06 人を活かす技術

 ミーナがクリス神父の教会に来てから、ちょうど一週間目の朝が来た。

 この7日間、結局魔法に関する事は一度も教わっていない。神父には何やら深い事情があるらしく、魔法とは距離を置いている。


 ミーナ自身が習得したことと言えば、早寝早起きの健康的な生活リズムと、波濤拳の百八の型。その一通りのやり方くらいだった。


「そもそもさー、老師~。この拳法って強いの?」


 五十四の型までを終えたところで一旦休憩が入る。

 曇り空の下。大地に腰を下ろし、呼吸を整えるだけの小休憩のタイミングを見計らってから、常々思っていた質問をぶつける。

 しかし老師はミーナをジロリと睨んだかと思うと、「はっ」と鼻で笑ってみせた。


「まーたお主はそんな事を言っておるのかチュンイェン。何度目じゃ。まったく、若いのに『ボケ』が始まっておるのかのぅ」

「……む、ムカつくぅ~……! 聞くのはこれが初めてなのに……!」

「そもそもも何も、武術に強いも弱いもないわい。それを扱う、弱い人間か強い人間がいるだけじゃ」


 二人の会話を聞いた神父は。以前に同じ質問をしたことがあるのか、補足するようにして説明してやる。


「老師の住んでいた国では、強さだけでなく『技の美しさ』や『身体に良い効果をもたらすか』といった事も重視するそうです。その中で波濤拳は、か弱い女性が自衛のために編み出し、次第に健康面やパフォーマンス性も向上させていったそうです」


 神父の方を向くミーナ。

 しかしその何かを訴えるような視線に負け、神父は目を逸らした。

 そうしてミーナは、また老師と向き合う。


「……でも相手が武器とか、魔法とか使って襲ってきたら勝てないじゃないですかー。丸腰での格闘技なんて、この健康体操みたいな動きって、練習する意味あります?」


 神父の言葉には返答しない。

 神父もそれに対する反応を特段示さず、再び口を挟むことはなかった。

 ダイニングルームでのいざこざ以来、微妙な距離感となってしまった二人は、互いにこの調子だった。


 しかしそんな二人の関係を一切知らない、知る気もないだろう老師は、これまたミーナを小馬鹿にしたような口調で教える。


「それじゃあお主は、槍を持っていれば虎に挑むのか?」

「……はい?」


 発言の真意を図りかねる。

 そもそも、老師の会話に真意というものが存在するのかも不明だったが。


「素手は弱い。剣や槍は強い。そう思っている奴は『カモ』じゃ。虎は爪と牙だけで、槍を持った兵士を食い殺す」

「……それが?」

「虎は生まれながらにして己が肉体の動かし方を知っておる。故に強い。しかし人は知らぬ。壮年になっても手足の動きすら、満足に体得しておらん。そんな状態で槍や剣を握っても、なーんも脅威にはならん」


 分かるようで、よく分からない。

 つまり肉体の動かし方を完璧に習得することが、波濤拳の極意ということなのだろうか。


「良いかチュンイェン。ウェイフォンも、よく聞け。決して忘れるな。あらゆる武術に強さの優劣など存在せん。天上天下に、無双の者などおらんと知れ。虎もやがては老いて死ぬ。波濤拳には強さを求める『攻め』の技は一つもない。防御と回避が主体の、人を『活かす』技術じゃ。敵も自分も生かしたままその場を収める拳法であることを、肝に命じておけ」

「……人を、活かす……」

「無双の極地に意味などない。人も虎も、誰しもいつかは河に流され波濤へ還る。大切なのは改良し、継承し、繋げることじゃ。本流を忘れず、常に流るる大河の如く」


 老師がここまで朗々と会話ができている事にも驚くが、それ以上に、二人は古き人間からたった今教わった新たな価値観に、身が震えるような思いだった。


「……さて、休憩終わりじゃ! 後半は組み手! 手を抜いたら朝飯抜きじゃからな!」


 老師は手を叩いて休憩の終了を告げる。

 珍しく、ためになるような話をしたかと思えば、またいつもの調子に逆戻りだ。

 ミーナは辟易しながらも地面から立ち上がり、大きく伸びをする。


 すると。視線が少しばかり上に向いたからだろうか。とある違和感が目に入ってきた。


「……んん?」


 教会の屋根先端部分に乗っている、石作りのガーゴイル。

 口の部分から雨水を吐き出す『雨樋あまどい』として、そういう彫刻があるのは知っていたが、魔王軍残党・魔物狩りが行われているこのご時勢に、わざわざ魔物の姿をデザインする変わり者など少ないだろう。

 それにここは教会だ。十字架の下にガーゴイル。何ともアンバランスである。

 そもそも、あんな彫刻あっただろうか?


「……まぁ良いや」


 何せこの教会に来てからまだ7日。気付いていなかっただけで、元々あそこにあったのかもしれない。

 会話しにくくなった神父に問うのも気まずいので、特に言及することもなく、ミーナは波濤拳の練習へと戻ることにした。


***


 灰色の空は重みを増し、今にも降り出しそうな様子だった。

 しかし、聖堂内にいる者達はその天気の変化に気付かない。


「……そして女神アルテミナの語る通り、己の道を行かんとする者は、たとえ何人なんぴとであってもそれを阻む事はあってはなりません。マルサータ」

「マルサータ」

「まるさ……ふぁあ~」


 肝心なところで大きく口を開ける。

 そんなミーナに神父は注意の目を向けるが、意に介していないようだ。

 慣れてきたのかミーナも他の村人と同じように、自分なりのラクな姿勢スタイルで礼拝に臨むようになってきてしまっていた。


 そしてまたいつもと同じように、牧場へ朝食の食材を貰いに行く。


「イザベラちゃん、行きましょ」

「えっ、う、うん……」


 神父が指示するよりも先に、ミーナはイザベラの手を引いて歩いていく。

 イザベラは「良いのだろうか」といった表情で神父の方を振り向くが、神父は遠くから手をひらひらと振って見送るだけ。心なしか、顔色も悪そうに見える。

 二人の仲を案じているイザベラにとっては、それらは不安材料にしかならなかった。


 ふと。そんな折に、自分の手を引くミーナの足が止まる。

 何事かと思ってみると、今度は反対側に引っ張られ、元来た道を逆走する。


「み、ミーナちゃん?」

「戻りましょう。イザベラちゃんは、教会の奥にいて」

「……?」


 聞いたことがないほど真剣な声色。

 その原因をイザベラもまた視認し、急ぎ足で教会に入る。


 そして神父は、戻ってきてしまった二人に驚きつつ、教会の西口から出て、全ての理由を察した。


「グラリア王国認定のアルテミナ教。ここはその教会だな?」

「はい、その通りです。私は司祭のクリス・ルシフエルです」

「我らはグラリア王国騎士団、東方治安維持担当マークス小隊である!」

「これはこれは……。こんな片田舎まで、ご苦労様です。騎士隊が、本日はどのようなご用件で?」


 教会の前に立ち並ぶ、20人ほどの騎士達。

 グラリア王国の旗を掲げ、動くたびに物々しい甲冑がガシャリと鳴り、その威圧感は歴戦の戦士のそれだった。


「うむ。我らは悪しき魔王軍の残党を掃討し、国家に平和と秩序をもたらすのが任務である。この村の方角に飛行系の魔物が向かっていったとの報告を受け、調査・討伐に参じた。ついては、グラリア王国と連携するアルテミナ教の信徒としての役目を果たし、我々への物資提供を行うよう要請する」


 金髪の男が馬上から説明する。

 恐らく彼がこの騎士達の小隊長なのだろう。腰に差した剣の鞘も、他の者よりも煌びやかな装飾だ。


 そして彼が言う事は要するに、魔物退治のために水や食料をよこせ、という事だ。


 もちろん出撃する際に各々兵糧は用意しているだろうが、遠方の任務や森などといった人里離れた場所での長期任務では、無駄な重量を減らすために食料を現地調達することもある。

 魔物狩りではよくある事だ。そして、教会の神父やシスターがそれに協力することも。

 アルテミナ教の教義では他者への奉仕は至上の悦びであり、10年前に魔王軍と戦い、人々の平和な生活を勝ち取った騎士達に援助することは当然の義務だった。グラリアの国民として、これを拒否するような狼藉者は誰もいない。


「命を賭して任務にあたる騎士様にご協力できるのは、誉れ高きことです。少しばかりですが、兵糧を献上させて頂きます。他の村人にも声をかければ、食事でも寝床でも、何なりとご用意致します」

「うむ。良い心がけだ。では早速――」

「ちょっと、ちょっと!」


 騎士隊長の発言は途中で割り込まれ、他の騎士達はそれに驚いたような表情を見せ、神父は青ざめた顔で振り返る。

 そこには、怒った顔をしたミーナが腰に手を当てており、そしてズカズカと歩み寄ってくる。


「そこ! 花壇に入らないでよ! お花踏んでるから!」


 ミーナの怒り。それは、騎士の何人かが教会前の花壇にまで立ち入って、イザベラの育てている花を足蹴にしていることに対してだった。

 屈強な騎士達が重い甲冑を着けた状態で花を踏めば、どうなるか。見るまでもなく、花は折れてペシャンコにされていた。


「待ちなさい、ミーナ! やめなさい!」


 騎士達に突っかかって行こうとするミーナ。

 そんな彼女の肩を掴んで止めようとするが、ミーナは強引に振りほどく。


「何でですか! アイツらが悪いんじゃないですか! イザベラちゃんが、毎日丹精込めて世話をしているのに!」


 教会の中から出てきた少女が何を怒っているのか、騎士達もようやくそれを理解した。

 しかし次に湧いた感情は、発言を阻まれたことへの怒りや、無礼な言動に対する憤りではなく。

 ――ミーナの『格好』に対する、嘲笑であった。


「何だあの服」

「この時代にあんな古い魔女の格好して……」

「いつからアルテミナ教は魔女の隠れ家になったんだ?」

「そりゃアレだろ。魔女がんだろ。坊主は禁欲だからなぁ。色々溜まってんだろ」


 下世話な冗談に、騎士達は思わず噴き出して笑い合う。

 言葉の正確な意味は理解できなかったが、何か馬鹿にされていることだけは感じ取ったミーナは、更に怒りを燃やす。


「……何よ。そんなにオカシイ!? 伝統的なこの衣装の魅力が分からないなんて、王国の騎士も大したことないのね!」

「やめなさいと言っているでしょうミーナ! 騎士様達を挑発するんじゃありません!」

「だって!」

「あー、分かった分かった。皆、落ち着け」


 ここで。金髪の小隊長が下馬し、クリス神父やミーナ、それに部下達も制し、場を宥める。


「言い分は分かった。花壇に関しては失礼致した。何せ、どこからが敷地でどこまでが野原なのか、分かりにくかったものなのでな」


 クスクスと、後ろにいる騎士達から笑いが漏れる。

 確かに田舎の教会ではあるが、雑草の生えている場所とそうでない部分の違いくらいは、誰にでも分かるはずだろうに。イザベラの花壇は、そこらの草花と同じに見えたとでも言いたいのか。


殿。来て頂けるか」


 小隊長は振り向き、軍団の後方にいる人物を呼び出す。


 その男は他の騎士と違って、甲冑ではなく白いローブに身を包んでいた。

 神聖なる雰囲気すら漂う、深いシワの入った顔。年季の入ったその手には、魔法杖ロッドが握られていた。


「こういう時はどうすれば良い。魔法に関する規律にはあまり詳しくない。……そもそもこの娘は、本当に魔女なのか?」

「さぁて、どうでしょう……。お嬢さん、魔導師資格はお持ちですかな?」


 彼の胸元に輝く、星の形をした記章バッジ

 それは彼の身分が、グラリア王国からの認可を受けた『本物の魔法使い』であることの証明だった。

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