05 無意味な暮らし
ミーナがクリス神父の住まう教会に来てから5日目。
イザベラがキッチンで夕食を作っている間、西日の差すダイニングルームで、ようやく神父を問いただす事にした。
「何でですかー」
「何がですか?」
テーブルに突っ伏すミーナは、向かい側に座る神父に不満そうな声を漏らす。
しかし全く意に介していないかのように、神父は茶を啜りながら聖書を開いている。
「どうして魔法を教えてくれないんですか、って話ですよ! 確かに教会にいる神父やシスターは『
「ですから、その基礎をこの生活の中で学べと……」
「魔法を使わない生活してるくせに、何を学べって言うんですか! 毎日毎日体操して礼拝して畑いじって本を読んでいるだけ! そしてご飯食べて寝るだけ! 流石にもう飽ーきーまーしーた~!」
テーブルの下で足をブラブラと泳がせ、心なしか黒い三角帽子もへたっているように見える。
それだけ、ミーナにとって退屈な日々だったのだろう。
「貴女が5日で飽きたこの生活を、私は10年続けてきましたけど」
「うっへぇ……。拷問じゃないですか……。まるで囚人ですね」
「そうですよ」
「へ?」
「私は罪人ですから」
聖書から目を離さぬまま、サラリと言ってのける。
しかしそれが冗談なのか、あるいはこのクリス・ルシフエルという人物が冗談を言うような人間なのか、図りかねていた。
「……そもそもどうして、貴女はそんなに魔法を学びたいのですか」
祖母に教えを乞うても拒否され、紹介されるまま、慣れないホウキに乗ってこんな片田舎まで飛んできた。
そして神父からも認められなくとも、諦めずに何度でも志願してくる。その情熱が並大抵のものでないことは、この5日間で理解した。
唯一分からないのは、その原動力となっているもの。
『魔法使いになりたい』という目標へとミーナを駆り立てる、根幹にあるものとは何なのか。
純粋に、それが気になった。
ミーナは少し逡巡してから、おずおずと語りだした。
「……実はアタシ、『魔王』に会ったことあるんですよね」
「ぶふっ」
口に含んでいた茶を噴き出す。危うく聖書を汚すところだった。
「うっわ、もー何ですか汚いですねー。嘘じゃないのに」
「す、すいません……。……あっれぇ……? 覚えてないぞ……?」
小声ながらも焦りが口から出てしまう。
雑巾でテーブルを拭きつつ、ミーナは不審そうな目を向けてくる。
「……とにかく、アタシは小さい頃『魔王』に出逢ったんですよ。まだ戦争も本格的に始まる前で、アタシも断片的にしか覚えていないですけど」
「……それで、その魔王に影響を受けたと」
「直接影響を受けた、って程じゃないですけど。うろ覚えだけど、ハッキリ思い出せることがあるんです」
テーブルから顔を持ち上げ、沈み行く夕日に照らされるミーナの表情は、とても穏やかだった。
普段の騒がしさは鳴りをひそめ、遠い日の記憶を懐古する、一人の詩人のようでもあった。
「魔女の里だったアタシの故郷を訪れて、お婆ちゃんと何か難しそうな話をしていて……。でも空いた時間に、里の子供達に魔法を見せてくれたんです。それがとっても綺麗で、不思議で、幻想的で……。あの日の魔法だけは、今でも忘れることができないです。感動したんです。心から」
ミーナの原点にある、かつての『魔王』の記憶。
幼少の頃に目に焼き付いた、魂を揺さぶった感情。
それが今日まで続き、ミーナという魔女志望の少女を形作ったのだろう。
「ですが……」
そんな彼女の思い出に水を差すようで心苦しいが、ある『事実』を以って、彼女を諦めさせようとする。
「……ですが魔王は結局、魔法の使い方を誤った。故に魔族共々討伐され、魔術の極意が刻まれたとされる右腕は斬り落とされたのです。そうして、魔法は国から認められた一部の人間だけのものとなった」
「それは『魔王』の問題です。アタシが魔王みたいになるって、そう言いたいなら流石に怒りますよ」
「……そうではありません。ただ……。魔法は所詮、誰かを傷つけるだけの技術なのかもしれません」
神父その発言に、椅子から立ち上がって抗議する。
「そんな事ないです! 魔法は素敵で、尊いものなんです! あの日の『魔王』も里の子供達に、アタシに! そう言っていました!」
ケンカでもしているのかと、イザベラがキッチンから不安そうに覗きこんでくる。
イザベラとは正反対の、強い感情を持って睨んでくるミーナの目を見返す。
曇りのない、美しき翠玉の瞳。
「………………」
そこから目を逸らし、聖書に視線を戻す。
しかし暗くなってきた室内では、少し見えにくかった。
「……イザベラ。灯りを点けて下さい」
「あっ、はーい」
名前を呼ばれたイザベラは少し驚きつつ、キッチンから椅子を持ってくる。
靴を脱いで椅子に乗り、精一杯背を伸ばし、天井から吊り下げられたランプに触れる。
そしてランプに内臓された『魔石』に魔力を流す。
するとイザベラの魔力に反応し、石が発光する。その光はランプから反射し、薄暗い室内全体を照らした。
イザベラに礼を言い、彼女は文句一つなく椅子をキッチンに戻しに行く。
その一連の行動を、ミーナは愕然とする思いで見つめていた。
「は……はぁぁぁぁぁあああ? 何やってんですか!?」
「何、とは?」
「明かりくらい、自分で点ければ良いじゃないですか! 無駄に高い身長しておいて、私より背の小さい子に頼むなんて! イザベラちゃんを召し使いとでも思っているんですか!?」
その言葉には、明らかな怒気が含まれていた。弟子入りを拒否された時も、老師に理不尽に叱られた時でさえも、これほどの不快感は示さなかった。
しかし今。ミーナは「ありえない」といった表情で詰め寄っている。彼女の中で、いや彼女以外の人間が見ても、非道な行いに見えるだろう。
しかし反論することもなく、テーブルに置かれた砂時計を手に取った。
初日にミーナがイザベラにプレゼントした、魔力を込めると光る
それに魔力を込めると、砂は――弱い光をチカチカと点滅させた。
「え……」
それが指し示す意味を、ミーナは瞬時に理解した。
砂は上に昇ろうとし、しかし徐々にその勢いを無くし、重力に負けて情けなく流れ落ちる砂と同化する。
ついには、光を放つこともなくなった。
「……ご覧の通りです。私はイザベラのような子供でも感覚的に放つことのできる魔力量すら、扱うことができません。光を放つ魔石、調理の際に熱を放つ魔石、洗濯のために水を張った桶へ入れ、そこに渦を作り出してくれる魔石。どれ一つだって使用できません。……そういう事です」
魔王討伐戦以前、魔法は今よりも自由な技術だった。
魔法使い達は気ままに魔法を研究し、使用し、才ある他者に分け与えた。
しかし無秩序に伝承されるそれは、ついには『悪』に利用された。
その筆頭である『魔王』が10年前にグラリア王国の力で倒され、魔法を扱う者は全て国家からの認定が必要となった。そんな彼らは国家認定魔導師として認可され、魔法は一部の選ばれた人間だけの技術となった。
しかし全ての者が魔法を奪われたわけではない。
その顕著な例が、『魔石』というアイテムだ。
魔石は世界に満ちる魔力が結晶化され、魔法の使えない平民であっても、僅かな魔力を込めればその恩恵に預かることができる代物。
魔石はグラリア王国において、古くから需要な『資源』の一つだった。魔王討伐戦とは、ある側面において魔物達の所有する
わざわざ薪に火を焚き付けずとも加熱調理ができ、夜の街を明るく照らし、泥水を真水に変える。
魔法使い達が使用している『奇跡』の一部を、ほんの少しではあるが誰でも簡単に実現できるのだ。
そんな、人々の生活には欠かせない魔石。
魔法を学んだことのない子供でも、あるいは赤子でも、生きていれば誰の中にも存在する魔力だけで、その奇跡は発動する。
なのに。ミーナの眼前に座るクリス・ルシフエルという神父は。それすらも出来ないとのたまう。
「事情があって、私はもうほとんど魔法が使えなくなりました。それに使いたくもありません。あんなもの」
魔法を『あんなもの』呼ばわりされ、ミーナの眉間に皺が寄る。
また何か騒がれても面倒なので、咄嗟に話をすり替える。
「……あぁ、ですが。こんな私でも唯一使える魔法はありますよ。――『サウンド』」
そう唱えると、室内に単調な音が流れる。
演奏とも歌唱ともつかない、ただ『音が流れているだけ』といったものだった。
これなら、下手な演奏でも楽器や生身の歌声の方がまだマシだ。
「えぇ……。そんなの、学ぶレベルでもないやつじゃないですか……」
「ですが魔石を使うほどの魔力量も要らないので、結構気に入っているんですよね」
「初めて見せてくれて、唯一使えるのがソレとか……。そうじゃなくて、もっとキラキラしていて、人を幸せにできる凄いやつを期待したのに……」
「魔法に期待するのなんて、いい加減おやめなさい」
「そんな……」
ついには力なく椅子に腰を落とす。
折角ここまでやって来て、師事して貰えるかもしれないと思った人物は、魔石すらもマトモに扱えないと言う。
その事実を突き付けられ、ミーナは口を閉じてしまった。
そんな彼女を、神父は聖書に目線を落としたまま、見ようともしない。
「……貴女みたいな人を知っているんですよ。期待しない方が良いものに期待して、夢と理想ばかり追いかけ、現実が見えていなかった者を。結局その人は、望まぬ結末に終わってしまった。……私も似たようなものです」
夜の帳が落ちる。
キッチンからはイザベラの作った料理の、美味しそうな匂いがしてくる。
しかしミーナには、食欲が全く湧いてこなかった。
「私は自由と権利を失った人間です。魔法も、何もかも。そんな私から何かを学ぼうとするなんてことが、どれだけ無意味なことか。……貴女ももう分かったでしょう? 故郷に帰るか王都のアカデミーに入学するか、どちらにせよ、荷造りが終わって出発するまではここに滞在しても良――」
「それなら」
言葉を遮り。
未だ『折れていない』瞳で、少女はもう一度口を開く。
ひとつだけ、神父に問う。
「それじゃあどうして、『氷の花畑』の絵を飾っているんですか」
「……!」
ここでようやく、神父はミーナの顔を見た。
そして次に、壁にかけられた小さな額縁の中に咲く、青白い花々の絵画を。
「……アレは、魔力だけで作られた世界に咲くっていう花の景色です。お婆ちゃんの家にも飾ってありました。詳しくは知らないですけど、お婆ちゃんは『これは魔法使いにとって理想の場所だ。魔法に心奪われた奴は、皆この絵に惹かれるんだ』って言ってました……!」
「それは……」
「魔法が使えなくなって、嫌いになって、魔法を捨てたなら……! どうしてまだ、あの絵を飾っているんですか……! どうして音の魔法だけは気に入っている、なんて言うんですか。ひょっとして、先生はまだ――」
頭を押さえる。やめてくれ。
頭痛がする。思い出したくない。
また、『彼女』の言葉を――。
『素敵な絵よね。私もここに行ってみたいわ。全部が終わったら連れて行ってよねジル。お伽噺の世界じゃないんでしょう? 貴方ならきっと見つけられるわ。だって、貴方は――』
――あぁ、『ジャンヌ』。
「――本当はまだ、魔法が好きなんじゃないんですか?」
『貴方は誰よりも魔法が得意で、世界一魔法が好きな人だもの』
聖書をテーブルに叩き付けるようにして。大きな音を立てて閉じる。
その音に驚いたイザベラが、料理を乗せて来た皿を落としてしまう。
皿は割れ、スープが床を汚し。静寂だけが、その場を包む。
「……ごめんなさいイザベラ。うるさくしてしまって。別にケンカをしていたわけじゃないんですよ」
普段通りの優しい声でイザベラの頭を撫でてから、皿の破片を拾う。
イザベラには、床を拭くための雑巾を取ってきて欲しいと告げる。温和な笑みを向けて。
少しばかりためらった後、イザベラはキッチンの奥に戻る。不安そうな顔を隠しきれないまま。
「……その絵にそんな逸話があるとは知りませんでした。ただ、花が好きなイザベラが気に入ると思って、飾っていただけです」
ミーナに背を向けたまま、床の破片を拾う。
その背中は。
後姿からは、顔も見えないのに。
それ以上の反論も会話も拒否する、黒く大きな、壁に見えた。
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