホールド』!」
「きゃあっ!?」
魔導師の杖から放たれた魔法が、暴れるミーナを拘束する。
光る縄のようなものが彼女の腕と胴体を縛り、きつく食い込み、抵抗を許さない。
「人に向かって拘束魔法を使うなど!」
抗議の声を上げる。しかし、誰も聞き入れようとはしない。
その時。神父は気付いた。
小隊長のサディスティックな笑み。
魔導師の歪む口元。
囃し立てる騎士達の声。
思い出した。平和な時代にあって、久しく忘れていた。『そんなもの』は、もうとっくに失われていたと思っていた。
だがまだ、ここにあった。騎士の誇りと責任に隠した、血と肉を求める『戦場』の空気。
彼らはそれが忘れられないのだ。戦争が終結しても尚、人を狂気に駆り立てるあの鉄火場の臭い。
獰猛なる獣としての本性が、抑えきれない人間の闘争本能が、彼らの中に燻っていたのだろう。
そしてそれが今、目を覚ましていた。
「やめてッ!!」
そんな折。全員の視線が、教会の入り口に集まる。
そこには、震える腕と足で、目に一杯の涙を湛えたイザベラが――手に持った包丁を、騎士達に向けていた。
「……ッ!? 何をしているのですかイザベラ! やめなさい!!」
これほどの大声でイザベラを叱ったことはなかった。
しかし聞こえているはずのイザベラも、負けないほどの声を張り上げる。
「神父様と、ミーナちゃんを、連れて行かないで……! 二人が何をしたの!? お願い、離して……! 父さんや母さんみたいに、連れて、行くのはっ……!」
「イザベラ……!」
10年前の戦争で両親を失ったイザベラ。彼女の脳裏にはまだ、こびり付いて離れないものがあるのだろう。
幼いながらも覚えている、普通の温かな家庭。それが突如、押し入ってきた兵士達に壊される記憶。連れて行かれる、父と母の光景。
そして孤独な運命を背負わされ、ようやく新たな居場所を見つけたと思ったこの教会でもまた、神父とミーナが連れて行かれそうになっている。
彼女が武器を手に取るのには、充分過ぎる理由だった。
そんなイザベラの姿を見て、小隊長は腰に差した剣を抜いた。
「おやめ下さい! 国民に、小さな女の子に……! 騎士が剣を向けるのですか!?」
「たとえ誰であろうと、敵意を持って武器を取り、立ち向かってくる者は排除対象だ。たとえグラリアの国民、女子供であっても! 騎士の誇りを挑発し、挑戦してくる者は……! 全力を以って叩き潰す!」
イザベラへと迫る、剣を持った小隊長。
しかしイザベラは震えながらも、退く気はないらしい。
ミーナは何とかしようともがくが、魔導師の拘束魔法がそれを許さない。
「あぁ……!」
神父はうな垂れる。彼もまた両脇を兵士に固められ、簡単には動くことができない。
元はと言えば、全て自分のせいであった。
魔法が進むべき道を間違えた。だから魔法使いという特権階級が生まれた。
戦争が生み出した遺恨。魔女狩りも、魔物討伐も。そのせいで生まれた不幸な人々。
誰一人として、正しい方向へ導くことができなかった。自分の行く道すら。
追放され神父となり、変わり映えしない毎日を過ごしてきた。
それを受け入れたフリをして、満足した気になって、目を逸らし続けてきた。
しかしミーナは、魔法を教えてくれと真っ直ぐに語った彼女は、常に真っ直ぐ自分を見ていた。
イザベラも、敵わぬ相手に己の意思を貫き通そうとしている。
だから――。
「……すいません。少し痛くします」
「え?」
両腕を掴む左右の騎士に通達する。
覚悟は決めた。今度は自分の番だと。
全身に、力を込める。
「貴様、妙な動きは――」
――腕を振り回す。
不意に振り回された二人の騎士は、抵抗もできず正面衝突してしまう。
兜と兜、鎧と鎧がぶつかり合い、火花が散る。
緩む拘束。腕を抜き取り、騎士達の片足を持ち上げる。
バランスを崩された騎士二人は大地に転ぶ。
その重量のある甲冑もあって、すぐには起き上がれない。
呆気に取られる周囲の人々を尻目に、教会の入り口へ向かう。
「貴様……ッ!?」
今まさに剣を振り上げた小隊長は、神父の接近に気付き、振り返り様に剣を薙ぐ。
それを紙一重でかわし、懐に入り、斬り返してこようとする小隊長の手首を掴む。
力は要らない。攻撃しようとした彼の力を借りるだけ。相手の右手首と左脇の下を掴んで――彼の身体を後方へ放り投げた。
「ぬあぁっ!?」
「隊長!?」
「小隊長殿!」
僅か数秒で三人の騎士を撃退した神父に、イザベラは口を開いて驚いている。
それもそのはずだ。彼女は今まで、冴えない神父の姿しか見た事がなく、彼がこんなにも速く動くのも初めて見た。
そんなクリス・ルシフエル神父はイザベラの手にある包丁を奪い、捨て去り、驚愕している騎士達に背を向けたまま――彼女を叱りつけた。
「刃物を人に向けてはいけませんッ!」
「っ!」
イザベラの肩が跳ね上がる。
初めて怒られたことと、騎士に斬り捨てられなかったこと、神父に助けられたこと。
様々な感情が混ざり合い、我慢していた涙を静かに零した。
その涙は、強まる雨と共に落ちていった。
「ごめ、なさい……っ!」
「……離れていなさい」
イザベラの頭をいつものように優しく撫でてから、騎士隊に向き直る。
転ばした騎士二人は立ち上がり、小隊長も体勢を立て直しており、その顔は憤怒の色に染まっている。
もはや言い逃れは不可能。騎士達は全員戦闘態勢。
構うものか。神父は白い手袋をはめなおし、眼鏡の位置を指で調整し、彼らを叱る。
「魔法は、誰かを傷つけるためのものではありません……!」
魔法を極めれば全人類を幸福にできると信じていた。
結局できなかった。だから捨てた。
「騎士の剣は、貴方達の誇りは! 平和と民を守るためのものです!」
剣を握れば魔物達をも守れるものだと思っていた。
それは争いの道具にしかならなかった。だから、失った。
『ジル。氷の花畑では、この世の全てが手に入るんだってね。素敵だと思わない?』
そう言った『彼女』もこの世にいない。
全てを欲して全てを失くした。
ならば、丸腰でいよう。
剣も魔法も本当の名前も、もはや何も要らない。
クリス・ルシフエル神父として。今度は拳一つで、誰かを守れる存在になるため。
「納得できない者から、かかってきなさい……! 全員、私の拳で説教です!!」
遠くの山に、雷の落ちる音がした。
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